第13話 それぞれの思惑(1)
「エマはアンソニーに気を許しすぎではないか?」
夜半すぎ、苛立って眠れないシグルズは、隣で寝転ぶ部下に愚痴をこぼした。
「なぜアンソニーとは一緒に寝るのに、私は手にキスもしてはいけないんだ?不公平ではないか」
「あなたのことが嫌いなんでしょう」
ケネスは面倒臭そうに答えた。上司に背を向けて横向きに寝転び、早く寝かせてくれと言わんばかりだ。そんな彼を睨み付け、シグルズはため息をついた。
「良くないと思わないか?未婚の男女が同じ部屋で、二人きりで寝るなんて。万が一、何かあったらどうするのだ」
ケネスはあからさまに大きなため息をついて半身を起こした。シグルズは頭の後ろで手を組んで、だらしなくシャツを開いて寝転び、天を仰いでいる。
「一体、何を焦っておられるのです。別に万が一のことがあっても良いではありませんか」
シグルズはむっとした。
「良くないだろう、結婚前の乙女ではないか」
「では、どうしろと?アンソニーをこちらに連れてきますか?彼女一人になりますが、それでも構いませんか?」
「…それは駄目だ、危険だ」
「そうでしょう、これが最善なのです」
シグルズは唸った。
「だが、嫌なものは嫌だ」
ケネスは亜麻色の髪を振り払い、上司を一瞥した。一度執着すると離れられなくなってしまうのは、彼の悪い癖だ。普段はすましていても、たまに子供っぽいところがあるなと以前から思ってはいたが、聖アンドレアス教会で共に働いていた頃はここまで感情を露骨に出してはいなかったように思う。旅を続ける中で、たがが外れてしまったのだろうか。
「それなら、私が向こうへ行きますから、エマをこちらへ連れてきますか?」
シグルズは驚いてケネスのほうに顔を向けた。普段はほとんど表情を変えることのない彼の顔が、意地悪そうに歪んでいる。
「もちろん、断られなければ、の話ですよ。聞いてみましょうか」
「…いや、いい」
「良いのですか?二人が何をしているか、気になりませんか?」
「気になるが、もういい」
そう言うと、シグルズはふいっと顔を背け、目を閉じた。背後でケネスが笑いをかみ殺しているのが分かった。
「シグルズ様が寛大なお方で良かったです。どうぞ、そのまま悩み悶えながらお眠りください」
「…なんて意地の悪い聖職者なんだ」
シグルズは悪態をついた。隣の部屋では、遅い夕食をとっていた二人が、一人は真っ赤な顔をして、一人は必死に笑いをこらえながら聞き耳を立てていた。
***
一方、サンクレール家の最上階にある、広すぎる主の部屋では、ジョージが手紙をしたためていた。
やはり、あの娘はガン族の血を引いていた。初めて会ったときから《嘆きの塔》の肖像画の女とよく似ていると思っていたのだ。伝え聞いた話によると、肖像画の女ヘレナはガン族の族長の娘であったという。ガン族は血の繋がりをとても大事にする古い一族だ。あのヘレナにそっくりの娘がガン族の血を引いているなら、きっと上手く動いてくれるに違いない。
ジョージは手紙を書く手を止めた。クローストン卿が司祭達に幽霊退治を依頼したと聞いたのは、つい先程のことだった。何を馬鹿なことをと、初めは憤ったが、あの狡猾な男が本気で幽霊退治をしてもらおうなどと考えているわけがないことはすぐに気がついた。
奴は、司祭と、あのガン族の娘を捕らえるつもりだ。そして、ウィルダネスに引き渡し、交渉の材料にしようとするだろう。このガンヒース地方で、自分が一等の権力を奮い続けるために。
ジョージは呼び鈴を鳴らし、小姓を呼んだ。
「お呼びでしょうか」
十二、三歳の、ジョージより一回り小さい少年がやってきて頭を下げる。
「これを、ガン族の要塞へ」
ジョージは手紙に封蝋を垂らし、指輪を外すとサンクレール家の印璽を捺して小姓に手渡した。かしこまりました、と小姓は手紙を受け取り、小走りで部屋から出ていった。
ジョージはため息をついた。こんなところで肖像画のヘレナが役に立つとは思わなかった。ただ、幼い頃のジョージは、絵の中で悲しげに微笑むヘレナが、可哀想で、綺麗で、好きだっただけなのに。
ーーー幽霊がいるなら、俺が会いたかったな。
かつて胸の中にあった、淡い恋心に蓋をして、ジョージは当主の顔に戻った。
***
時を同じくして、クローストン卿も動き出していた。晩餐会を終えるとすぐに、彼は数名の部下を連れて《嘆きの塔》へ馬を走らせた。
司祭を塔へおびき寄せるのは何とか上手くいきそうだった。幽霊退治など、気位の高い高位聖職者は拒絶するかと思ったが、成金ばかりの客人達がよってたかって囃し立てるので、了承せざるを得なかったようだ。
明日の晩までまだ時間がある。今のうちに準備を整え、必ずあの者達を捕らえねばならない。特に、あの生意気な赤毛の女は絶対に逃すものか。
塔の前までやって来ると、何やら騒ぎになっていた。馬を寄せ、何事かと兵士達に尋ねる。
「怪しい者を捕らえました。ウィルダネス領から来たと言っています」
クローストン卿は目を見開いた。既に暴行された形跡のある、そのウィルダネスから来たと自称する男は、息も絶え絶えになって地面に這いつくばっていた。サンクレール家の兵士が、足で踏みつけるようにして取り押さえている。
男の顎を靴の爪先で持ち上げると、クローストン卿は尋ねた。
「ウィルダネスの者というのは本当か?」
男はわずかに頷いた。
「証拠は」
クローストン卿が凄みをきかせて尋ねると、男は震える手で、腰に下がっている、紋章の入った鞘を指差した。剣は既に奪われ、離れた場所に落ちている。兵士の一人がそれを拾って持ってきた。と同時に、もう一人の兵士が膝をつき、鞘を確認する。
「間違いありません、ウィルダネスの紋章がついています」
クローストン卿は鼻で笑った。そして、兵士から男のものだった剣を受け取ると、おもむろにそれを眺め、男の鼻先に切っ先を突き付けた。
「何の目的があって、このサンクレール領までやって来た」
男は息を吐き出すような小さな声で、
「…ブライアン様の…仇をとるために」
と、答えた。クローストン卿は、その名についてしばし考え、やがて思い至るとほくそ笑んだ。
「なるほど」
そして、剣を下げると言った。
「おまえの主人に伝えるがよい。明日の夜、この《嘆きの塔》で、そのブライアンを殺した娘と司祭を捕らえる予定である」
ウィルダネスの男はゆるゆると顔を上げた。
「捕らえた後は、おまえ達ウィルダネス家に引き渡す。当主の後継ぎを失った仇をとりたければ、明日の夜、軍勢を引き連れてここへ来るが良い」
行け!そう言って、クローストン卿は男を解放した。男は何も言わず、よろよろと立ち上がると、黙って荒野のほうへ向かって走り出した。
「クローストン卿、明日ですか」
兵士の一人が尋ねた。クローストン卿は頷き、
「そうだ、明日の夜、ここに司祭がやって来る。ヒルド族の連中に伝えろ。しっかり準備しておけ、とな」
兵士は敬礼し、塔の中へ戻っていった。
ーーー必ずや、積年の恨みを晴らし、サンクレール家を我が物としてやる。
クローストン卿は再び馬に跨がり、屋敷へと踵を返した。《嘆きの塔》の中では、ひしめき合うように、男達の目が怪しく光っていた。




