第4話 寄り道
ーーーあの時の言葉が、脳裏にこだまする。
『可哀想な私の娘達。呪いに負けては駄目よ』
***
ゆっくりと道中を行く。思いがけずティンカーで長居してしまった。だが、クローストン卿の反乱はなんとか収めることができたし、ジョージの伯爵位授与の話も聞けたし、エマには今後の展望が明るく見えていた。
「あのお方、本気でしょうか?」
別れ際のジョージの言葉を思い出し、アンソニーが心配そうに言った。エマは苦笑いして答えた。
「あれほどの立派なお方だもの、きっと一年後には私のことなんて忘れて素晴らしい結婚相手に巡り会うわ」
そう言って、彼女は胸元から指輪を取り出した。なくさないように、あれからずっと革紐に通して首から下げているのだ。
「それ!」
アンソニーがぎょっとして声を上げた。
「ジョージ様がいらないってくださったの」
「しっかり予約されているじゃないか!」
エマは笑った。
「亡くなったお父様やおじいさまより、もっと偉大になるという決意の表れよ。私はジョージ様の気持ちを尊重したいの」
彼女はジョージにもらった指輪を、再び胸の中に大切にしまいこんだ。本当に求婚しに来たらどうするつもりだ、とアンソニーは頭を抱えている。ケネスはそれはそれで願ってもない良縁なのでは、と他人事だ。
「ところで…」
エマがおずおずとシグルズの横に歩み出て訴えた。シグルズは彼女に気付き、優しく口角を上げると振り向いた。
「ヘルギへ行く前に、少し《嘆きの塔》へ寄れませんか?」
なぜ、とシグルズは尋ねた。エマは言いにくそうに俯きながら、
「ヘレナのお墓に行きたくて…」
と言った。
「墓なんてあるか?」
アンソニーは肩をすくめた。エマは振り向き、答えた。
「きっと、あると思うわ。なければ私が作ります。シグルズ様、お願いします、行かせてください」
そう言って、必死の表情で嘆願すると、シグルズは笑い、
「あなたのお願いを聞けないわけがない」
と、眉を下げて頷いた。
そのようなわけで、一行は再び《嘆きの塔》へ向かうことになった。
ヘルギはティンカーから西に向かって街道を真っ直ぐ進み、湖を越えた更に向こう側にある古い町だ。《嘆きの塔》はそれよりは少し北に逸れるが、距離もさほど離れていないし、これくらいの寄り道ならどうということはない。ケネスもアンソニーも、シグルズがそう言うならと了承し、同行してくれた。
この場所へ来たのは、あの時以来だ。幽霊退治のために日暮れ時に訪れた当時は、なんとも薄気味悪い雰囲気だったが、改めて昼間の明るい陽光のもとで眺めてみると、そんなことは全くなく、静かで、平和で、美しかった。
六月のガンヒース地方はまだ肌寒い日もあるが、青々とした緑が眩しく、野原にはアザミや野バラが色鮮やかに咲き誇っていた。その上を蝶や蜂がせっせと飛び交い、木の上では小鳥達がさえずり、まるでお伽話の国にでも来たかのような美しさだ。
おじいさまとも一緒に来たかったな、と考えながら塔のふもとをくまなく探していると、彼女は茂みの中に小さな石碑を発見した。そこには掠れたような文字で、ヘレナ・ガンと記されている。
「へえ、本当にあったのか」
シグルズとアンソニーはしげしげとその小さく粗末な石碑を眺めた。エマは腰に下げた巾着から、一通の手紙を取り出した。それはシグルズと書斎を調べていたときに見つけた、出されなかった手紙だった。
「それは、あのときの…?」
シグルズは尋ねた。エマは頷き、
「はい、これは、彼女に見せてあげたほうがいいと思って持ってきたのです」
と答えた。彼女はこの古ぼけて引き出しの奥でくしゃくしゃに丸まっていた手紙を、どうしても墓に供えたかったのだ。
「もちろん、彼のしたことは大きな過ちだし、愛を得るために殺戮を正当化するなんて絶対にあり得ません。ですが、彼も後悔していたのです。当主の立場とプライドが、この手紙を出させなかったのかもしれないけれど、一度は手に入れた愛する人を、再び失ってもいいと思えるほどには…」
シグルズは微笑み、エマの肩を抱いた。
「なるほど、では、これはダニエル・ヒルドの懺悔というわけだ」
エマはシグルズを見上げ、頷いた。そして静かに膝をつき、手紙を石碑の前に置くと、風で飛ばされないように別の石でしっかりと押さえた。シグルズも片膝をつき、手紙を供える彼女の手の上に自分の手を重ねると言った。
「命尽きる前に、この者が罪の告白をできたことを願う。だが、時にはこのように、後から認めてやることも必要だろう。それで少しでも救われる魂があるのなら」
エマは石碑と手紙、そして重ねられた手と手を見つめながら、頷いた。
「では、祈ろうか。この前は結局何もできなかったしな」
エマは目を閉じ、曾祖母のことを思った。一体どんな気持ちでこの塔にいたのか、どんな気持ちで、殺されてしまった家族や、婚約者や、仲間のこと、それに、置いてきてしまった小さな子供のことを思っていたのか。
彼女の苦しみは想像に絶する。だが、同時に、絶対に屈しないという意思の強さも感じる。それは、彼女が自分を塔の屋上へ連れていったときから明らかだ。
ーーーでも、それが本当に正しい選択だったのかしら。
エマは思った。もしかしたら、彼女も後悔していたのかもしれない。負けたくないという強い思いが、やがて屈しないという意思に変わり、これ以上は耐えられないという絶望に変わって、そのために塔から身を投げることになったのだとしたらーーー。
『可哀想な私の娘達。呪いに負けては駄目よ』
塔から離れるときに、最後に耳にした彼女の言葉が頭の中に甦る。呪いとは何のことだろう。彼女は何に負けてしまったのだろう。
白いふわふわした花をつけたナナカマドの木がざわめいた。まるで彼女がそこにいて、エマに語りかけてくるかのようだ。でも、その声は聞こえない。
「行こうか」
シグルズがエマに優しく微笑み、手を差し伸べた。背後ではケネスとアンソニーもこちらを見て立っている。
「はい」
エマは頷き、シグルズの手を取った。




