第34話 相反する者達(7)
突然、バリバリと物凄い音を立てて教会の扉が破られた。雷ではない。馬が飛び込んできたのだ。兵士が一人騎乗している。
扉を内側から守っていた女達は悲鳴を上げて、すんでのところで飛び退き、無事だった。武装した女達も、祭壇に集まった老人達も、皆突然のことに驚いて叫び声を上げた。
馬は教会の真ん中で止まり、馬上の兵士がじろりと冷たい目でエマを見下ろした。エマは祭壇の前で老人達を庇いながら、後退りした。背中に冷や汗が伝うのを感じた。
「エマ!!」
壊れた扉からアンソニーが飛び込んでくる。
「アンソニー!!」
思わずエマは叫んだ。よかった、無事だったのだ。だが、安堵したのも束の間、エマの鼻先に剣が突き付けられた。馬に乗ったウィルダネス兵が、蔑むような目で彼女を見ていた。
「やめろ!!」
声を荒げ、アンソニーが駆け寄ろうとすると、
「近寄るな!!」
遮るようにしてウィルダネス兵は怒鳴った。
「近寄ると女を殺す」
アンソニーは息を呑み、ぴたりと動きを止めた。ウィルダネス兵はエマを見下ろし、剣を突き付けたまま、静かに告げた。
「来い、人質になれ」
全員が息を止めてこちらを注視している。扉の外の兵士達も、状況に気がつき手を止めたようだ。押されつつあったウィルダネス兵が、せせら笑ってサンクレール兵に剣を捨てるよう要求し、彼らは唇を噛んで、不本意ながらもその通りにした。
仕方なく求めに応じようとするエマに、メアリーがスカートの裾をぐっと掴み、首を横に振る。エマは不安げな老女の顔を見下ろし、わずかに微笑むと、そっと彼女の皺だらけの手に自身の手を重ね、優しく振り払った。
エマは毅然と兵士に向き合うと言った。
「私が人質になったら、大人しくここから出ていくと約束して」
兵士は鼻で笑うと答えた。
「いいだろう」
エマが兵士に近寄ると、兵士の男は彼女の腕をぐいっと乱暴に掴み、無理やり馬上に引き上げた。彼女は小さな悲鳴を上げた。顔が痛みに歪む。
だがその時、男の背後から何かが投げられ、ごつんと肩に当たった。男は振り返った。見るとマイケルが石を持って兵士に投げつけていた。
「卑怯者!女に手を出すな!!」
片手いっぱいに抱えた瓦礫や石を、マイケルは恐れることなく次々と兵士に投げ付けていく。兵士の男は舌打ちして腕で顔を庇った。両脇で女達が、おやめよ、と彼にすがっている。
「この野郎!」
逆上した兵士は剣を振り上げた。マイケルは咄嗟に身を屈め、目を瞑った。アンソニーが駆け寄る。人々はどよめき、悲鳴を上げた。
「やめて!」
エマは兵士の胴にぐっと抱きついた。めい一杯自分のほうへ引き寄せ、なんとか食い止めようと踏ん張る。兵士は体勢を崩し、よろけた。
「このっ、離せ!!」
兵士はエマの腕を引き剥がし、頭や背中を思い切り肘で打った。エマは呻いた。だが、絶対に離れまいと必死だった。背中で二人が暴れるので、馬は嘶き、高く前足を上げた。体勢を崩した兵士は仰向けになって、床に転がり落ちた。
「エマ!!」
アンソニーは叫んだ。エマはぐったりとしながら、まだ馬の背に絡まるようにしてもたれている。揉み合ったせいで、手綱が体に引っ掛かっているのだ。
アンソニーと扉の付近にいた男達は、なんとか馬をなだめようと近寄った。だが狭い室内で行き場を失った馬は暴れてぐるぐると駆け回り、その度に人々は逃げ惑って、壁にぴったりとへばり付いた。落馬した兵士は付近にいた女達によって、完膚なきまでに叩きのめされていた。
エマは暴れる馬の上で、うっすらと目を開けた。アンソニーは彼女の名を呼ぼうとして口をつぐんだ。彼女はゆるゆると体を起こしながら、しっかりと手綱を取り、馬は教会の外に出た。
「来たぞ!!」
暴れ馬を避けようと、兵士達は道を開けた。馬は彼女を乗せて勢い良く飛び出してきた。そのまま真っ直ぐに駆け、向こうのほうへ遠ざかっていく。だが、少し走ると、馬は落ち着きを取り戻したのか、大きく旋回してこちらに戻ってきた。
再び目の前に現れた彼女を見て、兵士達はどよめいた。馬の上の女が、仄かに緑色に光っているように見えたからだ。徐々にこちらに近付くにつれ、いよいよそれは確信へと変わった。
「な、なんだ、あれは…」
彼女は静かに歩みを進めると、仰向けになってこと切れたウィルダネス兵の足元にやって来た。
教会の周辺は、今やすっかり荒れ果てていた。戦いに敗れ、泥まみれになって、幾人もの兵士達が彼のように地面に横たわっていた。血と、汗と、土と、東のほうから漂ってくる焦げ臭い煙によって、あたりには何とも形容しがたい異臭が漂っていた。
馬に跨がった女の髪は、教会の中にいた時は燃えるような赤毛だったはずなのだが、今は不思議な光のベールをまとって緑色に見えた。髪だけではない。肌も、服も、手も足も、全てだ。
彼女は、悲しげに倒れた兵士を見つめていた。泣いているのだろうか。緑色の宝石のような雫がぽたぽたと男の頬を濡らし、じんわりと染み渡って、亡骸を彼女と同じ光のベールで包んだ。泡沫のような細かい光の屑が宙を舞い、空高く昇ってゆく。それを見届けると、彼女はゆるりとこちらに顔を向けた。
男達は竦み上がった。女の目が、エメラルド色に光っている。稲光が走り、雷鳴が轟いた。
「ま、魔女…!!」
ウィルダネス兵の一人が驚き、尻餅をついて後退りする。女は馬を歩かせ、ゆっくりとこちらにやって来た。男は悲鳴を上げて逃げ出そうとするが、腰が抜けて上手く動けない様子だ。
教会の外に飛び出したアンソニーは、変わり果てた彼女の姿を見て、目を見開いた。また、あの時と同じだ。エマの身体中が、緑色のベールに包まれている。口元がわずかに動いている。ぶつぶつと、何か言っているようだ。歌を歌っているのだろうか。塔で聴いた、あの不思議な子守唄を。
彼女がゆったりと手を振り上げると、緑色の光が兵士を包み、やがて男は気を失い、倒れた。兵士達はどよめき、震え上がった。
彼女は向きを変え、くるりとこちらに体を向けた。兵士達は恐れおののき、後退した。女は緩慢な動作でこちらに近付いてくる。
「に、逃げろ…!」
ウィルダネス兵の一人がからくも声を振り絞り、尻尾を巻いて逃げ出そうとする。だが、彼女が緑色の光に包まれた手を振り上げると、男はとり憑かれたように動かなくなり、ずるずると気を失い倒れてしまうのであった。
兵士達は悲鳴を上げた。だが、彼女は有無を言わさず次々に逃げ惑う男達にとり憑き、しまいには誰一人として動けなくなってしまった。サンクレール家の兵士や、教会の中にいる人々を除いて。
「…グリーン・レディだ。また、我々の前に現れたのだ」
《嘆きの塔》でシグルズと対峙した、サンクレール兵の男が、呆気にとられたように呟いた。この目で見るのは初めてだった。身震いする隙も与えられないほど恐ろしく、そしてなんと神々しいのだろう。彼には馬上の緑の女が、あの時の赤毛の娘なのか、それとも幽霊ヘレナなのか分からなかった。
「す、すごい…」
建物の中から押し合うようにして、固唾を呑んで様子を見守っていた人々は唖然とした。人外の出来事が、今まさに目の前で起こっていたのだ。誰一人として状況を説明できる者はいなかったし、こんなことが現実に起こりうるのかと、夢でも見ているかのような心地であった。
「あれは…、魔女?…それとも、幽霊?」
一人が信じられないといった様子で、誰に問うでもなく呟いた。マイケルは首を横に振って答えた。
「違うよ、あれは戦乙女だよ」
マイケルはじっと、凛として馬に跨がるエマの横顔を見つめて言った。
「本で読んだことあるんだ。馬に乗って戦場に現れて、死んだ兵士の魂を神の御許へ連れていく」
「戦乙女!?それって、北の帝国の伝説じゃないの」
そうだよ、とマイケルは頷いた。
「でも、本当にいるんだ、戦乙女は。神様の場合もあれば、人間の場合もある。エマは人間の戦乙女だったんだ」
あれは人間って言うのかい、と使用人の女はくらくらとする頭に手を当てた。
だが、マイケルは目を輝かせてエマを見つめていた。戦乙女が自分達の味方をしに来てくれたのだと、嬉しくてたまらなかったのだ。
「おばあちゃんもそう思うよね?」
マイケルは、人々を押し退けるようにして、やっとのことで隣にやって来たメアリーを見て、尋ねた。メアリーは外の様子を間近で目の当たりにし、目を見開き、唇を震わせると、小さく頷いた。
「ええ、そう思うわよ、マイケル」
外ではサンクレール兵達が使用人の男達と協力して、気を失ったウィルダネス兵を引きずり、縛り上げていた。まだ信じられない思いだったが、現実に敵兵は皆倒れてしまったし、この機会を逃すわけにはいかなかったのだ。
緑色の女の手にかかったウィルダネス兵は、死んだのではなく、ただ眠っているだけのように見えた。いつ目覚めるのか、本当に目が覚めるのか、誰にも分からなかったが、それでも戦いで命を落とした者もいるのだから、まだ運が良かったと言う他ない。
彼女はしばらく黙って馬に跨がっていたが、ウィルダネス兵が一人残らず眠ってしまうと、緑色の光は急速にしぼんで消え去り、彼女は気を失った。
「エマ!」
アンソニーが駆け寄り、馬からずり落ちる彼女を抱き止めた。光を失ったエマは元の身体に戻り、ぐったりとして動かなかった。
「エマ!しっかりするんだ、エマ!!」
アンソニーは声を荒げ、彼女の頬を叩いた。やがてエマはわずかに瞼を震わせると、徐々に薄く目を開いた。
「エマ…!」
アンソニーはほっとして胸を撫で下ろした。そして周囲を見渡し、声を上げた。
「誰か、手伝ってくれ!彼女を休ませたいんだ!」




