夜空ノムコウに煙
今回は、焚き火の前で語られる兄の出自と、異世界への怒りです。
チートもアイテムもない、粥と穴と尊厳の異世界転生。
でも、弟が隣にいるなら、まだ笑える。そんな夜のお話です。
焚き火の前で斧を研いでいた弟が、ふと尋ねた。
「なあ、兄ちゃんって……昔どっから来たん?」
「また急やな。何や、明日死ぬんか?」
「いや、ワイ物心ついたときにはもう兄ちゃんおったし……ふと思うたんよ」
「んー……森の中やな」
「え?」
「もっと正確に言うと、焼けた村のど真ん中。灰まみれの中や。──らしいで」
兄は斧の刃を拭きながら続けた。
「親父が昔言うとった。森の外れで村が潰れとってな、瓦礫と灰の山のど真ん中に、籠に入った赤ん坊がおったんやと」
「それが兄ちゃんやったんか」
「そうらしいわ。しかも、火傷もせんと泣いとったんやて。血は出てたけど、肉は無事やったらしい。……ようわからんけどな」
弟は少し目を細めた。
「そんなん……よう生きとったな」
「せやな。親父も“あれは運がええんか、悪いんか”言うてたわ。
けどまあ、死なんかったのは確かやな」
火の影で長兄の姿がちらりと見えた。
兄は薪をくべながら、声を落として呟いた。
「昔、親父と大兄ちゃんが言うてたの聞いたことあるわ。“あれ、人間か?”って」
「え、ちゃうん?」
「一応、人間らしいけど……耳がちょっと長い気ぃするって話や。エルフの血が混じっとるかもってな。
大兄ちゃんが“どっちでもええやろ。家族やし”言うて終わったけどな」
弟は火を見つめながらうなずいた。
「……やっぱ大兄ちゃん、かっこええな」
「せやな。無口なくせに、ええこと言うから困るわ」
焚き火が、ぱちんと音を立てた。
煙がふわりと、夜の空に吸い込まれていった。
焚き火の前。
兄が枝で火をつつきながら、唐突にぼやき始めた。
「なぁ……異世界転生って、詐欺やと思わへんか?」
「……せやな」
「絶対わかってへんやろお前」
「うん、なんもわからん」
兄はため息をつき、夜空を仰いだ。
「こっちはな、死んだあとに“目を覚ますとそこは異世界でした”パターンや。ラノベでよくあるやつや。けど、チートもステータスもスキルもな~んも無い。あるのは穴と寒さと、粥の中の砂や!」
「……兄ちゃん、いつもより元気やな」
「怒りでな! “テンプレ”全部外された異世界やでこれ!? どうやって攻略せぇっちゅうねん!」
「そっかぁ……せやな」
「お前の“せやな”は意味の空洞やな。返事の音しかない」
「せやな」
兄は火の棒をぶんぶん振り回した。
「せめてな、“鑑定”とか“アイテムボックス”くらいあってもええと思うねん!」
「……アイテム?」
「物をしまえる異空間。四次元ポケットの親戚みたいなもんや」
「よくわからんけど、すごそうやな」
「もうええわ……お前の理解力、土鍋に味噌だけ入れたレベルや」
「味噌ってなんやっけ?」
「だからそれや! 作り方知らんまま試して、カビまみれになったやつや!」
「……ああ、あの白いどろどろした失敗の汁な」
「味噌ちゃう、発酵の地獄やあれは!」
弟はぽりぽり頭をかきながら、火に木の枝を足した。
「兄ちゃん、でも生きてるやん。村の人も兄ちゃんのこと、ちゃんと見とるし」
「そら、こんだけ毎日騒いでたら“生き物”としては認識されるわな。
ただな……“異世界転生主人公”としては、もう詰んでる」
「そっか。詰んでるんやな」
「……お前さぁ」
「せやな」
しばらく火の音だけが続いたあと、弟がまた口を開いた。
「兄ちゃん、“人間”ってすごいんか?」
「どこで聞いたんやそれ」
「この前のエルフのおっちゃんが、“人間だけが神の血を継いでる”とか言うとった」
「……あー、あれな。人間って他の種族と子ぉ作れるから、自分らを特別や言いたいんや。そういうもんや」
「ようわからんけど、すごそうやな」
「もうええわ……」
兄は火をつつきながら、枝の先で薪を転がした。
「ナガ族もおるやろ。あいつら陽気でノリが軽いけど、やたら足速いし妙にええ匂いするし、ちょっとズルいな」
「前来たナガのおっちゃん、肌にちょびっと鱗あったなぁ。近くで見んとわからんくらい」
「そうそう。純血に近いナガはな、皮膚に鱗が出るんや。だいたい目立たへんけど」
「でも普通にズボン履いてたで? ヘビじゃないん?」
「人間と一緒や。下半身ヘビいうんは昔の噂やな。多分、見た目より動きがヌルっとしてるせいや」
「兄ちゃんの想像の方がヌルヌルしとるわ」
「お前の感性は雑やな。焼き魚と毛並みくらいしか基準ないやろ」
「せやな」
二人の笑い声が、焚き火のぱちりという音に混ざって、夜の空に吸い込まれていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、兄の過去と、この世界に対するささやかな反抗を描きました。
異世界に来たのに何も持たされず、それでも誰かの隣で火を囲む。
そんな夜が、ほんの少しでもあたたかく感じられたなら幸いです。
次回も、彼らのささやかな日々をのぞいていただけたら嬉しいです。