第21話 嘆きの塔(4)
ケネスとアンソニーが別棟のほうに向かうのと同時に、シグルズとエマは階段を上がり、塔の二階へと上がっていった。ほとんど採光のない真っ暗闇の階段を、手元の灯りを頼りに上っていくと、すぐに長い回廊に出る。シグルズがランタンで照らすと、壁にいくつもの人の顔が浮かび上がってきた。
「歴代当主の肖像画でしょうか」
背後からエマが伺うようにおずおずと見上げた。威厳があり、野心的な顔つきをした男性の顔が横にずらりと並んでいる。どれもが豪華な服を着て、立派な帽子をかぶり、一目でかつてのヒルド族の権力者だと分かった。
「そのようだ」
肖像画は廊下の向こうまで続いていた。奥に行くほど新しいが、その一番端に飾られた絵は無残にも破り取られ、顔がわからなくなっていた。
「…ダニエル…ヒルド」
エマは目を凝らし、破かれた最後の肖像画の名を読み取った。
「中へ入ってみよう」
シグルズが向こうへ行くのが目に入り、エマは慌てて彼の前へ出た。
「お待ちください、私が先に参ります」
行く手を塞ぐように慌てて立つエマに、シグルズは驚いて目を見開いた。そして、その真剣な眼差しに思わず小さく笑いをこぼすと、肩をすくめた。
「驚いた、あなたは幽霊が怖くないのか?」
シグルズが見下ろしながら、半ばからかうようにそんなことを言うので、エマは少しむっとして答えた。
「怖くないわけではありませんが、シグルズ様の御身のほうが大切です」
昼間、来なくてもいいと言われたことを根に持っていたわけではないが、エマは同行の許可を得たからには役に立ちたいと考えていた。主人の身を守るのは、それに仕える者の務めだ。ただついていくだけなら子供にもできる。
それに、エマは幽霊のことを気の毒にも思っていた。自分にとっては遠い過去のことに違いないが、一族を殺され、無理やり拐われてきた挙げ句、塔から身を投げて自ら死を選んだ哀れな女性。その上、幽霊だなんだと、今なお面白半分に語り継がれている。自分だったらやりきれない。だから、幽霊のことは得体の知れないものに対する怖さは多少あったが、それよりも同情心のほうが勝っていた。
エマはそろりと廊下の横の出入り口から中を伺った。広間だろうか。大きな窓から月明かりが差し込むおかげで、それほど暗くはなさそうだ。
「どうだ、安全か?」
真横からひょいっとシグルズが顔を出し、ほとんどくっつきそうなくらいの至近距離でそんなことを言うので、エマは飛び上がってしまった。シグルズは可笑しくなって吹き出した。
「シグルズ様!脅かすのはおやめください!」
エマは真っ赤になって反論した。心臓がバクバク鳴っている。シグルズは、すまない、と腹を押さえながら謝罪するが、本当に悪いと思っている様子はない。
「あなたの心意気には感謝する。だが、一つ間違っていることがある」
シグルズは呼吸を整えながら言った。
「私と同じくらい、あなたの身も大切だ。大の男が、レディの後ろに隠れているというわけにはいかないだろう。それに、何かお忘れではないか?」
そう言って、シグルズは親指で背後にいる兵士らを指差した。
「こういう時の護衛ではないか」
シグルズはさも当然のように、兵士二人を先に行かせた。そうだった、彼らもいるのだった。
「あなたが彼らを信頼していないことはよく分かった。だが、せっかくクローストン卿の計らいでわざわざ同行してくれたのだ。せいぜい働いてもらおうではないか」
シグルズはエマの腰を抱き寄せながら、意地悪そうに微笑んだ。エマは急に恥ずかしくなってきた。役に立つどころか、空回りして無様な格好を晒しただけだ。しかも、この嫌味っぽいご主人様が妙に嬉しそうにしているのも腹が立つ。
「行きましょう」
顔をそむけながらエマは言った。耳元で、素っ気なくしないでくれ、とシグルズが笑いながら囁いてくる。エマは主人の顔を手で押し返した。この人は、いつまでこうやって人をからかい続けるつもりだろう。
中は高いアーチ型の天井が印象的な大広間だった。塔は五階建てと聞いていたが、どうやら二階と三階は一続きになっていたようだ。フロア全体を占めるほどの広々とした空間に、二階分まるごと使った高い天井が壮観で、思わずエマは見上げてしまった。
太い梁、そこから吊るされた黒い円形のシャンデリア、豪華な彫刻が施された石の柱。
何人も座れそうな長いテーブルが中央に配置され、奥には煤けた大きな暖炉がある。そのすぐ手前が当主の席だったのだろう、豪華に装飾された肘掛け椅子がゆったりと置かれていた。だが、使われなくなってからあまりにも長い歳月が過ぎたために、あちらこちらにクモの巣が張り、厚く積もった埃の上をムカデが這い回り、かつての栄光はすっかり失われていた。
薄く差し込む月明かりの中、シグルズはぐるりと全体を見て回ったが、ここには何もないと判断した。エマも同じように辺りを注意深く観察した。出窓からは外がよく見える。身を乗り出せば、ケネスとアンソニーが向かった別棟も確認できた。
「あまり身を乗り出しすぎて、落ちぬように」
そう言いながら、シグルズがそっと背後から近寄り、エマの背にぴったり身を寄せた。思わずびくりと肩が震える。後方では兵士達が射抜くような目でじっとこちらを観察している。
シグルズはエマの耳元に唇を寄せ、囁いた。
「…向こうの首尾は上々のようだ」
別棟で、何かがきらりと光った。
「ここはもうよい、上へ行く」
身を翻し、シグルズが階段棟のほうへ向かうので、エマは急いで追いかけた。兵士達も黙ってついてくる。
今のところは彼らも、どこかに潜んでいるかもしれないヒルド族も、誰も襲ってくる気配はない。
だが、このフロアは上の階までかなりの距離がある。襲撃するなら、このタイミングかもしれない。
シグルズは考えを巡らせると、兵士達に向き合い、言った。
「おまえたち五人とも先に行ってくれ」
全員ですか?兵士達は顔を見合わせた。やはり、何か企てていたのは間違いなさそうだ。
「前後をお守りしたほうが安全かと思いますが」
一番年長と思われる男が言った。だが、シグルズは首を横に振った。
「ここまで何も問題なかった。この上の階のほうが危険かもしれない。ジョージ様もおっしゃっていただろう、階段は危ないって」
全員で行ってくれ、そう念を押されては、兵士達も断ることはできなかった。渋々、年長の兵士から順に一人ずつ列になって階段を上がっていくことになった。




