第22話 嘆きの塔(5)
この薄暗い螺旋階段は、本当に狭い。使用人の小柄な女達なら、なんとかすれ違うことはできるかもしれないが、大柄な兵士の男では無理そうだ。足元に十分注意しながら、ランタンの灯りだけを頼りに進む。
案の定、大広間の天井が高すぎるので、四階までの道のりは遠く、目が回りそうだった。幸いなことに、兵士達は階段塔で二人に何かしようとはしなかった。剣を振るうだけなら上にいる者のほうが有利なのだが、シグルズとエマの背後には誰もいないので、いざとなったら簡単に逃げ出せる。
最後尾にいる兵士の男が、時折口惜しそうにちらちらとこちらを見るので、シグルズは笑いそうになってしまった。
ようやく四階にたどり着いた。シグルズはエマの手を取り、最後の数段を上らせてやった。
一直線に長い廊下が続き、突き当たりに扉が見える。その手前には二つの出入り口があった。
兵士達は不満そうに、危険な箇所は見当たりませんでした、と報告した。
シグルズは、ご苦労、と声をかけると、
「では、手前の部屋から全員で中を確認してくれ」
と命じた。連中は肩をすくめた。だが、一応命令には従うようだ。
まず、一番手前の出入り口から中を覗き込んだ。扉はなかった。厨房のようだ。釜戸に排気口、広々とした調理台や散乱した調理器具が見える。奥には食糧庫らしき扉もあった。それも開けさせる。だが、見たところは何もなく、「もうよろしいですか?」と、兵士にパッと閉められてしまった。
次に奥へ向かう。こちらは何に使う部屋かよくわからない。調度品を見るに、主人達が使うような高価な代物ではないし、隣が厨房であることから、執事か、側近達が主に使用していた可能性があるな、とシグルズは思った。机と椅子がいくつか、それに、少し奥まったところには寝台も置かれていた。
「特におかしいところはないな」
兵士達の様子を伺いながら、シグルズは堂々と嘘をついた。
実際、おかしなところだらけだ。一階、二階は埃が積もり、廃墟そのものの様相だったが、この階へ上がった途端に生活感を感じるようになったのだ。
厨房は散らかっているが、わずかに火を起こした薪の臭いを感じるし、即座に閉められてしまったパントリーは、きっと奥に食べ物が置かれたままになっているのだろう。隣の部屋は使途不明だが、階下に比べたら随分きれいだ。間違いなく、誰かが最近までここを使っていたのだ。
ーーーヒルド族か。
シグルズはじろりと兵士達を見やったが、連中は何も知らぬ存ぜぬといった顔をして、早く次へ行きたそうにうずうずしている。
「まあ、ここはいいだろう」
肩をすくめ、シグルズは部屋の外に出た。兵士達は、やれやれという様子で、ぞろぞろ連なりながら廊下へ出ると、シグルズに尋ねた。
「では、最後にあの扉を開けますか?」
一番年長の兵士が、廊下の突き当たりにある扉を指差した。見たところはさして頑丈ではない、簡素なつくりの扉である。物置きか何かであろうか。
企み顔の男を見て、シグルズは謀が下手だなと苦笑したが、扉の奥が気になるのは確かだし、ここは合わせてやることにした。
「ああ、頼む」
シグルズが許可すると、兵士の男はにやりと笑いながら扉の取っ手に手をかけた。だが、扉はぴくりとも動かない。
「どうした、開けてみろ」
シグルズの威圧的な声に煽られ、兵士は思い切り扉の丸い持ち手を引いた。だが、開かない。体を傾け、再度力を込めて引っ張るが、それでも開かない。今度は押す。両手で押す。だが、開かない。開き直って、力一杯体当たりをする。ドン、と虚しく体を打ち付ける音がするだけで、やはり開くことはなかった。
「おかしい、なぜ開かないんだ?」
ぜいぜいと肩で息をしながら、兵士の男は言った。その後、仲間が交互にそれぞれ試してみたが、結局、扉が開くことはなかった。
「鍵がかかっているのではないか?」
シグルズは言った。だが、年長の兵士が首を横に振り、
「そんなはずはありません。この扉に鍵はついていませんから」
と答えた。シグルズは眉間に皺をよせた。
「本当か?何故知っている、ここに来たことがあるのか?」
兵士はたじろぎながら答えた。
「クローストン卿によって立ち入り禁止になる前に、少し」
なるほど、とシグルズは訳知り顔で頷いた。その口振りから察するに、本当に鍵がかかっているわけではなさそうだ。では、なぜ扉は開かないのだろう。
エマはランタンを近づけて、板の隙間から中が見えないだろうかと顔をくっつけてみた。ほんの少し、何かは見える気がする。もしやヒルド族でも潜んでいるのでは、と疑ってかかったのだが、ただの向こう側の壁と燭台だった。これといって扉を開けるためのヒントになりそうなものはない。
が、わずかに何かが聞こえた気がして、エマは急いで耳をそばだてた。歌うような、女の声だ。ぶわっと全身の毛が逆立つような、違和感を感じる。一瞬、何かが身体中を駆け巡ったような不思議な感覚がした。肌がぞわぞわと爪先から頭のてっぺんまで粟立った。
「グリーン・レディだ!」
兵士の男達が恐れをなし、ドタバタと後退りして尻餅をつく。エマは驚き、パッと振り向いた。兵士達は彼女の顔を見るなり、恐怖に震え、怯え出した。
状況が飲み込めないエマは、隣に立っていたシグルズを見上げた。彼もまた、彼女のことを見下ろして、訳が分からないといった様子だった。
「あの…」
ひっ、と声にならない悲鳴のようなものを上げて、兵士達は後ろに飛び退いた。エマは近付くことも躊躇われ、困り果ててしまった。
シグルズが安心させるように彼女の肩を抱く。
「おまえたち、何をそんなに怯えている?」
兵士の一人が震えながら答えた。
「み、見えなかったのですか?」
何のことだ、とシグルズは尋ねた。男は唾をごくりと飲み込むと、
「緑色の光が…、い、今、その女に取り憑いていたではないですか!」
と、半ば叫ぶように答えた。そんな馬鹿な、とシグルズは訝しげにエマを見たが、彼女はいたって普通のいつもの姿だ。緑色の光なんて、どこにも見えない。呆気にとられ、自分を見上げながら首を傾げる様が、ただ可愛らしいだけ。
シグルズは額に手をやり、眉間に皺を寄せた。グリーン・レディなんて馬鹿げている。きっと月明かりか、目の錯覚でそう見えただけだろう。
だが、五人の兵士達全員が顔を引きつらせ硬直しているところを見ると、たとえ彼が何を言ったところで、焼け石に水のように思えた。
ならば、このまま怯えさせておくほうが得策かもしれない。そう思い、シグルズはエマの肩を抱いたまま、兵士達のほうへ近寄っていった。彼らは可哀想なくらい小さくなって、階段ぎりぎりまで下がっていった。
「おまえ達が何を見たのかは知らぬ。だが、今宵の我々の目的を忘れたわけではなかろう。幽霊退治をと望んだのは、まさしくおまえ達の主人その人である」
シグルズは尊大な態度で続けた。
「上へ。まだ仕事は終わっていないぞ」




