第11話 フォース砦にて(2)
夕食の時間になり、一行は食堂に集められた。この砦には、主のジョン・サザーランドと、必要最低限の使用人しかいない。すなわち、執事、女中、料理人。建屋は堅牢だが小さく、二階建ての室内にはそれぞれ三部屋ずつしかなかった。客室も、以前は子息の部屋として使われていたものをあてがっただけだ。
主と三人の使用人は、こぢんまりとした砦で息をひそめるようにして暮らしていた。同じサザーランドの一族でも、伯爵家とは雲泥の差だった。
「君もかけたまえ」
ジョンがアンソニーに言った。アンソニーは馬を休ませた後、使用人達の手伝いをしていた。彼が座ると、砦の主は食前の祈りを捧げた。
「司祭様にやっていただいたほうがよかったかな」
食前酒に口をつけながら、ジョンは言った。ハラルドソン司祭は、いえ、と笑いながら答え、同じように酒に手を伸ばした。
「このような粗末な城で驚いただろう。先の戦争で息子を失ってから、妻も亡くなり、ずっと私一人なのだ」
ハラルドソン司祭は頷いた。ジョンが言っているのは、20年ほど前に起こった、ダルヘイムとグリトニー連合王国の戦争だ。その戦いで、ダルヘイムは当時の国王とともに、たくさんの有力貴族を失った。戦地から遠く離れたこの北部からも多くの諸侯が国のために戦ったという。
「当時、前国王陛下が戦地でお倒れになったとき、今の国王ジェームズ陛下はまだ一歳だったと聞き及んでおります。この地も、たくさんの有力者が命を落とし、大変な混乱だったことでしょう」
ジョンは笑った。
「過去のことではない、今もだよ。あまりに多くの人材が失われすぎた。特に隣のサンクレールの一族は、5年前にも内輪揉めでウォーデンで争った。結果、一族は分裂し、ガンヒースは今や滅茶苦茶だ」
ガンヒースとはサザーランド領に隣接する地方のことで、ダルヘイム王国の最北端に位置している。以前は北の海を隔てた向こうにあるウォーデン諸島やフリッカ諸島も、同じサンクレール伯爵が治める領地であった。しかし、5年前にウォーデンとフリッカに住むサンクレールの一族と、本土に住む一族との間に亀裂が入り、争いとなった。本土のサンクレール伯爵はウォーデンの身内に敗れ、20年前の戦争に続いてまた当主を失うことになったのだった。
「だが、我らサザーランド家も安泰とは言えぬだろう。ゴードン家からアダムがやってきて、一見強い絆で結ばれたようにも見えるが、彼らの息子もまた死んだ。跡継ぎの子供はまだ幼く、女伯爵は年老いている。アダムがいるからまだ良いものの、未来が明るいとは決して言えぬ」
エマは黙っていた。他の一族のことはあまりよく知らなかったが、あの年老いたサザーランド女伯爵が苦労の末にその座についたことは、父親から聞かされ何となく知っていた。息子を失くし、頼れる身内は少なく、そして今も、諸侯の陰謀に巻き込まれ、はかりがたい心労に苛まれていることだろう。
「ふむ、あなた方は若いから、少し昔話をしようかね」
そう言うと、ジョンは両手を組んで、おもむろに語り始めた。彼が話すには、こういうことであった。
エリザベス・サザーランドは、もう30年も前に亡くなった、前サザーランド伯爵の娘であった。当初、彼の跡を継いだのは長男のウィリアムであったが、彼は病気がちで当主には向いていなかった。そこで、ウィリアムは妹のエリザベスと、その夫アダム・ゴードンを直系の相続人にすると宣言した。その後、間もなくウィリアムは亡くなり、エリザベスは女伯爵となった。
だが、その相続に反目する者が現れた。エリザベスの弟、アレクサンダーであった。彼は私生児であったが、男性である自分こそ爵位にふさわしいと主張した。だが、自分の主張が認められないと、彼は敵対関係にあったウィルダネスの一族を味方につけ、その族長の妹と結婚した。エリザベスとアダムはなんとか彼と和解しようと妥協案を示したが、彼はそれを拒否し、そして、二人が領地を離れた隙に屋敷を占拠した。アダムは軍を派遣し屋敷を取り戻したが、アレクサンダーはウィルダネスの領地に逃げてしまった。
その後再びアレクサンダーはサザーランド領に侵入した。そしてエリザベスとアダムに与するものを次々に殺害し、その地域を荒らし回った。アダムは軍を派遣し、とうとう彼を捕まえ、処刑した。彼のその行いの残虐性から、エリザベスとアダムはアレクサンダーの首を槍の先に突き刺し、晒しものにした。
そこまで話すと、ジョンは唇を湿らせるためにワインに口をつけた。一同は黙って聞き入っていた。彼は続けた。
「だが、話はまだ終わらない。その後も、我こそは爵位にふさわしいと主張する者が現れた」
ジョンは天を仰いだ。
「ちょうど5年前、エリザベスとアダムの跡継ぎの息子が死んだ頃だ」
体力の衰えを感じ始めていたサザーランド女伯爵は、息子に爵位を生前贈与することを考えていた。当時、彼は統治者として既に十分な素質を備えていた。だが、不幸なことに息子は親よりも早くこの世を去った。残された両親は深く悲しみ、途方に暮れた。息子にも子供はいたが、後を継ぐにはあまりにも幼かった。そこで、エリザベスとアダムは、幼い孫が一人前になるまで、自分達だけで領地を治めることにした。そこをサザーランドの親族の一人がまたつけこんできたのだ。
「その男はフレイスヴァーグ近くの土地を買い、急速に勢力を拡大していった。もしかしたらウィルダネスとも取り引きをしていたかもしれない。だが、思惑通りにはいかなかった」
「サー・アダムが追い払ったのですか」
ハラルドソン司祭が尋ねた。ジョンは首を横に振ると、面白そうに口の端を歪めた。
「殺されたのさ、芽が出て、根付く前に」
誰にだと思う?と年老いた主は一同を見やったが、誰も答えられなかった。彼は低く笑うと答えた。
「大司教ヘンリー・スチュワートにだよ」
三人は顔を見合わせた。あの女好きの食えない男が、そのようなことに顔を突っ込むなど、にわかには信じがたかった。ジョンは愉快そうに続けた。
「だからサザーランド伯爵は大司教には借りがある。ランス家の娘の後ろ楯をした彼に、顔に泥を塗るようなことはできない。ランス家は納得いかなくとも、大司教がいる限り此度の婚姻は継続するだろう。そのためにお前を切った、そうだろう、モレイの娘よ」
エマは言葉を呑み込んだ。スチュワート大司教とサザーランド女伯爵の関係は知らなかったが、下手をすれば戦争にもなりかねない一族同士の対立を防げるなら、自分のような娘一人切ることなど大したことではないだろう。
「私が本当に殺人を犯したとはお考えにならないのですか」
エマはそろりと伺うようにジョンを見やり、尋ねた。年老いた城主の瞳は窪んでいてよく見えなかったが、この世のことなど、まるで全てお見通しのように思えた。
「本当におまえを罪人として裁くなら、ウィルダネス家やランス家が見ている目の前で処刑するくらいのことはするだろう」
エマは息を呑んだ。
「だが、そうはしなかった。おまえを逃がすことにより、罪人として仕立てあげることはしたが、裁きはしなかった」
なあ、モレイの娘よ。ジョンは続けた。
「本来のエリザベスは分別があり、謙虚で、争い事を好まぬ性格なのだ。領地の貴族達の結婚をお膳立てすることが好きで、それは政治のうちでもあるが、本当に彼らの幸せを願ってのことなのだ。アダムもそれを分かっていたからこそ、おまえを密かに逃がしたのだろう」
おまえが逃げることは、すなわちサザーランド女伯爵の意思なのだ。ジョンの目が一瞬優しげに揺らぎ、エマは泣き出しそうになってしまった。スカートをぎゅっと握りしめ、俯いてこらえる彼女の肩を、ハラルドソン司祭が優しくさすった。
「さあ、少し喋りすぎてしまったようだ。もう疲れた」
ジョンが立ち上がると、初老の執事が彼の体を支え、杖を手渡した。
「そうそう、モレイの娘よ。おまえさえ良ければこのままうちで匿ってやっても良い。ほとぼりが冷めるまで外へ出ることは難しいかもしれんが、時期が来たらそれなりの結婚相手を見繕ってやることくらいはできるだろう」
無理にとは言わない、おまえ次第だ。そう言い残して、年老いた主は寝室へ戻っていった。
「では、私達も解散しよう」
ハラルドソン司祭とアンソニーも席を立った。エマも頷いたが、頭の中が混乱して体が重く、なかなか立ち上がることができなかった。




