第12話 サンクレール家の晩餐会(5)
宴会場の奥にある、もう一つの階段塔を上がった先に客室は用意されていた。塔の向こう側には、またいくつかの建物と外壁に覆われた中庭があり、暗がりであまりよく見えなかったが、焚き火がたかれて、周囲では何人かの人々がまだ働いているようだった。
案内係の使用人が「こちらです」と頭を下げ、アンソニーは「ありがとう、あとはこちらでやるから」と返事をした。
中は簡素な寝台が二台あるだけの最低限の小部屋だったが、奥にある室内扉で区切られた向こう側は広々とした客室だった。豪華な装飾が施された寝台が二台と、カウチに、サイドテーブルも備えたゆったりとした空間で、こちらが主寝室なのだろう。廊下からは出入り口はなく、この控えの間を通らなければ中へ入れないようになっていた。
「シグルズ様達はまだ大広間に?」
エマは荷物を確認しながら尋ねた。アンソニーは頷き、
「もうすぐ戻ってこられると思うよ。だいぶ嫌気が差していらしたようだから」
と答えた。そして本当にその通り、ガツガツとやや乱暴に誰かが廊下を闊歩する気配がし、シグルズとケネスが帰ってきた。シグルズはエマを見て、目を丸くした。
「おかえりなさいませ、シグルズ様」
エマが頭を下げると、シグルズはずかずかとこちらへやって来て彼女の顔を覗き込んだ。
「その髪、どうした。来る前は結っていただろう」
エマは長い赤毛を手で押さえながら、
「今ほどいたところです。頭が窮屈だったので」
と、困ったように微笑みながら答えた。後ろにいるアンソニーは素知らぬ顔をして荷物を片付けている。シグルズは眉をひそめてエマの目を見た。追及したいが彼女が明らかに困った様子であったので、ため息をついて、それ以上問うのは諦めた。
「ジョージと何を話していたのだ?」
シグルズはどっかりとベッドに腰を下ろすと尋ねた。いつになく疲れた様子だ。晩餐会で相当気を張っていたのだろう。
「特に難しい話はしませんでした。女ですもの」
エマは笑いながら、シグルズの上着を脱がせ、首元を覆っていたスカーフをほどいた。むわっとした、酒や、肉や、香水や、色々な匂いが混じって鼻につく。アンソニーはあからさまに窓を開けた。そこは自分の寝床なのだ。
「本当に?脅されたりしなかったか?」
してません、とエマは答えた。てきぱきと、汚れて臭いのついた服を片付け、新しいシャツをトランクから出す。シグルズはそんなエマの腕をぐっと掴んで引っ張った。
「口説かれたか?」
思わずエマは、声を上げて笑ってしまった。笑うなよ、と不貞腐れた様子の主人がますます可笑しくて止められない。やがて、息を落ち着けて彼のほうに向き直ると、エマは答えた。
「そうかもしれません。でも、詳しくは申し上げられません」
ぎょっとするシグルズの顔に、また吹き出しそうになるのを抑えながら、エマは主人に立ち上がるように促した。
「さあ、そろそろお部屋へ行ってください。ここでブーツを脱いではいけませんよ」
シグルズは嫌がった。
「ここでいい、もう動きたくない」
それにはアンソニーが眉を吊り上げ反論した。
「駄目です、俺の寝床をとらないでください。シグルズ様とケネス様は奥です」
シグルズはじろりとアンソニーを見て、
「おまえとエマがここで二人で寝るということか?そんなの許さん」
と声を上げた。アンソニーはため息をついた。
「仕方ないでしょう、奥の部屋のほうが安全なんですから」
「それならなおのこと、私とエマが奥で寝るべきではないか?」
「シグルズ様とエマが?」
アンソニーはぎょっとした。
「そんなの絶対駄目です、危険です」
安全なんだろう?とシグルズが言うが、アンソニーは、あなたが安全ではないんです、と言い返す。エマはげんなりした。酒臭い。飲み過ぎだ。すると、
「私が奥で良いですか?」
室内扉の向こうから声が聞こえた。彼らが言い争っているうちに、とっくにケネスは部屋でくつろいでいるようだった。
エマはすたすたとそちらへ行くと、ケネスの脱いだ服を預かった。彼は既に自分の着替えを用意していて、エマは客室に用意されていた清潔な麻布を濡らして絞り、彼に渡すだけでよかった。
不貞腐れた様子で、ずかずかと主寝室にシグルズがやって来る。彼は不機嫌さを隠すこともせず、どすんともう一台のベッドに仰向けに寝転ぶと、
「私は着替えさせてほしいし、体も拭いてほしい」
そう言って、子供のように駄々をこねるので、一同は絶句してしまった。エマはあんぐりと口を開けたが、仕方なく言う通りにすることにした。疲れていると、人はわがままになるものだ。ケネスとアンソニーは、もう彼のことは無視すると決めたらしい。
「明日はいつ出立することになったのです?」
一通り揉めた後、自身も上着を脱いで楽になったアンソニーが、グラスに水を注ぎながら尋ねた。シグルズは体を起こし、それを受け取って口に含むと答えた。
「日暮れ前だ。幽霊退治には夜がいいと。笑わせてくれる」
「幽霊退治ですって!?」
状況を知らされていなかったエマは思わず声を上げた。いつの間にそんなことに。アンソニーが言っていた、面倒なこととはこのことだったのだろうか。
「《嘆きの塔》の話をしてくれただろう」
シグルズはエマの顔を見た。エマはドキッとした。ジョージとも塔の話をしたばかりだったからだ。
「そこに出ると噂の幽霊を追い払ってほしいそうだ、我々に」
エマは驚いて言葉も出なかった。幽霊が出るなんて、所詮ただの噂話、そう思っていたのに、まさかサンクレール家から直々にそんなことを依頼されるとは。
「怪しいですね、何か裏があるのでしょう」
ケネスは言った。シグルズは頷いた。
「違いない。我々を夜の塔におびき寄せ、何か良からぬことを企んでいるのだ」
「誰に依頼されたのです?」
エマは尋ねた。ジョージは自分と共にいたから、依頼主は彼ではない。ということは、
「クローストン卿だ」
シグルズは厳しい表情で答えた。
「我々にはそんな力はないと言ったのだが、祈祷するだけでいい、と聞く耳を持たん。教会をオカルト組織か何かと勘違いしているんじゃないか?」
やれやれ、といった様子で彼は首を横に振った。エマは、なんとなく、その時の情景が目に浮かぶようだった。
度々の戦争で荒れきった土地には、もはやまともな教会もなく、人々は長いこと聖職者の存在を忘れていた。サンクレール家は落ちぶれ、貴族は減り、労働者達は実力主義になった世の中で、真に教会を畏怖する心などすっかりどこかへ行ってしまったのだ。実質の権力者たるクローストン卿が「人々のために祈祷を」と言えば、自分達の力で富を築いてきた新興勢力がそれに同調してしまうのも分からなくはない。
「それで、客室を与えられて明日まで過ごすことになったのですね」
エマはため息をついた。自分の居ぬ間にそんなことになっていると知ったらどんなに怒るだろうと、あの若い当主のことを考え、彼女は先が思いやられるようだった。
「私が一番懸念しているのは…」
シグルズはエマの手を取り、自分のほうへ引き寄せた。
「連中があなたを捕らえ、ウィルダネスへ突き出そうとすることだ」
エマはごくりと唾を飲み込んだ。
「クローストン卿は狡猾な男だ。幽霊退治など建て前で、《嘆きの塔》に我々を誘い出し、密かに捕らえるか、下手をすれば始末されるのではないかと私は考えている」
ケネスもアンソニーも黙っていた。彼らは皆、クローストン卿の策略に気がついているようだった。
「お断りすることはできないのですね?」
シグルズは目を逸らした。断ることもできなくはなかった。そもそも幽霊退治なんて教会の仕事ではないし、絶対にできない、と突っぱねればそれでいい話だ。だが、あえて受けたのは、人々の前であったのもそうなのだが、どうせ断っても密かに追ってくるだろうと思ったからだ。こちらの身元はもうバレているし、逃げたところでまた追われるくらいなら、ここで一網打尽にしておくほうが得策だった。
「危険な目に合わせることになって、すまない」
シグルズはエマの手の甲に額をつけ、謝罪した。エマは首を横に振り、
「シグルズ様がお決めになったのなら、私は従います」
と、微笑んだ。シグルズは顔を上げ、エマを真っ直ぐに見つめると尋ねた。
「あなたの手にキスしても?」
「え?」
エマはたじろいだ。
「晩餐会で、クローストン卿に言っていただろう。キスしてはいけないって」
背後でアンソニーとケネスが肩をすくめ、呆れかえっているのが見える。だが、シグルズは真剣な眼差しで彼女を見上げていた。
「私は?いい?」
そう言いながら、シグルズは唇をエマの手の甲に近付けていく。エマは火がついたように身体中が熱くなるのを感じた。
「駄目です!」
さっとエマは手を引いた。シグルズが目を丸くしてこちらを見ている。
「シグルズ様のそういうところ、駄目です!」
真っ赤な顔で握られた手を隠すように胸元に寄せながら、エマはシグルズから離れた。そして「失礼します」と言って、そそくさと控えの部屋に去っていってしまった。
呆気にとられたシグルズは何も言葉を返すことができなかった。アンソニーの、くつくつとした小さな笑い声だけが部屋に残った。




