第9話 サンクレール家の晩餐会(2)
晩餐会が始まった。二階にある宴会場はとても広く立派で、豪華に装飾された出窓が印象的な美しい広間だった。
シグルズ達は当主に一番近い上座に席を用意されていた。彼らの他にもたくさんの人々が招待されており、いわゆるジェントリと呼ばれるような町の名士、豪商、啓蒙家など、戦の絶えなかったこの地域で、よくもこれだけの有力者を集めたものだとシグルズは感心した。だが、貴族と思われる人々は、サンクレール家の人間を含め、誰もいなかった。
宴会の席で、ジョージ・サンクレールはまるでそこに存在していないかのようだった。上座に座ってはいるものの、人々の会話の中にはほとんど入っていない。周囲が嫌厭しているのか、それとも自ら参加する意志がないのか。当主というものはもっとちやほやされて然るべきなのに、そのような気配は全くない。
一方で、その役割を一手に担っているのがクローストン卿であった。彼の周囲には人が絶えず、次から次へと入れ替わり立ち替わりで来客がやって来る。その多くは所有する土地の話や税金の話、それから商売の話であった。
ーーーサンクレール家の事実上の権力者は、やはりクローストン卿と見て間違いなさそうだ。
同じく取り巻きの人々に囲まれながら、シグルズはちらりとジョージの後見人だという男の姿を盗み見た。
ーーーできれば少し話をしたいが…。
様子を伺っていると、不意に誰かに強引に顔を覗きこまれてシグルズはぎょっとした。数人の女が彼の周囲をぎゅっと固めるように立っていたのだ。煙たくなるほどの甘ったるい香水の香りが充満している。
「司祭様、グラスが空いておりますわ。もっとお飲みになって。このあたりのお酒は絶品ですのよ」
これは、うちの家で造っているお酒です。そう言って、女の一人がシグルズのグラスに遠慮なく酒を注いで飲ませようとするので、仕方なく彼は愛想笑いをしながら口をつけた。だが、想像以上に強烈なアルコールの芳香に、思わず彼はむせてしまった。
「あなたの家のお酒は随分強いのですね。いつもこのようなものを?」
女はパッと顔を輝かせ、豊満な胸元を押し付けるようにシグルズに近寄ると、
「ええ、そうです。寒い地域に住む男達にぴったりでしょう?まだ新しい商品なのですが、既にストールヘブンでは一番品質が良いと評判なのですよ。よろしければ、あちらの部屋でわたくしと飲み比べなど…、いかがです?」
シグルズは引きつった笑みを浮かべた。ストールヘブンというのはティンカーから西の方角へ向かった、このガンヒース地方では一番大きな町である。この女は、そのストールヘブン近郊で成功した中流階級の娘の一人なのだろう。ほっそりとした白い指には大きな宝石のついた指輪が煌めいている。資産家達の娘が皆こうなのかは分からないが、少なくとも貴族達の集まる宴会で、シグルズはこのようなあからさまな誘いは受けたことがない。
助けを求めるように隣に座っているケネスに顔を向けるが、彼もまた女達に囲まれて涼しい顔で酒を飲んでいた。フードを被っていない時のケネスは亜麻色のゆったりとした長い髪がたおやかで、表情の読めないその顔もかえって知的な雰囲気だ。
ケネスはちらりとシグルズのほうを見たが、興味なさそうにまた前を向いて、静かに酒を飲み始めた。シグルズは頼りにならない部下を見てがっかりし、なるべく女達から距離を取りながらこの場をやり過ごすしかないと腹を括った。
「シグルズ様達、女性に囲まれすぎじゃない?」
壁際に立ち、明らかに苛立った様子で、エマはアンソニーに不満をもらした。聖職者ともあろう者達が、あんな下品な女性達に囲まれて楽しそうに過ごしているなんて許せない。エマの頭の中での、神父様の清廉なイメージが台無しだった。
「いつものことだよ」
アンソニーが肩をすくめた。
「宴会に出るといつもこうなる。サザーランド伯爵のお屋敷でもそうだったろう?」
そうだけど、とエマは苛立ちを隠せない。
「シグルズ様は誰にでもお優しすぎるのよ。思わせ振りな態度ばかりとるから、みんな勘違いするんだわ」
アンソニーは吹き出しそうになるのをこらえながら言った。
「おまえも勘違いしたか?」
「馬鹿!」
エマはアンソニーをなじった。
二人の様子を、シグルズは女性達の合間から盗み見るようにして伺っていた。主人がこんなに苦労しているとも知らず、楽しそうにお喋りに興じているなんてひどいではないか。やはり、あの二人はちょっと距離が近すぎる。後で一言言ってやらないと。
それぞれにやきもきしていると、突然ジョージ・サンクレールがエマを自分のほうに呼び寄せた。シグルズはハッとして立ち上がった。彼を取り囲んでいた女達が、何事かと怪訝な顔をする。
エマはちらりとアンソニーの顔を見た。アンソニーはシグルズを見た。自分の主人が頷くので、アンソニーはエマの背中を押して共にサンクレール家の当主のもとへ歩いていった。
「お呼びでしょうか」
おずおずと、震える声でエマが尋ねる。当主の少年はにやりと口の端を吊り上げ言った。
「おまえとはもう一度会いたかったぞ」
エマはじりじりと肌がひりついてくるのを感じた。ジョージ・サンクレールは、椅子に腰掛けたまま、真っ直ぐ淀みのない瞳でこちらを見据えていた。エマは彼の視線に射抜かれてしまいそうな恐怖に身をすくめた。矢のように鋭い視線だ。
アンソニーは、そんな彼女を安心させるように、背中に手を添え励ました。そうだ、堂々としていろと言われたのだった。エマは気づかれないように小さく深呼吸をすると、答えた。
「先日はジョージ様とは知らず、大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください」
エマは淑女らしく、落ち着いた口調で、膝を折って謝罪した。ジョージは鼻で笑うと足を組み、横柄な態度で彼女に向き合った。
「おまえはハラルドソン司祭の侍女だったのだな。なぜ女が一人だけ巡礼に付き添っている?」
「身の回りのお世話をする者が必要だったからです。長旅には、食事の支度や、ほつれた衣類の修繕をする女がいるのです」
なるほど、とジョージは頷いた。
「てっきり、司祭様をお慰めするための情婦かと思っていたが、違ったようだな」
思わずかっとなって反論しようとしたエマを、アンソニーが制して物申した。
「お言葉ですが、冗談も度が過ぎますと、主人への侮辱と受け止めますが、よろしいですか?」
ジョージは声を上げて笑った。
「ははは、真面目な従者だな!司祭だって人間だろう。隣のサザーランド伯爵の館では、情を交わした神父と貴族の娘が、一緒になりたいがために娘の婚約者を殺害したと噂になっているぞ」
ジョージは肘をついて、まるでこちらの出方を見定めるかのように、エマに視線を送っている。なんという目をした少年だろう。獲物を狩る鷹のようだ。エマは身震いしたが、ここで怯んでは相手の思うつぼだ。絶対に負けるものか。
「わたくしはシグルズ様の侍女です。フォートヒルから参りました。サザーランド伯爵の噂は存じませんし、シグルズ様はそのようなことをなさるお方ではございません」
きっぱりとした物言いに、ジョージは多少意表を突かれたようだった。フォートヒルから来たというのはでたらめだったが、今のジョージの話は事実とは違うし、エマが侍女(になる予定)であることも、シグルズがそんな事はしていないというのも、全部本当のことだ。堂々としていればいい。エマは何度も自分に言い聞かせた。
「ジョージ様、そのような言い方をなさってはいけません」
不意に一人の男が口を挟んだ。クローストン卿であった。彼はのっそりと立ち上がると、エマの前に向き合った。間近で見ると、非常に大柄な、威圧感のある大男だ。戦の中で負ったのだろうか、顔に複数の傷跡がある。クローストン卿はエマの手をとると、その手の甲に口付けた。
「レディ、失礼を。ジョージ様はまだお若い故、あなたのような貴婦人に対する振る舞いを知らんのです」
エマは驚いて、すんでのところで手を引きそうになってしまった。周囲では、サンクレール家の権力者が彼女のような一介の侍女に対し、そのような振る舞いをしたことに驚きが広がっていた。
だが、エマは手にキスされたことよりも、この家の当主の最側近で、最も当主の力にならねばならないはずのこの男が、主人に無礼な物言いをしたことが癪に障っていた。失礼なのはあなただわ、といつもの気の強いエマが顔を出していた。
「いいえ、大丈夫です。何も気にしておりません。それより、あなた様のほうこそ、他の貴婦人達を差し置いて、わたくしのような側仕えの女にキスをしてはなりません。皆様がご覧になっていますわ」
クローストン卿はいかにも気分を害したように、キッとエマを睨むと、視線を外さないまま静かに後ろに下がり手を離した。
「面白い」
ジョージは一転、威圧的な態度を緩ませ、声を上げて笑った。エマがきょとんとしていると、
「この男に楯突く女を初めて見た。もう少し話がしたい」
そう言うと立ち上がり、ジョージはエマを真っ直ぐに見つめ、不敵に微笑んだ。




