第23話 嘆きの塔(6)
再び薄暗い螺旋階段を上る。兵士達は押し黙ったまま、重い足取りで階上へ上がっていく。
エマは胸に違和感を抱いていた。先程感じた、何かが身体中を駆け巡っていく感覚、あれは一体何だったのだろうか。兵士達は、緑色の光が取り憑いていたと言っていたが、本当に幽霊なんてことがあるのだろうか。
シグルズは月光のせいだと笑っていたが、彼女にはどうにもそれが信じられなかった。なぜなら、この身がぞくりと粟立つのを感じたし、五人いる兵士達全員が同じ錯覚を見るなんておかしいからだ。
ーーーまさか、本当にグリーン・レディが?
エマはぶるりと身震いをして、そんなわけはないと首を横にぶんぶん振った。幽霊なんて迷信だ。いるわけない。
一行は、とうとう最上階までやって来た。兵士もシグルズも立ち止まった。階段が終わっている。屋上に出られない。それに、廊下が短い。四階の半分ほどしかなかった。
「この階はこの部屋だけです」
先程、下の階で開かずの扉と格闘した、一番年長の兵士の男が言った。
「開けます」
シグルズは、待て、と手で制した。男は表情の読めない顔で振り返った。
「階段がもうないではないか。屋上へはどうやって行く?おまえ達の主が、祈祷は屋上で、と言っていただろう」
兵士達は顔を見合わせ、俯いた。塔の中へ入る前の威勢の良さはどこへやら。今やほとんど覇気は失せ、まるで早く帰りたがっている、疲れた旅人のような顔をしている。
男はため息をつき、答えた。
「この階段塔からは行けません」
シグルズは肩をすくめた。
「どういうことだ?」
男は少し迷った末に、もはや隠すまでもないと諦めた様子で答えた。
「四階にもう一つ階段があるのです。そちらからでないと屋上へは行けません。先程開けられなかった、あの扉の向こうです」
そういうことかと、シグルズは額に手を当て、息をついた。
「だから、おまえ達はあの扉を開けるのに躍起になっていたのだな。あそこを通らないと屋上へ行けないから」
兵士達は何も答えなかった。気まずそうにちらちらとお互いの顔を見て、さてこれからどうしたものかと途方に暮れているようだった。こんな連中に自分達の身が狙われているとは、クローストン卿にも甘く見られたものだ。
では、ヒルド族は一体どこにいるのだろう。連中の様子から察するに、実はこの部屋に潜んでいて、今にも我々に襲いかかって…、というわけではなさそうだ。となると、やはり階下の開かずの扉が鍵なのだろうか。
シグルズは仕方ない、と声を上げた。
「では、最後にこの部屋を見よう。開けてくれ」
兵士の男は緩慢な態度で、黙って扉を開けた。中は寝室だ。大きな天蓋つきの寝台と、どっしりとしたオークの執務机、椅子、色褪せて破れたタペストリー。他には何もない。明らかに狭すぎる。
シグルズは男に尋ねた。
「おい、本当に部屋はこれだけか?まだあるだろう」
兵士の男は首を横に振った。
「これだけです。隣は行けません」
「隣…、隣の部屋があるのだな?下から行くのか?」
男はぶんぶんと首を横に振った。
「ありますが、行けません!呪われた部屋なのです」
シグルズは男の目を見た。何かを訴えるように、真っ直ぐにこちらを向いている。嘘をついているようには見えない。
「よろしい、では我々は少し中を調べたい。おまえ達はここで待っているように」
兵士達は小さく返事をして了解した。シグルズはエマの背に手を添え、部屋の中へ促した。そして、部屋の扉をしっかりと閉め、鍵をかけた。このような状況下であっても、自分達の身が彼らに狙われていることを忘れたわけではなかったからだ。
「どう思う?」
シグルズは執務机の引き出しを上から順番に引っ張り出しながら尋ねた。両側に豪華な真鍮飾りのついた引き出しが並ぶ、大きく立派で、重厚感のある代物だ。歴代当主が使用していたものに違いない。
エマはもう片方の引き出しを調べながら答えた。
「ヒルド族がいつ襲ってくるかということですか?」
シグルズは頷いた。
「そうだ。だが、どうにも様子がおかしい。連中は私達を屋上へ連れていきたかったようだが、下の扉が開かず、戸惑っているようだった。それに、隣に呪われた部屋があるのだと」
エマはため息をついた。鍵もかかっていないのに、あの扉が開かないのは確かに不思議だった。だが、蝶番が錆び付いていた可能性もあるし、もう一度兵士達に頼んで二人がかりで体当たりして壊すことができたら…。
あの時のことを思い返した途端、またぞくぞくと身震いしてくるのを感じ、エマは振り切るように頭を横に振った。
「呪いなんて、ないと思います」
シグルズは顔を上げた。エマはきっぱりと言った。
「呪いなんて、ただの思い込みです。ここを調べたら、もう一度下の階に戻りましょう。扉を壊すんです」
シグルズは手を止め、エマをじっと見つめた。彼女はごそごそと引き出しの中を探りながら、紙束を取り出してパラパラとめくっていく。多少朽ちて見えづらくなっていたが、まだ十分に判読できるものも多い。
「ほとんどが税収の記録のようです」
エマはてきぱきと書類を仕分けながら言った。当然ながら、クローストン卿とヒルド族の陰謀を示唆するようなものがこんなところに大っぴらにしまわれているわけはないし、かといって幽霊騒ぎに関係あるようなものも見当たらなかった。
「シグルズ様?」
手を止め、ぼんやりこちらを見ているシグルズを、エマは訝しく思って名を呼んだ。
シグルズはハッとして目を見開き、ああ、と返事をした。
「そうだな、こちらも似たようなものだ」
そう言って、再び引き出しを探り始める。エマは片方の眉を吊り上げて彼を見たが、あまり時間もない。廊下の兵士達がいつ扉を蹴破り、襲いかかってくるか分からない。エマは急いで中をひっくり返した。引き出しは抜いてしまったほうが早いかもしれない。そう思って引っ張り出そうとしたが、何かが引っかかってなかなか取れない。
「シグルズ様、奥に何か挟まっているようです」
エマは引き出しの奥に手を突っ込んだままシグルズに訴えた。カサカサと指先に何かが引っ掛かるのだが、なかなか取れない。
シグルズがこちらへやって来て引き出しを外した。奥から出てきたのは、破れかかった便箋だった。
「何でしょう、手紙?」
シグルズがランタンで照らした。殴り書きのような、染みだらけの汚れたそれを、エマは目を凝らして読み上げた。
「…ドナルド・ガンへ。我が妻、ヘレナは病に冒され日に日に弱る一方…、つきましては同じ一族である貴殿らに妻の身をお預けしたく…。どういうことでしょう?」
エマは眉をひそめた。シグルズは手を添え、少し自分のほうに向けると、ふむ、と思案した。
「ガン族から迎え入れた女性が病気になって妻の役目が果たせなくなったので、返したいということではないか?」
エマは目を見開いた。
「そんな、ひどい」
シグルズは肩をすくめた。
「だが、手紙は出されなかったのだろう。このヘレナという女性は、例の無理やり拐ってきた女性では?」
エマが何か言おうとしたとき、物凄い音を立てて扉が軋み、蹴破られた。兵士達が剣を抜き、雪崩れ込んできたのであった。




