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《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第二章

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第10話 古の町ヘルギ(3)

 それから、二人はすぐに教会へ出掛けていった。教会は町から少し北に離れた場所にあるので、もしかしたらシグルズ達が向こうからやって来るかもしれないと、淡い期待を抱いて、周囲をぐるりと回ってみたり、イチイの木の下で待ってみたりしたのだが、結局姿は現さなかった。


「来ないわね」


 エマがため息をつきながら呟いた。アンソニーは腕組みをして木の幹にもたれながら、小さく「うん」と返事をした。

 このイチイの木はとても大きい。教会の、背の高い尖塔に負けず劣らずの大きさだ。その幹の太さは大人三人で手を繋いでも足りないくらいで、そこから四方八方に伸びた枝はところどころ緑色の苔で覆われている。

 昨夜はよく星が見えたのだが、今朝はどんよりとした曇り空だ。二人が木の下でシグルズとケネスの姿を待ちぼうけているうちに、ついにぽつぽつと雨が降り出してきた。

 エマは腕をさすりながら、無意識にアンソニーのほうに近寄った。


「なんだよ」


 アンソニーはぶっきらぼうに声を上げると、いかにも神経質そうにエマをちらちら見下ろした。巨大な樹木に密に生い茂る、針のような、だがとても柔らかい葉っぱのおかげで濡れずにすんだのは幸いだ。

 彼女はむっとして彼を一瞥すると、何よ、と答えた。


「いいじゃない、少しくらい側に寄ったって。寒いのよ」


 ショールを持ってくればよかったと、エマは後悔した。アンソニーは、彼女が寒がっていたことに気が付かず、一瞬申し訳なさそうな顔をして、彼女の肩を抱き寄せようかと手を伸ばしかけて引っ込めた。所在なさげにその手を動かしながら、彼はあれこれ言葉を探すと、


「一旦、町に戻ろうか」


と言った。だが、彼女が頷くのと同時に、教会の扉が開き、誰かがやって来るのが見えた。黒い服を着た神父だった。


ーーーシグルズ様?


 エマは、つい喜びそうになったが、彼ではなかった。だが、彼のように美しいかんばせの男だった。自信に満ち溢れた吊り上がった眉、すっきり通った鼻筋、わずかに笑みを浮かべた口元。

 神父の男は濡れるのも厭わず、すたすたとこちらへやって来ると、親しみを込めて「こんにちは」と挨拶をした。


「失礼、あなた方はこの辺りの方ではありませんね?私はこの()()()()()()の司祭、ロイ・アダムスです。お二人がずっと教会の周りにいらっしゃるので、何かお困りなのではと思い、お声掛けさせていただいたのですが」


 すらすらと淀みなく、明瞭な声で、そのアダムス司祭は言った。エマは、今まで出会った男性の中で、彼は二番目に美しい人じゃないかしら、と思った。一番目はもちろんシグルズだ。彼のように一分の隙もなく完璧な、生きた人間の顔を、彼女は今だかつて見たことがない。


「アダムス司祭、お気遣い感謝します。私達はティンカーから来た旅の者です。実は旅の途中で仲間とはぐれてしまい、ここで待っているのですが、なかなか現れないのでやきもきしていたところなのです」


 アンソニーが、他所向きの感じの良い声で答えた。すっと手を伸ばし、握手を求めると、司祭はにっこりと微笑みながら彼の手を握り返した。アンソニーは固く握られた手元をちらりと見下ろすと、司祭の目をじっと見つめた。


「なぜ、()()()()()()なのですか?」


 二人を見ていたエマが口を開いた。司祭はアンソニーから手を離すと、彼女に向き合い、両手を広げて話し始めた。


「簡単なことです。遥か昔に、この教会は一度死んだのです」


「死んだ?」


「ええ、役目がなくなった、と申したほうがよろしいでしょうか。今からおよそ三百年前、この教会は立派な大聖堂でした」


 アダムス司祭はこのように説明した。

 三百年前、この地方の大聖堂はヘルギにあった。つまり、あのスチュワート大司教がいるフレイスヴァーグは当時まだ存在せず、この教会が教区の中心地であった。

 だが、ある時、不幸な出来事が大聖堂を襲った。教会が徴収している税の多さに腹を立てた住民達が、一致団結して大司教に襲いかかったのだ。

 夜襲に見舞われた大司教は、館の中で火を放たれ、焼け死んでしまった。その結果、人々は教皇の怒りを買い、ヘルギにあった大聖堂は見放され、フレイスヴァーグに教区の中心地は移されることになったのだ。


「それからしばらくこの教会は放置されてきました。ですが、ご覧のように、捨て置いておくにはあまりにも立派すぎる建物です。中にはまだ、十字架も、祭壇も、美しい彫刻も、全てそのままに残されていました。当時この地を支配していたノース人の英知が結集されているのです」


 そう言って、アダムス司祭は得意気な様子で、強固で美しい石造りの教会の、堂々たる佇まいを、イチイの木の下から感慨深げに見上げた。

 その後、何年か経ってから、かつて大聖堂だったこの建物は、教区の一教会として、心ある聖職者達によって復活を遂げたということであった。

 だが、一度は捨てられた教会に、人々は名前をつけることができなかった。教会を名乗るには、教皇庁の許可が必要だったからだ。そこで、人々は次第にこのかつての大聖堂を「名もなき教会」と呼ぶようになったというわけだ。

 エマは感嘆の声を漏らした。


「素晴らしいですわ。この教会は、悲しい過去を乗り越えて、今ここにあるのですね」


アダムス司祭は頷いた。


「そうです。まさに復活と言って良いでしょう」


 そして彼はエマのほうに更に近寄ってくると、彼女より少し濃い緑色の目で、じっと彼女の顔を覗き込んだ。彼の瞳からは何か底知れぬものを感じたが、同時に燃えるような輝きも放っていて、エマは目を逸らすことができなかった。

 彼はにっこりと微笑むと、ほっそりとした手を軽やかに返して彼女のほうに差し出し、


「いかがです?このような天気ですし、続きは中でお話ししませんか?」


と言った。エマは首をかしげながらも、奇妙な感覚に囚われて彼から目を離すことができず、誘われるがままに手をとろうとした。

 だが、二人の間にアンソニーが割って入ったので、エマはハッとして手を引っ込めた。


「せっかくのお誘いですが、私達は人を探しておりますので」


 アンソニーは牽制するように、はっきりとした口調で答えた。アダムス司祭は肩をすくめた。


「そうですか」


 そして、いかにも残念そうな顔をすると、二人の顔を交互に見比べ、言った。


「では、またの機会に。お連れの方が戻ったら、是非皆さんお揃いでいらしてください」


 必ずですよ、と司祭は目を細めて笑うと、雨の中、踵を返していった。だが、ほんの数歩歩いたところで彼は思い出したように振り向き、言った。


「そうそう、あなたのおじいさまはお元気でいらっしゃるのかな?」


 エマとアンソニーは顔を見合せた。何のことか、誰のことか、分からない。二人とも、彼とは初対面だったはずだ。しかし、エマは司祭が真っ直ぐにこちらを見つめていることに気が付いて、自分の祖父のことを尋ねられているのだと理解した。

 エマは首をかしげながら、答えた。


「失礼ですが、人違いをなさっているのでは?わたくし、司祭様とは今日初めてお会いしましたわ」


その通りです、とアダムス司祭は答えた。


「ですが、あなたのおじいさまのことはよく存じているのです。あなたが生まれるずっと前から、知り合いなのですよ」


 エマは訝しんだ。この司祭が自分の祖父ほど年をとっているように見えなかったからだ。せいぜいシグルズと同じか、少し年上か…、いや、美しい人の年齢はよく分からないのだけれど。それでも、やはり彼は何か思い違いをしているのだろう。だって、自分の祖父がガン族の長トールだということを、どうしてこの男が知っているというのだ。

 エマは丁重にお辞儀をした。


「ごきげんよう、司祭様。この雨ですし、私達は一度町に戻ります」


「ええ、またお会いしましょう」


 そう言って、煙るような雨の中、司祭は再び教会へと引き返していった。

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