第7話 襲撃者(3)
一方、南へ逃れたアンソニーとエマとは反対に、北へ向かったシグルズ達も追われていた。銃を所持していた追手に対し、シグルズは弓で応戦しようとしているのだが、いかんせん相手の数が多く、分が悪い。
どうにか身を隠せるところで発砲させて、弾を充填する隙を狙いたいのだが、嘆かわしいことに、本当にこの辺りは木陰一つ見つけるのも大変なのだ。
「殺さず捕らえるのだ!馬を狙え!」
銀色の兜を被り、片手に剣を持った兵士がそう声を上げ、前列の三人が銃を構える。後方にはまだ五人が待機しており、順に発砲していく算段だ。
ケネスがシグルズに何か耳打ちした。シグルズは頷き、二人は左右に分かれて大きく距離を取った。
兵士達は一瞬迷いを見せたが、目的は司祭のほう、と銃口をシグルズのほうにしっかりと向けた。
照準はシグルズの馬だ。銀色の銃口がきらりと光っている。ケネスは減速し、胸元から何かを取り出した。
「撃て!!」
号令とともにケネスは手に持ったものを兵士達に投げつけた。何かが破裂するような音に混じって、複数の発砲音が響き渡る。あっという間に、兵士達は大量の煙に飲み込まれてしまった。馬同士が衝突し、何人かは落馬している。
「よくやった」
ケネスがシグルズのほうに急いで駆け寄った。煙幕だった。背後は物凄い煙で、兵士達は大混乱だ。
「シグルズ様、大丈夫ですか。お怪我は」
ケネスが尋ねると、シグルズは頷いた。だが、どうも様子がおかしい。今のうちにもっと速度を上げて一気に逃げ切りたいところだが、少し抑えているような気配がある。
「私は大丈夫だ。だが、馬がやられた」
見ると、馬の体から血が流れていた。片足を多少引きずるようにして、動きづらそうにしている。そもそも既にティンカーからほとんど休みなく歩いてきて、体力の限界なのだ。このままでは間もなく力尽きて、下手をしたら死んでしまうだろう。
「どこか馬を交換してもらえるところを探しましょう。もう少し行けば、たしか村があったはずです」
そうだな、とシグルズは頷き、しばらく行ったところで追手がもう見えなくなっているのを確認して、ようやく息をついて馬から下りた。そして二人は馬を引いて北へと歩き、強硬突破でへとへとになった彼らに途中で水を飲ませたり、汗を拭いてやったりしながら、やがて小さな集落へたどり着いた。
「見ての通り、ここには高貴な方が乗るような良い馬はないよ」
だが、到着して早々、二人は困難に直面することになった。やっとの思いで辿り着いた集落は、非常に貧しい農村で、いかにも余所者である彼らは全く受け入れてもらえなかったのだ。
司祭だと言っても、だから何だという反応で、常日頃栄養失調にさらされている人々には覇気がない。
こんなとき、アンソニーなら上手く取り入ってくれるのだが、とシグルズは嘆息をもらした。
それでもなんとか空いている馬小屋の隅に腰を下ろすことを許されて、シグルズとケネスはやれやれと空を見上げた。
朝ティンカーを出て、もう太陽が真上に昇っている。腹が減ったなあと、シグルズは携帯していたエールを喉の奥に流し込みながら、別れたアンソニーとエマのことを考えた。ケネスがごそごそと腰に下げた巾着から乾燥ナツメを取り出し、シグルズに分け与えた。
「おまえは何でも持っているんだな」
シグルズは感心して、ありがたくナツメを口の中に放り込んだ。ねっとりとした濃い甘みが口いっぱいに広がって、疲れた体にじわじわ染み渡っていくようだ。
「だいぶ北のほうまで来てしまったな。ここからヘルギまではどれくらいかかるんだ?」
ケネスは肩をすくめた。
「分かりませんが、馬がなければ無理でしょうね。恐らくストールヘブンのほうがまだ近いのではないでしょうか」
「しかし、アンソニーとエマはヘルギへ向かっているはずだ」
「足がないのに、どうやって向かうおつもりですか。二人ならヘルギで待たせておけばいいでしょう。この村の人々は一刻も早く私達を追い出したいようですし、私もこんなところで追い剥ぎの危険を感じながら一夜を過ごしたくはありませんから」
ケネスは、目の前を通り過ぎる度に、じろじろと舐め回すようにこちらを見てくる村人達を白い目で見ながら言った。シグルズは納得しきれない様子だったが、しばらく考え込むと、やがて話題を変えるように口を開いた。
「あれは…、メイウェザー家の手の者だったな」
襲撃者のことだ。ケネスは頷いた。
「あのような最新式の高価な銃は、この辺りではまだ出回っていないはずです。あんなものを持っているのは、王都でもかなり力があり…、それも強力な軍隊をもつ伯爵家くらいです」
シグルズはちらりとケネスを横目で見ると、同意した。
「そう、つまり我が家か、メイウェザー家くらいのものだ」
だが、当然ハラルドソン家の手の者が急に身内に襲いかかってくるわけがないし、兵士達が被っていた、あの連合王国風の銀の兜は間違いなくメイウェザー家だ。
彼らが所有する軍隊の強さはダルヘイムでも随一で、計算されたチームワークと、執念深さ、所持する軍馬の素晴らしさもさることながら、武器は常に最新式で、それらを扱う兵士の鍛練も相当過酷なものだという。メイウェザー家の軍隊が列を成してやって来れば、そこいらの平凡貴族にはまるで勝ち目がなく、人々には狼の群れと例えられ、恐れられている。
そんなダルヘイム屈指の兵士達がなぜここに?シグルズの頭の中に浮かんだ疑問に答えるように、ケネスが口を開いた。
「あなたはメイウェザー家の次期当主、ダリル様と犬猿の仲でしたね」
「犬猿というのは言い過ぎだ。向こうが勝手に私を敵対視しているのだ」
シグルズが肩をすくめた。ハラルドソン家とメイウェザー家が宿敵同士であることは周知の事実だが、同じ嫡男であるシグルズとダリルもまた同年代のライバルなのだ。二人は同じ大学の出身で、学生時代もまた何かにつけて比較され続けてきた。
知性的で柔和な物腰、光り輝くようなプラチナブロンドが美しい、天使のような顔立ちのシグルズに対し、ダリルは寡黙で武術に優れ、夜の帳のような黒髪の謎めいた魅力のある男だった。
当時は誰もがこの二人の次期当主を新時代の寵児として持て囃したものだが、卒業とともにシグルズが聖職者を志したことによって空気は変わってしまった。
学生の頃はまだ友人のように振る舞えていたのにな、とシグルズは過去を振り返り懐かしんだ。
「嫌われている自覚はある。だが、それだけで兵士を差し向けたりするか?正面からいきなりやって来て、堂々と名乗り出るような愚かな真似を?」
あれはダリルではない、とシグルズは断言した。ダリルは非常に頭の切れる男だ。失敗する可能性が少しでもある作戦は決して認めない。
「それに、問題はもう一つある」
シグルズはケネスの灰色の目をしっかりと見据えて言った。
「なぜ、メイウェザー家が、我々がここにいることを知っている?」
ケネスは声を低くして尋ねた。
「…裏切り者がいると?」
シグルズは何も答えなかった。彼は今まで出会った人々を思い返していた。アダム・ゴードン、フォース砦のジョン、トール、それにジョージ、サンクレール家の人々。誰が、と考え出すとキリがない。それに、誰とも考えたくない。
シグルズは頭を抱え、首を横に振った。
「ああ、疑うのはよそう。私は私の出会った人々を信じている」
「なら、そのうちの誰かに殺されるかもしれませんよ。一族の呪いでしょう」
シグルズはケネスを睨み付け、ケネスは「出すぎた真似を」と謝罪した。
「どちらにせよ、動きが読まれている以上、今ヘルギへ向かうのは危険か」
シグルズはため息をついた。
六月の涼やかな風が頬を撫でる。木々がざわめき、草花が揺れている。アザミの花だ。蜜蜂の好む、この紫色の花は国中どこにでも咲いているのだ。触るとチクチク痛くて、幼い頃のシグルズはあまり好きではなかった。
野花で好きなのはヒナゲシだ。目の覚めるような赤い花弁がとても綺麗で、ほっそりとしてしなやかな茎との対比が美しく、ふっくらと丸みを帯びた蕾が頭を垂れるようにして立ち上がっている様はとても優美だ。
アザミの群生のすぐ横で、うっかり紛れ込んでしまったかのように、一輪のヒナゲシが咲いていた。
シグルズはぽつりと呟いた。
「エマは大丈夫だろうか」
ケネスは肩をすくめて答えた。
「アンソニーがいるから平気でしょう」
「だが、連中は銃を持っていた。無事でいてくれると良いのだが…」
「心配ですか?」
その言葉に、シグルズはパッと顔を向けると、はっきりとした口調で答えた。
「当たり前だろう。彼女の祖父に託された。それに、父親にも必ず守ると誓ったのに、恐ろしい目に合わせてばかりだ」
ケネスは額に手をやると首を横に振った。この主は少々あの娘に入れ込みすぎだ。
「それほどあなたが気に病むこともないのでは?そもそも、巻き込まれたのはあなたのほうでしょう」
「巻き込まれたのは私、か」
ケネスは怪訝な顔をする。
「それは逆だろう。巻き込まれたのは彼女のほうだ」
真の狙いはエマではなく、自分自身なのだと、シグルズは確信しているようだった。




