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《狭間の国》のエマ ~捨て駒令嬢と蛇の神父様  作者: 夜中メグ
第二章

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第59話 二人の男達(3)

 翌日、シグルズは不機嫌だった。朝はなかなか起きてこないし、やっとのことで部屋から出てきて朝食の席についたかと思ったら、ずっと仏頂面で、窓の外に視線をやったまま仲間のほうを見ようともしない。


「シグルズ様、ちゃんと前を向いて食べないと、女将さんに失礼ですよ」


 と、ケネスが苦言を呈すと、彼は仕方なく前を向いて、黙々と食事を口に運び始めた。ケネスとアンソニーは、やれやれと、顔を見合わせ肩をすくめた。エマは女将と視線を交わし、苦笑いをこぼした。

 こうなったのも全て、昨晩起こった出来事のせいだった。シグルズはもともとエマだけを部屋に呼ぶつもりだったのだがーーー下心が全くないというわけではなかったが、いつものように髪を梳いて、着替えを手伝ってもらおうと思っていただけなのにーーー、残念ながら、一番最初に扉をノックして現れたのはケネスだった。

 優秀で隙のない部下は、どうやらアダムス司祭の部屋でシグルズの父、つまり、現ハラルドソン伯爵が倒れた原因を調べていたらしかった。部屋へ入るなり、彼は一冊の本をシグルズに差し出した。それは、古い魔女と宗教について書かれた、論文のようなものだった。


『持ってきたのか?』


と、やや驚いたようにシグルズが尋ねると、ケネスは本がなくなるなんてよくあること、と隣の部屋に視線をやりながら皮肉っぽく笑った。


『これは、ベンジャミン・ハリスの論文ではないか!この男の書いたものは全て燃やされたはずだぞ』


 シグルズは目を見開いて、その黒い表紙をめくった。ケネスはにやりと笑っている。

 ベンジャミン・ハリスは数年前に異端者として、西のグレイプニル教会で火刑に処された学者だった。その最期は凄まじく、この世で考えうるありとあらゆる罪を科された挙げ句に、六時間にもわたって生きたまま燃やされ続け、命を落としたのだと言う。彼の研究はグレイプニル教会の大司教ダンバートンによって、全て焼却処分するよう命令されていた。


『世の中に出回ってしまったもの全てを消し去るなんて不可能です。現にこうして残っているではないですか』


 だが、持っているだけで罪だ。シグルズは禁忌書のようなそれを、恐る恐る開いた。そこには、亡きハリス教授が国中ーーーいや、世界中を旅して記した、古の時代から続く信仰や迷信、まじない、それらを操る僧侶や魔女達についての考察が綴られていた。


『ハラルドソン伯爵の病状は、現代の医学では到底説明がつきません。そちらの本に、興味深い一節が記してあります。ご参考までに、お読みになってはいかがですか』


 ケネスはすました顔で、その危険な書物を上司にすすめた。分かった、と言ってシグルズはパタンと本を閉じた。そして上等な革のブリーフケースの中から聖書を取り出し、代わりにその中にハリス教授の本をしまい込むと、しっかりと口を閉じた。


『後で目を通しておく。このことは誰にも言うなよ』


 もちろんです、とケネスは頷いた。

 シグルズはため息をついた。とても厄介で重たい荷物を手に入れてしまった気分だ。できれば一日の終わりにこんなものは目にしたくなかった。エマはまだだろうか。

 そう思った時だった。扉がノックされて、会いたかった女がそこに姿を現したのは。

 だが、シグルズは再び肩を落とさずにはいられなかった。困ったように微笑む彼女の背後には、黒髪の男が怖い顔で立っていたからだ。

 エマは「遅くなり申し訳ありません」と頭を下げると、「お着替えをお手伝いいたします」と言って、静々と部屋に入り、荷物を床に置いた。当然のように、アンソニーも一緒に入ってきて、どういうわけだかこちらをぎろりと睨み付けている。

 シグルズは天を仰いだ。染みったれた低い天井だ。隅にはクモの巣も張っている。

 ケネスもアンソニーも、部屋から出ていかなかった。出ていけと言う気力もなかった。せっかくの夜を台無しにされたシグルズは、ただ仏頂面をして、可愛い侍女にされるがままに世話されて、二人の野暮な男達の視線を一身に受けていた。

 そして、粛々と寝支度が全て整うと、三人は示し合わせたかのように、揃って部屋から消え去った。

 扉がバタンと閉まった。シグルズは一人になった。廊下から、楽しげな声が漏れ聞こえてきた。


『お二人もお疲れでしょう。お顔と髪を拭いて差し上げますわ。すっきりしますよ』


 そういうわけで、シグルズはすっかり不貞腐れてしまったのだ。


「また面倒臭いのが始まった」


 アンソニーは、わざとらしくため息をついた。彼の髪は、今朝は耳から上を全て後ろでまとめてある。そのほうが顔がよく見えて良いと、エマに言われたからだ。


「そんなこと言わないで。お疲れなのよ」


と、エマは眉を下げながら笑った。


「甘やかさなくていい。この方はすぐ調子に乗るんだから」


 アンソニーはエマを横目で見て肩をすくめた。エマは笑いをこらえるように口元を押さえると、アンソニーに視線を返した。二人の様子を見た女将は、やれやれと安心したように腰に手を当て、息をついた。


「別に、私はいたって普通だ。ただ、これからのことを考えていただけだ」


 と言いながら、その表情は「機嫌が悪い」と言っている。エマは今朝からちっともこちらを向いてくれない主を見て、落胆した。せっかくアンソニーと仲直りできたような気がしていたのに、今度はシグルズがこの調子なのだ。もしかしたら、愛想をつかされて、このままここに置いていかれてしまうかも。


ーーーなんてね。


 そんなことをするような御仁ではないと分かっていながらも、つい不安になってしまう。冷たくされると急に気になってしまうのは、人のさがだろうか。

 エマの視線に気がついたシグルズが、ちらりとこちらに目をやった。だが、彼はすぐに、あからさまにぷいっとそっぽを向いて彼女から目を逸らした。

 隣で一部始終を見ていたアンソニーが、引きつったような顔で、自分より年上の主をじっとりした目で眺めていた。


「わかった、私が悪かった」


 急に、シグルズは大きなため息をつくと言った。


「ストールヘブンへ行くまでの間、ずっとこんな調子でいるのも疲れるしな。それに、夜は昨日だけではないし」


と、シグルズは意味深な目をエマに向けた。今度はエマがパッと目を逸らした。だが、その頬はわずかに赤く上気していた。

 二人の様子を見たアンソニーは、少々むっとして言い返した。


「問題ありません。すぐに船が出港しますよ。そうしたら、あなたはもうフォートヒルだ。怠けていられるのも今のうちですよ」


 シグルズは、ああ、とため息のような返事をした。


「考えるだけで憂鬱だ。王都に戻ったって何もいいことなんてありやしない。このまま旅を続けていられたらどんなに良かったことか」


アンソニーは、すましてエールをごくりと飲み、言った。


「弟君のことがなくたって、あまり長いこと留守にしていると色々と問題でしょう。そろそろ潮時なんですよ」


「そうかもしれないが、私は意外とこの地が気に入っているのだ」


 ケネスが小馬鹿にするように明後日の方向を向いて息をついた。この荒涼として貧しい地のどこが?とでも言いたげな顔だ。だが、アダムス司祭の秘密の書庫だけは興味深かった。褒められた点といえばそれくらいだ。他は、フォートヒルやギャラルストーンといった都市部より優れているところなんて何ひとつない。

 シグルズはパンを口に放り込み、親指で唇の端についたスープを拭うと言った。


「とにかく、まずは移動しよう。その毛織物商人の船がいつ出るのか確かめなければ」


 そして、食事を終えた一行は、とうとうヘルギを後にすることにした。

 旅の目的が達成されたとは到底言えなかったが、何も収穫がないわけではなかった。少なくとも、ここに来ないよりはずっとよかった。できれば良い知らせを持ち帰りたかったが、三百年もの間続く呪いの連鎖を、たかだか半年程度の旅で解決できるなどとは、さすがに誰も思ってはいなかった。

 だから、これでよかったのだとシグルズは考えることにした。一度、王都に戻って、ぐちゃぐちゃにこんがらがった情報を整理し、次の旅が許されるまでの準備をしたいと思ったし、メイウェザー家の挙動も気になる。それに、差し迫った問題としては、ジョージとロジャー、二つの大きな家門の跡取り達の叙爵があるのだ。それによって、ジョージがただちに国王の側につくとは限らないが、少なくとも王室に懐疑的な者達の反感を買うことは間違いないだろう。

 また、あの醜い権力争いの場に引きずり出されるのかと思うと、シグルズは心底うんざりした。だが、アンソニーの言う通り、長いこと留守にするのも問題だ。それに、全く楽しみがないというわけでもなかった。


「エマ」


 シグルズは馬に跨がろうとするエマを呼び止めた。鼻筋が白く、栗毛色の、彼女にぴったりの美しい馬だ。エマはこちらを振り向き、目を合わせた。大きなエメラルド色の瞳が、じっとシグルズの姿を捉えている。シグルズは彼女に近付き、微笑んだ。


「忘れ物だ」


 そう言って、彼は彼女の唇を盗んだ。一瞬だったけれど、皆が見ていた。ケネスは呆れて両目をぐるりと回し、アンソニーは怒って二人の間に割り込んで、宿屋の主人と女将と息子は、どうしたらいいやら呆気にとられて、その場から動けなかった。

 エマは顔を彼女の髪色と同じくらい真っ赤にして黙りこくった。ただ、シグルズだけが愉快そうに笑っていた。気乗りしないフォートヒルへの帰路で、彼女がいることだけが唯一の楽しみだった。

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