表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/108

第5話 ティンカーの町にて(4)

 ティンカーの町を海へ向かって北上したところにサンクレール伯爵邸はある。

 夕暮れ時、ジョージ・サンクレールはこの屋敷の最上階にある自室からティンカーの町を眺めていた。彼は今日、町で出会った、この夕焼けのように赤い色の髪をした娘のことを思い出していた。

 まだ未成年のジョージは名ばかりのお飾りの当主だった。五年前、彼がまだ十歳だった頃。ちょうど今のように部屋の中で、血のように真っ赤な夕焼けを眺めていた時、父がウォーデンで戦死したことを知った。

 父の戦死を聞いた母も悲しみのあまり病気になって、翌年、後を追うように死んでしまった。彼には姉が二人いたが、彼女達は既に結婚して故郷からは去り、ジョージは正真正銘一人ぼっちだった。

 まだ十歳もそこらの子供に政治などできるわけがない。彼には後見人が必要だった。だが、ほとんどの親族が死んでしまった中、一体誰に任せるべきかーーー言い争う家臣達の前に、突如名乗りを上げたのが、ウォーデンとの戦争でも最前線で戦ってきた、兵士であり、死んだ当主の腹違いの兄でもある、クローストン卿であった。

 そういうわけで、サンクレール家の領地においては、クローストン卿が全ての実権を握ることになった。領地において、何を許し、何を罰し、何に金を使い、いくら税金を取るのか、全て彼の許可なくしては叶わなかった。屋敷の誰もが、未成年で、政治のことなど何も知らない、まだ爵位も持たない名ばかりの当主より、たとえ先々代当主の私生児であっても、最前線に立って一族のために戦ったクローストン卿のほうがずっとマシなように思えていた。そうして、徐々に、正統な当主たるジョージの存在感は消えていった。


「ジョージ様、またティンカーへ行かれましたね?」


 部屋の扉をノックして、無礼にも返事をする前に立ち入ってきたのは、クローストン卿その人であった。厳めしい顔をした壮齢の男。白髪交じりのやや長い髪を羊のポマードで押さえ、髭を生やし、きっちりと詰まった襟に金ボタンが豪華な上着を着た、いかにも権力者といった容貌をしている。

 ジョージは忌々しそうに男の顔を見た。


「おまえに関係ないだろう」


 クローストン卿はずかずかと主の部屋の中に入ってくると、たしなめるように言った。


「勝手なことをされては困りますな。貧しい連中は、半分は自分の責任でそうなったのです。いくらあなたが気まぐれに施しを与えても、一時の慰めにもならんことなどお分かりでしょう」


 ジョージはそっぽを向いた。クローストン卿はため息をつき、主の向こうの窓の外を見た。恐ろしいほど赤い夕焼けだ。何か不吉なことが起こりそうな気さえする。

 クローストン卿の統治は完全な実力主義だった。私生児として、伯爵家の子供として生まれながらほとんど何の恩恵も受けずに育ってきた彼は、貴族と王族による血統重視の世の中の仕組みに疑問を抱いていたのかもしれない。

 彼は権力を得ると、手始めに、サンクレール家が持っていた土地や港や船、それに醸造所などを、一挙に手放し売却した。賢い中流階級の人々は、この絶好のビジネスチャンスを逃すまいと、こぞってそれらを買い求め、それによりほとんど空っぽだったサンクレール家の金庫は一気に潤った。

 資本家達はそれぞれに利潤を追求し始め、ある者は地主となり、またある者は船を所有し交易を始め、また一方でそれら交易船に入港料として税金をかけ始める者も現れた。お酒をたくさん造って儲ける者もいれば、それらを各地に売りさばいて更に利益を得ようとする者もいた。

 だが、大多数の労働者達は、そのような資本家達にこき使われてすっかり疲弊していた。労働力として使えなければお払い箱にされてしまうので、町中には職にありつけない浮浪者が溢れた。そのような貧民に救いの手を述べるべき教会や修道院でさえ、この地域ではほとんど役に立っていなかった。

 この五年間で、貧富の差はどんどん広がった。クローストン卿は富を得た者にしか興味がないようだった。ジョージは忘れられた貧民達に、自分の姿を重ねていたのかもしれない。いくら彼らにその場しのぎの食べ物を施したって、本当には満たされないことなど、たとえ十五歳の少年であっても分かっていたが、それでも、何かしなくては自分の存在意義がすっかり消えてなくなってしまいそうだったのだ。

 だが、そんな折に、あの娘が現れた。偶然路地に転がり込んできた間の悪い娘。

 あんな娘、今までいただろうか。だが、彼女の顔にはジョージは確かに見覚えがあった。気の強そうな目元、そばかす混じりの小さな鼻、赤い唇。幼い頃、姉達とともに遊んでいた《嘆きの塔》の肖像画の女とそっくりだった。できればもう一度会って確かめてみたいが、口うるさいこの男が許すだろうか。 

 その時、再び扉がノックされた。


「入れ」


ジョージが静かに返事をする。家臣の一人が入室してきた。


「クローストン卿、こちらでしたか」


 男はジョージの部屋にいたクローストン卿を見て、いそいそと書簡を出す。ジョージは、家臣達は皆、どうせ自分ではなくクローストン卿に用があるのだと、肩をすくめ、再び窓の外に視線を移した。


「いくつか報告があります」


家臣の男は言った。


「まず一つ目ですが、サザーランド伯爵邸にて殺人事件があったようです」


クローストン卿は目を上げた。ジョージは窓の外を眺めたままだ。


「被害者はウィルダネス家の族長の息子ブライアン。犯人は現在逃走中で、サザーランドの治安判事が追っています」


「誰か分かっているのか?」


 クローストン卿は尋ねた。ウィルダネスの族長の息子がサザーランド領、しかも伯爵邸で殺されたなど、一大事だ。状況によっては、サザーランドからウィルダネスへの宣戦布告と見られても致し方ない。

 家臣の男は頷いた。


「確定はしていませんが、状況からして領地の男爵の娘と見て間違いないかと。事件のあった夜に逃走しているので、治安判事が現在行方を追っています」


「領地の娘か…。一人で逃げたのか?」


「いえ、一人ではなかったと。その、逃亡を幇助(ほうじょ)した者がいるとか」


「誰なのだ?」


家臣は肩をすくめ、


「聖職者だと聞いています。聖アンドレアス教会の」


と、言いにくそうに答えた。


「なんと」


クローストン卿は息をついた。


「それでは手出しできんではないか」


 聖アンドレアス教会は、このダルヘイム王国で最も権威ある教会だ。王家の人々の洗礼や、結婚式、そして国王の戴冠式まで、全て聖アンドレアス教会が担っている。そこの聖職者が関わっているとあれば、たとえ伯爵であっても迂闊に手出しはできないだろう。


「一体、なぜそんなことを…」


家臣の男は頭をかいた。


「理由はわかりませんが、男爵の娘との間に何か一悶着あったとか…。もともとウィルダネス家の息子はその娘に求婚していたようですが、娘は聖アンドレアスの司祭と懇意にしていたと…」


「それで、結婚するのが嫌で、ウィルダネスの息子を殺して司祭と逃亡したと?とんだスキャンダルだ」


「ええ、それで、二つ目なのですが…」


なんだ、とクローストン卿は家臣に促した。


「ちょうど今日、身なりのよい聖職者が、侍女を含む従者を連れてティンカーの町に現れたと」


ジョージはぱっとそちらに顔を向けた。


「町の住人によると、巡礼中の司祭らしいですが、サザーランドの件もあり、どうも気になりまして…」


「その侍女とは?赤い髪の娘ではなかったか?」


ジョージが口を出した。家臣の男は驚いて、


「そうです。ご存知でしたか?」


と、答えた。ジョージはにやりと口の端を吊り上げた。間違いない、あの娘だ。

 彼の様子を見たクローストン卿が、訝しげに視線を向ける。


「おい、その司祭の名前は?」


家臣は慌てて書簡を確認する。


「聖アンドレアス教会の、シグルズ・ハラルドソン首席司祭です。男爵の娘の名は巧妙に伏せられていて分かりませんでした」


 クローストン卿は目を見開いた。ジョージは愉快そうに笑った。


ーーーハラルドソン家か、そりゃあいい!上手くいけば大手柄だ。


 あとは、あの赤毛の娘の正体を確かめるだけ。これで忌々しいクローストンとはおさらばだ。

 ジョージは久しぶりに気分が高揚するのを感じた。指に嵌められた、唯一の自分の存在意義と言っても良い、金の豪華なシグネットリングを握りしめ、今こそ立ち上がる時なのだと自分自身を鼓舞していた。

 クローストン卿は、そんな自分の主人を鋭い目付きでじっと睨み付けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ