暴力の証
時は少し遡って王都の某所――
蝋燭の火が、天井の煤けた梁をゆらりと照らしていた。
壁は黒ずみ、焦げた脂のような臭いが石組みの隙間に染みついている。
木と石が擦れる微かな音が、沈黙の中で不気味に鳴った。
部屋は広くない。だが、どこまでも深く沈んでいた。
正面の机には、破れかけた経典と黒い花弁のような紙片が無造作に積まれている。
足元の床には、鉄鎖と血の染みが鈍く沈んでいた。
その部屋の奥。蝋燭の輪郭に浮かぶように、一人の男が座していた。
黒法衣に銀の義眼、薄く笑んだままの顔。だがその微笑みには、人間らしい感情の起伏は一切ない。
鉄面の神父――そう呼ばれる男である。
コン…コン…
重たい扉が、控えめに叩かれた。
「どうぞ。今日はまだ誰の舌も切り落としておりませんので」
どこか牧師のように穏やかな声だったが、その言葉が冗談かどうかは誰にも分からない。
扉が軋み、ひとりの男が足を踏み入れる。
黒い詰襟の外衣に、煤けた革の手袋。胸元に帯びた小刀は、刃ではなく印章を刻むためのもの。
帳簿を携えたその姿には、実務の冷たさが染みついていた。
狩猟協会の影を動かす男。
通称――“灰色の帳簿”。
グリザは無言のまま歩を進め、神父の耳元に顔を寄せて、短く何かを囁いた。
神父は目を伏せたまま、口元に微かな笑みを深める。
そして机に置かれた紙片に、ゆっくりと指を這わせた。
「ナガ族……ああ、あの軟体の成り損ないどもには、ほとほと感心しますよ。
形を変えて、匂いを誤魔化して、痕跡を消したつもりなのでしょうが――」
声が、蝋燭の炎とともにゆらめいた。
「血脈の浅さ、言葉の軽さ、死の覚悟すら儀式に昇華できない愚かさ。
だから彼らは選ばれなかった。神に。いや、“造り主”に、です」
銀の義眼が静かにグリザを見やる。指が、血染めの机を撫でた。
「“血は呼び声である”。人はそれに応じてこそ完全となる。
だから我々は集めねばならない。肉を、骨を、声を。……ねえ、グリザ君」
グリザはほんの一瞬だけ、片眉をわずかに動かした。
だが何も言わない。ただ帳簿の角を揃え、蝋燭の明かりに目を細めたまま立っていた。
「……だからこそ、器たる肉体は、そのままでは不完全なのです。
言葉と痛み、供物と構造――それらを正しく組み合わせてこそ、初めて“祈り”は届くのです」
神父の声は、蝋燭の揺らぎに溶けていた。
語りかけるというより、祈りを独白しているかのようだった。
部屋には、重たく沈んだ空気が満ちていた。
蝋燭は芯の半ばを越えて溶け落ち、煙が天井に黒ずんだ染みを描いている。
そして、ふと神父が顔を上げた。
「……あら。グリザ君、まだいたんですか。てっきり、もう対処に向かったのかと」
グリザは帳簿を閉じ、静かに一礼した。
「それでは、処理を」
「手を打ちなさい。遅れれば、血が冷えますので」
笑み混じりの言葉を背に、グリザは無言で部屋を出た。
その外衣の裾には、細い記章がひとつ、淡く揺れていた。
* * *
翌朝。狩猟協会・王都支部。石造りの事務所の一室。
記録用の巻物と帳面が乱雑に積まれた机の前で、グリザは重たい目をしていた。
蝋燭の煤に染まった指先で、紙の角をいじっている。
ギィ……
戸が開き、無造作に一人の男が入ってきた。
擦れた革の胸当てに、刃の短い剣。肩に乾いた血の跡をつけたまま、軽く顎を上げる。
「よう、帳簿の旦那。随分と疲れた顔してるな」
現れたのは、協会所属の処理屋――通称「皮剥ぎ屋」。
異種族を“素材”として扱うことに何の躊躇も持たない、実行の専門家である。
グリザは目を細め、机にあったペンをゆっくり置いた。
「神父の“悪い癖”が出た。説教三時間コースだったんでね」
「へえ、それはご苦労さん。俺には難しい話は分からないんで、そういうのは全部旦那に任せるよ」
皮剥ぎ屋は勝手に部屋の隅の樽に腰を下ろし、肩を鳴らした。
「で、今日はなんの用だ。素材の検品か?」
「蛇どもが動いている。ナガ族が素材を横流ししてるようだ」
グリザは手元の帳簿から一枚の紙片を取り出し、机の中央に滑らせた。
「見つけ出して、見せしめに。
森でも、路地でも、場所は問わない」
皮剥ぎ屋は紙をちらりと見たあと、唇の端を持ち上げた。
「任せとけ。血の声が聞けりゃ、それで十分だ」
狩人協会の登場です。
ハンターギルドが暴力至上主義だったらというのをイメージして書いています。
次回もよろしくお願いします。




