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《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第一章

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第19話 嘆きの塔(2)

 時は少し遡りーーー。

 明るい午前の光がさんさんと差し込む中、ウィルダネス家の邸宅では、何やら深刻な面持ちで、ブレンドンが部下から報告を受けていた。

 偵察に出した兵士が戻ってきたのは、つい今朝方のことだ。サンクレール伯爵領を嗅ぎ回るうちに、向こうの兵士に捕まり拷問を受けた様子だった。満身創痍で、命からがら逃げ出してきたのだという。


「報告によれば、サンクレール家の家臣らしき者から、今夜《嘆きの塔》で娘と司祭を捕らえるので、軍を率いてくるよう命じられたとのこと。いかがなさいましょうか」


 ブレンドンは拳を振り上げ、執務机を思い切り叩いた。額まで顔が紅潮し、怒りを抑えきれない様子だ。


「罪人と引き換えに軍勢をよこせだと!?」


引き換え、とは聞いておりませんが。そう部下が言葉を濁すが、ブレンドンは再び机を叩き、声を荒げた。


「それ以外に何が目的で、軍などという言葉を持ち出すというのだ!何か魂胆があるに違いない。罪人を差し出す代わりに、我々を殺し合いの駒として使う気なのだ」


 部下は押し黙った。ブレンドンはぎりぎりと唇を噛んだ。サンクレール家に軍を送るなど、できるわけがない。家長である父の許可が得られるはずがないし、勝手に事を起こせば領主間の問題となり、自分一人では収拾がつかなくなってしまう。そもそも、兄の敵討ちを赤の他人に手伝ってもらうなど、ブレンドンにとっては屈辱以外の何物でもなかった。


「思い通りになどさせるか」


 ブレンドンは立ち上がった。


「女と司祭がそこにいるのは間違いないのだな?」


部下の男は頷いた。


「はい、その後、別の班がサンクレール邸やティンカーに探りを入れましたが、女連れの巡礼の司祭一行が町に来て、その後サンクレール邸に身を寄せていることは確かなようです」


 よし、わかった。ブレンドンは一層表情に厳しさを滲ませて答えた。


「私の兵を集めろ!《嘆きの塔》へ行く」


「ブレンドン様自ら赴くのですか?」


 部下が驚いたように目を見開いた。


「そうだ。サンクレール家の言うことなど信用できるか。《嘆きの塔》に私の兄を殺した女が来るというのなら、この手で捕まえて天罰をくだしてやるまでだ」


 承知しました、一礼をして、部下の男は執務室を出ていった。ブレンドンは険しい表情のまま上着を手に取り、乱暴に羽織った。

 今も、これまでも、兄がサザーランド家の屋敷で不遇の死を遂げてから、彼の頭の中はずっと生前の兄に対する想いでいっぱいであった。

 ブライアンはたしかに粗暴な男であったかもしれない。だが、他人の評価など所詮上部だけだと、ブレンドンはよく知っていた。

 ブライアンは義理人情に厚く、一途な男だった。体格も、気概も劣る弟の自分を、兄はいつも守ってくれた。時にはいじめっ子どもから、時には熊や狼から、そして大抵は、怒り出すと手がつけられない、厳しい父親の躾からーーー。


『父上、ブレンドンを叩くのはやめてください!俺達もっと努力して強くなりますから』


 そう言って、ブライアンはいつも弟の代わりに折檻を受けていた。父に口答えするとは生意気だと、余計な怒りを買って。

 兄が仲介に入ると、ブレンドンは、その瞬間は助かったと安堵した。だが、父親が去り、次第に恐怖が収まってくると、すぐに兄に対する罪悪感でいっぱいになるのであった。


『ごめん、兄さん、僕のせいで…』


 顔も体も痣だらけで赤紫色に腫れ上がり、ぐったりと床に倒れ伏すブライアンに、ブレンドンはいつも泣きじゃくりながら謝っていた。

 こうなる度に、次こそは上手くやろう、強くあろうと固く決心するのだが、それでも毎回父の不興を買い、結局は同じことの繰り返しになってしまう。

 ブレンドンは何故こうも自分は腑抜けなのだろうかと、いつも自分を責めていた。周囲の人間も皆、弟は駄目だと、体も弱く、気も弱いと見下していた。

 だが、ブライアンだけは違った。彼だけは、おまえは弱くない、自分で自分のことを責めるなと励ましてくれた。


『だけど、俺より強くなるのは無理だろう。だから、俺が一生おまえを守ってやる。その代わり、おまえはおまえのできることを頑張れ』


 ブレンドンはその言葉を胸に、勉学に励んだ。幸い、身体は弱かったが、学問や政治のことは面白いほどするすると頭に入っていった。ブライアンはその手のことに関しては疎かったので、ブレンドンはやがて当主の座につく兄の助けになればと、昼夜を問わず学び続けた。

 次第に、次期当主には狼藉者の兄より聡明な弟のほうがふさわしいのでは、と周囲の者達が口々に噂するようになった。ブレンドンは、そんな連中を蔑むような目で見ていた。ブライアンとは以前より距離を感じるようになっていたものの、彼にとっては相変わらず勇敢で屈強な男であった。

 そんな頃だった。兄がサザーランド領の、小さな町の田舎娘に入れ込み始めたのは。


ーーー許さない、絶対に。


 ブレンドンの怒りは、兄の命を奪ったという女と司祭だけに向けられたものではなかった。あれだけ兄を持てはやし、強い男だ、当主にふさわしいと煽てていた者達が、弟のほうが出来が良いと気付いた途端、一斉に手のひらを返すように目の色を変えて見るようになったのが許せなかったのだ。

 ブライアンを殺したのはおまえたちも同じだ。ブレンドンの心の中は、目に見えない殺意でいっぱいに満たされていく。


「必ず、仇を取る」


 固い決意を胸に、ブレンドンは部屋から出ていった。


***


 《嘆きの塔》の前では、見送りの一行と別れたシグルズ達が、八人の兵士を引き連れ、塔の入口へ向かっていた。ボロボロの厩舎に馬を繋ぎ、アーチ型の重いオークの扉をぐっと押し開くと、ぎいぃと不吉な音を立てて古塔が彼らを招き入れた。

 薄暗く、埃っぽく、一瞬中に入るのを躊躇したが、シグルズの合図とともに皆一歩踏み出した。四人の後に続き、兵士達も入ってくる。だが、全員が中に入ったところで、突然、轟音を立てて扉は閉まってしまった。後ろを振り返るが、当然、自分達以外は誰もいない。扉は隙間なくぴったりと閉まっている。

 急ぎ、ランタンを掲げ、ぐるりと辺りを見回す。ぎらついた複数の瞳と目が合い、エマは息を呑んだ。劣化した鹿の剥製が、不気味な陰影をつくり、こちらを見下ろしていたのだ。静寂と暗闇。ヒルド族が襲いかかってくる気配はない。

 背後では、急に扉が閉まったことに驚いた兵士達が「おまえが閉めたのか?」「いや、俺じゃない」などと言い合っていた。エマは背中にひやりと冷たい汗が流れるのを感じた。


「蝶番がイカれているのだろう。気にすることはない、さあ行くぞ」


 シグルズが仕切り直すように高らかに声をかけたので、皆、気を取り直して歩き出した。

 中は非常に暗かったので、彼らは手元の灯りを頼りに進むしかなかった。一階はがらんとした玄関ホールで、埃と、クモの巣と、掛けられたままの色褪せたシーチングがいかにも幽霊屋敷の様相だったが、特に変わったところは見られなかった。二階へ続く階段と、他の棟への連絡通路がいくつかあるだけだ。


「とりあえず、二手に分かれて中を調べてみようと思う」


 シグルズが言った。兵士達は顔を見合わせたが、仕方ないと言うように頷いた。


「私とエマが先に塔の上まで上がるから、ケネスとアンソニーは他の棟を見回った後、合流してくれ」


アンソニーとケネスは顔を見合わせて頷いた。


「わかりました、何か異常があればすぐにお知らせします」


 頼んだぞ、そう言って、シグルズはエマのほうに体を寄せ、向き合った。兵士が数名、二人のほうについていくのを横目で確認する。向こうは三人、こちらは五人。やはり自分達のほうに比重が置かれているのは間違いない。

 シグルズは予想通りだと笑い、わざとらしくエマの腰をぐいっと抱き寄せた。


「どうした、怖いのか?」


 シグルズはエマの耳元で囁いた。彼女は一瞬身をすくめたが、そういえば敵方には、恋仲になった娘と司祭がブライアンを殺害した、ということになっていたのだと思い出し、


「あ、はい、ここはとても不気味ですね」


と、近すぎる彼の胸を押し返しながら、なんとか答えたのだった。シグルズは満足そうに微笑み、


「私から離れてはならんぞ」


と、今度は本当に声色に甘さを滲ませて答えたので、エマは動揺してしまった。


「は、はい、シグルズ様」


 二人のやりとりを見た兵士達は顔を見合わせ肩をすくめ、向こうのほうでは、ケネスとアンソニーがため息をつくのが聞こえた。

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