第2(1)翌日の学院で
「貴女に婚約を申し込みたい」
急激にざわつき始める会場とは裏腹に落ち着き払った様子の殿下に、聞いていなかったらしい進行役が驚き狼狽えていた。
「で、殿下、一体どういう…?」
だがそれには見向きもせず、殿下はなおも私を真っすぐ見つめ続けている。
「は?」
その言葉を受け止めきれずに口を開けたまま私は思考停止していた。
今あの王子は何を言った?
私が婚約者?なんで?
さっき初めて会ったばかりのあの短期間で?
フリーズしている間にも令嬢達のどよめきは悲鳴と怒りも交え、どんどん大きくなっていった。
「学院在籍中って言ってたのにどういうこと?」
「今婚約者を決めてしまうって嘘よ!」
「アリア・イアハートって誰!?」
私の名を知っている者は必死に私を探し出そうとしているようだ。いろんな声が混ざって最早誰が何を言っているのか分からない。
「……様、イアハート様」
背後からささやくように呼ぶ声がして、私ははっと我に返った。
振り返ると初老よりは少し若めの男性が腰を屈めて立っていた。
「イアハート様でございますね。このままでは騒ぎになってしまいますから、今のうちにこちらへ」
そう言われ入ってきた所とは違う小さな扉へと案内された。外に出るととても静かに感じられたが、広間の中はまだこもった音のざわめき声が聞こえてくる。
「あちらの方向に別の停まり場がございます。馬車も用意しておりますのでどうぞそこからお帰り下さい。ご家族の方々にも既に事情を説明し、ご自宅へ向かわれております」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、物腰の柔らかそうな男性は「とんでもございません」と会釈を返した。誰かの執事だろうか、立ち振る舞いがとても手馴れていてさぞ優秀な侍従なのだろうな。
「巻き込んでしまって申し訳ありません。ですがもうすぐここにも人が来るかもしれませんのでお急ぎください。どうかお気を付けて」
正直そこから屋敷までどうやって帰ったのかあまり覚えていない。
案の定その後すぐに人が出てくるような声がしたので慌てて馬車に乗ったのだが、王城で起こった怒涛のような出来事が今頃になってフラッシュバックしてきて、頭が真っ白になっていた。そのため屋敷に着いてベッドに入るまでまるで抜け殻のようだったとメイドのサラが心配していたらしい。
翌朝、こんなにも起きて学院に行きたくないと思ったのは初めてだった。正直仮病で休んでしまおうかとも思ったが、昨日も休んでしまっているしこれ以上授業に遅れたくはない。来月にはテストもあるから、特進クラスにいる以上勉強を疎かには出来ない。
それに元の世界に戻る方法を探す為、今以上にもっと様々な知識を集めないといけないのだ。
腹を括っていつもより少し遅めに学院へ向かった。気の重い私とは正反対に妹は羨ましがり、父は大喜びしていたが、まだ何かの間違いかもしれないので見ないフリをしてそのまま屋敷を出た。
学院へ着くと、もうすっかり私の顔と名前が知れ渡っているようで、教室に入るまで何人の令嬢に睨まれたか分からなかった。絡まれて面倒な事になりたくなかったので、馬車を降りてから競歩のように素早く移動したつもりでも途中のそこかしこから妬みの声が聞こえてきた。
教室へ入るとやっと一息がつけた気がして私は大きく息を吐いた。入り口の近くに座っているアンナはいつもと変わらず魔法書を読んでいて、それが無性に嬉しくなり私は思わず話しかけてしまった。
「お、おはようアンナ」
「おはよう、朝から大変ね」
アンナは本から全く視線を動かさずそれだけ短く答えた。相変わらずのそっけない返事だけど今の状況からすると変わらない態度でいてくれたことだけでも十分だ。
クラスの女子生徒はアンナだけだし、他のクラスメイト達は男子だからか昨日の婚約者騒ぎにはあまり関心が無いようで、教室の中はいたって静かだった。
「よかった、このクラスは平和で」
それに安心して席に座ったものの、すぐにハッと気付いた。
(そういえば第二王子このクラスに編入してくるんだった)
絶対面倒なことになりそうな気がする。私の安寧な場所はどこにも無いんだろうか。
というかそもそも婚約者のことについて昨日結局何も説明がなかったのはどういうことなんだろう。このクラスなら特に騒ぐ令嬢達もいないし殿下が登校して来たら教えてもらってもいいよね。いや何がなんでも問いたださなくちゃいけない。そしてあの時の婚約者宣言は誤りのデタラメだったと他の令嬢達に説明してもらおう。
そんなことを考えていたらチャイムが鳴り出した。
(あれ?まだ殿下が来ていないけど)
チャイムが鳴り終わると共に入ってきた教師が授業を始める前に「皆さんにお知らせがあります」と口を開いた。
「昨日の交流会はお疲れ様でした。昨日の式通り本来なら今日から第二王子殿下がこのクラスに編入となるのですが、残念ながらご公務の為しばらく授業は欠席されるそうです」
(えぇーー?)
私は声には出さなかったが心の中でひどく落胆した。昨日の説明が欲しかったのは勿論だけど、あれが何かの間違いだっていう事を確認したかったしあわよくば殿下に令嬢達の誤解を解いてほしかったのだ。きっと殿下自らが言えば令嬢達も一発で大人しくなるだろう。なのに編入早々来ないだなんて。
「そうそう、イアハートさん、殿下から御手紙を預かっております」
「えっ?」
そう言って渡された一通の封筒を見ると、確かに王族の封蝋印が付いていた。期待半分で開けてみると便箋の宛名に「婚約者殿へ」との一文があった。一瞬きちんと納得できる説明や理由を書いてくれていたのかと思ったのも束の間、そこには
「後日、王城にてまた話をしよう。よろしく願う!」
とだけ書かれていた。
(殿下〜〜〜〜!)
お読みくださりありがとうございます。
殿下はご想像通りマイペースな方です。




