第52話 双子の秘密
「心臓がないって、一体どういうことだ?」
驚いた様子のシグルズ達を前に、エマはヴィーの顔を真っ直ぐ見つめながら答えた。
「言葉の通りです。彼には心臓がありません。そして、おそらくもう一人の彼も」
と言って、エマはナルを指差した。ナルは相変わらず入口の近くでもじもじしていたが、エマの顔をちらりと暗闇色の目で見やると、気まずそうに視線を逸らした。
「何を突飛なことを…」
言葉に詰まるシグルズを遮るように、ヴィーは答えた。
「さすがですね」
そして、小さく肩をすくめると続けた。
「あの人があなた達のことを口にするのを聞いて、隠せないだろうなとは思っていました。鋭い観察眼です」
「冗談だろう」
アンソニーとケネスも寄ってきて、口を挟んだ。
「世の中に心臓がない人間なんているか?」
二人は囲むようにしてヴィーを見下ろした。真っ黒の、暗闇のような髪色に、暗闇のような瞳をした、色白の少年だ。たしかに、そこいらの子供よりは血色も悪いし不健康そうに見えるが、そんな容姿の人間なんてどこにでもいる。目の前の少年が、他の人と何が違うかなんて、アンソニーとケネスには一見して分からなかった。
「たしかに、心臓がない人間なんていませんよね」
と、ヴィーは言った。体の大きな男達が揃いも揃って彼を囲んでじろじろと見るので、ナルは思い切ってヴィーのもとへやって来た。二人は同じ顔を見合せた。「ほらな」とアンソニーは吐き捨てるように言った。
「でも、心臓がない、人間ではないものならいるかもしれないでしょう」
すると、男達は一様に目を見開き、硬直したように彼らを見下ろして言葉を失った。エマは再び膝をつくと、二人を交互に見比べながら尋ねた。
「どういうことなの?あなた達は一体、何者なの?」
ナルはヴィーの顔を見て、何か言いたそうに口をパクパク動かした。ヴィーはうんうんと頷きながら、「わかってるよ」となだめるようにナルの肩に手を置いた。ナルは大きなため息をつくと、がっくりと肩を落とした。
エマ達はその様子を訝しげに見つめていた。
「ナルはあまり気乗りしないみたいですが、父上もいなくなってしまったし、お話ししておいたほうが良いでしょう」
「父上、ですって?」
エマは思わずおかしな声を上げてしまいそうになり、誤魔化すように口元を押さえた。
アンソニーとケネスは顔を見合わせ、背後からはシグルズが、大きな体を屈めて膝をつき、エマの横に並んで二人を真っ直ぐに見つめると尋ねた。
「それは、ロイ・アダムス司祭のことで間違いないか?」
ヴィーは頷いた。
「他に誰がいるって言うんです?」
エマは言葉を探しながら、畳み掛けるようにして言った。
「それじゃあ、あなた達も、蛇や狼の血を引く者なの?シグルズ様や、アンソニーと同じように?」
アンソニーは組んでいた腕の中で、ぴくりと指先を震わせた。ヴィーは首を横に振った。
「いいえ、僕達は蛇でも狼でもありません。ただの、人間だったものです」
エマは首を傾げた。シグルズのほうに顔を向けると、彼もまた困惑した表情でこちらを見た。つまり、ロイ・アダムスにはまだ他に子供がいたということだろうか。
ヴィーは戸惑う面々を前にして、順番にかいつまんで説明した。
「こういうことです」
三百年前、暴徒の襲撃に合い、ロイ・アダムスとその妻が共に命を落としたあの日、夫の魂を救うことを願った妻によって、三人の新たな命が生み出された。すなわち、蛇と、狼、そして生まれながらにして半分死んでいた死の乙女だ。
もともと、彼ら三人の兄妹は、本来生まれるはずだった赤ん坊そのものではなかった。母たる妻の強い思いによってこの世に生を受けた、人ならざるものであった。
人ではないものを人が生むのは容易ではない。それには強い信念と激しい感情、そして生み出すものに匹敵する代償が必要だ。妻が選んだのは、お腹の中にいた子供達の心臓だった。
母は生まれてくるはずの赤ん坊の心臓を使って、人ならざる三人の命を生み出した。それによって、ロイ・アダムスは不死の力を手に入れたが、同時に人間の子供達は死んだ。彼らは父を助けるために、心臓を差し出したのだ。
そして、小さな赤ん坊達は日の目を見ることなく、そのまま母親とともに炎に焼かれて消えた。
「つまり、蛇と狼は僕達とは全くの別物でありながら、僕達自身でもあるということです」
エマは首を横に振った。にわかには信じられない。二人の心臓は蛇と狼に託された?では、目の前の、空っぽの器のようなこの少年達は一体何者なのだろう。
「全然わからないわ。そうだとしたら、あなた達はなぜ今ここにいるの?」
ヴィーはちらりとナルを見た。ナルはぶんぶんと首を大きく横に振った。ヴィーは困ったように口をつぐんだ。そして、しばらく考えるような素振りを見せた後、言葉を選びながら少しずつ説明を始めた。
「理由は言えませんが、あなた達の世界で言うところの、幽霊ってやつでしょうか?」
その瞬間、背後でアンソニーが凍りついたのをエマは感じた。そうだった、彼はこういう類いの話が苦手だったのだ。隣でケネスがちらりと横目で見て嘲笑う。アンソニーはむっとして、誤魔化すように大声で言った。
「幽霊だって?馬鹿馬鹿しい!こんなにはっきりと実体があって、喋れる幽霊なんてどこにいるって言うんだよ」
それはたしかに、とヴィーも同調するように頷いた。
「だけど、それで納得してもらうしかありません。たしかに僕達は三百年前のあの日、心臓を捧げて死にました。僕達はまだ外の世界も知らない赤ん坊でしたが、それでもちゃんと理解していました。どうせこのまま人間として生まれても炎に焼かれて死ぬ運命なら、せめて父上だけでも助けたい、その一心で心臓をあげてもいいって、そのとき皆で話して決めたのです。だから、僕達は全く悔いはありません」
でも、悔いも未練もない幽霊って、やっぱりおかしいですかね。と、ヴィーは考えあぐねた。ナルが呆れたように額に手を当てた。どうやらヴィーは、隠し事をしながら上手く説明するのが苦手なようだ。一同は顔を見合わせた。
「いいわ、あなたは理由は言えないけど、とにかく幽霊なのね」
エマはヴィーの両肩をしっかり掴みながら、困ったように微笑むと、立ち上がって言った。アンソニーの言う通り、随分実体のはっきりした幽霊だ。
ヴィーは、そうです、と満足気に答えた。
「でも、あなた達のお母様は三人の子供を授かったはずでしょう。一番下の女の子はどうしたの?その子は幽霊にはならなかったの?」
ヴィーは言葉に詰まった。ナルと顔を見合わせ、何度も、どう説明すべきか口を開きかけてはまた閉じた。そしてついに、ちょうど良い言い訳が見つかったとばかりに、顔を輝かせると言った。
「喧嘩です、意見の食い違いってやつ。女の考えることなんて、僕達には理解不能なんですよ」
どこかで聞いたような言葉だ。さすがは父子といったところだろうか。エマは少々むっとして腰に手を当てた。ヴィーは、「もちろん、母上は別です」と得意気に付け足している。
ナルはがっくりと肩を落とし、呆れたように首を振ると部屋から出ていった。
「話題を変えよう」
ごほん、とシグルズが咳払いをして、二人の間に割って入ると言った。
「アダムス司祭がどこに行ったか知らないとあなたは言ったが、本当はナルの声を取り戻しに行ったのではないか?」
「なぜ、分かったんです?」
ヴィーは目を丸くした。シグルズは優しく微笑むと、
「ただの勘だ。父親なら、子供のために何でもしてやりたいものではないかと思っただけだ」
と答えた。ヴィーは悲しげに視線を落とすと言った。
「父上は、昨日帰ってきたときに、ナルの声が奪われたと知ってひどくお怒りでした」
「奪われたというのは、どういうことなのだ?」
「そのままの意味です」
ヴィーは真っ直ぐにシグルズの目を見つめ返すと言った。
「ちょうど、父上が不在の時でした。私達がいつも通り戸締まりをしていると、二本の手が突然ナルの背後に忍び寄ってきて、彼の首を絞めて声を抜き取ったのです。そのまま、手は消えました」
「そんなことってあるの?まるで魔法だわ」
エマが目を丸くして口を挟んだ。
「その通りですよ。古い、古い、魔法です。今時あんな魔法を使える人間なんて私は知りません」
「それを、あなたのお父様は探しに出ていったの?」
「父上は、ご覧の通り、三百年間たくさんの書物を研究し続けた学者です。魔術の類いにもそれなりの見識を持っています。きっと、魔女のところに声を取り戻しに行ったのだと思います」
「魔女がどこにいるのか、お父様はご存知なの?」
「さあ、そればかりは何とも…。でも、北のほうへ行ったんだろうと思います。ほら、ノースガルドにはたくさんの魔女が暮らしてるっていうでしょう。父上は教会にいないときは世界中を旅して回っていますが、最近はノースガルドとウォーデン、フリッカを行き来していたようなんです」
「どこへ行くと、はっきり言わないで出ていったのね?」
「ええ、今までも、何も言わずに出掛けたきり何年も戻らないことはよくありましたから」
エマは、なんてひどい父親かしら、と憤慨した。子供の声を取り戻すためとはいえ、当の本人達を置いてきぼりにするなんて。だが、ヴィーはけらけらと可笑しそうに笑うと答えた。
「あなた達は長生きしてもせいぜい八十年かそこらでしょう。僕達はもうその何倍もこの世に存在しているんですよ。これからも死ぬことはないんです。長い長い人生のうち、たかだか数十年離れていたって、どうということはありませんよ」
エマは面食らってしまった。たしかに、それもそうかもしれない。彼らは普通の人間である自分達とは違う尺度の中で暮らしているのだ。でも、まさか自称幽霊に諭されることになろうとは思ってもみなかった。
「あなた達は父上についていこうとは思わなかったのか?」
シグルズが尋ねると、ヴィーは肩をすくめて答えた。
「ついていくなんて、とんでもない!」
ヴィーは暗闇にぽっかり空いた穴のような瞳を、ますます真ん丸に見開いて続けた。
「僕達はここから離れることはできないんです。そういう決まりでして」
シグルズは怪訝な顔つきで少年を見下ろした。
「だから、あなた方も、もしナルの声をどこかで見つけたら、持ち主に返すように言ってくれませんか?ナルが話せないままだと、僕、ずっと一人で喋ってなくちゃならないじゃないですか」
と、ヴィーは、まるでこの世の終わりのように大袈裟に嘆き悲しむと、これで話は終わりとばかりに部屋から出ていった。
残された四人の大人達は、呆気にとられて言葉を失い、せいぜい互いの顔を見てちょっと肩をすくめるくらいのことしかできなかった。なんだかとんでもないことになってきたなと、シグルズは頭を抱えた。
不死身の司祭と、幽霊の息子達だって?一体、どうやってロジャーに報告しよう。




