第2(2)いちゃもん
「そうそう、イアハートさん、殿下から御手紙を預かっております」
「えっ?」
そう言って渡された一通の封筒を見ると、確かに王族の封蝋印が付いていた。期待半分で開けてみると便箋の宛名に「婚約者殿へ」との一文があった。一瞬きちんと納得できる説明や理由を書いてくれていたのかと思ったのも束の間、そこには
「後日、王城にてまた話をしよう。よろしく願う!」
とだけ書かれていた。
(殿下〜〜〜)
思わず声を上げて叫び出したくなる衝動を抑えて、私はモヤモヤを抱えたまま授業を受けた。
お昼休み、また上手く逃げて放課後までやり過ごそうと思っていたのだが今度はそうはいかなかった。教室の中にまで押しかけられて無理矢理連れ出され、あれよあれよという間に取り囲まれてしまった。
「なんで呼び出されたか分かるわよね。あなた、随分と調子に乗っているみたいじゃない?」
別に調子に乗ってなんかいないし、というか呼び出したと言うより引っ張り出されたの間違いだろう。そう突っ込みたい気持ちを抑えて私は穏便にさっさと済ませようと再び外向き用の笑顔を作って弁明した。
「そんなことありませんよ、調子になんてとてもとても。そもそも何故殿下が私などを指名されたのか私でも分からないんです」
「当たり前よ!なんで変わり者の伯爵令嬢のあんたなんかが私達を差し置いて殿下の婚約者に選ばれるのよ!絶対に間違っているわ!」
「そうよ、おかしいわよ!」
相手を刺激させないように下手に出てみたが、どうやら逆効果だったようだ。
(しまった、また間違えた)
はっと気付いてももう遅かった。癇に障った令嬢達、特に前にいる数人の怒りと興奮が収まらない。
「大体昨夜のパーティは殿下の婚約者を選定する為の最初の顔合わせのパーティだったのよ。それから学院生活の中でじっくり厳選して選出される予定だったのに!」「チャンスさえあれば私達だって!」
当たり前だがこの令嬢達は殿下の婚約者に選ばれたかったのだろう。あの侯爵令嬢の側にいた彼女と同じく、第二王子に本気で想いを抱いている令嬢も少なくはない。もしかしたら自分がという淡い期待を私がふいにしてしまったから、不満をぶつけずにはいられないのだ。
でもだからと言ってただ八つ当たりされる謂れはない。自分だって別に望んでなった訳ではない。しかしもう今更何を言ったって意味はないだろう。
「どうして私達じゃないのよ!なんであんたなんかが!」
カッとなった真ん中の令嬢が思わず手の平を振り上げた。下手に抵抗するより大人しくしく叩かれた方が彼女の怒りもいくらか収まるだろう。そう判断し目を瞑って衝撃に備えようとした時、凛とした静かな声がそれを遮った。
「お待ちなさい」
聞き覚えのある気品に満ちた声を聞いて目を開けると彼女らの視線の先にはジェーン・スパングラー侯爵令嬢が毅然とした姿勢で立っていた。
「一人の令嬢をよってたかって攻め立てて、挙げ句に暴力を振るおうとするだなんて、淑やかの欠片もないわね。由緒正しいバミューデ学院の生徒らしからぬ上品さだこと」
「ジェ、ジェーン様……」
令嬢達が顔色を変えて動揺している中手を上げようとしていた令嬢が顔を青ざめながら手を下ろした。
「自分の思い通りにいかないことがその結果ですか。そんな娘を叩いて一体何になると言うの」
「ジェーン様、申し訳ありません!ですがこの娘が、殿下と……」
自分を打とうとしていた令嬢が狼狽を隠しきれない様子で震える指で私を指差した。他の令嬢達はさも自分達は無関係だとでも言うようにそっとその場から離れていった。
「たとえ何かの偶然やまぐれがあったのだとしても、殿下がお決めになったことです」
「で、ですが、ジェーン様だって本来は……」
本来は、言葉はそこで途切れたが本来は彼女のような上級貴族が殿下の婚約者になる予定だったのだろう。国の重役を担う侯爵位。そして彼女はその候補の筆頭だったのかもしれない。
「言ったでしょう、誰を選ぶかは殿下がお決めになること。私達はそれに従うまでです。あなたの殿下に対する気持ちも分からなくはないけどこんな事をすればどうなるか、分からない訳ではないでしょう?」
「うううっ」
呻き声を漏らしシワになりそうなくらいにスカートの裾を握った彼女の顔は、みるみるうちに曇っていきやがて
「うわあああん」と泣き出してしまった。残っていた友達らしい令嬢に泣きながら連れられて、残ったのは私とジェーン様(と側近のあの二人)だけになった。
もしかして助けてもらったのだろうか。お礼を言った方がいいのか分からないが、だとしても今の状況は何となくとても気まずい。
少しの間沈黙が流れた。お互い無言でなんだかとてもいたたまれなくなってきた。
「全く、殿下にも困ったものよね」
「へぇっ?」
愛想笑いを浮かべたまま立ち去るタイミングを見計らっていた私は、急に話しかけられたことに驚いて変な言葉で返してしまった。
「……あのジェ、ジェーン様は私のこと何も仰らないんですか?」
「…さっきも言ったけど、殿下が勝手に決めたことでしょう。どうせあなたは巻き込まれただけであなたに何か言ったところで意味は無いわ」
ジェーン様は半ば呆れた表情で腕組みをしながらふうとため息をついた。全くもってその通り、初めて共感してくれる人がいて、私の中でジェーン様との警戒心と言うか気まずさが少し取り払われた気がした。
「とにかく、これからはあなたを責める人もいなくなるでしょう。あの子もこんな事があったのだしね」
「あの、先程もその人に言ってましたが、こんな事とは何かあるのですか?」
ふと疑問に思っておずおずと訊ねてみると、彼女は扇子を取り出しながら答えてくれた。
「まあ滅多にないことだし知らないのも仕方の無いことよね。この学院では暴力行為をした者は未遂と言えども厳罰処分になるのよ」
「そうなんですか…」
だからジェーン様が現れた途端、皆は顔色を変えて焦っていたのか。打たれそうになったとは言えあの令嬢が少し気の毒になってきた。だからと言って八つ当たりはしないでほしいけど。
「と、ともあれ助けていただいてありがとうございました」
「気にしないでいいわ。あなたには負い目があるからね」
彼女はそう言うと自分の後ろに目をやった。スッと身を引くと後ろにいた人物が頭を下げながら出てきた。彼女に半分隠れるようにして立っていたのは私を噴水に突き落としたあのそばかすの彼女だった。
「あ…あの、ごめんなさい。謝って済むようなことじゃないのは分かっているけど、あの時はあなたが殿下を侮辱したと思ってついカッとなってしまって、無意識に手が伸びて…本当にごめんなさい」
「いえ、気にしないでください。私も怪我をした訳じゃないですし、先程ジェーン様に助けていただいたし…」
がばっと頭を下げられて慌てて返答した。自分より位の高い令嬢に頭を下げられるのは慣れてないしなんだかこっちが申し訳ないような気持ちになる。
「…ありがとう」
彼女はほっと胸を撫で下ろした様子でもう一度頭を下げた。
「私からも改めて謝罪をしておくわ。この子にはキツく言っておいたからどうか許してやって頂戴ね」
「は、はい」
私がそう言うとジェーン様は「それじゃあね」と二人を連れて去って行った。三人の姿が見えなくなった後、私はどっと疲れが押し寄せて来たのか、身体中の力が抜けて大きなため息をついた。
(はあ〜〜〜疲れた)
ジェーン様が助け舟を出してくれるとは思わなかったけど正直助かった。これで少しはは王子に関するやっかみや嫌がらせが無くなればいいのだけれど。
午後の授業も終え、教室を出た時に一応周囲の様子を伺ってみたが、昼間の出来事がすでに広まってたのか待ち伏せしている令嬢もおらず、敵意の視線を向けてくる人もいなかった。安心しつつも用心しながらこのまま何事もなく帰れそうだと思った矢先、階段を降りた曲がり角の先で「いい加減にしなさいよ!」とデジャブのような叱責の怒鳴り声が聞こえてきた。
お読みくださりありがとうございます。前回からだいぶ間が空いてしまいすみません。
アリアは言葉のチョイスをよく間違いがちです。




