婚約者は奪ったけど何も悪くないタイプの義妹
成瀬です。
タイトル以上でも以下でもないです。
「お姉様」
鈴を転がすような声が、私を呼び止める。面倒ではない。けれど、振り向きたくない。憂鬱、という感情が一番それに近い気がした。
その後に続く言葉を、私はきっと、知っている。
「…何でしょう?」
それでも振り返らないわけにはいかない。だって彼女は、この公爵家を仕切る私の父の養子なのだから。無視すれば、それは「市井出身の妹を冷遇する公爵令嬢」としての貴族間での噂が、真実になってしまうから。
「フラスコ殿下は、いつこちらにいらっしゃるの?」
フラスコ殿下。この国の第2王子で、私の婚約者。
「…本日ですわ。午後から」
「ならとびっきりおしゃれしなくっちゃ!」
目の前の少女の花のような笑みに、顔を背けたいと思った。
「…駄目です、エリカ。貴女が、殿下とお会いするのは」
「どうして?」
少女が首を傾げる。無垢なそれが虚像だと、この広い家の中で、私だけが知っている。
「お姉様は何も心配しなくていいのよ!」
少女がはっとしたように声を上げる。
「初めにお姉様と殿下と、私の3人でお話するの。でも、お姉様はお父様に呼ばれて席を外すのよ」
安心して!と少女は両手を合わせた。
この場から逃げ出したいと思った。なりふり構わず、今すぐに。
「お父様は必ずお姉様を呼ぶわ。だって、レーナ様…お姉様のお母様の、蝶のブローチが見つかったんですもの」
蝶のブローチ。お母様が病気で倒れるより前、王族の出席するパーティーや式典などで愛用していた、銀細工に宝石がちりばめられた、世界でたった1つのそれ。
大変だったのよ、と少女は続ける。
「盗まれて、売り飛ばされていたのよ。偶然、売り飛ばされた先が私の母が働いていたお店だったから、取り返す事が出来たの」
少女が笑う。寒気がする。
「…エリカ。貴女…」
「お姉様!」
突然に少女が声を上げた。私はびっくりして、その後の言葉を続ける事が出来なくなる。
「お姉様、今、私の名前!」
言われて、気がつく。そういえば、私は彼女のことを「貴女」や「エリカ様」と呼ぶばかりで、名前を呼び捨てにしたのは初めてだったのかもしれない。
まるで、本物の姉妹みたいに。
それが仮初だということなんて、とっくにわかっているくせに。
「私はね?お姉様。確かに打算でこの家に取り入ったけれど、それでも、お姉様のことを、大切にしたかったのよ」
私ね、と少女が笑う。
この家に彼女が現れてから初めて見るそれは、今までで見た中で一番可愛らしくて、私は泣きそうになった。
「ずっと、お姉ちゃんが欲しかったの!」
「スティア様、公爵様がお呼びです」
使用人に声を掛けられて、美しい容姿の女性が席を外した。使用人が残ろうとしたが、女性に声を掛けられ、そのまま廊下に出る。
応接室には、女性の妹である可憐な少女と、お忍びで公爵邸を訪れていた王子が残った。
「…殿下?」
少女が声を掛ける。「なんだい?」王子はやわらかく笑んだ。
「お姉様が先程義父様に呼ばれた理由、私、知っておりますのよ?」
「それは…どうして?」
子どもの戯言だと思ったのか、王子は流すように問う。
「レーナ様のブローチが見つかったのですわ!」
その言葉に、王子の表情が凍り付いた。
「私の母が勤めていた店に、換金に持ってきた客がいましたの」
少女が続ける。
「レーナ様から盗んだ犯人が、手元に置いておく危険性を悟って、売るふりをして罪をなすりつけようと思ったのですわ! ええ、きっと!」
だから、と少女は続けた。その声は変わらず鈴を転がすようで、しかし、温度がない。
「母は殺されたの。ブローチを持っていた母が犯人ということになって、私が犯罪者の娘になるのを哀れんだ公爵様が、私を引き取ってくださったの」
ねえ、殿下。
そう、少女が王子の首筋に左手を伸ばす。
王子は動けない。
「私、母が無抵抗で殺されたとは思えなかったの」
少女が笑む。王子の服の首元を、ゆっくりとはだけさせる。やけに時間をかけたそれは、少女が市井出身である為にその服の構造に不慣れであり、かつ、左手片方だけで行ったという、ただそれだけの理由によるもの。しかしそれだけで既に行為の前戯をしているようで、王子はどこか興奮した。或いはそれは、生存本能によるものだったのかもしれない。
「母の爪の隙間には、血が挟まっていたのよ」
王子の胸元に、まるで誰かに引っかかれたような、傷跡があった。
あと数か月もすれば消えていたのであろう、それ。
少女が背に隠していた右手を、王子の首筋に回す。冷たい何かが首に触れて、ようやく王子は、それがナイフだと悟った。
「貴方が私の母を殺したのでしょう、殿下」
悪役でも、犯人でも、キャラクターを書くときはその行動理念を大切にしたいものです。
復讐に関する理念は私の中である程度定まっているので、いつか作品にできたらいいと思っております。




