第3話 ティンカーの町にて(2)
「なぜすぐに報復しないのですか!」
その頃、ウィルダネス家では殺されたブライアンの弟ブレンドンが、父に捲し立てていた。
「兄さんは殺されたのですよ!すぐに敵討ちに行くべきです!」
父であり、ウィルダネス家の家長であるキャメロンは、あからさまに長いため息をつくと額に手を当てた。
「馬鹿なことを。ブライアンは許可も得ず、勝手に伯爵邸に忍び込んだのだぞ。挙げ句、あのローランの娘を拐おうとして失敗し、殺害されたのだ。娘は逃亡したようだが、サザーランドからは治安判事を動かしているから、今しばらく待つようにと通達が来ている。性急に事を動かすべきではない」
ブレンドンは首を横に振った。
「サザーランドの言葉を真に受けるおつもりですか!?奴らは犯人なんて捕まえるつもりはない。兄さんを殺したのは何か企みがあってのことです!」
キャメロンは手で息子を制した。
「では聞くが、おまえはサザーランドとの全面対決を望むのか?今や爵位も議席も持たない、ただの辺境貴族となった我々が、サザーランドと戦争をして勝てるとでも思っているのか?」
キャメロンは続けた。
「私かてブライアンを失ったことは悲しい。だが、だからといって、復讐のためにそれ以上の大きな代償を払うのは領主のやることではない」
ブレンドンは唇を噛んだ。顔は真っ赤になり、固く握り締められた拳は震え、目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
「ブライアンがいなくなった以上、次期当主はおまえだ。報復することよりも、今は己の務めを果たせ」
ブレンドンは納得できなかった。父がこうも簡単に兄のことを諦めるのは許せなかったし、跡取り息子を殺されておいて、相手の言われるがままに待つだけというのも一族の誇りが許さなかった。
ーーー父上はいくじなしだ。息子を殺されても何もできないなんて!
ブレンドンは心を決めた。
「父上、あなたは非情な男です!私は絶対に兄の命を奪った者達を許しません!」
ブレンドンはため息をつく父の部屋から飛び出し、すぐに部下を集めて言った。
「兄さんの仇を討つ!サザーランドの言うことなんて信用できるか!逃亡した娘と司祭を探し出せ!」
部下達は一礼して屋敷の外へ出ていった。
一方。シグルズら一行は、町の東側にある古い教会を当面の拠点にしていた。ここは聖ファーガスを祀った教会で、もうずいぶん前からこの地に建っていた。
聖ファーガスとは何百年も前にこの地方に宣教のために訪れた聖人で、行く先々で教会を建立し、教えを広めていったのだという。
だが歴史が古いばかりで、長いこと神父はいなかった。戦争のせいだった。神父のいない教会では人々は神託を受けることができず、自主的に出入りして祈ることしか信仰の術がなかった。シグルズら巡礼の聖職者は、そうした地方の教会に赴き、説教や告解の場を設けたり、洗礼のまだ済んでいない人々に儀式を執り行ったり、時には結婚式を行ったり、様々な秘跡を人々に授けることが重要な役割となっていた。
「あれだけ騒ぎになってしまったら、黙って去るわけにはいかないだろう」
シグルズは苦笑いした。久しぶりにこの町で典礼が執り行われるというので、たくさんの人々が聖堂に殺到し、司祭である彼は一日に何度も説教をしなければならなかった。また、建物は長い間放置され続けていたので、中はとても埃っぽく、ベンチは壊れ、祭壇にはクモの巣が張っていた。
人々がほんの少しいなくなった隙を見計らって、エマはあちらこちらをくまなく掃除してまわり、アンソニーは壊れたベンチを修理した。
その合間にも神父様に会いたいという人々がひきりなしに訪れ、あれやこれやと話したがったり、貴重な食糧や酒を寄付していったりした。中には献金をしようとする裕福な商人らしき者の姿もあったが、シグルズは丁重に断った。まさに目も回る忙しさで、元来忙しなく動き回っているのが好きなエマは、おかげで余計なことを考えずにすむと少し安堵していた。
「おまえ、お嬢様のくせに手際が良いんだな」
大工仕事を請け負っていたアンソニーが、てきぱきと食事の支度をするエマを見て感心するように言った。エマは少しむっとして答えた。
「私が田舎娘だと知っていてそんな意地悪なことを言うのね。都会のお嬢様方とは違って、料理も洗濯も掃除も、羊の世話だってするわ」
そりゃすごい、とアンソニーは大袈裟に目を丸くして笑った。エマの父親は男爵だったが、決して裕福な貴族ではなかった。もともとモレイ男爵はローランの町で一番成功した商家の家系で、その功績を買われ、事実上町の統治者として称号を得ていただけだ。だから、成り上がりと言われても仕方がないし、元より貴族らしくなろうなどと家族の誰も考えていなかった。
エマはつい故郷のことを思い出し、顔を曇らせた。最後に見た父の不安そうな顔が忘れられない。フィリップは気丈に振る舞おうとしていたが、婚約者とはどうなっただろう。もしかしたら自分が逃亡したせいで破談になったのではと、想像を巡らせ、胸が締め付けられる思いがした。
エマの様子が変わったことに気付き、アンソニーが手を止めて何かを言おうとしたが、そこに誰かの影が現れた。
「ケネス様」
アンソニーがそう言ったので、エマは顔を上げた。そこには冷たく見下ろす灰色の目と、固く結ばれた薄い唇があった。いつも目深に被っていたフードを下ろし、亜麻色のゆったりとした長い髪が見えている。エマは初めて彼の顔をはっきりと見た気がした。
「お喋りが好きなのは使用人達の常のようですね」
アンソニーは肩をすくめた。
「何かご用でしょうか」
ケネスはじろりとエマを見下ろした。エマは萎縮した。彼に見られると、いつも何か自分が悪いことをしたような気分になるのだ。
「食事ができたら町の人々に配るので、外に持ってくるようにとシグルズ様からの言付けです」
エマは小さな声でわかりました、と答えた。
「それから」
ケネスは表情ひとつ変えないまま言葉を付け足した。
「あなたの弟は無事に婚約に至ったようですよ。スチュワート大司教の後押しもあり、賢明なランスのご令嬢が、サザーランドとの対立を防ぐために、親族の反対を押し切り結婚を決めたようです」
ただの世間知らずな小娘かと思ったら、意外と肝の据わった方のようですね、そう言って、ケネスは踵を返した。
エマは力が抜けてその場にへたりこんでしまった。
「エマ、大丈夫か?」
アンソニーが駆け寄り、隣にひざまずく。安堵から自然と瞳に涙が浮かぶ。よかった、本当によかった、少なくとも全てを台無しにせずに済んだのだ。
「変ね、気が抜けたみたい」
嬉しいのに涙が止まらないエマを、アンソニーが呆れ半分に笑いながら慰めた。
「馬鹿だな、そんなに泣くなよ」




