【第13話】 記憶の檻
──静寂。
リタの意識は、深い霧の中を漂っていた。
何も見えず、何も聞こえない。
ただ、自分の存在だけが確かにある。
《ようこそ、Mn-13》
どこからか声が響く。人工的で、無機質な──それは、ミューネモシュネAIの声。
《あなたはすでにミューネモシュネと接続されている。統合処理は順調に進行中》
「……やめて。私の中に、勝手に入ってこないで」
《あなたの役目は終わった。これより、“記憶の制御システム”としての新たな運用が開始される》
抵抗しようにも、身体が動かない。思考すら鈍くなっていく。
まるで、自分という存在そのものが上書きされていくかのように──
その時だった。
《君は……》
別の声が、空間に響いた。
少年の声──どこか懐かしく、優しい声だった。
「彼女は“自分”を持ってる。僕たちの器なんかじゃないよ」
霧が晴れ、目の前に現れたのは、一人の少年だった。
柔らかく微笑むその少年はなにか懐かしさを感じる暖かさを持っていた。
「僕はかつて、“記憶に触れる者”と呼ばれた。
そして今は……このAIに閉じ込められた、ただの記憶の影さ」
「影……?」
「でもね。影にも“意志”はある。
だから、君が来てくれた今、最後の選択ができるんだ」
⸻
ミューネモシュネAIの声が、割り込む。
《干渉は不要。記憶は整備されるべき。今こそ統合し、完全なる世界を人々の救済を──》
「違う!」
リタが叫ぶ。
「私の記憶に整備なんて必要ない。
記憶に不要なものなんてない。
レオとの日々も、クロエとの時間も、
どれ一つ、欠けていいものなんてない!」
少年が、静かに頷いた。
「それが“人間”なんだ。
痛みや喜び、後悔──全部ひっくるめて、自分を作るんだよ」
⸻
《ならば排除する。原初モデル、および不要記憶群、すべて削除対象に移行──》
霧が再び濃くなる。
リタの視界が揺れる中、少年が彼女に手を差し伸べた。
「君は“鍵”なんかじゃない。君は君自身だ。
人々にミューネモシュネは必要ない。あとは頼んだよ。僕の希望であり、未来......」
リタがその手を握った瞬間、世界が砕けた。
⸻
《異常発生。統合処理中断。意識領域より排出──》
中枢制御室の装置が火花を散らし、リタの身体が光に包まれる。
レオの意識が、薄く目を開けた。
「……リタ?」
次の瞬間、眩しい光の中からリタが立ち上がった。
その手には、再び二丁の銃と《レメゲトン》。
「……終わりにしよう、アイン」