第8話 サンクレール家の晩餐会(1)
翌日、サンクレール家から迎えの使者がやって来た。
今日のシグルズとケネスは、どこにそんな衣装があったのか、それぞれにしっかりと正装をして、いつもよりほんの少し華やかに、失礼のないように着飾っている。今日ばかりはケネスもフードをかぶっていない。
エマはきっちりと髪をまとめ、襟の詰まったドレスを着て侍女に扮していた。荷物を持ってシグルズとケネスを馬車の中へ促すと、彼らに付き添って中に乗り込む。
三人が乗り込んだことを確認すると、アンソニーは扉を閉めた。そして御者の隣に腰掛け、合図をすると、馬車はガタゴトと音を立てて動き出した。
エマはため息をついた。
「晩餐会にそんな浮かない顔をしているご令嬢はいないぞ」
シグルズは窓際で頬をつきながら、エマの様子を見て笑った。彼女はむっとして、
「とても楽しい気分になんかなれませんわ。それに、今の私はご令嬢ではなく侍女ですから」
と、答えた。
「そうか、私は楽しいがな。女性と晩餐会に出るなんて、何年ぶりだろう」
そう言って、シグルズは窓の外を見た。いくら名家の出身であっても、彼は司祭だから、女性を伴って晩餐会に出席することなど久しくなかったのだ。エマの隣で、ケネスが「私もいますがね」と独りごちた。
エマはいつになく緊張していた。まるで蜂の巣に自ら飛び込む小虫のような気分だ。サザーランド伯爵の屋敷へ向かっていた時も落ち着かなかったが、今回はその比ではない。
シグルズはエマの落ち着いた深緑色のドレスに目をとめた。高価な織物に興味を示さなかったエマの代わりに、アンソニーが選んできたという上質な毛織物だ。派手さはないが、決して地味でもなく、高位の貴族に仕える女性にふさわしい代物。仕立屋から引き取ってきたとき、すぐに彼女によく似合うだろうと感じ、アンソニーは上手くやったなと思った。と同時に、なんだかつまらない気分になった。最近のあの二人は距離が近すぎるのだ。
「そんなに固くなるな」
シグルズは向かいに座るエマの手を取った。グリーンのドレスの胸元に、金糸の刺繍がきらめいている。
「今宵のあなたは一段と美しい。やはり刺繍を入れてよかった。そのドレスもよく似合っている」
そう言って、エマの手の甲に恭しく唇を寄せた。
二人の関係を妬ましく思ったわけではないが、ドレスに刺繍を入れさせたのはシグルズだった。ケネスと雨に打たれて帰ってきたあの日、彼は商人から購入した金の絹糸をエマに贈っていた。エマはこんなに高価なものは受け取れないと突っぱねたが、折よくサンクレール家からの招待状が届いたので良い言い訳になった。つやつやと滑らかで、光にかざすと美しく輝く金糸はまるで彼の髪のようで、その糸で彩られたドレスを来たエマは彼の自己顕示欲を満たした。
エマは真っ赤になって、
「使用人の手にキスをするご主人なんていません」
と反論した。
「いる。私だ」
シグルズは悪戯っぽく笑った。ケネスはやれやれとため息をついて、もう何も見えないふりをして窓の縁に肘をついた。
サンクレール伯爵邸は、ティンカーの町から北に向かって海岸まで進んだ場所に位置し、フォース砦やガン族の要塞と同じように切り立った崖の上に建てられていた。いくつもの建物や塔が、ほとんど海の中と言っても良い、岩だらけの岬の上に乱立している様子は見るからに恐ろしく不気味で、おとぎ話に出てくるお城のようなサザーランド伯爵の屋敷とはまるで異なっていた。
海へ向かって落ちて行くように、なだらかな丘をだらだらと下り、また上っていくと、館をぐるりと取り囲む外壁に突き当たる。その一画に門があり、中へ入ったところでシグルズ達は降ろされた。
入口は階段棟にあり、建物の中に入ると狭い通路が迷路のように広がって、その節々にいくつもの扉があり、長い戦いの歴史の中で幾度も増改築されてきたことが伺えた。案内人とはぐれてしまったら二度と外に出られそうにない。ちらりと窓の外を見やると、中庭から岬を隔てる深い溝に跳ね橋がかけられていた。荒れた日には波しぶきが襲ってきそうな岩壁の上だ。この館はいったいどこまで続いているのだろう。
「こちらでお待ちください」
応接間のような場所に一行は通された。エマが主人達の外套を預かると、やれやれといった様子でシグルズはカウチに腰を下ろした。潮風の心地よい、初夏の美しい日暮れ時だった。エマは緊張した面持ちで、アンソニーに倣い壁際に静かに立った。
部屋の扉が音を立てて開き、一人の少年と、それに続いて初老のかっちりとした身だしなみの男が中に入ってきた。当主のジョージ・サンクレールと、
ーーークローストン卿。
シグルズはしっかりと彼らを見据え、立ち上がった。
「お目にかかれて光栄です、ジョージ・サンクレール殿。聖アンドレアス教会の司祭、シグルズ・ハラルドソンと申します。お招き感謝いたします」
一瞬、ジョージ・サンクレールとエマの目が合う。やはり、あの時の少年だった、とエマは目を見開き彼の姿を見た。路地裏で出くわした時は、もう少し年相応に子供っぽく見えたものだが、今改めてこうして相まみえると、その姿は貴族の当主そのものだ。まだ体つきに線の細さは感じるが、豪華な衣装に身を包んでいるためか、頼りなさはあまり感じない。それどころか、
ーーーすごく、ご自分を大きく見せようとなさっているように感じるわ。
それが彼の意思なのか、共に現れた男の計らいなのか、本当のところは分からないが。
ジョージ・サンクレールは、まるでおまえのことなど何も知らないと言うかのように、ぱっと目を逸らしてシグルズに向き直った。
「ハラルドソン家の方だったとは、驚いた。うちの家の者が失礼をしなかっただろうか」
彼は少年らしい明朗な声で答えた。言葉でこそ、驚いたと返してはいるが、その表情からは一切驚きの感情は見られない。やはり、突如としてティンカーに現れた司祭が誰なのか分かった上でジョージはシグルズらを館に招いたのだ。
ーーーさて、その真意の程を見せてもらおうか。
シグルズはにっこりと微笑んだ。ジョージは微動だにせず、こちらを見据え不敵な笑みを浮かべている。
背後ではクローストン卿が、何も言葉を発することなく、シグルズと、その後ろに控えるエマを厳しい顔で睨み付けていた。




