第11話 二人の高貴な男達
一方、湖の北の集落で一息ついていたシグルズ達は、なんとか徒歩で一番近い宿屋を探し当て、その後はストールヘブンへ出て馬を調達しようとしていた。不運にも怪我を負ってしまったシグルズの馬は、集落へ置いてきていた。
余所者に対して冷たい村人達に、彼がなんとか馬の手当てを頼み、治った後は売ってしまってかまわないと言って引き渡すと、貧しい集落の女達は喜んで引き受けた。人間はいらないが、金になる家畜なら大歓迎だ。お礼に一杯のエールと、かちかちになった茶色いパン、それに一欠片のチーズをそれぞれ恵んでもらえたことはありがたかった。
そんなこんなで、馬一頭を引きながら宿に着いたときにはもう夕方になっていて、すっかりくたくただった二人は、翌日ストールヘブンに向かうことにした。
埃っぽい外套をバタバタと払っていると、シグルズの周りにたくさんの視線が集まってくる。運良く空いていた最後の一部屋を手に入れたケネスは、ちらりと周囲から寄せられてくる好奇の目を全身に感じながら、上司に耳打ちした。
「シグルズ様、あなたは少々目立ちすぎです。何か別の服を調達されては?」
シグルズは肩をすくめた。外套の下は黒いローブだ。すぐに聖職者だと分かってしまうだろう。追手はハラルドソン司祭を探しているのだから都合が悪い。それに、襲撃者と一騒動あったせいで、すっかり腰から下は汚れてしまった。たしかに着替えたほうがいいかもしれない。
「そうだな、そうしよう」
部屋へ行き、ケネスが宿屋の主人と話をつけて、シグルズに服を着替えさせると、彼は得意気に両手を広げて言った。
「どうだ、行商人か何かのように見えるか?」
ケネスは肩をすくめ、
「金持ちの道楽息子のように見えますね」
と答えた。シグルズはむっとしたが、まあいいだろうと、二人は宿で休むことにした。やっと一息つけると思うと、どっと疲れが出てくるような気がした。
しばらくすると、ケネスは情報収集のためにどこかへ出掛けていった。シグルズは腹も減ったので、大人しく酒でも飲んでいようと階下へ降りていった。
酒場はストールヘブンから流れてくる商人や旅人でごった返していた。かえって目立たなくていいと、シグルズは安心して窓辺の一角に腰を下ろした。
「神父じゃないとやることがないな」
アルコールのきついエールを少しずつ飲みながら、ティンカーでの忙しかった日々を思い出す。
エマは大丈夫だろうか?無事であれば、今頃もうヘルギに着いたに違いない。私のことを心配しているだろうか。
シグルズは、神経質そうにテーブルを指先でとんとんと叩いた。どうしても彼女のことが気になってしまう。同時に、彼女もまた自分のことを案じているのではないかと気持ちばかりが逸っていく。
こうなったら酒など口に運んでも味わうどころではなく、一刻も早くここから動きたくて彼はそわそわしていた。余計なことばかり考えてしまうのも、やることが何もないせいだ。
「お兄さん、お一人?」
見知らぬ女が話しかけてきた。長い髪を肩口から流し、少し首を傾げて緩慢な動作で近寄ってくるその様子は、普通の主婦でも町娘でもないだろう。後ろからは取り巻きのような別の女達が、きゃあきゃあと黄色い声を上げていた。
「あなた、この辺の男じゃないわよね。ねえ、私と一緒に楽しいことしない?」
シグルズは一瞬眉間にしわを寄せた。日頃女性には事欠かないので、この手の誘いは彼には必要ないのだが、困ったことに彼は女性を邪険にすることも苦手なのだ。
どうやってここからいなくなってもらおうかと逡巡していたが、ふと、もしかしたら何か聞き出せるかもしれないと思い直し、彼は優雅に微笑み返すと、椅子を引いて立ち上がろうとした。思わず女も頬を染めて、しめたと笑い返した。ところが、間の悪いことに、フードを目深に被ったケネスが店の入口に立って、まるで亡霊か何かのように険しい顔をしてこちらを見ていたのだった。
「レナード様、またご婦人とお戯れを?」
ケネスは真顔のまま尋ねた。
「ははは、戻ったのか」
レナードはシグルズのミドルネームで、ダルヘイムではありふれた名だ。念のため、しばらくはこの名で通すことに決めておいたのだ。
「私が一生懸命外で働き回っている間、随分と楽しくお過ごしだったようですね」
そう言って、ケネスはじろりと女達を見た。女達は彼のいかにも怪しげな容貌にたじろぎ、ふん!と機嫌をそこね、行ってしまった。
「あーあ、行ってしまったではないか。せっかくのチャンスだったのに」
ケネスは大袈裟にため息をつき、
「何のチャンスでしょうか」
と首を横に振った。シグルズは悪びれる様子もなく、笑って誤魔化した。
「それで、何か収穫はあったんだろうな、お目付け役の執事殿は」
顔を突き合わせて席につき、頬杖をついたシグルズが嫌みっぽく尋ねると、ケネスは素っ気ない素振りで頷いた。フードを下ろし、亜麻色の髪を振り払っている。
「収穫というほどではありませんが、何人かに聞き込みをして回ったところ、とりあえずこの宿には兵士は来ていないようですね」
彼の前に、ジョッキに注がれたエールがドンと置かれた。彼はまずその匂いを嗅ぐと、顔色一つ変えずにごくごくと喉に流し込む。ケネスは酒に強いよなあ、とシグルズは頬杖をついたまま無関心に眺めていた。
ケネスは続けて、
「ただ、ストールヘブンから移動してきたばかりだという商人によると、向こうでは見たことのない銀色の兜を被った男達が何人かうろついていたとか」
と言った。シグルズはジョッキに口をつけながら、答えた。
「なるほど、十中八九、同じ連中だろうな」
ケネスは頷いた。
「そうですね。なので、一応ジョージ様に早馬を送っておきました」
「ジョージに?」
シグルズは目を丸くした。ケネスは肩をすくめて答えた。
「ええ、あなたの領地を荒らし回っている怪しい連中がいる、とね」
「さすがだな」
シグルズは感嘆の声を漏らした。ケネスの仕事の早さには驚くばかりだ。気の短いジョージのことだから、そんなことを知らされて黙っているなんてできるはずがない。きっと明日には警備兵を送ってくるだろう。
「ところで、ヘルギのことは何か分かったか?」
シグルズは尋ねた。一番気がかりなのは、先にヘルギに着いているであろうーーー着いていると信じている、エマとアンソニーのことだった。もしヘルギにもメイウェザー家の手の者が忍び込んでいたらと思うと、シグルズはますます二人の無事を祈らずにはいられなかった。
何か危ないことをしていなければいいが。あの二人はどこか似た者同士というか、真っ直ぐで、時折無鉄砲とも思える行動をとることがあるので心配なのだ。
だが、ケネスは首を横に振った。
「残念ながら、そこまでは分かりませんでした」
シグルズはため息をついた。
「いや、いい。ご苦労だったな」
その後、二人は部屋に引き上げた。シグルズは窓辺に腰掛け、しばらく夜空を眺めていた。白くぼんやり光る月、小さな星々、心地良い夜風。
シグルズの腕には、相変わらず蛇の腕輪が嵌められていた。この腕輪は一匹の蛇である。自分の尾を自分の口で噛んで輪を作っているのだ。それはハラルドソン家の家紋でもある。彼が腰に下げている剣と同様、父から受け継いだ大切な品の一つなのだ。
もうずっと長いこと当たり前のように身に付けているから、これがあることを彼自身も忘れるほどだった。時々、今みたいな時に、改めてしげしげと眺めて、一族の呪いと、兄弟と交わした約束、そして、この地へ来た理由をこうして思い出すのだ。
だが、どういうわけか、今夜ばかりは、彼の頭の中はすぐに赤毛の娘のことでいっぱいになった。どうか無事でいてほしいと、ただそれだけだった。こんなに誰かを想って眠れなくなるのは初めてだった。
シグルズは長いこと窓の縁に肘をついて、ぼんやりとしていた。背後では既に寝台に横になっていたケネスが、そんな彼の様子を背を向けたまま窺いながら、静かに目を閉じていた。




