第2話 来訪者(2)
「ジョージ様、私のせいで申し訳ありません!私が手紙など送ったから」
まだ焼けた臭いの残る屋敷に到着するやいなや、侍女頭のメアリーが飛び出してきて、ジョージに謝罪した。一同は何事かと驚いて目を丸くしたが、彼は気にもとめない様子で、
「ふん、おまえごときの文などで動く男じゃないさ。何か用があって来たんだろう。大事な時には何もしてこないくせに、全部終わった後に悠々とやって来やがって」
などと悪態をついた。
そこへ、早々に、茶色い巻き毛で口髭を生やした、長身の紳士が優美に現れ、供の者をつけながらジョージの前まで歩いてやって来た。ジョージは馬から降り、口を開いた。メアリーがおずおずと後ろに下がる。
「サンクレール卿、お会いするのは何年ぶりかな」
ジョージは嫌味っぽく口の端を上げると、握手を求めた。サンクレール卿と呼ばれたその紳士は、肩をすくめると笑って答えた。
「相変わらず他人行儀だな、ジョージ。おまえだってサンクレールのくせに。私のことはウィリアムと呼んでいいと言っているだろう」
固く握手を交わすと、サンクレール卿はシグルズのほうを向いて、帽子を脱いだ。
「ハラルドソン司祭、お久しぶりです。巡礼の旅はいかがかな。とんだ災難に巻き込まれたと聞きましたが」
シグルズは彼と握手を交わすと、「それはどの件でしょうか」と笑顔で答えた。横からジョージが口を出す。
「前置きはいい。早く要件を話せ」
ウィリアム・サンクレールは肩をすくめた。
「我らの長は短気でいらっしゃる」
そこで、一同は場所を移すことにした。
屋敷はまだ後片付けの真っ最中とはいえ、居住塔の最上階は火がつけられなかったので被害は少なかった。掃除をして、カーテンやリネン類を全て取り替えてしまえば、それなりに使えなくもない。もちろん、鼻をずっとつまんでいられればの話だが。
「屋敷の中のものを全部やってしまうとは、おまえも大胆なことを思い付いたものだ」
ウィリアムが呆れ半分、感心半分にジョージに言った。ジョージはふん、と鼻で笑い、
「どうせ焦げ付いて煤まみれでろくに使えんものばかりだ。金もないし、それで喜んで働いてもらえるならちょうどいいだろう」
と答えた。なかなか妙案じゃないか?と得意気な様子だ。あれだけ大変な騒ぎがあったというのに、少し見ない間に随分当主らしくなったものだなと、ウィリアムは感慨深くジョージを見つめた。
「それで?」
主寝室に来たところで、ジョージが口を開いた。ウィリアムは頷き、メアリーとマイケルに扉を閉めさせ、外で待つように指示をした。
「いいだろう、要件を話そう」
ウィリアムは口を開いた。
「国王陛下が、此度の功績を称え、おまえに騎士の称号を授け、サンクレール伯爵に叙すると仰せだ」
一同は驚き、目を見開いた。
「なぜだ?成年になるまでは伯爵位は与えられないのではなかったのか?」
ジョージは戸惑った様子で答えた。この国の成年は十八歳だ。結婚は十六歳からでもできるが、爵位や家督の相続は十八歳からと決まっている。国王でさえ、未成年の間は後見人がつくのだ。
「話が変わったのだ、ジョージ。おまえは今回の内乱を見事制圧した。おまえにそのつもりがなかったとしても、今度のことは北部地方の勢力図を大きく変える出来事だ。陛下はその手腕を称えておられる。伯爵に叙するなら今しかないとのご判断だ」
彼が言うことには、こうだ。
ガンヒース地方の実質的な統治者であったサンクレール家は、今までどの一族とも手を組まず、孤立した存在であった。だが、今回の騒動でジョージがガン族に援軍を依頼し、それが叶ったことで、傍目にはサンクレール家とガン族の協力関係が出来上がったように見えたわけだ。
ガン族はかつてのヒルド族との戦いにより、現在はサザーランド家の保護下にあるので、バラバラだった北部がサンクレール家とサザーランド家の一大勢力にまとまるとなれば、王家にとっては重大だ。なぜなら、ダルヘイム北部は《北の大陸》ノースガルド帝国との国境であり、サザーランド家は王権派貴族の代表格であるからだ。
ジョージは首を横に振った。自分はそんなつもりでやったのではない。国王がどうのとか、国境がどうのとか、考えたこともないし、ただサンクレール家が生き残るために必死に戦っただけだ。生きるためにガン族が必要だったのであって、どこかと同盟を組もうとか、国の勢力図を変えてやろうとか、そんな大層なことまで考えていなかったのだ。
ウィリアムは少し眉を下げると、諭すようにジョージに言った。
「これは陛下のご意志だ。我々でどうこうできるものではない」
そして、彼の両肩にしっかりと手を置くと、俯いた少年の顔に目の高さを合わせ、覗き込むようにして優しく声を掛けた。
「今までよく頑張ったな。おまえをジョージと気安く呼べるのも今日までだ」
ウィリアムはジョージを抱き締めた。複雑な気持ちだった。ジョージは泣いているようだった。何も知らない、何の決定権も持たない、ただのお飾りの当主というだけの子供でしかなかった自分は、いったい何だったのだろう。
やがて落ち着いた頃、ウィリアムは供の者に指示をし、扉を開けさせた。外に控えていたメアリーが、恭しくお辞儀をしてジョージを連れていく。
「おまえの手紙も読んだぞ、一応な」
去り際に、ウィリアムが声を掛けると、メアリーは赤面して、恐れ入りますと答えた。
「アンソニー、少し二人で話したい」
シグルズがそう言うので、アンソニーも下がった。コルディアから来た供の者も下げられたので、部屋にはウィリアムとシグルズ、二人の男だけが残された。
「サンクレール卿、ジョージ様が伯爵に叙されたというのは…」
ウィリアムは頷いた。
「周辺貴族の動きを読んでのことでしょうな」
シグルズは尋ねた。
「メイウェザー家が動いているのですか?」
メイウェザー家というのは、ハラルドソン家と肩を並べる、ダルヘイムの有力貴族だ。
ハラルドソン家が東の王都フォートヒルに拠点を置く一族だとしたら、メイウェザー家は西の大都市ギャラルストーンを本拠地とする一族だ。ギャラルストーンには聖アンドレアス教会と同等の権力を持つグレイプニル教会もあり、あらゆる面において、この二つの都市は互いに競り合い、争っている。それは二つの家門も同じことで、ハラルドソン家とメイウェザー家はその長い歴史の中、ほとんどずっと対立し続けてきた。
ウィリアムは黙り、言葉を選びながら慎重に答えた。
「きな臭いのは以前からそうでしょう。あの一族は権力欲のかたまりのようなものですから。ただ…」
「今回の内乱にも絡んでいると?」
シグルズが尋ねると、ウィリアムは肩をすくめた。
「憶測で物事を言うのはやめましょう。こんなボロ屋敷では、どこで誰が聞き耳を立てているかわからない。首謀者も死んでしまっては尋問のしようもないですからな」
それでも、と声をひそめ、
「メイウェザー家がかねてから北部地方を掌握したがっていたことは明らかです。あなたもご存知のように、彼らはグリトニーとつながっています。ダルヘイムを連合王国の一部としたいのです。既に中部や南部の国境地帯はほとんどメイウェザーの支配下にあります。残るは北部だけなのです」
彼は周囲に気をやりながら、続けた。
「だが、北部は例のウォーデンの内乱があって、なかなか一筋縄ではいかなかった。そこで、クローストン卿に目をつけたというのが、我々の考える筋です」
シグルズは頷いた。
「我々コルディアのサンクレール家も、本当はもっとこちらに協力したかったのです。ですが、なかなかそうもいかない理由があり…」
「キルゴア家ですか?」
ウィリアムは頷いた。
「ええ、今、キルゴア家とゴードン家は一触即発の状況です。この前も、漁業権を巡って市民の間で小競り合いが起こっていました。なんとかそれは都市委員の間で決着をつけたようなのですが、人々の間では不満が溜まっています」
キルゴア家とゴードン家は、共にフォートヒル北部の河川沿いに領地を持つ一族で、ゴードン家はサザーランド女伯爵の婿、アダム・ゴードンの実家でもある。河を挟んで南側をゴードン家が、北側をキルゴア家が支配し、境目となっている河沿いでは争い事がよく起こる。コルディアはキルゴア家の領地の更に北側に位置する街で、コルディアのサンクレール家とゴードン家で、キルゴア家を挟んでいるような図になっている。
「我々が北から目を光らせているのでまだ大きな争いには発展していませんが、もし我が家がガンヒースによそ見していたら、すぐに戦争になるでしょう。キルゴアはメイウェザーの手先のような一族です。ジョージも少なからずそれを察していたから、声高に我々に助けを求めることができなかったのです」
なるほど、とシグルズは頷いた。
「そうしたら、サザーランドも困ったことになりますね」
「ええ、ゴードン家という後ろ楯をなくしたサザーランド家は、圧倒的な軍事力を誇るメイウェザー家には太刀打ちできません。連中はそれを知っていますから、そうとなればすぐに何か因縁をつけて攻め込んでくるでしょう」
「例えば、どんな?」
ウィリアムは息をついて間を置くと、
「メイウェザー家の人間が、サザーランド家の者によって殺される、とか」
と、静かに答えた。その目は真剣だった。
シグルズはため息をついた。つまり、事故ではなく、メイウェザー家は意図的にそれを仕組んでくるということだ。自身の野望のためには、それくらいはやってのける一族だ。そうすればメイウェザー家にはサザーランド家に攻め入る口実ができ、クローストン卿の乱が失敗してもそちらから北部に侵出することができる。
シグルズは肩をすくめて答えた。
「なるほど、よく分かりました。つまり、メイウェザー家にとっては、このままサンクレール家が安定し、サザーランド家と同盟を組んで北部の一大勢力となることが一番避けたい状況というわけだ」
ウィリアムは頷いた。
「おっしゃる通りです。そのための第一歩が、ジョージの伯爵位叙任なのです」
シグルズは窓の外に目をやった。この子供が一人で使うには広すぎる寝室で、ジョージは一体どれほど心細い日々を送っていたのだろうか。当主であることの重圧と、当主なのに何もできない無力感に挟まれて、きっと押し潰されそうなほど苦しんでいたに違いない。
それでも十八になるまではと、あと数年は耐え忍ぶ覚悟でいたのだろう。それが、まさかこんな唐突に爵位を与えられることになるとは。
これから彼を待ち受けているのは、厳しい茨の道だ。未成年の伯爵を、あのずる賢く、自分達の利権しか考えていないような議員連中が放っておくわけがない。
「万が一の可能性に備えて、なるべく味方を多くしたいとの陛下のお考えは分からないわけではありません」
シグルズはため息をついて、答えた。そして、馬に乗って快活に笑い、自信家で、時に危ういほど激しく自分の感情をさらけ出す彼を思い出し、シグルズは苦笑した。
自分が心配して何になるというのだ。トールも言っていたではないか。子供だからと手出しは無用、と。
ここからは彼の道なのだ。それがどんなに険しくても、向かうところ敵だらけでも、彼は当主としてそれを解決するだけの手腕を自分で身につけなければならないのだ。
シグルズはウィリアムの顔を見ると言った。
「ですが、あのジョージ様が、素直に陛下の言うことを聞くとも思えませんがね」
ウィリアムも思わず吹き出した。
「ははは!違いない!」




