第1(3)邂逅
目が覚めると、私は自室の部屋のベッドで寝かされていた。
窓を見ると陽が高く昇っていたので、多分あれからいくらか時間が経っているんだと思う。
そして、頭の中には前世の記憶がありありと思い出せた。
「夢じゃなかったんだ……」
ぼう然としながらそう呟くと、ちょうど水を替える為にメイドのサラが入ってきた。
「失礼します……あ、お、お嬢様、お目覚めになられたんですか!?」
「ええ、心配かけてごめんねサラ」
サラが言うには私が噴水に落ちてからおおよそ一晩が経っているらしい。つまり今日はパーティ当日の昼前、もしくは昼頃くらいか。
「旦那様は万一の為に今夜のパーティを休んでもいいとおっしゃっておりましたが…」
「大丈夫よ、どこか怪我をした訳でもないし、今のうち休めば夕方には登城出来るわ」
「ではそのように伝えておきます」
いくら父がそう言ってくれても流石に王城で行われる大事な行事に欠席する訳にもいかないだろう。
サラが退室すると私はベッドに再び深くもたれ掛かり、静かに瞼を閉じた。
頭の中で過去の記憶をもう一度思い返し整理してみた。
前世、日本にいた時はヘンゼ王国なんて聞いたこともなかったし魔法ももちろん無かったから、多分これが異世界に転生したと言うことなんだろうな。
そういうものを読んだ事が無かったからここが架空の世界なのかどこかの物語の中なのかは分からないが、この世界にいるということは私は死んだのだろうか。
でもどれだけ思い返してみても自分が死んだ時が思い出せない。それどころか大事なところ穴が空いたみたいに記憶がところどころ抜け落ちている。
まるで大事なページが破り取られてしまったかのように。
そしてその失ったページを探し求めるかのように焦燥感にも似た心のざわつきが、ある思いと共に目覚めてからずっと胸に残って騒ぎ立てている。
元いた世界へ帰りたい、という思いが。
どうしてこんなにもこの思いに駆られるのか、これも一部失くした記憶のせいなのか。
でもこうやって思い悩んでいても今すぐ思い出す訳でもないし、それよりもまずは今夜のパーティだ。
元の世界に戻る方法は少しずつ探していこう。
そうすれば記憶もいずれそれに伴って思い出せるはずだ。
私は再び目を開けるとメイドのサラが持ってきてくれた水を飲み、身支度を整える為にベッドから下りた。
その日の夜、王城の大広間には色とりどりの豪奢なドレスに身を包んだ貴族の令嬢達が式の始まりを今かいまかと待っていた。皆これでもかという程に全身のあちこちに宝石を散りばめ、目一杯めかし込んでこの国の王子の目に留まろうと必死だ。その頃私はというと、まだ馬車の中でガタガタ揺られていた。
「もう、もう少しで遅刻になるところだったわよ?」
ちなみにこんなに出発が遅れた訳はセイラがギリギリまでドレスと髪飾りの組み合わせに悩んだせいだ。
「だって私にとっては初めての王城なのよおねえさま。とびっきり可愛くして行きたかったの」
「パーティと言ってもどうせ式の間は別々になるのよ」
「いいのそれでも!」
「まあまあ、可愛い妹に免じて許してやれアリア」
「はいはい、分かりましたよ」(親バカ…)
どんな時でも妹を全肯定する父に呆れながら私は窓枠に肘をついて馬車の窓の外をひたすら眺め、王城に着くまでの時間を潰した。
城門の馬車の停まり場に着くと学院生とその家族とで別々に案内された。厳密に言えばミアナも同じ学院だが、今回は高等部がメインの式とパーティなので、まだ初等部の妹はその他の家族達と一緒に別の広間での会食となる。
「お急ぎください」待ち構えていた衛兵が少し慌てた様子で会場までの道順を教えてくれた。案の定やっぱり私が一番最後らしいが、まだ始まっていないらしいので助かった。
城の中庭に面した渡り廊下を歩いて向かっている途中、既に暗くなりつつある茂みの中でふと何か光を放っているモノを見かけた。
「……?あれは何?」
淡く緑色にボウっと光る何かはふよふよと空気中に漂いながら、不自然に、どこか誘っているようにも見える。
色は違うもののその様子は日本の蛍に良く似ていたが、こちらの世界に蛍のような昆虫はいない。
私はつい気になって渡り廊下から中庭へ一歩踏み出した。
蛍のようなモノはこちらを認知しているのか私が近づくとその分ふわりと距離を取る。あやしい光につられ、茂みの中へ手を伸ばそうとしたその時、渡り廊下の上の方から突然声が聞こえてきた。
「殿下、おやめください!」
何事だろうと手を止め、振り返ろうとした私の頭上に影が降ってきた。
「へっ?」
降り仰いだ視界の中に入ってきたのは、まさに今こちらへ飛び降りようとしている人影とそれと共にはためくマント。
この国では王族の証とされる国章が刻まれたマントに、殿下という呼び名が合致する者など一人しかいない。
そんなことを考えているうちに私は逃げるという判断をしそびれて、そのまま影は私目掛けて真っ逆さまに落ちてきた。
(あ、やばい)
咄嗟に目をつむり、ダンッという音と軽い地響きに再び開くと彼は私のギリギリ真横に着地していた。一瞬身をよじったのが助かったのかもしれない。けどおかげで私は尻餅をついて完全に腰を抜かしてしまっていた。
「で、殿下、ロイル殿下!ご無事ですか?」
心配よりも焦ったような声が二階からまた降ってきて、その声に反応したように彼はすっくと立ち上がりその声に応えた。
「ああ、大丈夫だ心配ない!」
二階部分から飛び降りて無事に着地出来る上によくそんなすぐに立ち上がれるな。半ば呆然としながらそんなことを考えていると、彼はくるっとこちらを振り返って再びしゃがんで膝をつくと私の目の前に手を差し出した。
「すまなかったな、危うく激突して怪我をさせてしまうところだった」
「い、いえ……」
そこで私は第二王子殿下のお顔を初めて見た。
太陽みたいなオレンジの髪色と太陽の下の新緑のようなエメラルドグリーンの瞳。鼻筋の整った凛々しく精悍な顔つきはまあ学院中の令嬢達がほっとかないだろうなとは思う。行動は読めないが、姿勢や所作が王族らしい高貴さや威厳に満ち溢れている。
差し出された手を掴み返すと殿下はそのままグイッと引っ張って立ち上がらせてくれ、勢いに少しよろめいた私をしっかり支えてくれた。
「大丈夫か?ドレスを着ているという事は学院の生徒だと思うが、どうしてこんなところに?」
「あの蛍…いえ、不思議な光を放つ虫のようなものがいたのでつい気になり確かめようとしておりました」
そう答え、ぱんぱんとドレスに付いた土を払い整えながらチラリと茂みの方に目をやると、あの蛍のような緑色の発光体はいつの間にか消えてしまっていた。
少し残念に思いつつ視線を殿下の方に戻そうとしたのだが、何故だか上手く殿下のお顔を直視出来ない。余りに突然の出来事に分かりやすく私の頭がパニックを起こしているようだ。
本来なら一介の貴族が口を利けるような身分ではないが、今はもうそんな事を気にしている余裕も無かった。
しかし本人はそんなことは大して気にした様子もなく嬉しそうに明るく笑いかけた。
「実は俺もその光が見えてどうしても気になってな、けれど衛兵に止められそうだったから思わず飛び出してしまったんだ」
気になったからってそれで二階からいきなり飛び降りるのもどうかとも思うし、本日の主役が大事な式の直前に何をやってるんだ。と頭の中でそう思ったがこの状況で人のことを言えないのですぐに揉み消した。
「そうか、どうやら貴女も気になった事を追求してしまうタイプか。俺と同じだな。そうだ貴女の名前をまだ伺ってなかったな」
「ア、アリア・イアハートと申します」
少し下を向いたままどうにか名乗ると丁度渡り廊下の向こうの方から殿下を呼ぶ複数の声が聞こえてきた。さっきの上にいた衛兵が下りてきたのか他にも従者らしき声と一緒に殿下を探しているらしい。
「イアハート嬢か、手間を掛けさせてしまってすまなかったな。またお会いしよう」
王子は再び私の方へにかっと笑いかけ、それだけ言うと飛び降りた脚の負担など無かったかのように颯爽と去って行った。
残された私は少しの間ぽかんとしていたが、すぐにサァーっと顔の血の気が引いていくのを感じた。
終わったかもしれない。
いくら混乱していたからとはいえ上流階級、ましてや王族に対するマナーや作法を完全に忘れてしまっていた。たとえ王子が気にしていなかったとしても万が一さっきのを城の人達に見られ、それが不敬だと言われれば罪になるのだ。
しかも不可抗力の事故だとしても殿下と二人っきりになっていたという事を他の令嬢達に知られれば、まず間違いなく針のむしろにされる。
(帰りたい………)
絶望感に苛まれていると「あっこんな所で何をされているんですか、もうすぐ始まりますのでお急ぎください!」と最初に道を案内してくれた衛兵に見つかって、半ば強制的に会場まで連れて来られてしまった。
恐る恐るドアを開け滑り込むように中へ入ると、大広間はザワザワと騒がしくてあまりこちらへ注目はされなかったのでひとまずほっとした。どうやらまだ殿下が来ておらず時間が押しているらしい。まあどう考えてもさっきのあれが原因だろうけど。
クラス順に集まっているわけでもなさそうだし、きょろきょろと見回してみると後方の壁際にアンナの姿が見えたのでこっそりその近くに位置取った。するとなもなく
「皆様ご静粛に!それでは只今よりバミューデ学院高等部進学記念交流会ならびに、第二王子ロイル殿下の御帰還、御編入式を始めさせていただきます」
大広間の奥、二階の左右から繋がる大階段の脇で進行役が声を張り上げた。私達がいる所から一段高くステージみたいになっている大階段には、進行役と共に国の重役達が揃って並んでいる。
その中には先日の侯爵令嬢様の姿もあった。父に聞いた話では彼女の家スパングラー家は代々外務大臣を務めているらしい。流石と言うかなんと言うか、婚約者も多分ああいう令嬢達から選ばれるんだろうなと何となしに思った。
「それでは、ロイル殿下のご登場です!」
わぁっと上がる歓声の中、右側の階段から装いを改めた第二王子がゆっくりとした足取りで降りてきた。たちまち歓声は黄色い声へと変わり、令嬢達の中には羨望の眼差しを向ける者や両手を組んで祈るような者までいる。
肝心の殿下はと言うと、先程の彼とは別人のように冷静で堂々たる王族の顔をしていた。こちらもやはり流石と言うべきだろう。
進行役が殿下のこれまでの経緯と功績を読み上げ、この度帰国し学院に編入することになった旨を説明した。
「よって、ロイル殿下はバミューデ学院高等部、特進クラスへと御編入される事となります」
一斉に拍手をしながら私はやっぱりか、と憂鬱な気分でいた。これからの事を思うとげんなりしてくるが、なんとか顔には出さないように必死に繕った。ふとアンナの方へ目を向けると同じくちょっと気が乗らなさそうな顔をしていたので、やっぱり彼女とは気が合いそうな気がする。
「そして、この学院生活の中でゆくゆくは殿下には御自身の婚約者を選んでいただくようになります」
そう進行役が発表するやいなや、たちまち黄色い歓声は最高潮になった。この場にいる誰もがもしかしたら自分が選ばれるかもしれないというささやかな希望や期待を胸に抱いて瞳を輝かせている。
この中からだなんて到底無理に決まっている、お父様ごめん。と私は心の中で先に父に謝っておいた。
しかしふと視線を感じた気がして、顔を上げて大階段の方を見ると、真ん中に立っている殿下とばっちり目が合ってしまった。
およそ百人単位の人達がいるこの群衆の中で私を見つけて目が合うなんてあり得ない、と思ったが多分気のせいとかではないような気がする。どんな視力をしているんだ。
するとそのまま殿下は私を真っすぐ見据えたまま、にんまりと笑ってみせた。まるで何かを企んでいる悪童のようで、それを見た瞬間私はなんとも言えぬ嫌な予感がした。
「それでは、殿下からも何か一言お願いいたします」
「ああ」
そう言うと一歩下がった進行役の代わりに一歩前へ進み出て、あの笑みを浮かべたまま深く息を吸い込んだ。
そして大広間全体に響き渡るほどのよく通る声で大々的に宣言した。
「私の婚約者のことだが、本来は学院在籍中に決めるつもりだったがすまない、それは変更する事になった!私の思う相応しい人物が見つかったので今、ここで婚約者を決めたいと思う!」
そして私を見つめながらゆっくりと口を開き、とんでもないことを言い放った。
「アリア・イアハート嬢、貴女に婚約を申し込みたい!」
その瞬間、私の頭は真っ白になって、それまで考えていたことが頭から全て抜け落ち、おそらく過去最高に気の抜けた顔でぽつりと漏らした。
「は?」
お読みくださりありがとうございました。
長くなってしまいましたがこれで物語の始まりとなる第一話となります。
これから少しずつ作っていきますのでどうかよろしくお願いいたします。




