第40話 これからのこと
それから数週間後。サンクレール家の屋敷は修復の真っ最中であった。当主の一存により、手伝った者には家財など好きなものを持っていってよいとのお触れが出され、ティンカーどころかガンヒース中から人々が殺到し、片付けは瞬く間に進んでいった。
「このままじゃお城の中が空っぽになりそうだわ」
主の寝室をきれいに磨き上げながら、メイドの一人が言った。
屋敷はほぼ全焼したが、強固な石造りの居住塔や大広間など、主だった建物はあれだけの火災にも負けず、そのまま残った。クローストン卿が中から火をつけたので、豪華なタペストリーやカーテン、家具類は灰と化してしまったが、時間をかけてきれいに掃除すれば、十分また住むことはできそうだ。
もう一人のメイドが、同じく手を動かしながら答えた。
「仕方ないじゃない、ジョージ様がそれでいいって言うんだもの。私はご命令に従うわ」
彼女の横で、別の女が声を上げた。
「見てよ、このグラス!金よ!売ったら大金持ちになれるわ」
「およしなさい、私達はジョージ様に仕える身。金品や家財は労働の対象として、人々に分け隔てなく与えよとのご命令よ。それにここはご主人様の寝室、聖域よ」
女は口を尖らせて、金のグラスについた煤を綺麗に拭きとると、再び棚に戻した。
労働者達が屋敷のものを持ち帰るためには、衛兵の検閲が必要であった。中型の家具は一つ、小型の家具は二つまで、貴金属は、金、銀、宝石類に分類され、それぞれ制限が設けられていた。しかも、きちんと身分を提示し、書類に何を持ち帰るか記入し、許可を得た者だけがそれらを手に入れることができた。規則を定めたのは火事場泥棒のような混乱を抑えるためと、働いた者達のリストを得るためだった。この先、屋敷を再建し、領地を治めていくにあたって、この個人情報は役に立つに違いない。
「屋敷はだいぶ燃えてしまったが、修繕すればまた元に戻れるそうだ」
人々の働きぶりを見ながら、シグルズが言った。
「元にって、何年後のことですか?」
アンソニーが肩をすくめて尋ねる。彼の右手のギプスは外れ、ようやく動かせるようになってきた。もうすぐ、また旅に出られるだろう。
シグルズは首をひねり、面白そうに答えた。
「さあ…五年先か、十年先か。まあ、でも幸いここの当主はまだ若い。この先いくら時間がかかっても、彼ならやり直せるだろう」
そうですか、とアンソニーは笑って頷いた。
ガン族の砦で牢につながれていたクローストン卿が死んだと聞いたのは、争乱に決着がついてすぐのことだった。毒をあおったらしかった。いつの間に手に入れたのか、初めから持っていたのか、自害なのか、それとも毒殺されたのか、本当のところは誰にもわからない。
見張りをしていたガン族の兵士が、今にも切腹しそうな形相で平伏して詫びていたが、トールは彼を処罰しなかった。また、サンクレール家のジョージも、遅かれ早かれこうなることは避けられなかったのだとぽつんと呟くだけで、咎めるつもりは全くなかった。
こうして、内乱の全貌を明るみに出す前に、首謀者は完全にこの世から消えてしまった。
「結局、何も分からずじまいか」
シグルズはため息をついた。彼はどうも腑に落ちなかったのだ。これだけの争乱を一人で計画して実行に移すことは、普通に考えれば不可能だからだ。もちろん、ジョージがお飾りの当主と成り果てるほどに、周囲はクローストン卿に傾倒していたのは間違いないのだが、それが本当に信頼できる人々だったかと言えば疑念が残る。
それに、たとえ反乱を成功させたとしてもーーーウォーデンの先例があったとしても、国王がそれを許すかどうかは分からない。ヒルド族も本当に金銭の見返りだけを目的に、こんな危険な取引に応じたとは思えないし、やはり第三者がどこかで手引きしていたと考えるのが妥当ではないか。それも、かなり有力な、王室にも顔が利く誰かのーーー。
「エマは」
思考を巡らせていたシグルズの頭の中をスパッと切るように、アンソニーが口を挟んだ。彼は遠くのほうを見つめながら、シグルズに尋ねた。すっかり焼け落ち、瓦礫の山となった中庭の周辺を、エマは一人で歩いていた。
「今度こそ、残りたいと言ったらどうしますか?」
シグルズは目を見開いた。
「…どうする、とは?」
アンソニーは目を合わせないまま、答えた。彼女の姿を視線の先で追いながら。
「あなたがいないときに、トール様が彼女に会いに来たのです。ガン族の村へ来ることを勧めていたようでした」
アンソニーはティンカーに戻った日、トールが彼女を訪ねて教会に来たことを知っていた。全ての会話を聞いていたわけではないが、村へ来るように言われていたことは、彼女の態度と漏れ聞こえてきた単語から、それとなく気がついていた。
以前、同じようにフォース砦で匿うことを提案された時は、サザーランド伯爵の親戚筋とはいえ、あまり縁のない老人だったが、今度は実の祖父だ。それも幼い頃慣れ親しんだガン族の集落とあれば、さすがに気持ちが揺れ動いているのではとアンソニーは思った。
シグルズは頷き、苦笑した。
「可愛い孫のためなら軍隊も出すような男だからな。それは手元に置いて守りたいと思うのも当然だろう」
「では、置いていくと?」
シグルズは答えなかった。考えていた。残りたいと言ったら、彼女の意思を尊重できるだろうか?
彼は遠く離れた場所から彼女を見つめた。彼女は赤い髪をふわふわと風になびかせながら、一人ぼっちで瓦礫の中を歩いていた。人々は報酬を得るために母屋の掃除で忙しく、使用人達の作業場は後回しにされていたのだ。
祖父に会い、たしかにエマの心は揺れていた。村に行くべきか、行かざるべきか。彼女は中庭を歩きながら、《嘆きの塔》で会ったヘレナのことを思い出していた。
かすかに砂利を踏むような音がして、エマは後ろを振り返った。そこには少しばかり顔に傷跡の残る、若きサンクレール家の当主がいた。上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げ、両手を煤まみれにして、貴族らしからぬ出で立ちだ。
「ジョージ様」
驚いてエマがその名を呼ぶと、彼は、ここにいたのか、と呟き、はあと深くため息をついた。エマは、また何か気に障ることをしてしまったかしらとたじろいだ。彼はわしわしと頭を掻くと、小さな声で尋ねた。
「ここで何を…?」
エマは両手を前できゅっと重ねると、
「ただ、歩いていました。前に、亡くなったメイドの一人にここで石鹸を頂いたので…」
そうか、とジョージは目を合わせずに答えた。そして、しばらく口を開きかけたり、やめたり、もごもごしていたが、やがて意を決したように息をつくと言った。
「その、すまなかった」
「え?」
エマは首を傾げた。ジョージは懺悔するような面持ちで言った。
「おまえを利用したんだ、ガン族の助力を得るために」
ジョージはひどく言いにくそうだった。彼は彼なりにずっと気にしていたのだ。自分達の問題に無関係な彼女を巻き込んでしまったことを。初めは利用できるものなら何でも利用してしまえばいいと息巻いていたのだが、騒動が進むにつれて、実はとんでもないことをしてしまったのではないかと後悔の念にかられていた。
戦とは本当に恐ろしいものだ。命の危機が迫ると、右も左も分からなくなり、人としての道も簡単に踏み外してしまいそうになるのだから。
「そうでしたか」
エマは表情を変えずに頷いた。ジョージは予想と違う反応に呆気にとられ、目を見開いた。
「怒らないのか?」
エマは尋ねた。
「なぜですか?私は何も傷ついたりしていないのに」
沈黙が流れた。二人は見つめ合い、ジョージは言葉が見つからないようだった。やがて、エマは小さく笑うと、口を開いた。
「おじいさまが、私のために来てくださったのだと知って…、不謹慎かもしれませんが、嬉しいです。危険な目に遇わせてしまったことはつらいけれど」
それはエマの本心だった。ジョージは目を逸らして答えた。
「軍人とはそういうものだろう。そうでない者達が無駄に死なないために、代わりに戦うのが我々上に立つ者の役目なんだ」
エマは優しく微笑んだ。なんだ、とジョージがむっとしたような顔をする。
「いえ、お優しいのですね」
「なぜ…」
「だって、我々の役目だって。ジョージ様は、私達をお守りくださったのですね」
思わずジョージは顔を赤くして声を荒げた。
「そういうつもりで言ったのではなく…!」
「あら、あれは何かしら」
ジョージの言葉を遮り、エマは瓦礫の中に光るものを見つけ、拾いあげた。煤と泥で汚れているのを、エプロンで綺麗に拭き取ると、金色に輝く指輪が現れた。それは、争乱でジョージがクローストン卿と対峙したときに投げ捨てた、シグネットリングだった。
「これは…」
訝しげに眉根を寄せるエマに、彼女の手元を覗き込みながらジョージは答えた。
「サンクレール家の印璽だ」
エマは驚き、目を丸くした。
「印璽ですって!?大変!お返ししますわ!」
慌ててジョージに突き返す。そんな大層なものだとは気付かず、エマは冷や汗をかいた。モレイ家にだって印璽はある。もちろん、銀の、もっと小さくて粗末なものだが、それでもシグネットリングが領主にとって重要なものであることくらい彼女にも分かっている。
だが、ジョージは渡された指輪を握りしめ、エマに突き出すと言った。
「いや、いい。これはおまえにやる」
「えっ…!?」
エマは目を丸くした。ジョージは今度はもっときっぱりと言った。
「これを欲しがったやつのために大変な目に合った。こんなもの、もういらん」
「でも、印璽でしょう?ご当主にとっては何よりも大切なものでは…」
「いらん。そんなものなくても俺は正当な後継者だし、指輪などまたいくらでも作り直せる。すぐにまた、それよりもっと豪華ですごいやつを作らせるから、それはもうおまえにやる」
「でも…」
「くどいぞ!」
エマは困ったように突き出された指輪を受け取り、恐る恐る握りしめた。ジョージはため息をつき、言った。
「それがあれば、少なくともこの辺では無下にされることはないだろう」
エマは顔を上げた。
「あのいけすかない神父様とまた旅を続けるんだろう?」
ジョージは、いたずらっぽく笑い、
「どう考えても、おまえはおじいさまに守られて大人しくしているような性格じゃないからな」
と言った。エマが、もう!と拳を振り上げ、ジョージは声を上げて笑った。年相応の少年のような笑顔だった。遠くから二人を見ていたシグルズは、ふっと笑って顔を引っ込めた。
それから、エマは一足先に領地に戻った祖父に手紙を書いた。その頃、自分達の誤解はすっかり解けていたが、一緒に暮らせないことを祖父は残念がった。だが、同時に彼はエマの意思を尊重してくれた。
もうすぐ、また旅が始まるのだ。これから何が起こるか分からないけれど、彼女はもう一人ではなかった。助け合える仲間がいる。仕えるべき人がいる。新しい出会いが彼女の心を豊かにしてくれる。今、彼女は、嬉しいような、寂しいような、不思議な高揚感に包まれている。




