第56話 手紙
「遅いですよ」
案の定、階下ではアンソニーが苛立ちながら二人を待ち構えていた。
「すまない、つい夢中になってしまって」
シグルズは苦笑いしながら、籠をナルに手渡した。エマはちらりと伺うようにアンソニーを見たが、彼は彼女の視線に気がつくとすっと目を逸らした。
「それで、町役場のほうには上手く話をつけてきたのだろうな」
シグルズが、さも当然というようにアンソニーに尋ねた。アンソニーも、当たり前だと、気のない素振りで頷いた。
「もちろんです。といっても、部外者がどうこうできる問題じゃないですからね。それに、元はといえばあの教会が不認可だというのがいけないんです。この件は、俺とエマの名を通して、サンクレール伯爵に陳情するということで一旦まとまりました」
「なぜ、エマも?」
「正確にはエマじゃないんですけどね。色々ありまして、ここでは俺とエマはサンクレール家の関係者ってことになってるんですよ」
シグルズとケネスは、ちらりとエマを見た。襟の詰まった上着に隠れて見えないが、そういえば彼女の首にはジョージ・サンクレールに押し付けられたシグネットリングが掛かっていたっけと、それぞれが思い出していた。
「ふむ、何だかんだでジョージには世話になってばかりだな。これは叙任式にも出なければならないぞ」
と、シグルズは面白そうに笑った。
「呑気に笑ってばかりもいられませんよ。これを」
アンソニーは呆れたように肩をすくめると、懐から一通の手紙を取り出してシグルズに手渡した。
「町にいた間に受け取ったんです」
差出人は「R」、宛名は「S」だ。
「ロジャーだ」
シグルズは目を見開いてそう言った。
「あいつはすごいな、私がどこにいてもこうして手紙を届けてくるのだから」
すごいのはあの方の配下の者達では、とアンソニーは心の中で呟いた。だが、目の前の主人が嬉しそうにしながら手紙を開くのを見て、まあどうでもいいかと思った。彼にとって、やはり家族というのはーーーとりわけ弟は、特別な存在なのだ。
シグルズはその場で嬉々として手紙を読み始めたが、やがて考え込むような素振りとともに上がっていた口角は徐々に下がり始め、読み終える頃には何やら神妙そうな表情に変わっていた。
アンソニーはケネスと顔を見合わせ、尋ねた。
「どうかしましたか?何か、悪い知らせでも?」
シグルズは手紙を丁寧にたたみ直すと、懐にしまい込みながら答えた。
「いや、そうではない。どちらかといえば良い知らせだ」
アンソニーは肩をすくめた。
「では、なぜそんな浮かない顔を?」
シグルズはため息をつきながら答えた。
「叙爵が決まったらしい。これで、いよいよロジャーは正式なハラルドソン伯爵だ」
アンソニーとケネスは目を丸くした。シグルズとロジャーの父である現ハラルドソン伯爵が長らく寝たきりの状態であることは周知の事実だ。だが、この中の誰もまだその身に何かあったとは聞いていない。つまり、国王は、眠りから覚めない現ハラルドソン伯爵を見限って、とうとうその息子に爵位を継がせると決めたというわけだ。
「それは、おめでとうございます」
と、アンソニーはたじろぎながら答えた。これはもう既定路線だ。遅かれ早かれこうなることは分かっていた。ただ、思っていたより早く、それも旅の間に知らせが入ったので、シグルズも困惑したのだろう。
シグルズは歩き出しながら言った。
「戻らねばならん。叙任式は一月後だ。旅は一旦中断する」
かしこまりました、と言葉少なに主人の後を追う男二人の背中を見つめながら、エマは呆気にとられていた。彼女の横から、黙って話を聞いていたヴィーがひょいと顔を出して言った。
「王都に行かれるのですね」
エマは小さく頷いた。つまり、そういうことだ。ヴィーはうんうんと頷き返すと言った。
「南のほうは何かと物騒ですから、気をつけて。冬が近付いているんです」
「冬?もうすぐ夏なのに?」
エマはヴィーのほうを見ると聞き返した。ナルがヴィーを睨みながら肘でつついた。
「いてて、いいだろ、これくらい言ったって」
ヴィーはごほんとひとつ咳払いをして、
「つまり、物騒だから気をつけろってことです」
と、繰り返した。おかしなことを言うのね。でも、彼らがおかしいのは、今に始まったことじゃない。エマは肩をすくめながら、
「わかったわ、気をつける。あなた達もね」
と答えた。
そして、こちらを見上げる二人の暗闇色の瞳を順番にしっかりと見つめながら微笑み、膝をつくと、二人まとめて抱き締めた。心臓の鼓動は聞こえないし、子供らしい温もりも全然感じないが、彼女はたしかにこの少年達を愛しいと感じていた。
「お父様がいらっしゃらない間、大変でしょうけど上手くやるのよ」
大丈夫、とヴィーは恥ずかしそうに身をよじりながら答えた。
「騒ぎが落ち着いたら僕達もしばらく身を潜めますから」
「どこに?部屋にでもこもるつもり?」
と、エマは彼らに両手を添えたまま、訝しげな顔をした。
「まあ、ある意味そうです」
ナルとヴィーは顔を見合わせ、悪戯っぽく笑った。
「次に来たときにはもう消えていると思いますから、もし用があったら礼拝堂で僕達のことを呼んでみてください。あなたの声ならすぐに分かりますから」
礼拝堂で?と、エマは片眉を吊り上げ、首を傾げた。だが、二人は同じように後ろで手を組みながら、自信たっぷりに笑っていた。だから、エマはよく飲み込めないながらも、二人がそう言うのならと、頷いた。
「わかったわ、そうする」
はい、とヴィーは頷いた。エマは名残惜しそうにしながらも立ち上がり、二人のカラスの羽みたいな真っ黒の髪を撫でると言った。
「それじゃあ、さようなら。また会えるといいわね」
会えますよ、と双子の幽霊は当たり前のように答えた。それから、ヴィーはすかさず「ナルの声のことを忘れないで」と付け足した。エマは「もちろん」と返事をしたが、自信はなかった。見つけたところでどうやって返したらいいのか分からなかったからだ。というより、奪われた声というのがどんな形で存在しているのか、そもそも目に見えるものなのか、彼女にはちっとも想像がつかなかった。
建物の外に出ると、とっぷりとした夕暮れの太陽の光が西の地平線に広がっていた。門の手前で、馬を連れた三人の男達がこちらを見て待っている。
エマは急いで走った。走りながら、ロイ・アダムスの秘密の書庫があった部屋の窓を見上げてみた。誰もいないはずなのに、そこからあの男がこちらを見て笑っている気がした。
彼女の上着の内側には、例の日記が入っている。怒られるだろうか。でも、もうここまで持ってきてしまったもの、今さら戻れないわ。
ほんの少しの罪悪感を感じながら、エマは仲間とともに名もなき教会を後にした。




