第2話 晩餐会(1)
ある日、ローランの領主であるトマス・モレイ男爵は、屋敷の広間にエマと彼女の弟のフィリップ、使用人のマーサを集めて言った。
「十日後、サザーランド伯爵家で晩餐会が開かれる。フィリップに結婚相手を紹介してくださるそうだ」
屋敷は沸いた。サザーランド伯爵はこの地方を治める領主で、老齢の女伯爵だ。
「どんな方なのですか」
フィリップが目を輝かせて尋ねた。
「ランス伯爵の傍系の方で、マーガレットという名だ」
トマスは答えた。フィリップは浮き足立った様子で反復し、エマは微笑ましく弟を見つめた。
フィリップは今年18歳になったばかりの、優しいオレンジ色の髪と穏やかな茶色の瞳の地味な男だったが、その見た目通りの優しさと人好きのする性格で、町の人々も時期当主として温かく見守っていた。
トマスは、ごほんと咳払いをすると、改まった様子でエマのほうに向き合い、おまえも来るようにと言った。エマはぐるりと目を回した。
「もちろんよ、お父様」
渋々、エマは答えた。本音を言うと、行きたくはなかった。こんな辺境の地の弱小貴族の嫁き遅れた娘など、晩餐会に出ても居心地が悪いだけなのは目に見えている。だが、弟の婚約者と引き合わせてくれるというのだから自分だけ断るというわけにはいかなかった。
彼女はまだジェフリーのことは父に話せていなかった。いくらマーサが家族のような存在であっても、その息子と結婚したいなど、なかなか言い出せることではない。ジェフリーにとっては尚更だ。
そんなことなど露ほども知らぬマーサは、良い出会いがありますよ、と言わんばかりの張り切った表情で、エマに意味ありげな視線を送り、頷くのであった。
晩餐会当日、トマス、フィリップ、エマの三人は朝早くから支度をしてサザーランド伯爵の屋敷へ向かった。
伯爵家はローランからほど近い場所にあり、海沿いを馬車で西に走れば判刻で着いてしまう距離だった。流れ行く景色を眺めていれば、うとうとする間もなく、すぐに明るい白っぽい石の壮麗な尖塔が見えてくる。屋敷というより、ほとんどお城のようだ。慣れない服装をしていることもあり、エマはそわそわとして落ち着かなかった。
緊張した面持ちで中へ案内されて入ると、早速サザーランド女伯爵がお待ちかねだと言う。老齢のご婦人らしく人の結婚を世話するのが好きで、自分の居住地から程近い町に住む、よく見知った青年の結婚相手を探すのを楽しみにしていたに違いない。
「よくぞ、まいった。こちらへ」
低くよく通る威厳のある声で、エリザベス・サザーランド女伯爵が手招いた。隣には同じような年頃の老紳士が座っている。女伯爵の夫のアダム・ゴードンであった。彼はサザーランド家とは盟友のゴードン伯爵の弟で、もう何十年も前に婿入りして以来、妻と共に領地を治めてきた共同統治者だ。
「先方は既に昨日到着しておる。当主は病で来れぬが、代わりに豪勢な付き人を連れておいでだ」
女伯爵はうっすらと笑いながら話した。そして使用人に何やら指示をした。使用人は一礼して部屋を下がった。フィリップは明らかに緊張した様子だった。トマス・モレイ男爵も落ち着きなく額の汗をハンカチで拭っていた。エマは急に心配になってきた。
やがて、彼らの仲介のもと、婚約者となるマーガレット・ランスが現れた。初々しいクリーム色のドレスが黄金色の髪にぴったりな、小柄で可愛らしい娘だ。緊張からか頬を薔薇色に染め、やや俯きながら歩いてくる。
「ああ…」
フィリップは感嘆のため息をついた。だが、彼女の両脇を固めるように共に歩いてきた二人の男を見て、フィリップとトマスは慌てて頭を下げた。
「ヘンリー・スチュワート大司教」
エマも淑女らしく膝を折った。彼はこの地域に住む人々なら誰でも知っている男だ。サザーランド領で一番大きな街フレースヴァーグの大司教ヘンリー・スチュワート。女伯爵と同じ年頃で、恰幅が良く、いかにも権力者面した、この教区の頂点に立つ男。まさか大司教を後見人として連れてくるとは。
それだけではない。エマは目を上げた。大司教の隣に、もう一人、恐ろしいほど整った顔立ちの聖職者の男が立っていた。彼はフィリップより頭一つ分は背が高く、一つに束ねられたプラチナブロンドの長い髪は眩しいほど光り輝き、禁欲的な黒い教会服がその美しさを一層際立たせていた。一方で、手首には、その神々しさには似つかわしくない、蛇を象った腕輪が嵌められている。
背後には、付き人とみられる、フードを被った教会の男と、質素だが品の良い身なりをした黒髪の青年が控えていた。まさに女伯爵の言った通り、豪勢な付き人だ。
じろじろ見すぎてしまったのだろうか、美しい神父様と一瞬ちらりと目が合って、エマは慌てて俯いた。彼の瞳は、海のように青く神秘的に揺らめき、ほんの少し微笑んだように見えた。
「本日はこのような場にお招きいただき、至極光栄に存じます。この度、病床の当主に代わり、後見人を務めさせていただくことになりました。ほれ、前へ」
「アリスター・ランスの娘、マーガレットと申します」
後見人のスチュワート大司教が、これでもかと仰々しく挨拶した後、小鳥のさえずるような、可愛らしい、やや上ずった声で娘は名乗った。
マーガレットはサザーランド領の南に住む、ランス家の5番目の娘だった。モレイ男爵家より格上の家系ではあったが、多くの貴族がそうであるように、結婚とは互いの利益の一致のためにするものだ。ランスの人々とサザーランドの人々は度々対立することはあったものの、概ね良好な関係を築いていた。大司教の後ろ楯と、サザーランド伯爵の仲介を得ることで、ランス家の基盤はさらに磐石なものになるだろう。一方のモレイ男爵家も、高貴な家柄の娘を嫁に迎え入れることができれば家格も上がるというものだ。
だが、そんな大人達の政治的な思惑はさておき、当の本人達は互いに言葉を失ったかのように見つめ合い、まるで他は何も目に入らないかのようだった。
「それで、おまえの用件は?」
両家の紹介が一通り済んだ後、サザーランド女伯爵は若く美しい神父を見据え、威圧的に尋ねた。彼は大司教の後方に控えめに立ち、それまで何も言葉を発することはなかったが、女伯爵に発言を求められたので静かに口を開いた。
「何のことでしょうか」
わずかに微笑みながら、彼は落ち着いた様子で答えた。エマはひそひそと父に尋ねた。
「お父様、あの方はどなた?」
モレイ男爵は小さく首を横に振った。
「さあ…、フレイスヴァーグにはいらっしゃらなかったと思うが」
二人の様子が目に入ったのか、若き聖職者はこちらに体を向けると深々とお辞儀をした。
「これはこれは、ご挨拶が遅れまして大変失礼いたしました。私は聖アンドレアス教会の司祭、シグルズ・レナード・ハラルドソンと申します」
エマとモレイ男爵、それにフィリップは、慌てて礼の形をとった。聖アンドレアス教会は首都フォートヒルに隣接する、このダルヘイム王国で最も権威ある教区の大聖堂だ。こんな北部の田舎町に暮らすエマでさえ、それくらいのことは知っている。
女伯爵は畳み掛けるように尋ねた。
「そんなことは分かっている。聖アンドレアスの首席司祭ともあろう方がなぜここにいるのだと聞いているのだ。ハラルドソン家といえば、古くから王家に仕え、権勢を振るってきた中央貴族。そのようなやんごとなき血統の方が我がサザーランド領に何用か」
彼は優雅な身振りで振り返ると、じっと女伯爵を見つめた。
「用だなど、とんでもない。今の私はただの旅人です。たまたま立ち寄ったフレイスヴァーグで、スチュワート大司教が婚約の立ち会いに出掛けるというので、ついて参ったのです。聖職者であるこの私が、共に婚礼を祝福することに何の違和感がありましょう」
サザーランド女伯爵は何も答えなかった。ただ氷のような冷たい目で、彼を射抜くように見据えていた。
「伯爵様、この者は明日ガンヒース地方へ出立する予定なのです。ちょうど旅程として都合良かったのであって、決して他意はございません」
傍観していたスチュワート司教が言葉を付け足した。
「それに、サザーランド家の方々も、ハラルドソン家やゴードン家と同じく、王家に忠節を尽くしておられましょう。お約束にない訪問はお詫びしますが、彼がこの場にいることに不都合はないと存じます」
司教の仰々しくへりくだった説明に、女伯爵は扇で口元を隠し、冷ややかな視線を送った。そしてパチンとそれを閉じると、フィリップに言い放った。
「よろしい。サー・トマスの息子フィリップよ、このようにいわくつきの抜け目ないご令嬢である。せいぜい食い物にされぬよう気を付けるがよい」
フィリップは畏まって礼をし、マーガレットも頬を紅潮させ緊張した面持ちで頭を下げた。アダム・ゴードンは立ち上がり、妻である女伯爵をエスコートして応接間を出ていった。年のせいか、近頃は病気がちで疲れやすく、長く人前に出ていられないのだ。威厳に満ちた見た目からは想像できないが。
エマはちらりと「豪勢な付き人」の面々を盗み見た。まるで誰が主役かさっぱり分からない。フィリップとマーガレットがほとんど脇役のように見える。
大司教や聖アンドレアスの首席司祭がその場を離れるまで、エマ達モレイ家の人々は、立ったまま、一言も話さず彼らの後ろ姿を見送っていた。




