第20話 嘆きの塔(3)
ケネスとアンソニーは、三人の兵士を引き連れながら、別棟の内部を探索していた。
ーーーヒルド族が潜んでいるのではと思ったが、ここには誰もいないようだ。
二人は目を合わせた。誰もいないのなら、時機を見計らい、邪魔なあの三人の兵士を片付けるだけだ。できればもう少し多く来てほしいところだったが、所詮彼らにとって我々は付属品なのだ、仕方がない。
背後では、兵士達がこちらの動向に目を光らせている。
「だいぶ荒れていますね」
ケネスは、後ろの兵士などまるで気にしていないといった素振りで、すたすたと先に歩きながら言った。
塔は不気味だったが、隣に建てられた二階建ての建物は、木造の簡素な造りだからか、あちらこちらから月明かりが差し込み、さほど恐ろしさは感じなかった。
「ここは使用人達の作業場か…。ゴミ置き場のようになってますがね」
アンソニーが辺りを見回しながら言った。長年放置され、壁や天井がところどころ腐って崩れかけているが、塔に比べると生活感のある空間だ。農具や工具類が倒れ、桶が転がり、水瓶や燭台、空の酒樽までもが散乱していた。
「そのようです。長年放棄されていくうちに、荒れ果てていったのでしょう。特に不審な点は見当たりませんね」
ケネスは散らかった床を見下ろして答えた。背後でアンソニーが瓶を蹴る音がする。
「二階も見ておきましょう」
ミシミシと音を立て、今にも崩れ落ちそうな階段を慎重に登っていくと、そこは一階と同じ広さの部屋があるだけだった。細長く、奥行きのある室内には、使用人達の寝床だったのだろうか、藁を詰め込んだ簡素なマットレスの上に、色褪せたリネン類が山積みになっていた。
「何もありませんね」
アンソニーが口を開いた。ケネスはランタンの灯りをかざしながら、隅から隅までじっくりと観察した。壊れかかった鎧戸の隙間から、青白い月明かりが差し込んでいる。
「そうでしょうか」
ケネスはそう言いながら、山になったシーツの中に手を入れ、ひっくり返した。そのうちの一枚を、指先でつまむようにして持ち上げ、アンソニーの鼻先に突き付けた。
「うっ、これは…、酒?」
アンソニーがぎょっとして鼻をつまんで尋ねた。
「ええ、昨夜、晩餐会で頂いたものと同じ臭いです」
ケネスは答えた。
「それに、ほら、触ってごらんなさい」
アンソニーは嫌々、茶色っぽく変色したシーツの染みに手を触れた。
「湿ってる」
触れた自分の指先の臭いを嗅いで、アンソニーは顔をしかめた。今朝の主人達の臭いだ。最悪だ。
「なんです、私はシグルズ様ほど飲んではいませんよ」
ケネスは眉根を寄せて、あからさまな態度をとる従者を睨みつけた。そして、ふうとため息をつくと、灰色の目を、まるで夜の梟のように鋭く光らせて、兵士達のほうに向き直り、言った。
「さて、これは一体どういうことでしょうか。誰もいないはずの廃墟で、誰かが酒盛りでもしていたというのか…、それも、クローストン卿が懇意にしていると評判の酒で?」
兵士達はゆらりと剣を構え、その切っ先をこちらへ向けた。
「アンソニー!」
俺かよ!アンソニーは苦笑いしながら、帯同していた剣を抜き、前へ出た。金属と金属が鋭く擦れ、甲高い音を立て、ぶつかり合う。
「まあ、いいですけどね」
兵士の一人が高いところから斬りかかってくる。アンソニーは素早く身を屈め、潜り抜けるようにして胴を狙った。あっという間だ。振り払った刃が月明かりに反射し、きらりと光った。
彼が連中の背後に回った頃には、三人ともが足元から崩れ落ちていた。
「たった三人じゃ張り合いがないですよ」
アンソニーは剣を鞘に収め、パンパンと得意気に手をはたいた。致命傷は負わせていない。ただ、もう剣を持って大立ち回りするのは無理だろう。その程度の傷だ。
「サボっていないで、早く縛るのを手伝いなさい」
ケネスが白い目でアンソニーを見て、言った。彼はどこからか持ち出してきたロープで、兵士達を柱の回りにくくり付け、ぐるぐる巻きにしていた。
「俺の働きぶり、見てました?」
アンソニーは突っ立ったまま尋ねた。
「さあ…。私はあなたのように無駄に動き回るのは好きではないですから」
「剣が苦手だから言い訳ですか?」
「知恵のない者と話すのは疲れますね」
これでよし、とケネスは、結局一人で三人の男達を身動きがとれないように、しっかりと縛り付けたのであった。
男の一人が、悔しそうに呻きながら言った。
「…俺達を押さえたからって、良い気になるなよ。向こうは五人いるんだぜ」
ケネスは埃っぽくなったローブをはたきながら、男達を冷たい目で見下ろし、言った。
「…どいつもこいつも、能なしか」
兵士の男は、怯えたのを隠すように、唇を噛んだ。ケネスの灰色の瞳が、まるで瀕死の獲物を前にした、獰猛なハンターのように冷たく光っている。
「うるさいネズミどもは眠るのが良いでしょう」
そう言うと、ケネスは懐から小瓶を取り出し、蓋を外すと、男の額を鷲掴みにして強引に上を向かせた。
「やめろ、何をする気だ…!」
騒ぐ男を前に、ケネスは表情一つ変えず、一滴、また一滴と、抵抗する男達の口に、順番に瓶の中の液体を落としていく。アンソニーはぞっとしながら、その光景を見ていた。静かに、確実に息の根を止めてゆくその姿は、まるで死神のようだ。
ケネスはアンソニーのほうにちらりと視線を向けると、にやりと笑って言った。
「あなたも、これをご所望で?」
アンソニーは腕を組み、はは、と苦笑いした。
「案ずることはありません、これはただの眠り薬です。そのうち目が覚めるでしょう」
ケネスは小瓶をまた胸元にしまい込むと、階段のほうへ向かった。
「それより、早くシグルズ様のほうへ戻りましょう。このことを急ぎ伝えなければ」
何のことですか、とアンソニーが尋ねる。ケネスはため息をつくと、答えた。
「あの男の話を聞いていなかったのですか?向こうは五人、そう言いました」
アンソニーはまだピンとこない様子だ。ケネスは苛立って、続けた。
「言い換えてみれば、五人しかいない、そういうことです」
ようやくアンソニーは合点がいったかのように手を叩いた。なるほど、つまり…!
「ようやく、お分かりですか」
ケネスは額に手を当て、首を横に振った。
「つまり、シグルズ様達を襲うつもりでいるのは、あの五人の兵士だけ、ということです。では、ここにいると思われたヒルド族は一体どこへ行ったのでしょう」
もしかして…。アンソニーは顔を強張らせた。ケネスは頷き、ボロボロの木の階段に足をかけた。
「急ぎましょう、こんなところで時間を潰している場合ではないかもしれません」
二人は一気に階段を駆け降り、シグルズ達のいる棟へ引き返した。




