第4話 晩餐会(3)
晩餐会が開かれ、伯爵邸は華やいでいた。豪勢な食事に素晴らしい音楽、着飾った人々。サザーランド女伯爵とその夫アダム・ゴードンが優雅に上座に腰掛け、その両脇をモレイ家とランス家の者達で囲んでいる。といっても、モレイ家の家系の者は少なく、フィリップと当主のトマス、それにエマ。空席を埋めるように近隣の貴族達が腰を下ろしていた。
一方のランス家は大にぎわいで、後見人のスチュワート大司教は女性に囲まれ悦に入っているし、ハラルドソン司祭もまた同様に、ランス家の若い娘や、首都の大貴族と縁を繋ぎたい者達に囲まれて、さながら花の貴公子のようであった。
フォートヒルのハラルドソン家を知らない者など、ダルヘイムには誰もいない。彼は王家に最も近い大貴族の長男で、本来は家督を継ぐべき立場であったが、大学在学中に聖職を志し、若くしてダルヘイムで最も権威ある聖アンドレアス大聖堂の首席司祭に任じられたのだ。いずれは大司教の座も約束されている。だから、老いも若きも、男も女も、様々な野望を持った者達が皆輪になって彼を取り囲んでいた。もっとも、そのような肩書きがなくとも、その風貌だけで十分に女達を惹き付けていただろうが。
エマは苦々しい気持ちで彼らを横目に見た。後見人の二人があまりにもちやほやされすぎて、主役であるはずのマーガレットが一人取り残されたようにぽつんとしていた。
だが、問題はなかった。彼女は向かいにいるフィリップに気を取られていたからだ。二人はすっかり恋に落ちた様子で、お互いに視線を交わしては頬を染め、微笑み合っている。なるほど、頼りないところはあるが、父に似て穏やかで落ち着いた青年のフィリップと、慎ましやかで謙虚な態度のマーガレットは、よく似合いのカップルであるなとエマは思った。
「素晴らしい女性じゃないか、フィリップ。伯爵の見立てに間違いはなかったな」
トマスが満足そうにフィリップに耳打ちした。フィリップは嬉しそうに頷いた。エマは弟の姿に、嬉しいような、寂しいような、何ともいえない感情が込み上げてくるのを感じた。そうだ、彼はもうすぐ家庭を持つのだ。向かいの可憐な娘は義理の妹になるのだ。
ふと目をやると、ハラルドソン司祭がちらちらとこちらを伺っているのが見えた。うっかり目が合ってしまい、エマは慌てて目を逸らした。
ーーーもしかして、お怒りなのかしら。
エマは昼間、身分の高い人にあのような言い方をしてしまったことを後悔していた。もっと淑女らしく、穏便に受け流す方法もあったのに、つい反抗的な態度をとってしまった。不敬だと思われても仕方がない。
ーーーでも、あの人も「赤毛の女」と言ったもの。
エマは自分の真っ赤に燃えるような髪をくるくると指先に巻きつけた。赤毛ということを理由に、差別したり見下したりするような連中が一定数いるのは知っている。彼女もそのせいで何度か嫌な思いをしたことがある。だが、この髪色は母親譲りで、彼女にとっては母を思い出す大切なものの一つだ。それに、ジェフリーはこの髪をきれいだと言ってくれた。まるで、夕焼けみたいだって。
顔を上げると、司祭はまだ自分を見ていた。なぜそんなにこちらを見るのだろう。やはり昼間のことを責めるつもりだろうか。知らないふりをして上手くやり過ごそうと思っていたのに。
ハラルドソン司祭が立ち上がった。こちらに来るのかもしれない、そう思ったエマは咄嗟に席を立った。
「どこへ行くんだ」
トマスが声を掛ける。
「ごめんなさい、ちょっと」
エマは答え、逃げるように大広間の外へ出た。
「レディ、お一人でどちらへ?」
部屋を出ると、控えていた従者の男に声をかけられた。見ると、大司教と司祭に付き従っていた黒髪の青年であった。隣にはあの時よりもさらにフードを目深にかぶった、怪しげな風貌の教会の男もいた。エマはどきりとして目を逸らした。
「外の空気を吸いに」
エマはなるべく目を合わせないようにしながら、素っ気なく答えた。従者は彼女がモレイ男爵の娘であることにすぐに気がついた。大広間に目をやると、自分達の主人が立ち上がり、こちらを見ていた。
「そうですか、お気をつけて」
従者が言った。
「失礼します」
エマは慌ててその場を立ち去った。
彼女がいなくなるのを見ると、ハラルドソン司祭はため息をついて、再び着席した。取り巻きの人々が不思議そうに二人を交互に見比べていた。
ーーー思わず逃げてしまったけれど、大丈夫だったかしら。
エマは胸を押さえながら外へ出た。どうにかして宴会場から離れたくて、つい城の裏手から庭へと下りてきてしまった。五月の夕暮れ時はまだ寒く、ショールも持たずに飛び出してきてしまったことを少し後悔したが、あのまま皆が見ている前で何か言われるのは耐えられそうになかった。彼の従者達に引き留められるかと思ったけれど、すんなり送り出してくれたし、きっと大丈夫だろう。このままなかったことにして、どうにかやり過ごそう。
エマはぶるりと震える肩を擦りながら、辺りを見渡した。夕焼けに染まる伯爵邸の庭は、この世のものとは思えぬほど美しい。薔薇の時期にはまだ早いが、ライラックが香り高く咲き誇り、足元に散らばるブルーベルやアザミの花と相まって、幻想的な風景を映し出している。ヒバリが鳴き声をあげながら旋回して降りてくる。どこかに巣でも作っているのだろうか。
エマはゆっくりと小路を下り、庭へと下りた。ベンチにでも座ろうかと思っていたのだ。だが、それは叶わなかった。この美しい庭には彼女一人ではなかったのだ。ふいに、後ろから誰かに肩を引かれた。まさかと思い、驚いて振り向くと、それは予想だにしなかった人物だった。
「ブライアン」
苦々しくその名を呟く。エマの肩を掴んだその男は、嫌な笑みを浮かべてそこに立っていた。
「なぜあなたがここに?」
エマの額からひやりとしたものが滲み出てきた。男はウィルダネス家の族長の息子だった。エマに頻繁に手紙を寄越してくる、あの強引な求婚者だ。
エマは焦った。こんなところで会うなんて、全く考えもしなかったのだ。以前は時折サザーランドの領地に忍び込んではちょっかいをかけてきていた。だが、よもや、こうして伯爵邸にまで入り込んでくるとは。
「どうしてここへ入れたのです?まさか招待されたわけではないでしょう」
エマは後退りした。
「おいおい、せっかく会いにきてやったというのに、その言い方は気に食わねぇな」
ブライアンはエマの手首を握り上げ、口端を吊り上げた。
「お帰りください。衛兵を呼びますよ」
エマはなるべく平静を装って、静かに告げた。しかし、ブライアンは意に介する様子もない。
「弟が結婚するんだってな、おめでとう」
握られた手首がギリギリと痛む。骨がきしむようだ。
「ところで、俺がやった手紙はどうしたんだ。ひどいじゃないか、返事もろくによこさないなんて」
ブライアンは口は笑っているが、眼光鋭く、まるでエマのことを獲物か何かのように凄みをきかせて睨み付けていた。エマは絶対に怯むまいと唇を噛んで、顔を真っ赤にして睨み返した。
「お手紙にはきちんとお返事を送っておりますわ」
「あれのどこがきちんとした返事だって?いつも同じじゃないか」
そう、エマは手紙にはきっちり返事はしていた。無視するのは無礼にあたるし、決して良い関係とは言えないウィルダネス家の息子を怒らせて良いことはないと分かっていたからだ。だから、エマは面倒でも必ず返信していた。「残念ですが、お気持ちには答えられません」と。
「あれ以上はお伝えできることがないのです。父も伯爵様も了承してくださいません。私達にはご縁がなかったのですわ」
執拗に言い寄ってくるブライアンを、エマはどうにかして押し返そうとしたが、力の差がありすぎてどうにもならない。その上、さらに手首を力任せに握り締められて、エマの顔が苦痛に歪んだ。ブライアンは激昂したようだった。
「嫁き遅れのじゃじゃ馬をもらってやると言ってるんだ、言うことを聞かねえか!」
叩かれると思い目を閉じた瞬間、大きな影がエマを覆った。恐る恐る目を開けると、ブライアンの振り上げた右手を掴む男の鋭い眼光が見えた。「何をする」とブライアンが手を振りほどくと、男は凍りつきそうなほど冷たい目で彼を睨んだ。
「それはこちらの台詞だ。お前こそ何をしている」
長いプラチナブロンドの髪が美しいその男は、ハラルドソン司祭であった。驚いたことに、彼は筋肉質なブライアンよりほっそりした体つきであったにも関わらず、その豪腕をいとも容易く押さえつけてしまえるほどの腕力の持ち主だった。
「どうやら招かれざる客のようだ」
冷たい目で大男のブライアンを見下すと、彼は衛兵を呼んだ。ブライアンは舌打ちをして、隙を見て逃げ出した。
騒ぎを聞き付けた招待客達が、次々と広間から飛び出し、野次馬のように集まってきて、あれはウィルダネスの者じゃないかと騒ぎだした。大広間にいた女伯爵は立ち上がり、あきらかに苛立った様子で兵士達にならず者を捕らえるよう命令した。
「大丈夫ですか」
先ほどまでの様子とはうって変わって、労るような優しい声でハラルドソン司祭はエマを気遣った。エマの手首は赤く鬱血していた。
「お怪我をなさっているではないですか。もう少し、私が早く駆けつけていれば」
エマは首を横に振った。
「いいえ、助けていただきありがとうございます。司祭様には見苦しい姿ばかりお見せして申し訳ありません」
ハラルドソン司祭が何か言いかけたが、そこへ男爵とフィリップが血相を変えて飛んで来た。
「大丈夫か、エマ、何もされなかったか」
心配でたまらない様子の父に、エマは大丈夫よ、と安心させるように言った。
「急に現れたので驚いたけど、こちらの神父様が助けてくださったので何もなかったわ」
モレイ男爵はひれ伏すように何度も礼を言い、頭を下げた。
「なんとお礼を申し上げたら良いのやら。あの男はウィルダネス家の息子で、どういうわけかことあるごとにうちの娘に手を出そうとするので困っていたのです。こんなところに入ってこれるわけがないのですが、一体どうしたことか」
向こうのほうで、バタバタと衛兵達が走る音がする。集まった人々が道を譲るように隙間を開け、エリザベス・サザーランド女伯爵と、アダム・ゴードンが現れた。
「モレイの娘、説明せよ。この良き日に何事か」
口を開きかけたエマの前に、遮るようにハラルドソン司祭が立った。
「あの男が一方的にこちらのご令嬢に迫り、暴力を振るっていたのです。私が衛兵を呼ぶと、男は逃げました。彼女に非はありません」
女伯爵は額に手をやり、首を横に振った。
「そんなことは分かっている。あの男は随分前からその娘に執着していたからな。ウィルダネスの当主には散々忠告してきたのに、息子は全く言うことを聞いていないようだ」
エマは項垂れながら言った。
「伯爵様、私のせいで申し訳ありません。ハラルドソン司祭のおっしゃった通りです。私が庭に出るとすぐにブライアン様が現れて、結婚を迫られ、叩かれそうになったところを司祭様が助けてくださいました」
トマスは慰めるようにエマの肩を擦った。
「おお、さぞかし怖かったことだろう。まったく、一人で庭になど出るからだ。よいか、もう勝手なことをしてはならんぞ」
「はい、お父様」
トマスは厳しい口調とは裏腹に、その表情は娘に同情的だった。群衆の誰もが、一体どうやって男がこの城に入り込んできたのかと、あれこれ声を潜めながら推測し合っていた。女伯爵は領主の屋敷にこうも容易く忍び込まれてしまったことに対して苛立ちを隠せず、手に持った扇をギリギリと軋ませた。
「興が冷めた。今宵はもう終いじゃ。各々もう引き上げるが良い」
宴の主催者がそう言うので、人々はため息をつきながらそれぞれに引き上げていった。エマも、トマスとフィリップに付き添われ、項垂れながら屋敷内へ続く小路を戻っていった。
ハラルドソン司祭はといえば、そんな彼女を見つめながら、何か言いたいことでもあったかのように、拳をぎゅっと握り締めるのであった。
「シグルズ様」
人々が城に戻るのとは反対に、黒髪の従者と、フードの男がハラルドソン司祭のほうへ小走りで駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか、お怪我などは」
従者が尋ねた。
「ない、大丈夫だ」
ハラルドソン司祭は手短に答えた。
「急にあの女性を追いかけていくので驚きました。まさか、こうなることを分かっていらっしゃったのですか」
「いや、全くの偶然だ。だが、追いかけてきてよかった。あのまま誰も気づかなかったら、そのまま拐かされていたかもしれない」
そう言うと、ハラルドソン司祭は顎に手を当て、考え込んだ。フードの男が、訝しげに上司の顔を覗き込みながらたしなめた。
「シグルズ様、良からぬことに首を突っ込むのはおやめください。これはサザーランドとウィルダネスの問題です。あの男はこの城の兵士がすぐに捕まえてくるでしょう」
ハラルドソン司祭は小さくため息をつき、肩をすくめた。
「そうだな。だが、侵入を許したのもその兵士達なのだ。果たしてすぐに捕まるものだろうか」
そう言いながら、ハラルドソン司祭は屋敷の中へ戻っていった。




