【第3話】名前のない声
「今回のターゲットは60代男性。元・記憶管理庁職員だとさ」
ブローカーから届いた簡素な依頼内容を見て、レオが苦笑する。
「退職者の記憶を回収して何になるんだか……」
「それでも、誰かが欲しがってるってことだよね」
リタは静かに呟き、ユリシーズの弾倉を確認した。
レメゲトンの手入れも済んでいる。
今の彼女は、どこから見ても“仕事慣れした傭兵”だ。
だが、その内側は、少しずつ変わり始めていた。
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ターゲットの男は、郊外の廃墟ビルに身を潜めていた。
すでに精神は半ば崩壊しており、言葉も通じない。
レオが後方で周囲を警戒する中、リタが男に近づく。
「大丈夫、痛くしない……ただ、少し記憶をもらうだけ」
ユリシーズを構える。だが、そのとき──
「……ミュ……ネ……モ……」
男の口から漏れた声に、リタの手が止まった。
一瞬で、頭の奥に衝撃が走る。
目の前が暗くなった。
黒い部屋。白衣の人々。銃声。
誰かが、何かを失って、誰かが泣いている。
「リタ! 下がれ!」
レオの叫びで我に返る。
気づけば男は錯乱状態になり、周囲に物を投げ始めていた。
レオが無力化し、任務は強制終了。
回収できた記憶データは不完全だった。
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帰り道の車内。
「さっき……また、“あの声”がした」
リタの言葉に、レオは黙ったまま運転を続ける。
「私、何かを思い出しかけてる。誰かが、私を呼んでた。
それって、記憶のフラッシュバック……なのかな」
「……」
「ねえ、レオ。私の過去に“クロエ”って人がいた?」
レオの指先がハンドルを強く握りしめる。
「知らないな」
「……本当に?」
「リタ。記憶ってのは、時に人を壊す。
思い出せばいいってもんじゃない」
リタはそれ以上、何も言わなかった。
だが、車窓の外を見つめるその瞳に、迷いはなかった。
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その夜。
ユリシーズとレメゲトンを机の上に並べ、リタはそっと触れる。
「あなたたちは、私の記憶を……見てきたの?」
何の返答もない。
それでもリタは、銃たちが“静かにうなずいた”ような気がした。
「私は、私が思ってるよりも──誰かにとって大切だったのかな」
ふいに、涙がこぼれた。
それが何の涙なのか、自分でもわからなかった。




