第30話 相反する者達(3)
シグルズとケネスはサンクレール家の裏手から、崖の中に造られた抜け道を通って屋敷の内部へ向かっていった。足元の悪い、ごつごつとした階段を急いで上がってゆくと、にわかに煙の臭いが濃くなり、たどり着いた先は厨房だった。
シグルズは周囲を見回した。どうやら戸棚の裏の隠れ扉から中に入ってきたようである。すぐ隣では、逃げそびれたのか、もたれるようにして男が一人こと切れていた。
厨房の外は大混乱だ。扉の外の通路を、使用人らしき女が走って逃げ、その後を下卑た男が武器を振り上げ追うのが見えた。煙が充満し、炎が上がる邸内は地獄のように暑い。消火活動は全く追い付いていないどころか、それどころではないといった様子だ。
ジョージはどこにいるだろうか。クローストン卿と対峙するつもりであることは間違いなかろう。だが、この混乱の中を闇雲に探し回るのは危険すぎる。
彼にとっても、シグルズにとっても、ガン族が支援に入ってくれたことが何よりの救いだった。味方の少ない若き当主が一人でこの騒乱を収めるのは不可能だ。
「シグルズ様、上を」
ケネスが指差すほうを見上げると、天井の丸い飾り板が、ほんの少し不自然にずれているのが見えた。ちょうど調理台の上だった。
「そうか、あの二人はここから逃げてきたのだな」
恐らく、厨房の天井が外れるようになっていて、二階のどこかにつながっているのだろう。ケネスが椅子を持ってきて調理台の上に置いた。
「どこの部屋につながっているか分かりませんね。私が先に見てみましょう」
そう言うと、彼は調理台から椅子の上に飛び乗り、丸天井をぐいっと押し上げた。案の定、飾り板は簡単に動き、椅子と机、そして窓があるだけの小部屋が現れた。
「特に問題はなさそうですね。すみませんが、足を持ち上げていただけますか」
シグルズは頷き、ケネスが天井にしっかりと両手を掛けたのを確認すると、彼の両足を肩に乗せて持ち上げた。ケネスが2階に這い上がると、続いてシグルズが椅子の上に立ち、天井に手を掛け、ケネスに引っ張り上げられながら難なく小部屋に上った。
隠し通路はその名の通り、絨毯の下に隠されていたようであった。小部屋には左右に扉が一つずつあった。窓の外は海だ。
「出窓が見えます。恐らくこちらの扉は大広間のほうにつながっているのでしょう」
ケネスが窓から顔を出し、左右を確認する。たしかに東側のほうには、大広間で見たあの立派な出窓が見えた。
「首を狙われている者が、わざわざ広間に出るだろうか」
ケネスは頷いた。
「そうですね、ところかまわず暴れ回るような方には見えません。恐らく使用人達を逃がした後で、ご自身は寝室か書斎にこもり、クローストン卿の来訪を待ち構えているのでは」
「それなら、こちらの扉だな」
シグルズは扉にぴったりと近づき耳をすませた。だが、外部の騒音が激しく、中の様子は伺い知るのが難しい。そうこうしているうちに、地響きとと共に轟音を立てて何かが崩れ落ち、小部屋の中にも煙が充満してきた。考えている暇はない。
「開けるぞ」
扉をほんの少しだけ開く。向こう側に人の気配を感じる。シグルズは腰に下げた剣に手を掛けると、力任せにそれを蹴破った。
扉の向こうは食堂だった。壁にはべっとりと血痕がついている。シグルズの額を冷や汗がつたった。
「シグルズ様!」
ケネスが叫んだ。テーブルの影から兵士達が飛び出してきたのだ。シグルズは咄嗟に剣で受け止めた。
「ヒルド族か」
男は血に飢えた獣のような目でシグルズを見ると、にやりと笑った。
「こりゃあ、いい!神父様じゃないか!奴ら、しくじったな!」
ぎりぎりと、剣と剣とが軋み合う。背後には壁が迫っていた。狭い部屋で、受け身の体勢では分が悪い。シグルズは力任せに男を跳ね返した。ケネスは他の男達を相手に応戦している。あちらのほうが大変そうだ。
「なぜクローストン卿に加担する!?こんなことはやめるんだ!」
シグルズは間合いを詰めながら言った。
「知ったことか!お前を殺せば報酬金が手に入るんだ!」
男はシグルズを弾き返し、一旦後ろへ下がると、
「死ね!」
剣を振り上げ飛び掛かってきた。シグルズは咄嗟に身をかわし、すり抜けた。
「シグルズ様、避けてください!」
その声と同時に、物凄い勢いで燭台が飛んできて、男の頭部に直撃した。男は倒れ込み、息を荒げたケネスがそこに立っていた。
「すまない」
見ると、他の男達も皆気を失って倒れているようだった。すごいな、とシグルズが唖然としていると、ちょっと薬を使っただけです、とケネスが何ということのない顔をして答えた。
「既にかなり戦闘は進んでいるようですね。あの血痕は、この男のものかと」
そう言って、ケネスは部屋の隅で倒れている男を足で揺さぶった。男はびくりともしない。既にこと切れているようだ。胸からは血を流し、今しがたシグルズらが一戦を交えた連中とは別の男だ。
「そのようだ」
シグルズは頷き、十字を切った。
その時、廊下で物凄い怒声と叫び声が響き渡って、彼らのいる部屋の中に血塗れの兵士が二人、三人と突き飛ばされてきた。からんと乾いた音を立てて剣が転がり落ち、男達は重なるように倒れ、息絶えた。
出入り口の向こうから、見上げるような大男が顔を出す。鬼のような目をした、色褪せた金色に近い赤毛の、筋骨隆々とした老人だ。シグルズは一目で、あの時矢を射ったガン族の長だと気がついた。
男はぎろりとシグルズを睨むと、ズカズカとやって来て胸ぐらを掴んだ。
「貴様か、私のエマを拐ったのは!司祭の分際で乙女をたぶらかし、殺人の罪まで着せるとは!」
ケネスがはっとして仲介に入る。
「おやめください!ガン族の族長殿、何か誤解があるようです」
「邪魔をするな!」
軽く突き飛ばされ、ケネスはテーブルの足元に倒れ込んだ。すごい力だ。一族の長として、いまだ現役で軍を率いているだけのことはある。老人と見くびっては痛い目に合いそうだ。
「トール様!」
そこへガン族の彼の部下が駆け付けて、二人がかりで彼を抑え込むと言った。
「今はそれどころではありません!ヒルド族の長を討たなければ!」
「奴は大広間のほうに向かいました!我々も追いましょう!」
胸当てをつけ、武装した二人の部下もまた屈強そうな戦士だったが、トールと呼ばれた族長の男はびくともしない。鬱陶しそうに部下達を振り払うと、
「ええい、離せ!このすました顔を一発殴ってやらねば気が済まん!!」
と、怒鳴り声を上げた。しかし、今それどころではないというのは本当の話だ。火の手がどんどん彼らの近くまで迫ってきていて、急がなければこの戦の決着を見る前に、炎に飲み込まれてしまいそうなのだ。
「鬱憤はヒルド族で晴らしてください!さあ!」
部下の男が無理矢理シグルズから自分達の長を引き離した。トールは悔し紛れに掴んでいた彼の胸を乱暴に押しやったので、彼は体勢を崩して尻餅をつき、痛みに顔をしかめた。
「良いか、私がここへ来たのはエマのためだ。サンクレール家のためではない」
トールは苦々しく話した。シグルズは顔を上げた。
「ヒルドを討ち、エマを連れ帰る。孫娘は今どこにいる?何故、傍にいて守ってやらないのだ」
シグルズは立ち上がり、しっかりと老人の目を捉えた。なるほど、たしかにエマの祖父だ。意思の強い緑色の瞳は、彼女と同じ光を宿している。ふさふさした眉毛や深い皺に埋もれてはいるが、厳しくも温かい光が垣間見える。
シグルズは答えた。
「彼女はこの屋敷の者達と逃げました。腕の立つ従者が同行しています。私はサンクレール家の当主を助けます」
「助けなど必要ない」
きっぱりと、トールは言った。
「子供だからと手出しは無用。当主には当主の戦いというものがある」
たしなめるように、指をさす。ごつごつとした太い指には大きな指輪が二つ嵌められている。一体どれほどの戦いをこの手でくぐり抜けてきたのであろうか。
部下が促すと、トールは頷いた。
「戦は我々の仕事だ。司祭様にはお引き取り願おう。私の大切な孫娘を、迎えに行くまでしっかり守っておくのだぞ」
傷一つつけぬようにな。そう言って、ガン族の長は部下を引き連れ、駆け出した。去り際に、部下の戦士がぎろりとシグルズを睨みつけていった。
「すごいおじいさまですね」
ため息をつきながらケネスが言った。
「おかげで近道を教える間もありませんでした」
ちらりと自身が辿ってきた通路に目をやりながら、シグルズは苦笑いして頷いた。あの御仁なら、ほんのちょっとの遠回りなど、なんてこともないだろう。
「行こう、恐らくジョージはこの上にいる」
ケネスは頷いた。廊下に累々と横たわるたくさんの屍を飛び越えながら、二人は屋敷の最上階へ向かった。




