第37話 夜明けの嵐(2)
エマが目を覚ますと、目の前には心配そうにこちらを見つめる祖父の姿があった。頭はまだぼんやりしていたが、体中がズキズキと痛むので、どうやら夢ではないらしい。祖父の向こうには、見間違いでなければ、シグルズとケネス、アンソニー、それにメアリーやマイケルもいる。
「エマ、無事でよかった。どれだけ心配したことか」
トールは、ほとんど泣きそうな顔でエマを見下ろしていた。返り血を浴び、煤と泥まみれで、びしょ濡れで、ひどい格好だったが、その顔は優しい祖父の顔だった。
エマはゆっくりと手を伸ばした。祖父のごわごわとした頬にそっと触れると、無骨で大きな手が包み込むように重ねられ、ようやく彼女は口を開くことができた。
「おじいさま…、戻っていらしたのね」
トールは何度も頷いた。
「もちろんだ。おまえに早く会いたくて、戦などとっくに終わらせてきたぞ」
エマが微笑むのと同時に、周囲がざわざわと騒ぎ出す。マイケルが横から顔をずいっと突き出した。そして人々が知りたくてたまらなかったことを彼に尋ねた。
「戦は終わったのですか?」
トールはマイケルを見て笑うと、孫娘を優しく抱き起こし、皆に告げた。
「そうだ、戦は終わった!サンクレール家と我らガン族の勝利だ!」
人々はわあっと歓声を上げ、泣いて喜び、抱き合った。メアリーは苦しいくらいにマイケルをぎゅっと抱き締めて、エマはシグルズとケネスがいつもの穏やかな顔でそこにいるのを見て安堵した。アンソニーもサンクレール兵達と手のひらを合わせて喜びを分かち合った。トールは続けた。
「おまえ達の主は、屋敷で残った者達とともに炎と戦っている。動ける者はただちに戻り、加勢せよ!」
そういうわけで、そこからは大忙しだった。外は嵐なので、人々は船を出すことができず、馬に乗ることができる者だけがまず屋敷へ向かうことになった。その頃、雷は既に遠ざかり、残されたのは雨と風だけだったので、馬達もなんとか言うことを聞いてくれた。
それから屋敷に戻った者達が、戦火を免れた馬車を引っ張り出してきて、再び教会に戻ると、順番に動ける人々を連れ出していった。老いも若きも、男も女も、総動員だ。
「北風が強いから、比較的海側は火の勢いが弱い。壊せる建物は壊して、延焼を食い止めるんだ。それから女達は負傷した連中の手当てをしてほしい」
そう言って、次々と教会から人々が運ばれていき、メアリーとマイケルも加勢するためいなくなり、トールもガン族を統制するため、一旦屋敷へ戻っていった。
「良いか、私が戻ってくるまでしっかりと孫娘を守っておくのだぞ。外の不遜な連中がまた起き上がって、襲ってくることのないように」
シグルズとアンソニーは苦笑いし、ケネスは肩をすくめた。年寄りのくせに、なんと疲れ知らずの男だろう。さすが一族の長、といったところか。
嵐の中、徐々に辺りが白く明るくなってきて、ようやく朝が来たのだと思った。
「ああ」
シグルズはどっと疲れが出たように、その場でずるずるとくずおれた。今や教会に残されているのは、シグルズとケネス、アンソニー、それにエマだけだ。年寄りのじい様方ですら、捕らえられたウィルダネス兵を見張るために建物の外に出て、三人並んで壁にもたれて座っている。
エマはくすっと笑ってシグルズを見た。
「お疲れでしょう、少しお休みになっては?」
シグルズはぼんやりと頷いて、何を思ったのか、エマの膝にぼすっと頭を預けて寝そべった。
「あなたがこうしてくれるなら、よく眠れる気がするな」
そして、エマが何か言う前に、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。
「もう…」
エマは仕方なくため息をつくと、眉を下げて微笑んだ。一体どれほどの危険を冒してきたのか想像もできない。彼女は、彼の頬に濡れて張り付いた、金色の髪をそっと指先で剥がしてやった。
アンソニーは肩をすくめて二人を眺め、あのじいさんが見たらすっ飛んでぶん殴りに来そうだな、と苦笑した。彼も屋敷に手伝いに行きたかったのだが、右手が動かないので、行ったところで役に立ちそうもなかった。
ケネスは既に壁にもたれて座ったまま目を閉じている。やっと少しだけ肩の荷が下りた気がした。
結局、捕らえられたウィルダネス兵が目を覚ましたのは、朝日が昇りきって、辺りがすっかり明るくなった頃で、彼らは教会から出てきたエマを見るなり、怯えてガタガタと震え出した。
「く、来るな、魔女…!!」
かちんときたアンソニーが、もう一度気絶させてやろうかと足蹴を食らわせようとしていると、そこにちょうど迎えの馬車が二台やって来て、ウィルダネス兵を連行するということだった。
「しばらくは我々の砦で身柄を預かるとの、族長からのご命令です」
やって来たのはガン族の兵士だった。サンクレール家が火災で使えず、近くに罪人を閉じ込めておける牢もないので、ガン族がまとめて預かろうと言うのだ。
聞けばクローストン卿もガン族の砦で鎖に繋いでいるとのことで、現状では最適な方法に思えた。
「それから」
と、ガン族の兵士はエマに向き合って続けた。
「族長からのお言葉です。後程、ティンカーの聖ファーガス教会で落ち合おうと」
エマは兵士をじっと見つめ、頷いた。兵士はそれ以上は何かを言うことはなく、縛られたウィルダネス兵を順番に荷台に乗せて、護送していった。ついでに頑張って見張りをしていた老人達も、ティンカーまで乗せていってもらうことになった。
誰もいなくなり、エマはちらりと腕を組んで立っているシグルズの横顔を見た。彼は彼女の視線に気がついて、そちらに顔を向けると優しく微笑んだ。
そして、彼女の背に手を沿えると、
「我々も帰ろう」
と言って、つないでいた馬のほうへ歩いていった。




