第35話 相反する者達(8)
数時間前、シグルズら一行を《嘆きの塔》へ送り出した後、ジョージは小姓のマイケルに二つ三つ言付けをし、最上階にある寝室にこもっていた。
もっと気持ちが乱れ、昂るのではないかと思っていたが、いざこの時を迎えてみると、不思議なほどに落ち着いている自分に驚く。やはり自分は冷酷無慈悲なサンクレール家の血を引いた人間なのだと実感せざるを得ない。
ガン族に援軍を要請したことを、勘の良いクローストン卿はきっと気がついただろう。援軍が屋敷にやって来て、もしその時に何も異常がなければ、ジョージは軍を《嘆きの塔》へ向かわせるつもりだった。
だが、あの男はきっと行動を起こすはずだと彼は確信していた。何もせずに塔で大事な獲物を奪われ、悪事を露呈されるより、事を起こしたほうがいいからだ。
ジョージは、クローストン卿の野望には随分前から気がついていた。それは、彼の自分を見る憎悪に燃える目を見ればすぐに分かることだった。今夜、事を起こすかもしれないと、信用のおける数少ない者達には状況を説明して、避難のための算段も整えた。マイケルを重用したのは、彼が子供だから目をつけられにくいと思ったのと、彼自身を信用してのことだった。
だが、ジョージは、それでもひそかに希望を持ち続けていたのである。クローストン卿はたしかに傲慢で狡猾な男であったが、その政治手腕には目を見張るものがあった。
まだ十五歳のジョージには、手本となる統治者は彼しかいなかったのも事実ではあるが、たった五年で目に見えて人々が裕福になり、新しい産業が生まれ、珍しい舶来の品が次々と市場に並ぶのを見て、彼のやり方が決して悪いことばかりではないと身をもって体感していたからだ。
もちろん、時流に乗れず落ちこぼれていった人々を救済する方法も考えなければならない。だが、それは、クローストン卿も言うように、気まぐれな施しや、一時の慰めでは駄目なのだ。彼らが自立し、自らの力で生きられるようにならなければ。
だから、ジョージは心のどこかで、この時が来なければ良いと、いつか手を携え二人でこの地をより良い未来へ導いていければと、希望を持っていた。だが、クローストン卿にとって、サンクレールの血は排除すべき古いしがらみでしかなかったのだ。
寝室の窓からあの男が密かに門を開放したのを確認すると、ジョージは唇を噛んだ。そして、鋭く目を光らせると、再びマイケルを呼び、急ぎ知らせをやった。反乱軍が突入してくる前に、少しでも多くの人々が脱出できることを祈った。
そして剣を帯同すると、裏切り者が寝所に寝首をかきに来るのを静かに待った。
***
「探しましたよ、ジョージ様」
背後から気配を感じ、ジョージの目の色が冷ややかに冴える。静かに振り返った先には、後見人であり、叔父で、裏切り者のオリバー・クローストン卿がいた。
「お見事です。私の行動を予測し、いち早く使用人達を逃がすとは。さすが、慈悲深いサンクレール家のご当主は違いますな」
「それは嫌味のつもりか?」
ジョージは嘲笑った。クローストン卿は肩をすくめ、答えた。
「まさか!褒めているのですよ。ガン族を味方につけるとは、あなたも小賢しくなったものだ。おかげで予定より早く計画を実行に移さねばならなくなった。今宵の戦闘はあなたのせいなのですよ」
ジョージは強い眼差しで、真っ直ぐに男の目を見据えると言った。
「目論見が外れたな、オリバー。ヒルド族は思ったより役に立たなかったようだ。このままいけば、反乱軍はすぐにガン族によって制圧されるだろう」
「ははは!ガン族によって!!」
クローストン卿は腹を抱え、大声を上げて笑った。
「なんと情けない当主よ!他所の一族の手を借りねば、自分の家のごたごたも収められぬとは!」
ジョージは苦しげに笑い転げるクローストン卿を、苦虫を噛み潰したような顔で眺めた。他所の一族の手を借りたのはこの男も同じなのだが、なるほど、確かにサンクレール家は、もはや一族の力だけでは何もできないほどに衰弱してしまったらしい。
ひとしきり笑うと、クローストン卿はジョージを見据え、にやりと口の端を上げると言った。
「指輪を渡してもらいましょうか」
ジョージは拳をぎゅっと握った。指輪とは、当主の左手の小指にいつも嵌められている、金のシグネットリングのことだ。
どれほど昔のことか分からないが、サンクレール家が設立され、伯爵位を賜ったその時から、ずっとこの指輪はガンヒースに住む代々当主に受け継がれている。いわば、サンクレール家の当主の証だ。
ジョージは指輪を見た。ぶかぶかで、古めかしくて、無駄に大きくて重い。自分のような子供には分不相応な代物だ。
彼はいつも、こんなものなどなければいいのに、と思っていた。まるで自分をこの家に縛り付けている鎖のようだ。重くて、煩わしくて、自由が効かない。
だが、大人達はこれを付けている当主が必要なのだと言う。領民と領地に対する、全ての責任と義務、そして権限を象徴する、生け贄のような人間が。
「こんなものがほしいのか。そのために屋敷を燃やし、人々を殺したのか」
ジョージは鈍い光を放つ金の指輪をまじまじと眺めた。そして、何を思ったか、彼は指輪を外すと、窓の外に放り投げた。指輪は宙を舞い、ごうごうと燃え盛る炎の中に飛び込んでいった。
「なんてことを!代々受け継がれてきたサンクレール家の印璽だぞ!」
クローストン卿は窓辺に走ると叫んだ。指輪はもう見えない。炎の中に消えてしまった。彼は窓枠をドンと拳で叩いた。
「だからなんだ!」
ジョージも叫んだ。
「指輪がないとおまえは自分の正統性すら証明できないのか!?おまえが今までしてきたことは何だ!?結局、サンクレール家の肩書きがなければ何もできないのか!」
「このガキが!!」
クローストン卿はどかどかとジョージのほうへやって来て、彼の胸ぐらを掴んだ。そして顔を近付け、怒りに震えた恐ろしい形相で言い放った。
「私は自分がサンクレール家の人間だと、一度も思ったことはない」
クローストン卿はジョージを突き飛ばした。
「こんな腐った役立たずの貴族はもういらん!おまえの代で終わりにしてやる!!」
そして、すらりと剣を引き抜くと、彼に向かって大きく振りかぶった。
「ジョージ!!」
そこへ勢い良くシグルズが飛び込んできて、クローストン卿の体を横から押し倒した。二人は重なるように、どすんと床に倒れた。男の手から音を立てて剣が転がり落ちる。クローストン卿はぎりぎりと唇を噛んで、シグルズを睨み付けた。
「ハラルドソン司祭…!!」
まさかここまでやって来るとは。クローストン卿は悔しさに顔を真っ赤にして歪めた。《嘆きの塔》の兵士達は失敗したのだ。
床の上で睨み合う二人の目の前に、すっと剣の切っ先が突きつけられた。シグルズがそちらに目をやると、ジョージが冷たい目でクローストン卿を見下ろしていた。瞳が炎の光を受けて金色に光っている。獲物を仕留める鷹の目だ。瞬きもせず、一直線に男を見据えている。
「残念だが、失敗したな」
そう言うと、ジョージは一思いに突き刺そうした。鋭利な刃の先端がきらりと光る。シグルズは思わず彼の腕を掴んだ。
「何のつもりだ!?」
ジョージは声を荒げた。シグルズはなぜ止めたのか、自分でもよくわからなかった。反逆者は死して然るべきだ。例え戦で難を逃れたとしても、その先にあるのは死刑だけ。なのに、彼はこの若き当主に殺してほしくないと思ってしまったのだ。
シグルズはジョージの瞳をじっと見つめた。それは闘志に燃えているというより、一族を背負った若者の、切羽詰まった使命感に揺らぐ目のように見えた。
「ジョージ・サンクレール!!」
突然、怒声が響き渡り、トールが部屋に入ってきた。ガン族の族長は、階下での激しい戦いにより返り血を浴び、まるで地獄から這い上がってきた鬼のようにそこに立っていた。
彼は捕らえられたクローストン卿を見下ろすと、ヒルド族の長の生首をつき出した。
「私の役目は果たした。孫娘を返してもらおうか!」
ガン族の長は首をジョージのほうへ放り投げた。それは、まるでただの物のように、ごろんと音を立てて弾み、転がり、ジョージの足下で止まった。血と汗と煤で汚れた茶色の縮れ毛がだらりと垂れ下がり、瞳孔は開き、半開きの口から灰色の歯が見えている。
ジョージは思わず息を呑んだ。ほんの少し前まで生きた人間であったとは思えない。
「勝負あったようだ」
シグルズは吐き捨てるように言った。
その時、一際激しく雷鳴が鳴り響き、屋敷中が大きく揺れた。
「どこかに落ちたかもしれません」
ケネスが駆け込んできて、クローストン卿の上半身を縄で縛りながら言った。
「もう火の手もすぐそこまで迫っています。ここは危険です。ひとまず脱出しましょう」
そうだな、とシグルズは頷いた。ジョージは、ちらりと、無造作に転がった敵将の首に目をやると、項垂れたように呟いた。
「これが戦争か。良い気分じゃないな」
トールがどかどかとやって来て答えた。
「そうだ、良い気分ではない。しかし時には避けて通れぬこともある」
彼は、当主の寝室の壁に掛けられた、豪華な装飾の施された槍を一本手に取ると、ジョージに差し出した。
「おまえにその覚悟があるか?」
トールは尋ねた。途切れることなく雷が鳴り続けている。
ジョージは山のようにそびえ立つ目の前の大男をじっと見つめた。彼は、真っ直ぐ、まるで見定めるようにこちらを見下ろしていた。深い皺の奥に隠された緑色の瞳が、赤毛の娘と重なって見えた。
ジョージは、意を決したように口をきつく結ぶと、その槍を手に取り、言った。
「おまえ達はこの男を連れて先に下へ。私は後から行く」
シグルズはケネスと顔を見合せ、頷いた。クローストン卿は声を荒げた。
「ここへ置いて行け!外へ出たところでどうせ死ぬ運命なのだ」
引きずられるように部屋の外へ連れていかれるのを、クローストン卿はぐっと両足を踏ん張って拒んだ。ケネスは軽蔑したような眼差しで彼を見ると言った。
「そうだとしても、死に方というものがあるでしょう。首謀者として、あなたには最後まで役目を果たしていただきますよ」
クローストン卿は舌打ちをした。
「無能な貴族どもめ!私は決して忘れんぞ!おまえ達がいかに人々を蹂躙してきたか!」
熱く揺れる室内に、男の声が響き渡る。彼は腹の底から、まるで呪うように怒鳴り上げた。
「滅んでしまえ!貴族も、王も、この国も…!!地獄の底でおまえ達が来るのを待っている!!」
ジョージは何も答えなかった。ただ、かつてこの屋敷で、誰も逆らえぬほどの権勢を振るっていた男が、体を縄で縛られたまま大声で喚き散らすのを、じくじたる思いで見つめていた。
「どけ、私が連れていこう」
そう言って、トールがクローストン卿の縄を掴み、強引に引っ張って部屋を出ていった。




