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妖魔界の土地神様  作者: モチュモチュ
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魂暦

 中央が見えて来たと言うミナシの声を聴き、俺は体を起こそうとするが……無理だった。荷車の中に倒れ込み、そのまま項垂れ続ける。もう起き上がる気力もなかった。

 旅を始めて2日目、自分が野宿を出来ない事に気付いてしまう。テントもなければ寝袋もない、夜空の下布を被って寝るなんて正気の人間のする事とは思えなかった。それでも夜が来る。必死に自我を絶ち、何とか眠りに落ちたと思えば、妖獣の夜襲に叩き起こされる事に。寝たら寝たで、堅い床での睡眠なので体がバキバキになる始末。

 それでも俺はマシな方だ。荷車は荷物で塞がれ、1人分のスペースしか空きがなく、コンとミナシの2人は、その唯一のスペースを優先的に俺に回してくれていたのだから。こればかりは、自分を土地神扱いしてくれた事に感謝しかなかった。とは言え、コンやミナシにも休息は必要で、俺が荷車を降りて歩く日もあった。当然だが、1、2時間の健康に良いウォーキングなんて生易しい物じゃない。半日も足場の悪い森の中を歩かされるのだ。草履で、それもハクのスピードに合わせる為、ジョギングに近い速度で……。

 この10日程の旅の間に俺は100回以上『死ぬ』と思った。後半の旅路の記憶なんて曖昧だ。ミナシはこの長旅にも最後まで平然としていたが、毎日の様に森で山菜を積んでいたコンでさえ、今では荷物の減った荷車の上で俺と並んでぐったりとしている。


「まさか本当に霊脈の流れが分かるなんてな。驚いたぜ」


 ミナシから感心され、俺は曖昧に頷く。俺達は当然の様に森の中で迷ってしまった。星を読む技術もコンパスも持ち合わせていなかった俺達が頼ったのは霊脈の流れだった。全ての霊脈は霊脈核、つまりは中央に通じていると言う。2人と1匹から期待の眼差しが寄せられる中、俺は仕方なく勘で方向を指し示した。その結果が今である。自分でも当たったのが驚きだった。


「中央はまだなのですか?」


「ここも中央に入るぜ」


「え? そうなのですか? ここが中央、想像していた物と違います。とても、田舎です」


 あぜ道にの上、周囲に見える殆どが田畑、その広大な田畑の間を埋める様にポツポツと数軒のボロ屋が立ち並んでいる。開拓はされているが、牛六角とくらべるとあちらの方が都と言うべき町並みだった。


「コンの住んでた村と同じくらいじゃないのか」


 コンに視線を向けると彼女はピクっと頭部の耳を立てて背筋まで伸ばす。そして呼吸を無駄に多く取りながら明らかに不自然な笑みを浮かべる。


「あ、は、はい、その、そう、ですね――。あ、碧音。ふ、ふへへへ」


 コンはずっとこの調子だ。しかもしつこく話し掛けると、笑顔のまま顔が青く染まって行き、白目を剥き始める。流石に体にそんな変調を来されると俺でも気を使ってしまう。


「一般的に中央って言ったら中央の中心部を指すからな。そこは牛六角が小さく思える程の街になってるらしいぜ。中央には城門とか城壁もねーから、今も広がり続けてるし、この先も広がり続ける。そう言う街になってるって師範代から聞いたぜ」


「城門とかいつの時代からなくなり始めたんだろうな」


「? 中央は最初から城門の様な囲いは作られていなかったらしいぜ」


 完全な独り言、それも自分の世界での事だったが、俺はミナシからの返答に適当に頷いておく。


「中央、一体どの様な所なのでしょう……きっと、とても華やかで笑顔の絶えない場所のはずです。土地神様の傍にいると思えるだけで幸せな気持ちになれます」


「どの様な町にも良い面があれば悪い面もある。我が見て来た限り、それに例外はない」


 ハクの言葉にコンは不満げに頬を少し膨らませる。


「そんな事ないです。土地神様の住まわれる地ですよ。あ、そうです。宝来の国、宝来の国はとても素敵な場所です。ですよね! あ、その、で、です、よね? あ、碧音、ふ、ふへへ」


「普通に酷い所も多いけど」


「そんな!?」


「まあ、普通に生きてたら、こっちと違って命の危険とか一切感じないけど」


「なんだ、それ、宝来の国は腑抜けしかいねーのかよ」


「剣なんか振り回してる奴がいないってだけだ。そもそも剣自体持ってる奴もいない」


「……全く想像できねーぜ。んなの妖獣に襲われたら終わりだぜ? 人間ってのは、お前みたいな弱い奴らなんだろ」


「その妖獣自体かいないからな」


「いるかも知れねーだろ。妖獣じゃなくても強い奴くらいはいんだろ? そんな奴が暴れたらどうすんだ? 剣もねーんだろ。それともそんな奴もいねーのか?」


「その時はそんな奴を無力化出来る武器を何処からか引っ張り出して来るんじゃないのか」


 銃と言う便利な武器があるが、説明するのが面倒なので黙っておく。


「んな適当な……」


「そ、それだけ安全で平和な世界と言う事です。で、ですよね」


「そうだな」


 引きこもりが生きていける程度に平和な世界だ。


 石畳によって整備された道路に差し掛かり、荷車を襲い続けていたガタツキが消えてからは、あっと言う間だった。周辺にポツポツと住宅地が増えて来たかと思えば、そこは既に何処までも広がっていそうな大きな街の中だった。祭りの準備も進められており、各所で見られる看板には『天命の日』と大きく描かれ、お面に饅頭、提灯に服、様々な物が売り出されている。


「これが中央……。想像以上です!」


 コンは旅の疲れ等、忘れたかの様に周辺に視線を向け、田舎者丸出しでキョロキョロし続ける。俺もコン程と言わないが街の様子に視線を向ける。

街の特色を上げるとすると、とにかく赤い街だった。家の柱や柵、そう言った細かい部分が赤く塗られているだけでなく、他の部分も暖色系色で固められている為、真っ赤と言う印象の強い街だった。

 そして街を闊歩する妖魔に妖獣と言う名の魑魅魍魎達。そこに1人混じり込んだ人間の自分がどうしようもなく場違いに思えてしまう。彼らが人間自体を知らないと分かっていても『美味そうな人間の匂いがするぞ』と、そんな事を言い出しかねない気がして俺は荷車の中に顔を引っ込めてしまう。


「中央に入ったってつっても、ここから土地神様が住まう宮殿までは半日は掛かる。どうやらこの辺りは牛魔の手は回ってねーみてーだな。役人に手配書くらいは行ってるかも知れねーけど、天命の日が近い事もあり、街の外側でもこの賑やかさ、これは役人の手も回ってねーな」


「ひっ」


 ミナシの言葉にコンは怯えるように頭の狐のお面を手で隠しながら体を引っ込める。


「このまま霊脈核まで行きてーけど、ハクも限界が来てるからな。天命の日まで2日の余裕もある。一旦、宿を探した方が良いか。師範代の知り合いの宿って言うのもこの近くだってはなしだしな」


「すまない、ミナシ。休息は取っていたつもりだったが、肩と足に想像以上の負荷が掛かっていた様だ」


「気にすんじゃねーよ。荷車を引いて森を抜けたんだ。疲れて当然だぜ。数日しか歩いてねーのにぐったりしてる奴も居るからな」


「そんなひ弱な奴も居るんだな」


「てめーの事だよ!」


「俺は最初に自分から荷物宣言しただろ。嫌味を言われる筋合いはない」


「何でそこまで開き直れんだ。恥とかそう言う概念ねーのかよ」


「恥とか感じてたら生きていけない」


「……ますますわからなくなったぜ、宝来の国っつーのは一体どんな場所なんだよ」


「複雑な場所」


「ちっとも想像出来ねーぜ。たく、そんな場所に行った前土地神様が心配だぜ」


「周りから騙されまくって身ぐるみ剥がされてるかもな」


「とんでもねー所だな!」


 俺の姿になってたけど、何だかんだ上手くやってたりすんのかね。少なくとも今の俺よりは快適に過ごしてるだろうな。食事は美味しいし、クーラーはあるし、ゲームも出来る、布団もフカフカだからな。只、自欲不施なんて物を本気で守る様なお人好しには行き辛い世界かも知れないな。



「……ラミラが経営してるって言ってたな、あの宿か」


 ミナシの視線の先、通りを1つ超えた先にあった宿屋は、一目で豪華だと分かる所だった。他の建物とは大きさも装飾の豪華さも、そして出入りする人の身なりも別格であった。出迎えを行っている仲居さんと思われる妖魔は、全てが下半身が蛇、師範代と同じラミア達である事はすぐに分かる。

 ふと、自分の体に影が落ちるのを感じて上を向く。俺は上空にある物を見て、思わず驚きの声を上げてしまう。そこに船が浮いていた。


「屋形船か、あたしも見たのは初めてだぜ。中央じゃそこまで珍しい物でもないのか。まあ、神鬼か、金持ちしか乗れねーけどな」


 船は俺達が向かおうとしている宿の近くで高度を下げ、中から青色の着物を着た妖魔が数人降り立った後、最後に赤が映える豪華な着物を着たが降り立つ。すると店内から複数のラミラ達が出迎えに出て来てその少女に深々と頭を下げる。


「今の方は一体何方なのですか? もしかして神鬼の方ですか?」


「あたしが知る訳ねーだろ。でも神鬼ならあの程度の出迎えじゃ済まねーからな、どこかの金持ちだろーな」


「加えて今は200年に1度の次代土地神様が選ばれるかも知れない天命の日。各地から自分こそはと考えている時代の土地神の候補者達も集まっている。本来は、この天命の日、土地神様が自ら、土地神様の候補者の中から時代の土地神様を指名する事になっている」


 ハクの説明をコンは『フンフン』と感心するように聞き続けている。


「前土地神様は600年だっけ、時代の土地神様を選ばずに土地神様を続けてたみてーだけどな」


 長生き過ぎるだろ。……まて、俺、200年も生きられないけど、土地神様になれば生きる事になるのか……。考えるのをやめよう。


「さてと、宿に行く前に幾つか確認して置くぜ。まず、当然だけど、てめーは自分が土地神だなんて名乗るんじゃねーぞ。人間だって事もな。頭が可笑しいと思われるだけなら、まだしも、土地神を勝手に名乗る奴なんて、この国に住まう妖魔から目の敵にされる程度じゃ済まねーからな」


「俺より心配すべきはこっちだと思うぞ」


 俺の視線につられる様にミナシは視線をコンに向ける。


「で、でも、あ、碧音は、本当の本当に土地神様ですよ!」


「……それを信じず、周りの妖魔から嘘や偽物だって言って危害でも加えられたらどうすんだよ」


「あの鎖が土地神様の身を守るとしても危害を加えようとした妖魔達は、その相手が本物の土地神様だったと知れば、おそらく命を絶つだろう。妖獣であっても土地神様に直接危害を与えたとなると国を去るか、自害する。そう言った必要のない悲劇を避ける為の対処だ」


「わ、わか、分かりました、と、土地神様だと言う事も人間だと言う事も、だ、だだだ、黙ってみせ、みせせせ、せみ! です!」


 ミナシはあからさまに挙動不審になるコンの様子を見つつ、軽く頭を抱えながら深いため息を着くのだった。


「2人はあたしの連れで、共に神鬼志願の旅をした仲間って言う事にしておく。結局木札は3つしか集められなかったが、天命の日の祭りには参加しようと思った……こんな所か」


「何と言うか、木札を6つも集めるのって時間的に厳しくないか?」


「そいつは、単純にあたしが神鬼志願の旅に出る機会が遅かっただけだ。蛇鬼と言う事もあって最初の1つを確保するのにも苦労したしよ。そもそもこの2つの木札なんて使い物になるかも分からねーよ。師範代なんて元神鬼だからな」


 宿屋に到着してすぐに、荷車を止めて、俺達も店の中に足を踏み入れる。宿の中に入ると同時に木の良い香りが全身を包み込む。今まで見て来た度の建物よりも綺麗で、床や柱にツヤがあった。古き良き旅館と言う印象の受ける場所だった。


「その松の部屋は妾の物じゃ! お主の様なブダ風情が泊まろうとするとは笑いが止まらぬ。ブタはブタとして豚小屋にでも泊まれば良いのじゃ!」


「ぼ、僕をブタと言いましたね! いくら呉服屋の蔵姫と言え、許せません」


「うるさい、くっさい農家の成り上がりの癖に!」


「米屋の何が悪い! ここの宿の米も僕の店の米を使っているんだよ」


 先程の赤い着物の少女と、肥え太らせたブタを2足歩行させた様な妖魔が言い争っている。そんな2人をそれぞれが引き連れるグループの妖魔達とラミアの従業員達が止めようと奔走していた。

 そんな中、俺達が宿に入って来た事に気付いた従業員の1人が、滑る様に俺達の元に来て、その表情を歪ませる。


「――っ、お客様、大変申し上げ難いのですが、ここはあなた方の様な者が泊まれる宿ではありません。お引き取りを……」


 煌びやかな他の客と比べれば、俺達の姿は酷い物だ。数日体も洗えておらず、服も土で汚れている。自分達じゃ分からないが、臭いも酷い物だろう。


「ほらよ」


 ミナシは面倒そうに懐から通行手形を見せる。従業員はミナシが少し動いただけで怯える様に後退る。しかし、すぐに気持ちを切り替える様に毅然とした態度に戻る。


「それが、何か?」


「ちっ、これが何か分からねーのか? ラミラがやってる宿っつーのはここだろ? んだよ、師範代、言ってる事とちげーじゃねーかよ」


 従業員の引きつった表情からも、蛇鬼であるミナシの事を怯えている様子がアリアリと伝わって来る。


「あなた達の様な妖魔が泊まれる宿ではありません、どうかお引き取りを……」


「――っ、私達はともかく、この人は宝来の国から来た人間で、土地神様なんですよ! 追い返す様な失礼な真似をして良いと思ってい――もがが!?」


「ばっ! な、何言ってやがる!?」


「その狐面、まさか妖狐!? ……益々あなた方を――」


 その時だった、宿屋のロビー全体に通る。綺麗だが有無を言わさぬ迫力のある声が響き渡る。


「何事ですか!」


 その声に、宿の従業員達は鞭でも打たれたかの様に居住まいを正し、そちらに視線を向け、頭を下げる。彼らの視線の先に居たのは、胸の大きな美人のラミラだった。


「……今は仕事中、私に下げる頭はお客様の為に使いなさい。それで呉服屋の蔵姫さんと米屋のトンキチさん。此度は如何相成って揉めているのです?」


「女将さん。松の部屋は、この妾、土地神候補者である妾を止める方が良いと思うのじゃ。この様なブダが次の土地神になれる訳がないのじゃ」


「なっ、僕だって立派な土地神候補者だ。皆が僕に次の土地神様になる事に期待してるんだ。この松の部屋は、この国で最強の神鬼と言われていたムミムミ様が良く泊まっていたと言う噂の部屋。その部屋に泊まれば必ずムミムミ様の加護を得て、土地神様に選んで貰う事が出来るはずだよ」


「その様な部屋じゃったとは……益々譲れなくなったのじゃ! その部屋に泊まるのは妾の方が相応しいのじゃ! 女将さんもそう思うはずじゃ!」


「御二方、どちらが次代の土地神様になるのかを決めるのは、私でも、まして松の部屋でもありません。あくまでも土地神様です。そして今この国にある唯一の法、自欲不施。土地神様が定めたこの国の唯一の法です。貴女方が今行っている互いを貶め合う行い、自欲不施の法に反していないと土地神様の前で胸を張って言えますか?」


 言い争っていた2人の妖魔は苦虫を噛み潰した様な表情を作り俯いてしまう。

 どさりと音がして、俺はそちらに目を向ける。ミナシによって口を塞がれ続けたコンが、白目を剥いて、その場に膝を着いていた。ミナシは何食わぬ様子でコンを担ぎ上げる。


「にしても師範代、神鬼の時はこんな良い所に泊ってたのかよ」


「もしかして……師範代の名前ってムミムミだったり、するのか? ムミムミ……ぶっ」


 俺は、女将さんが真顔で『ムミムミ様』と言ってるシーンを思い出し、思わず吹き出してしまう。


「おい、師範代の名前で笑ったりしたら半殺しにされるぜ。みっちり剣の稽古をさせられた後、森の中1日中走らされるからな……思い出したら吐き気が……」


 ふと、気配を感じて振り向くと、2人の妖魔の言い争いを収めた女将さんが俺達の正面に音もなく移動して来ていた。


「それで、こちらの方々とは如何様な件で揉めていたのですか?」


「お、女将さんが気にする様な事では、間違えて入って来てしまった様で……すぐにお帰りになって貰いますので」


 俺達を追い返そうとする従業員を女将さんは水が流れる様な優雅な動きで止める。そして、黄色い眼で俺達の様子をじっくり伺う。妖狐に蛇鬼と言う妖魔の組み合わせは目立つ過ぎる程に異常なのだろう。そんな事を考えていると、女将さんは、ミナシの首に掛けられていた木札を『失礼いたします』と断りを入れつつ、手に取る。


「この木札……いったい何処で、手に入れたのですか? 見た所神鬼志願者ですね。この木札は既に効力を失っています。神鬼志願の――」


「――だろうな、ここの誰かに見せれば良くしてくれるって師範代に渡されたんだよ。その様子、どうやら、あんたに見せれば良かったみてーだな」


「あのお方が、まさかこの様な物をまで持ち出して来るとは……蛇鬼に妖狐、もう一方は分かりませんが、随分と愉快な組み合わせですね。従業員の非礼、改めてお詫び申し上げます。この方達を松の部屋に案内差し上げて下さい」


「お、女将さん!? 松の部屋に、ですか? 蛇鬼に妖狐って、女将さん、この方達はもしかしたら手配中の――」


「くどいですよ。ここの主として、私が判断を下しました。なにか異論でもあるのですか?」


「す、すみません。すぐに案内いたします」


 松の部屋は、この宿の最上階である3階にあり、そこは明らかに他の部屋とは一線を画す場所だった。部屋の広さだけでなく、置いている家具もサービスも一流の物だった。畳張りの広い部屋に浴室、寝室、そして街を一望出来るベランダまである。

 部屋に入ってすぐに旅の汚れを落とす事になる。コンとミナシの2人は、俺に一番風呂を意地でも譲るつもりなのか、無言でプレッシャーをかけて来る。特にこだわりもない為、俺は余計な事を考えずに風呂場に向かう。普段、お風呂はシャワーで済ませていたが、確り湯舟にお湯まで用意されており、いつでも入る事の出来る状態だった。


「シャワーは……ないよな。この桶で体を流すのか? 別に何でも良いか」


 俺は何も気にせず、湯船のお湯を汲み取り、体にかけて行く。右腕に染みるような鋭い痛みが走る。右腕は腫れや炎症等は収まっているが、それでも鎖の形をした酷い火傷後の様な物が残っている。


「背中は……特に変な感じはしないな」


 見えないが背中にはトッチーの背中に刻まれていた物と同じ呪印が刻まれているのだろう。残念ながら周囲に鏡等はなく自分の背中を確認する事は出来なかった。体を洗う石けん等も見当たらなかった為、頭からお湯を確り浴びた後、湯船に浸かる。すると全身に溜まっていた疲労感から一瞬で寝落ちしそうになってしまう。


「……っやば、意識飛んでた」


 風呂場で寝ると命に関わるので、俺はすぐに湯船から出る。脱衣所に寝間着を用意されているのを見つけてそちらに着替える。


「コン、あたしがここに来る前、言った事覚えてんよな?」


「も、勿論です! 土地神様が土地神様で人間だと言う事は隠すのですよね」


「それを、いきなり言いやがって、その事を追及されたらどうするつもりだったんだ」


「う、か、隠そうとはしました。でも嘘を吐こうとしたら頬がピクピクとなって手足が痺れ、頭の中がグルグルしてしまうんです!」


「隠そうとすらしてなかっただろ! 自分から言いに行ってだろーが! 隠す意思すら見せてなかっただろ! てめーが妖狐だから嘘だと思われて良かったけどよ」


「もうそのくらいで良いだろ」


「いいわけねーだろ! あれだけ言い聞かせたのに開幕一番に言いやがったんだぜ?」


「だって私達だけでなく土地――碧音まで追い返そうとしたんですよ! あんな態度許せません。碧音は旅の間、寝言で毎日の様に壁のある部屋で寝たいって言い続けていました。だから碧音だけでもと思って、必死で――っ!?」


 コンはそこで初めて俺の存在に気付いたのか目を見開きながら振り返る。俺と目が合うとまるで石化の呪文でも掛けられてかの様に固まってしまう。


「そっちも風呂に入って来たらどうだ?」


「そうさせて貰うか、行くぜ、コン」


 ミナシはコンを連れて脱衣所に向かう。俺はそんな2人を横目にテレビを探してしまい、自分は一体何をしているのだろうかと小さくため息を漏らすのだった。


「松の部屋の者を先に尋ねたのは妾じゃ! 妾を差し置いて何処の誰が泊まっておるのか確認せんと気が済まんのじゃ!」


「僕の方が先に来て、ここで待ち伏せしてたんだよ。だから僕の方が先に会う資格があるよ」


「待ち伏せ? ブダは浅ましい事しか出来ない様じゃ。そんなの待ってる内に入らないのじゃ。お主は妾の後にでも尋ねれば良いのじゃ!」


「そ、そうはいかないよ。僕が先だよ。僕達より優先されてるって事は間違いなく神鬼の方、僕のお米を売り込まないと、こうしてオニギリも持参して来たんだから」


「神鬼の方なら気配で気付けるのじゃ。この部屋からは微塵もそんな気配は感じないのじゃ。3流所か4流、5流の気配じゃ! さっさと追い出して、この部屋は妾が使わせて貰うのじゃ」


 襖の向こうでドタドタと音が聞こえて来たかと思うと、襖に隙間が開き、そこから雪崩れ込む様に入口で揉めていた2人の妖魔が掴み合いながら部屋に飛び込んで来る。

 俺と目が合った2人の妖魔は、慌てた様子で掴み合いを止め、部屋の中央に置かれた机を挟んで俺に向かって自己紹介を始める。


「妾はこの国の南一帯を取り仕切っておる呉服屋『蔵服』の蔵姫じゃ」


 蔵姫と名乗った妖魔は、桜色の美しい瞳を持つ、頭から木の枝が生え、黒い髪には緑の蔦が絡みついていおり、木の香りが漂う妖魔だった。真っ赤な着物を身にまとっており、その着物には細かい刺しゅうが施されており、考えるまでもなく高価な物だと分かる。


「僕は米屋『トンカイ』のトンキチ、あなたがこの部屋の主かな?」


 トンキチは豚に服を着せたとしか感想が出てこない妖魔である。来ている薄青い服は良く見ると高価な物だと分かるが、半袖短パンと言う物もありぱっと見ただけだと、ド田舎に住む農家の息子にしか見えなかった。


「……妾達は名乗ったのじゃ、次はそちらが名乗る……こいつ寝とるのじゃ!?」


「はっ、悪い、意識飛んでた……えっと、ブクブク太った……ブタ?」


「呉服屋の蔵姫じゃ!!!」


「僕は米屋のトンキチだよ」


「……ああ、トンカツ、美味しいよな」


「なんだこいつ、全然話しが通じぬのじゃ」


「見た事のない妖魔だけど、蔵姫はどう? 知ってる?」


「知らぬ。妾達の事だけでない、妾達の店も知らぬ様なのじゃ、どうせ、どこかの田舎者なのじゃ」


「ここより都会に住んでたからな」


「ここって、ここは中央、この国の都心じゃぞ」


「別の国から来てるって事じゃないのかい?」


「お主は他国を知らぬ様じゃが、中央に限って言えば発展の度合いは他国とそう変わらんのじゃ」


 2人はヒソヒソを話し始める。俺はあくびを噛み殺しながら、まぶたを引っ張り続ける眠気と音のない格闘を繰り広げ続ける。


「騒がしいけど、なんだ? ……てめーら、何してやがる」


「僕達は、松の部屋に――じゃ、蛇鬼っ!?」


「と、土地神様に何かあったのですか!?」


「こ、こんどは、よ、妖狐なのじゃ!?」


 2人の妖魔はコンとミナシの登場に目に見えて慌てふためく。豚の妖魔の方は逃げ出そうとまでするが、腰が抜けたらしく、無様に畳の上を転がる。鮮やかな着物を着た妖魔の方は声を震わせながら持っていた手荷物の中から着物を取り出す。


「そ、そなた達は妾が考えた服に興味は、その、な、ないかえ? 自信作が目白押しじゃ」


「こ、この服、蔵服です! それにこれ、物凄く高い物です!


「お、おお、お主、この服の価値が分かるのじゃな、それに蔵服も知っておるのか?」


「当然です、この国に住まう妖魔で知らない妖魔はいません! ですよね」


「まあ、あたしも名前くらいは聞いた事ある」


「ふ、ふふ、何を隠そう、この妾、その蔵服の当主、蔵姫じゃ!」


「ええええ! み、ミナシ、す、凄い妖魔ですよ! 蔵姫って言ったら、本当に凄いです!」


「ふむふむ、普通は妾が名乗ればこの様な反応が返って来る物なのじゃ。それをそっちの妖魔は眉の1つも動かさなかったのじゃ!」


「う、うう、こ、腰が……」


「因みにそっちで転がっておる哀れな豚がトンカイのトンキチじゃ。米屋のトンカイって言えば聞いた事くらいはあるはずじゃ」


「そっちはないです」


「は、はは、僕は中央にしか品卸ししていないからね。それより彼の事を土地神様と呼んでいた様に聞こえたけど――」


 ミナシはコメカミ青筋を浮かべながらコンを睨みつける。コンはミナシの迫力に気おされる様にシュンとして体を小さく丸める。


「彼も僕達と同じで土地神の候補者なのかい?」


「あ、ああ、そう言う事だ。そいつは土地神の候補者だぜ」


「碧音は前土地神様から指名を受けもががっが――」


「この松の部屋に通されたって事は、何者なのじゃ。あの女将が認めた者と言う事なのじゃ?」


「僕もあの神鬼との知り合いも多く、宮殿内の情報にも精通している女将さんがこの松の部屋に通した土地神候補者の事は気になるよ。良ければ一緒に食事はどうかな? 色々と意見交換等したいし、きっと互いに有益になると思うんだ」


「蛇鬼を見て腰を抜かしておった奴が、何を言っておるのじゃ……しかし、妾も興味はある。話しを聞いてみたいのじゃ。この部屋の状況、その者は、見方を変えれば妖狐に蛇鬼を率いておるとも見えるのじゃ」


 改めて自己紹介を済ませてすぐに仲居さんが来て食事を運び込む事を俺達に伝えて来る。その際、蔵姫達は自分達の食事もこの部屋に運ぶようにその仲居さんに頼むのだった。食事が運ばれて来るのを待つ間、腰の状態が戻ったと思われるトンキチが会話の主導権を握り、話しを進めて行く。


「僕達も土地神候補者なんだよ。今回の天命の日は新しい土地神様が選ばれる事になるってもっぱらの噂なんだ。200年に1度しか訪れない天命を日を迎えられる機会を与えられた事は奇跡だと思っているよ。僕はこの国はとても豊かな国だと思っていたんだ。朝昼晩、毎日3食、食べ物にも困らないとても豊かな国だって……でも、それは僕が恵まれていただけ、多くの妖魔は、食事を朝と夜しか取っていないんだ。その事を知った時の衝撃は今でも忘れていないよ。実際にこの目で見るまで信じる事が出来なかった。でも事実だった。そして知れば知る程、朝しか食事を取る事の出来ない妖魔もいる事を知った。その時に僕は決めたんだ。この天命の日には必ず、土地神の候補者に名乗りを上げようって。僕はこの国を誰も飢えない国、毎日3食食事を取る事の出来る国にしたいと思っているんだ。だから僕は土地神様になった時は『昼食を食べよ』って法を定めるつもりなんだ」


「それ、朝食が昼食に変わるだけだろ」


「え? あ、あれ? そう、なるの?」


 困るトンキチを見て蔵姫が愉快そうに笑う。


「良く言ったのじゃ! この松の部屋に通されるだけの人物じゃと言う事じゃな。お主の考える法等、やはり下らぬ。自欲不施と言う素晴らしい法の足元にも及ばないのじゃ」


「その法があっても飢えている妖魔が居るから僕は――」


「ブタの戯言等、聞く耳持たん。時間の無駄じゃ」


「だったら、君は土地神様選ばれたらどの様な法を定めるつもりなのかな?」


「妾は許しを与えたいと思っておるのじゃ。誰もが間違いや過ちを犯すもの、その法がどれだけ優れていたとしてもじゃ。自欲不施は土地神様のお優しい心が溢れるとても素晴らしい法じゃ、妾はこれを越す方はこの世に存在しないと思おておる。じゃが、その法に反してしまう者、止む終えぬ事情から反してしまった者も大勢おるのじゃ。妾はその者達に許しを与えたいと思うのじゃ。皆にも許す事の素晴らしさを知って貰いたい、全ての者が誰かに許しを与える国にしたいと考えておる。妾が土地神様になった暁には『許しを与えよ』と法を定めるつもりじゃ」


 俺は『へー』と感嘆の声を漏らしてしまう。皆色々と国の行く末を考えているらしい。ボケっと2人の話しを聞いていた俺をミナシは睨みながら小声で尋ねて来る・


「てめーはちゃんと考えてんのか? てめーが決めた法が、この国で唯一正しい事になる。絶対の正義となる。この国の在り方を決めんだぜ? その事、分かってんのか?」


 壮大で重要な話しに俺の脳が考える事を拒絶する。僅かたりとも俺の脳が、その事について思考する事はなかった。


「夕食まだ来ないのか?」


 夕食の事に意識を向ける俺を見て、ミナシは眉を潜める。


「てめー、ちゃんと考えてんだろーな」


「あー、うん、考えてる、考えてる。その内なんか思い付くって」


「……前言撤回するのじゃ、何故この様な者が土地神候補者になろうとしておるのじゃ? まして、何故、この松の部屋に通されたのじゃ? その内って残り数日もないのじゃぞ!」


「うっぷ……」


 蔵姫は自分の隣で唐突にえづくトンキチを見て、心底呆れた様な表情を作る。


「こっちは、こっちで何なのじゃ!」


「蔵姫は考えないのかい? ……もし本当に土地神様に選ばれたらって考えたらって。この国を背負う事になるんだ、在り方を決める事になるんだよ、僕が、あるいは君が! ここ数日、目を閉じると、今後の事とか、この国の事とか考えてしまって真面に寝れらてないんだよ。蔵姫だって、同じでしょ?」


「うっ、べ、別に? 妾は、そ、そんな事、一切ないのじゃ! 土地神様に選ばれたならこの国、酪王盤を背負う覚悟があるのじゃ! その重責を担う覚悟があるのじゃ! お主の様な情けない奴と一緒にしないで欲しいのじゃ!」


 蔵姫は、そう宣言して勇ましく腕を組むが、その指先は明らかに震えていた。


「僕だって覚悟はあるよ! 土地神様に選ばれたら、逃げ出す事なんて出来ない。そんな事をしたら国が滅びてしまう。この地に住まう妖魔も妖獣も滅ぼしてしまうんだ……覚悟は、ある」


「国を背負う重責……それが土地神様になると言う事……。か、考えた事もなかったです。土地神様になるって事は……そう言う事でした。この国を背負わなければならないんですよね……」


「確かに、神鬼になるのとは比べ物にならねーな。あたしには想像すら出来ねー」


 しんみりとした、重たい空気が室内に充満する。そんな中、俺のお腹が空気を一切読まずに大きな音を鳴らす。


「ここの料理って美味しいのか? もう良く分からない卵とか飲み込みたくない」


 蛇村にて持たされた保存食で最も多かったのが、あり得ない程にまずい3センチ前後の卵だった。飲み込むのが正式な食べ方らしく、噛むと中から酷い臭いと不味いエキスが飛び出して来る。他に食べ物のない為、そんな卵を無理矢理、苦しい思いをしながら飲み込む日々。この数日間の旅が辛かった原因の1つだった。因みに何の生き物の卵なのかは聞かなかったし、考えなかった。食欲をそそる様な生き物でない事は間違いないだろう。


「……この雰囲気の中、良くそんな話題を出せるのじゃ。ある意味で大物なのかと思えて来たのじゃ。この宿の食べ物の味は保証するのじゃ」


「僕の所のお米も使っているからね。食べたらその美味しさに驚くと思うよ」


 微かに廊下の方で物音が聞こえて来たかと思うと、すっと襖が開き、仲居さん達が料理を運び込んで来る。


「お、来た来た。この宿の料理で、特にお勧めは――豆腐じゃ。ここで出す豆腐は滑らかで舌の上でとろけるのじゃ。見るのじゃ、このプリンプリン具合を! その辺のガサガサ、ベチャベチャの豆腐とは完全に別物なのじゃ。まずは何もかけずに角の部分を切り取り、素材の味を堪能すると良いのじゃ。その後、この特性の出汁のスープをかけて少し混ぜて食べると、最高なのじゃ」


「こ、これがあの豆腐なのですか!? こんなに美味しい豆腐は初めてです! ……この出汁を掛けると更に美味しくなりました!?」


「豆腐ってパサパサした奴しか食った事ねーからな。あれは飲み込んだ時に喉に引っかかって最悪だったが、これは、そんな事もねーな」


「うむうむ、もはや食べるのが勿体なくすら感じるじゃろ。碧音とやらもこの豆腐には――っ!? お、お主は何をしておるのじゃ!?」


「豆腐を食べただけだぞ」


 出汁を掛けて、2口サイズ程の豆腐を雑に一気に口の中に放り込む。只の絹ごし豆腐でしかなく、別段特別に思う事は何もなかった。


「も、もっと、こう、ないのか? 感動の言葉とか、行動とか!」


「豆腐なんて別に美味しくないだろ」


「こ、こんの、虚け――」


「ま、まあ、まあ、蔵姫、味覚はそれぞれだから。それより、このご飯、これは美味しいよ」


「こ、これがお米なのですか? 真っ白です。それにふっくらとしてます!」


「ここの宿は、お米の皮を取って1番美味しい所をお客様に出しているんだよ。それに炊き上げって言う特別な調理方法によってここまでふっくらモチモチした仕上がりになっているんだ。僕が知る限り、これがお米の最も美味しい状態だよ。1度このお米を食べれば、もう他のお米の事なんて考えられなくなるよ。ほら、食べて見て、このお米には甘みがあって、それが――、んなっ! き、君は僕のお米に、な、何をしてるんだい!!!」


「豆腐の出汁を掛けただけだけど、ちょっと味は薄いけど食べれなくないな」


「き、君の行いはお米に対する冒涜だよ!!!」


「お米なんて、そのまま食べても味ないだろ。ああ、こっちのお肉を乗せたらちょうどいい感じだな」


 全体的に味が薄いと言わざるを得ないが、バラバラに使われていた調味料が重なり合う事によって、初めて料理と言うのに相応しい複雑な味わいへと変質する。


「こ、こやつの味覚はどうなっておるのじゃ」


「……あ、美味しいです。お米に出汁とお肉を乗せたら物凄く美味しいです!」


「そう言えば、食べ物に関してずっとうるさかったからな……あたしも試してみるか。なんだこれ、こっちの方がうめーじゃねーか」


 パクパクと夢中になって食事を始めるコンとミナシの様子をジッと見つめていた蔵姫とトンキチもゴクリと喉を鳴らした後、恐る恐ると言った様子で俺の真似をして、ご飯に出汁、そしてシンプルな味付けで焼き上げられたお肉を乗せる。


「……し、信じられぬのじゃ。なんなのじゃこの味わいは、美味しいと表現するだけでは言葉が足りぬのじゃ」


 トンキチは頻りに頷きながら夢中で食べ続けている。


「お、お主、本当に何者なのじゃ。な、何故この様に美味しい物を作り出せるのじゃ?」


「それは、きっと碧音が宝来の――もがががっ!?」


「いい加減その口、引き千切ってやろーか! ああん!」


 ミナシに口を塞がれたコンは涙目で首を横に振り続けるのだった。


 食事は比較的賑やかに進んで行った。お店を初めてからの苦労話等、話題は一生尽きないかの様に思われた。


「土地神様になれば、宮殿で暮らす事になるのじゃ。だから今の様に店も出来なくなるのか……」


「田んぼの様子を自由に見る事が出来なるなるのは辛いな」


 あらかた食事も終わり、ゆっくりとお茶を飲んでいると、会話の内容も自然としんみりした物へと変わって行く。


「……ふ、ふん、少し、しんみりしまった所為で思ってもない事を呟いてしまったのじゃ!」


「蔵姫は本当に負けず嫌いだよね。あのとにかく勝てみたいな太淵国出身だからね」


「あそこまで酷くないのじゃ。あの法の所為で商売をするのは本当に地獄だったのじゃ。その頃の事は思い出しただけで身震いするのじゃ。お主達も商売を考えておるなら太淵国だけは辞めといた方が良いのじゃ。あの国での商売は地獄を見るのじゃ。商売をするなら得ノ国じゃの。妾も元々は得ノ国で商売を始めるつもりじゃった。なんだかんだあって、この国で落ち着く事になったがの」


「あそこは義の国って言うだけあって、国を跨いでの商売とかは認めてくれないからね。あの国に行くなら、今までの縁から何もかも清算して、その地に根を下ろさないとダメだからね」


「この国の服装を酷さを見て、溜まらず服を売り始めたのが運の尽きじゃ。厄介な2つの国に挟まれておるから他の国に商売の手を伸ばせぬし、他の国の品を仕入れる事も難しい。まあ、それでも居心地の良い国である事は間違いないのじゃ」


「うんうん、もう少し、別の国からも来易くなればもっと発展するんだろうけど、周りの国があれの所為で、どうしようもないんだよね」


「少し、湿っぽい話しになって来たのじゃ。妾達はそろそろ、自分の部屋に戻るのじゃ。本日は非常に有意義な時間を過ごせたのじゃ。お主達の事は覚えておくのじゃ。妾に会いたくなったら訪ねて来ると良いのじゃ。歓迎するのじゃ」


「僕もって言いたいけど、ごめん、2人を見るときっと皆が怖がるから。あ、でも、どうしても困った時は遠慮しないで欲しい。食事くらいはいつでも出してあげるから」


「ケチ臭い奴じゃ。畑の1つや2つあげてもいいのじゃ」


「良い訳ないから。そこで働いてくれている妖魔の方もいるんだよ」


 蔵姫とトンキチの2人は最後の最後まで軽い言い争いを続けながら部屋を出て行く。2人がいなくなった事によって部屋が急に静かになる。その静けさは俺の中で眠っていた睡魔を呼び覚ます。


「ふあ……もう限界」


「あ、碧音、布団は隣の寝室に仲居さん達が用意してくれていますよ」


「ああ、行く」


 俺は、あくびを噛み殺しながら、フラフラと隣の部屋に向かう。灯ろう柔らかな光で照らされた部屋に敷かれた布団の上に倒れこむ。体を包み込むフカフカの布団、久々の心地の良い感触に俺の意識は1秒も持たずに深い闇の中に消えて行くのだった。


 心地の良い眠りの世界を堪能していると唐突に頬に激しい痛みが走り、半ば無理矢理叩き起こされる。


「うう、何? せっかくぐっすり眠れてたのに……」


 薄暗い部屋の中で視界に最初に飛び込んで来たのは布団があるにも関わらず、畳の上で丸まる様にして寝ているコンの姿だった。

 ミナシは険しい表情を作りながら、手早く身支度を整えながらコンを俺と同じ様に頬を叩いて叩き起こす。叩き起こされたコンは、飛び跳ねる様に起きて押入れの中に隠れようとする。


「ハクが遠吠えで危険を伝えて来やがった。ち、何かあったらしい。すぐにここを出るぜ。コン、隠れるんじゃねーよ、ここを出んだよ」


「!? つ、つい、いつもの癖で、す、すみません……」


 ミナシが襖の方に向かうと廊下から、大勢の無粋な足音と共に女将さんの鋭い声が聞こえて来る。


「その様な不埒物はこの宿にはおりません! 牛魔様の街を壊す様な方が本気でこの様な宿に泊まっていると思いますか!」


 舌打ちと共に襖から離れたミナシは、俺の手を引き、ベランダに向かう。ベランダから下を覗き込むミナシを見て、俺は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。


「明け方だっつーのにご苦労な事だぜ。コン、行けるか?」


 頷くコンを見て、ミナシはおもむろに俺の体を脇に抱えたかと思うと、ベランダの手すりを越えて、そのまま3階から地面にダイブする。悲鳴を上げ損ねた俺は、落下時の衝撃でカエルが潰れる様な情けない音を出してしまう。

 その後に続く様に部屋に俺達が持ち込んだ荷物を抱えたコンが降って来る。地面に着地後、平然とした様子で移動を始めた事からも、人間を遥かに凌ぐ身体能力を持っている事は明白だった。


「人手は多くない。表門と裏門に1人ずつ、制圧して逃げる事は容易いが、どうする、ミナシ」


「ハク、まだ疲れが取れてねーだろ。それに戦闘は極力避けたい。囲まれてねーのなら、このまま塀を越えて消えるとしよう」


「荷車と積んでいる荷物はあきらめる事になるが、問題ないのか?」


「贅沢を言ってられる状況じゃねーだろ。ハク、こいつを頼む」


 ミナシはハクに俺を咥えさせる。ハクは俺を咥えてすぐに飛び上がり、軽々2メートル近くある竹で出来た塀を越えてしまう。コンもミナシも平然と塀を飛び越えるのを見て、俺は2人が陸上選手になれば、信じられない成績を残すのだろうなと呑気な事を考えていた。

 ハクは俺を咥えたまま駆け出す。定期的に体を襲う生暖かく湿った空気に獣臭、そしてジワジワと拷問の様に全身を涎が侵食して来る。この世でこれ以上に不快な乗り物は存在しないだろうと思いながらも、どうする事も出来ず、ハクに身を任せ続けるのだった。

 明け方の街の様子は、昼間よりも遥かにカオスだった。塀にもたれる様に寝ている妖魔達はまだしも、地面に倒れ込む様にして眠っている妖魔も少なくなかった。通りによっては、地面が妖魔達で埋め尽くされており足の踏み場もない状況だった。明かりの付いた店からは宴会の様な賑やかな声が聞こえて来たかと思うと、その店の前の地面でも宴会が開かれていたりと、異常に感じる程の浮かれ具合だった。

 これも200年に1度しか訪れない祭りなのだと思うと、ある程度仕方のない事なのかも知れない。年に1度の祭りでも皆羽目を外すのだから。


「ち、もう、朝か。もう少し宮殿の方に近付いておきたかったぜ」


 薄暗かった街に、澄んだ朝の光が差し込む。光に照らし出された妖魔達は、1人、また1人と活動を再開し始める。ドドンと太鼓の音が、朝の厳かな雰囲気の漂う街中に響き渡る。その音に目覚めた妖魔達は色めき立ち、一気にお祭りへと転じて行く。

 足を止めるミナシに合わせる様にハクも足を止め、咥えていた俺を丁寧に地面に下ろす。俺は自分の左腕から滴り落ちる涎を見てハクを睨む。ハクは気まずそうに俺から視線を背けるのだった。


「これは何の騒ぎなんだ?」


「神鬼が中央に戻って来たって知らせだろーな。普通の妖魔からすれば神鬼に会えるってだけで見ての通りの大騒ぎだ」


 街中の妖魔がズラズラと街の出口の方に移動して行く。その光景は川と例えるにはあまりにも禍々しく、百鬼夜行と表現するのが最も適切に感じる光景であった。俺達はその流れから外れる様に路地に入り込む。ボケっと楽し気に騒いでいる妖魔達をみているとハクは色々と説明を始める。


「天命の日を迎えるにあたって、地方の神鬼達は、中央に集結する事となる。土地神様が代替わりするかも知れないとても大切な日でもある。普段はお目に掛かる事の出来ない神鬼達を見る事の出来る数少ない機会でもある。そして神鬼達もまた土地神様に会う事を許される数少ない機会。彼らも気合が入り、派手に宮殿まで移動を行う。その全てが、この祭りの催しの1つとなっている」


 騒ぎ立てる妖魔達の話しから、今回、戻って来た神鬼が氷月ひょうげつだと言う事が判明する。


「ひょ、氷月様なのですか! あの氷の姫と言われた氷月様……そんな方が近くにいるなんて感無量です!」


「ち、あんまり聞きたくねー名前だぜ」


「どうしてですか! 氷月様と言ったら美の象徴、美しさにちょっとでも興味を持つ妖魔にとっては憧れの的ですよ!」


「ミナシが持っていた最初の木札は、その氷月様から半ば強引に奪った物だからな。出された課題を無視して力技で何とかしたと言えば良いか。それで機嫌を大きく損ねている」


「しゃーねーだろ。氷の中から木札を美しく削り出せとか、美しくならなければ氷は溶けないとか、意味の分からねー事を言い出しやがって。叩き割れて、取り出せたんだから何ももんだいねーだろ」


「しかし、どうする? この妖魔達の流れに逆らい、宮殿に向かうのは難しいと判断する」


「路地を行くのも土地勘もねーから、迷子になりかねねーし……」


 そうこうしている間に妖魔達の流れがピタリと止まる。そしてまるでハサミで切られたかのように左右に分かれて行く。


「道が出来たみたいだぞ、今の内に行かないか?」


 俺は路地を出て、眼前に生まれた道に沿って移動を始めようとする。1歩2歩、3歩目を踏み出した所で足が大きく滑って転びそうになる。俺は何とか態勢を持ち直し、軽く滑りながら移動を再開しようとする。


「本当に周りの事とか状況とか一切見ねーよな!!!」


 突然真横からミナシが飛び出して俺の腕を掴んで強く引き寄せようとする。


「これは、これは、蛇鬼の、久しいではないか?」


 ミナシと共に振り返る。最初に飛び込んで来たのは氷で出来た巨大な船だった。その船が地面を凍らしながら滑る様にして移動している。船の左右を取り囲むように白熊の様な妖魔や氷で出来た彫像の様な妖魔が立ち並んでおり、得も言われぬ迫力があった。


「……その節は、どーも」


 ミナシがそう呟くと同時だった。氷で出来た船から手足と髪が透き通る様な青い氷で出来た、武と美を兼ね備えた様な美しい妖魔が飛び降りて来る。その妖魔の全体の色味として白っぽい青、背中に携えられた2メートルはありそうな氷の弓は見ただけで存在感を他者に植え付ける程の迫力がある。ミナシの傍にいたコンは口をパクパクさせ、今にも白目をむいて気絶しそうな状態に陥っていた。


「くく、牛魔の所で随分派手に暴れたそうではないか?」


「あばば、ばれ、バレてます!?」


 ミナシは舌打ちと共にハクを目配せを行い、すぐにでも行動を起こそうとするが、氷月の方がミナシよりも早かった。


「セツ、この者達を中に」


 セツ、そう呼ばれた者の正体は、先ほどまで彼女を乗せていた巨大な氷の船だった。形が大きく変わったかと思うと、船体に口の様な物が作られ、氷月諸共俺達を内部に取り込む。船の内部は氷の洞窟としか言えない、空洞だけの何もない場所だった。内部は明るいだけでなく、思ったよりも寒くなく、慣れれば快適そうな場所だった。


「ここは我の妖獣、セツの内部だ。今は何もないが、普段は食糧等を収め長期の輸送等を行ってもらっている」


「どうする気だ? 牛魔にでも引き渡すのか?」


「その様な事はせぬ、この国には自欲不施の法が存在する。我がそなた達と同じ立場ならその事を是とは思わぬ。故にそのような事はせぬ。少し話しをしたいと思っただけだ。さて、ここに来ていると言う事は木札は6つ集め終わったのか?」


 ミナシは氷月の質問に顔を伏せる。それで全て察したのだろう。氷月はミナシに抱いていた興味をなくしたのか、今度は俺に視線を向けて来る。


「……そちらで気絶しているのは妖狐か、変化もしておらぬ妖狐と言うのも珍しくはあるが、そなたは何の妖魔だ? 見た事がない」


 ミナシはさり気なく俺を庇う様に氷月との間に立つ。


「これは、これは、蛇鬼の……そなたが、そこまでする程の相手なのか? あの蛇鬼にそこまでさせるとは久しく驚きと言う物を感じずにはおられぬ。その妖狐もその者を慕って傍にいるのか?」


 氷月は品定めでもする様に、透き通った氷の瞳で、ジッと俺の事を見つめて来る。


「良く分からぬ、存在がとても不安定としか言えぬ。妖獣と契りを結んでいるようにもいない様にも感じる。見ているだけで胸が騒めく。妖魔相手にこの様な感覚を抱いたのは初めてだ」


「宮殿の方に向かってたから、ついでに運んで行ってくれないか?」


「てめーは黙ってろ!!! 誰に何を頼んでるんだ! 正気かよ?」


「この中にいれば安全に行けるだろ?」


「どこの何を見て安全なんて言葉が出て来るんだよ! 一応言っておくけどな、神鬼なんてまだ牛魔側だぜ? お尋ね者にされてるあたし達が最も関わるべきでない相手の筆頭だろ!」


「もう関わったんだし、今更どうでも良いだろ」


「良くねーよ! その通りではあるけどな!」


「……宮殿までか。構わぬが1つ条件がある。ミナシ、聞かせて貰いたい。そなたは自欲不施の法をどう捉えた。それを我に聞かせて貰いたい」


「ンな事、何の為にだ?」


「大した理由はない。今のそなたを見て、そなたの事を少々気に入ったと言う話しだ。答え次第では、我がそなたを神鬼に押しても良い。そこまでの事をこたえられるなら木札を6つ、容易く集め終わっているだろうが」


「……良い法だと思う。どの国の法よりも、民の事を考えた立派な法だって、だから牛魔の町を見た時に分からなくなった。何であんな事になるのかって。師範代にも言ったけど、この気持ちを言葉には出来ねー。なんて言えば良いか分からねーんだ。間違ってねーけど、間違ってるって言いたくなるこのモヤモヤ……なんて言えば良い?」


「そんな事で悩んでたのか? 馬鹿らしいな」


「あたしは、てめーと違って色々考えてんだよ! 蛇村の所からずっとだ。牛魔のしてる事も自欲不施の法に則ってる。則ってるけど――っ! ずっと考え続けてんだよ!」


「そんなの牛魔が悪いってだけで良いだろ。あいつが全部悪い」


「てめーみたいに単純に考えられたら苦労しねーからな」


「くく、物事を単純に捉えると言うのは簡単な様に見えて難しい物だ。そなたの様に、正しく正確に判断しようとして、多彩な視点と情報を加味して考えてしまう。それにより答えは霧に包まれて行くと言うのに関わらず、それでも懸命に自分なりの答えを引きずり出すのが神鬼だ……ミナシ、答えを出せぬソナタを神鬼に押す事は出来ぬ、だが、木札をそなたに与えた事を後悔せぬ程の存在にはなっている様だ。宮殿まで送るくらいはしてやる」


 氷月は天井を見上げる。すると天井に穴が作られる。彼女は飛び上がる様にして妖獣の外へと出て行く。それとほぼ同時に外で歓声が上がる。神鬼がどれだけ妖魔達から慕われた存在なのか改めて思い知らされる。


「……コンが気絶していたのは幸いだったな。起きてたら余計な事を口走っていただろーからな」


 数十分後、目覚めたコンが現状を見てパニックを起こしたのは言うまでもないだろう。


 氷月は約束通り宮殿の近まで俺達を運ぶ。宮殿は巨大な湖の中央に鎮座していた。四方を湖に囲まれた宮殿への道は、500メートルは越す長く大きな橋のみで、その大きな橋を無数の鳥居が跨ぎ、その奥には赤い柱白い壁、黒い屋根の神社を彷彿させる門と塀が広がっている。

 ここからでは、宮殿の全体図は見えないが、中に小さな町でもありそうな大きさである事は分かる。橋には警備の者が入口、中央、出口と6名も控えている。その周辺の川の中にも得体の知れない大きな魚の妖獣が潜んでおり、時折水面に顔を出していた。

 俺達を下ろした氷月は、自分の部下となる妖魔達に見送られながら、宮殿へと続く橋を、氷の船と共に進んで行く。俺達もその様子を彼女の部下と共に見送る。


「ち、思った以上に宮殿への侵入は難しそうじゃねーか。何か方法を考えねーとならねーのか、時間がねーってのに」


 妖魔達が左右に分かれ神鬼の為に作られた道を薙刀を背負った6本腕の妖魔が、周りの妖魔に『期待してる』『頑張れ』等の声援を受けながら、意気揚々と闊歩している。


「あの妖魔が手に掲げているのは6つの木札か。どうやら神鬼志願の旅を無事に終えた神鬼志願者らしい。その後ろを歩いているのは土地神候補者か。彼らもまたこのお祭りの催しの1つと言う事らしい」


「あ、蔵姫さんです」


 蔵姫は、選挙のアピールでもする様に、自身が掲げる法を宣言しながら闊歩していた。それを聞いた妖魔に妖獣達は、拍手をしたり、時に野次を飛ばしたりと、それなりに盛り上がりを見せていた。


「妾は許しを与えたいと思おておる。許す事、許せる事の素晴らしさを……おや? お主達は昨日の、こんな所で何をしておるのじゃ? 土地神候補者ならこうして自ら考えた法を宣言して土地神様に少しでも印象付けねば、選ばれるものも選ばれぬぞ?」


 俺達に気づいた蔵姫がパレードの足を止めてこちらに近付いて来る。俺は通りの真ん中を堂々と歩く彼女の姿に期待が込み上げて来る。


「もしかして候補者って宮殿に入れるのか?」


「そんな訳ないのじゃ。宮殿に入る事が許されるのは神鬼と、木札を集めた神鬼志願者くらいじゃ。宮殿内は宮殿内で生まれ育った妖魔に妖獣達が住んでおり、外に住まう妖魔が入る隙間なんてないのじゃ。妾達の様な土地神候補者はここで下り曲がって、別の大通りを闊歩するのじゃ。トンキチあの辺りを歩いておるじゃろうから、妾は……む、むむ?」


 その時、俺達の足元に大きな影が幾つも落ちる、空を見上げると数匹の鳥飛王が大空を滑空していた。


「太淵国だけじゃなく、得ノ国も天命の日を迎えると言う事だけあって祝に来ている様じゃ。しかし太淵国は相変わらず勝つ事に拘っている様じゃ、蒼天木そうてんぎなんぞ連れおって、戦争でも始める気か? おかげで宮殿越しに見える景色が変わっておるのじゃ」


 蔵姫の視線の先には天を貫く程の大きな木が何本も見える。注意してジッと見なければ分からないが、その木は動いていた。蔵姫が何気なく言った『戦争』と言う言葉にコンもミナシも表情を険しくする。


「もしかしてあの木、太淵国が連れて来た妖獣なのか?」


「あの国は妖獣と言うより妖草と言った方が正しかも知れんのじゃ。ぷふふっ、今、妾は中々面白い事を言ったのじゃ。まあ、それを言ったら妾のクサヒモも妖草なのじゃがの」


 蔵姫の髪の毛に絡まりついていたツルがスルスルと動いたかと思うと、彼女の頬を不機嫌そうに突く。蔵姫は楽し気に『悪かったのじゃ』と言いながらそのツルと戯れる。

 そのツル、妖獣だったのか。


「妾もクサヒモもあの国の様になんでもかんでも勝つ事に拘ったりせぬのじゃ。あの国を出ると勝つ事に拘っていたがの以下にみっともないのか知ったのじゃ。あれ程、見苦しい行いもないのじゃ」


「僕はこの国から飢えを無くしたい、誰も飢えない国にしたいと思っている。だからお昼もご飯を食べるべきだと思っているんだ。昼食の良さを知って貰いたいと――」


「む、あのブタ、ここぞとばかりに妾より目立とうとしておるのじゃ! そうはさせないのじゃ!!!」


 蔵姫は声を張り上げながらトンキチの邪魔をする様に自身が掲げる法を宣言して行く。


「太淵国ってあんなのがいっぱい居るのか……」


「ち、こうして戦が起ころうとしているのを目の当たりにすると、焦って考えがまとまらねーぜ」


 頭を押さえて考え込むミナシに向かってコンは手を上げながら提案を行う。


「あ、あの、碧音が次代の土地神様ですと紹介するのはどうでしょうか?」


「そうだな、藁にもすがる思いで、あっさり通してくれるかも知れないぞ」


「くれる訳ねーだろ! 頭がおかしいと思われるだけに決まってんだろ。次代の土地神様だって証明する物は何もねーんだからな。この話しは散々しただろーが……それに、そんな迂闊な事出来るかよ」


 ミナシは上空を舞う鳥飛王に視線を向ける。


「何とかして神鬼志願者として潜り込むしかねーか……しかし3つの木札だとどうする事も出来ねーし、強行突破か? いや、あの警備、おまけに宮殿内は神鬼だらけ、とてもじゃねーが、不可能だ。ああもう、何でこんな所で足止め食ってんだよ、こいつをあの中に届ければ良いだけだってのによ!」


「……あれは、あの妖獣は――っ。ザメルです!」


 コンの悲鳴にも近い声に、ミナシは思考を中断させ、視線を空に向ける。俺も顔を上げ、空を見る。上空を飛び回る鳥飛王に紛れて化け物染みた怪物がゆるりと滑空している。その背中には真っ赤な髪の人馬が立っていた。無数の笛の音が響き渡ったかと思うと、地上から数体の鳥飛王が人馬を乗せて飛び立ち、ザメルの傍を並ぶ様に滑空し始める。既に空を飛び回っていた鳥飛王も隊列を組む様に位置を移動させる。


「義によって! 拙者は貴殿達に問わなければならない!!! 土地神様は健在であるか!!!」」


 ザメルの言葉は、その声量だけで街中に響き渡る。妖魔達の賑やかな声はいつしか消え去り、ピリピリとした張りつめる様な緊張感だけが中央に残る。霊脈の異常による各地に発生している異常現象、多くの妖魔達がその可能性を心の何処かに秘めていたのだろう。だから誰もが口を閉ざし、返答する事が出来なかった。ザメルも返答を期待していなかったのか、次の言葉を発するのにあまり時間は掛けなかった。


「日没まで待つ!!! 返答は、土地神様のみに契りを許された神獣の姿を持って答えとさせて貰う!!!」


 それは開戦宣告にも等しい物だった。ザメルの視線は宮殿だけでなく、その向こうに居る太淵国の連中にも向けられていた。


「糞っ! つまりは天命の日を迎えると同時に開戦するって事じゃねーかよ」


 全てが音を立てて壊れて行く。いつまで経っても返答を返す事のない土地神、民達の膨れ上がる不安は、確信へと変わり、それは恐怖へと変質して行く。噂と憶測、誰かが漏らした『土地神様の不在』を皮切りに噂は確かな情報として中央の街に電波して行く。

 中央から逃げ出す妖魔は確かにいた。恐怖と絶望に顔を歪めながら、持てるだけの荷物を持って逃げ出す妖魔達。俺はそんな妖魔達でごった返す物だと思っていた。戦が起ころうとしている事は馬鹿でも分かる。そんな場所から一般の民が逃げ出そうとするのは至極当然の事だ。にも関わらず、そんな妖魔は少数だった。大多数の妖魔は、その場に留まり頑として動く様子はなかった。土地神様の不在に涙を流す者も居れば、土地神様の存在を信じて祭りの続きを始める者、屋台の料理を無料で配る者、これから始まる戦に向けて気力を高める者等、そこには土地神様に対する不変の思いで溢れていた。


「迷ってる時間もねー。もう強行突破しかねーな。日没までに意地でもこいつを霊脈核に入れる。コン、ここでお別れだ。次会う時はこいつが土地神様に――」


「わ、私も行きます! 足手まといなら切り捨ててくれても構いません。最後まで……行ける所まで行かせて下さい!!!」


「……はっきり言うけど、付いて来るなら最初から見捨てられてるって思って置けよ。今からのあたしは、こいつの事しか守らねーからな」


 頷くコンを見たミナシは俺の腕を引き、駆け出す。街は先程までのピリピリしていた空気は嘘の様に消え、決戦前夜の様な戦う仲間と酒を飲み明かす様な賑やかな雰囲気に満たされていた。

 すぐに橋に到着する。左右に広がる川はまるで深淵の様に暗く、俺にはその橋が、三途の川に掛かった1本橋にしか見えなかった。


「橋は一気に駆け抜ける、ハク、こいつを頼む」


「分かった」


「また咥えるのか、うん、何となく分かってたけど」


 体を動かさなくて良いので楽と言ったら楽だが、咥えられるのは決して気分が良い物とは言えない。唾液が服や体に付くし、生暖かい息が全身に掛かる。それに獣臭にプラスして血生臭い。後、甘噛みとは言え、牙が痛い。

 ハクが先陣を切って、4足歩行の獣の速度で駆け出す。それに続く様にミナシ、コンと橋を駆け抜けて行く。俺達の侵入に伴い橋を守っていた役人が鐘を鳴らして異常事態を周囲に告げる。川の中からアンコウの様な5メートルはありそうな巨大な妖獣が数匹飛び出して来てハクを丸のみにしようとして来る。ハクはその妖獣達を加速に緩急をつけ、あっさりと避ける。


「契りを結ばず智を得ていない妖獣は、やはりこの程度か。しかし、ここからはそう簡単にはいかない。土地神様、背中に移動させる。確りと捕まって貰いたい」


「は? え? ――っ!?」


 突然、俺は上に向かって放り出される。訳が分からないまま、気付くと俺はハクの背中にしがみ付いていた。

 その直後、ハクに向かって全身に刃の生えた2匹のトカゲの妖獣が襲い掛かる。ハクは前足に刃が刺さり、血を流す事も気にせずトカゲを押さえつけ、トカゲの前足に噛みつき力任せに引き千切る。のたうち回るトカゲの体を咥え込み、川に投げ捨て、もう1匹のトカゲに牙をむき出しにしながら視線を向ける。

 もう1匹のトカゲの妖獣は不用意に近付くのを止め、ハクの動きを注意深く観察しながら間合いを詰めて来る。まるで剣の達人同士の試合でも見ている様だった。ハクに向かって川からアンコウの妖獣が飛び出すのを合図に、2匹は互いの距離を詰める。トカゲは全身の刃をハクの体に突き立てようと、ハクはそれを最小限の被害で防ごうと前足を伸ばす、2匹が接触する間際、トカゲの尻尾が唐突に消え、代わりにトカゲの背中にある太めの刃が1メートル程伸びる。ハクはその不意打ち様な一撃にも関わらず、体を捻りながら飛び上がる様にして避け、その刃に向かって噛みつき、そのまま噛み砕く。

 トカゲとの戦闘はハクの圧勝に終わるが、そんな戦闘に背中の俺が付いて行ける訳もなく、早々にハクの背中かから振り落とされていた。俺は橋に横たわりながら眼前に迫るアンコウの妖獣の姿を見て、静かに目を閉じていた。


「こんな時は、見なければ良い、見なければ何も起こっていないし、考える必要もない」


 ハクの咆哮に、俺は叩き起こされる。目を開くとハクは唸り声の様な咆哮を上げながら自分の倍の大きさはあるアンコウを体当たりで押し返そうとしていた。上空で時が止まった様に静止していた2匹の元に駆けて来たミナシか飛び上がり、アンコウに爪を突き立て素早く呪印を描くだけでなく、皮を引き千切ってそれを食らう。ハクもミナシに合わせる様にアンコウに噛みつき、体を食い千切る。目に見えてアンコウが弱って行く、それに反比例する様にハクの前足の怪我が回復し、動きも機敏な物に変わる。ハクはアンコウの体を使って上空に飛び上がり、落下する勢いを利用して、アンコウを湖に叩き戻す。


「何寝てやがる! 立て! 立って走れ! もうすぐ橋も終わる!」


 ミナシは俺の腕を掴んで引っ張り起こし、俺の腕を引っ張りながらハクと共に駆け出す。少し遅れてコンも駆けて来る。

 先行したハクが、橋の終わりに待機していた役人とその妖獣を制圧する。遅れて到着した俺達はそのまま、宮殿へと続く門に向かって突入しようとした時だった。門から棘の様な鋭い骨を獣の形に重ね合わせた妖獣が出て来る。ハクより一回り大きかったそいつは、骨を組み換え、頭を丸ごと大きな角へと変えて行く。


「こいつは、骸……いや、それの異形種……それと契りを結んでいやがるのはあたしでも知ってるぜ――」


「筆頭神鬼、路肋です。あなた方は如何様な理由でこの地に踏み入れたのですか?」


 骸の異形種の背後から、獣の骨で作られた面と鎧を身に付けた白い短髪の若い男性が姿を現す。骨の下から覗く、白銀の瞳が俺達を確りと捉えている。声こそ穏やかだったが、今にも惨殺されそうな迫力があった。牛魔なんかとは明らかに格が違う存在だった。戦えば死ぬ、そうはっきりと直感させられる。


「……神鬼が相手だとしても、足止めくらいは……出来るつもりだったんだけどな」


 ミナシだけでなく、ハクも怯えており、今にも『クゥーン』と情けない声を上げそうだった。まるで時間が止まったかの様な息苦しい睨み合いの中、最初に動いたのは、コンだった。


「こ、この方は……この方が! 次代の土地神様です!!!」


 コンは、まるで自分の命を削りながら叫んでいる様だった。たったそれだけの言葉だったが、コンは疲弊し、その場に膝を着く。あのプレッシャーの中、相手に言葉を伝えられるだけでも感心してしまう。

 路肋と言う人物が、俺を品定めでもするかの様に見詰めて来る。緊張で胃液が今にもせり上がりそうになる時だった、上空から突然風圧に襲われ、その場に思わず屈み込んでしまう。


「まさか今1度、義を果たす機会を頂けるとは……この巡り合わせ、感謝せねばなるまい」


 視線を上げるとワイバーンの背から飛び降りたザメルが、腕を組みながら俺の事を見据えていた。


「得ノ国の……ここは土地神様の御前でありますよ! 控えなさい!」


「それは失礼いたした。しかし、その者は拙者の部下を3名も殺め、拙者のワイバーンの足を落とした存在。義によって拙者はその者を討ち果たさなければならない。邪魔はしないで貰いたい。ワイバーン!!!」


 ワイバーンの口に急速に霊力が集まって行く。最初から全力だった、ザメルは全力で俺を殺すつもりで来ていた。


「く、糞っ、動けねーっ」


 ミナシもハクも、ワイバーンの翼から放たれる風圧によって動けずにいた。最後の時を指折り数えていると、唐突に風が止む。そしてワイバーンの悲鳴の様な呻き声が周囲に響き渡る。


「何故、邪魔をする!」


 視線を上げると、骸の異形種の角がパイルバンカーの要領で打ち出され、ワイバーンを吹き飛ばしている最中だった。ワイバーンは力尽きた蝶の様にヒラヒラと舞い落ち、湖に巨大な水飛沫を作る。骸の異形種のから撃ち出された先が鋭く尖った骨は、そのまま橋をまたぐ鳥居の柱を貫き、湖に音もなく突き刺さる。

 早々にワイバーンから飛び降りたザメルは、鬼の様な形相で路肋を睨み付けていた。


「彼女が言うには、その御方は次代の土地神様だそうですから」


「……まさか、そこの妖狐の戯言を信じた訳ではあるまいな」


「ええ、まさか。この様な状況に陥っても妖狐の言葉を信じる程に落ちぶれてはいません。しかし、得ノ国の神鬼であるあなたの事は信頼が置けます。あなたの宣告は、民が身の振り方を決める時間を与えるだけでなく、太淵国の動きを日没まで牽制する意味合いもあります。……そんな智にも秀でたあなたが、その御方に恐れ、焦りを見せている。それだけで私がその御方を守るに十分値する理由になります。ガシャ、迎撃形態を取って下さい」


「拙者が恐れ、焦っているだと……ふっ、確かにそうかも知れぬ。部下を殺されただけでなく、ワイバーンの足まで失わされた。そして拙者は無様に背を向けて逃げ出す事となった。油断があったとは言え、武人として余りにも情けのない……。戦前に貴重な戦力は減らさぬと言う事か、しかし、今の拙者は義にての行動、引く訳にはいかぬ!」


 水面から大量の水飛沫を撒き散らしながらワイバーンが飛び出し、先程の一撃等、まるでなかったかの様に平然とした様子で急速に上昇し、質量爆弾の如く、ガシャと呼ばれた路肋の妖獣に向かって降下して行く。ガシャは、まるで棘を生やしたぬりかべの様な形に作り変わり、ワイバーンを受け止める。2匹が接触した時にインパクトで湖の水が吹き飛び、一時的に湖の底の小石が露わになる。俺達は吹き飛ばない様にその場で踏ん張る事で精一杯だった。

 ザメルは腰から剣を引き抜き、路肋に向かって刹那の時間で距離を詰め、駆ける勢いで切りつける。路肋は、ザメルの剣撃を正面から受け止める。路肋が纏う骨の防具がその形をより攻撃的な物へ、そしてレイピアの様な武器を形成して行く。


「はあああ!!!」


 路肋は骨のレイピアでザメルに向かって強力な突きを放つ。咄嗟にザメルは剣で骨先の軌道をずらしながら後ろに飛ぶ。


「ぐっ……間合いを図り損ねたか。流石、筆頭神鬼と言った所か。慣れぬ剣では分が悪い。ワイバーン、拙者の霊力をそちらに霊力を回す、全力で叩き潰して貰う」


 ワイバーンはザメルの言葉に応える様に金切声の様な雄叫びを上げながらガシャを押し潰そうとする。ガシャは骨を組み換えながらワイバーンに向かって無数の骨を突き立てて行く。しかしワイバーンの鱗の硬さに骨が突き刺さる事はなく、金属がこすれる様な不快な音が鳴り響く。


「何をしているのですか! 霊脈を辿り、霊脈核に急ぎなさい!!!」


 路肋の言葉にミナシが俺の腕を掴み、弾かれた様に駆け出す。ミナシに続く様にハク、そしてコンも駆け出す。


「今の発言、よもや貴殿は、妖狐の戯言を誠と考えた訳ではあるまいな!」


「私には誰よりも信じている御方がいます。その方は決してこの国を見捨てる様な事は致しません。見捨てて消える様な御方ではありません。国の事を最後まで案じ続けていた御方です……。この土壇場、国の存亡が掛かった最終局面とも言う場面に突然現れた次代の土地神様を名乗る人物……私でなくとも信じますよ。この国の妖魔であるなら!」


「それもまた、義と言う訳か。よかろう、貴殿を打ち、拙者はあの者を打つ! それが拙者の果たすべき義である!!!」


 背後からまるで大砲でも打ち合う様な轟音が響き渡る。きっと見るのも億劫な程激しい戦闘が行われている事だろう。


 宮殿内には、1つの町が広がって居た。その町は、牛六角の裏路地等は比にならない程に入り組んでおり、迷子にならない方が難しい話しだった。


「ち、ここまで来ると屋根の上を飛んだ方が速そうじゃねーか」


「しかし上空に出れば、あまりにも目立つ。それに鳥飛王の餌食になりかねない。1対1でギリギリの戦い、あの数となると勝ち目はない」


「右じゃないか?」


 足を止めて頭を悩ませるミナシを横目に俺は右側に続く通路を指さす。


「てめー、ちゃんと考えてそっちを指さしてんだろーな」


「いや、何となく」


「いい加減にしろや! 考えなしに行動して――」


「待って下さい! 碧音は霊脈が分かるんですよね。路肋様が言っていました『霊脈を辿り』と、碧音の何となくは信じて良いと思います!」


「……ち、確かに、こいつのお陰で森も抜けれた。碧音、てめーが道案内をしろ。まずは右だな」


 ミナシに半ば引きずられる形で、俺は宮殿内を案内させられる。景色を楽しんでいる余裕などありはしないが、宮殿内はまるで日本庭園の様な雰囲気が随所にみられた。

 暫く進むと周辺に建物のない開けた場所に出る。正面にはおそらく目的地となるお城の様な大きな建物の壁が見える。


「あー右、いや、真っ直ぐ?」


「はっきりしやがれや!」


「何となくしか感じられないんだから、何となくしか分からないんだよ、どっちも同じ場所に合流してる……と思う。右の方が強い気がするから、そっちの方が確実かもな」


「だったら最初から右に案内――っ!?」


 突然ミナシに突き飛ばされ、俺は軽く2メートル近く吹き飛び、そのまま小石の敷かれた地面を転がる。俺がさっきまで経って居た場所にはくすんだ色の蛇の巨体が横たわっており、その傍には二足歩行の黒い牛が鼻息荒く立っている。


「貴様達がこの様な場所まで来た事、驚きを通り越して感心すら覚える。役人は何をしていているのだ……くっはははっ、最早どうでも良い事か。少し前、路肋から正式に発表があった、土地神様は消失していた。確信はあった、しかし、いざ事実を突き付けられるとここまで堪えるとは……我は何処かで願っていたのだろう、嘘であって欲しいと、過ちであって欲しいと……」


 それは牛魔が見せた僅かな悲しみだった。それだけで、彼にとっても土地神がどれ程大きな存在なの容易に伺える。


「我の行いを土地神様に断じて貰うつもりだったのだろうが、残念だな、その土地神様は既に存在しない。これが事実、変わる事のない真実!」


「牛魔……あたし達に濡れ衣まで着せやがって、神鬼の癖に自欲不施の法も守れねーのか!」


「守っているさ。我も神鬼の端くれ、土地神様が定めた法は常に守っていた。生きてこその法、生きてこそ意味がある。全ては生きる為。生ある者は、等しく願い、思っているのだ、生きたいと。生きる為の行為ならば、自欲不施の法に反する事は決してない!!! 我の行いは全て! 生きる為の物!!! 土地神様が消える事がどう言う事なのか。誰でも理解出来る。この国は死ぬ、死ぬんだ。我はこの国の道連れになるつもりはない!!! 生きる為、そう、全ては生きる為!」


「だったら、てめー1人で別の国に行けば済む話しだろーが!」


「この我に! 見捨てろと言うのか! 我を慕い私の町に住まう妖魔達を、我を信じてついて来てくれた部下を! 全て見捨てろと言うつもりか!!! それこそ自欲不施の法に反する行い! 蛇鬼、貴様は生きると言う事を何1つ理解していない! 生きる事は己がのみで完結しておらず。我が1人なら、我が孤独ならそう言った選択も取れただろう。いや、この国と共に滅びる事もいとわなかっただろう。だが我は1人ではない、故に我は、生きなければならない!!!」


「その結果があれだって言うのかよ? 得ノ国を招いて、戦争を引き起こそうとするのが狙いなのかよ!!!」


 ミナシの言葉に牛魔は心底呆れる様な視線を彼女に向ける。


「酪王盤、太淵国、得ノ国、いずれは、この3つ巴の戦争に陥る事は明白。我は、得ノ国と協力して厄介な太淵国を真っ先に潰す算段を立てただけだ。そうする事で此度の戦争は速やかに終結する。後は得ノ国が受け入れると約束した数の妖魔達を移住させる。義を重んじるあの国の事は信頼がおける。我は生きる為に最善の手を打ったに過ぎない」


 そう聞くと牛魔の行動を正しく感じてしまう。ミナシも同じだったのか苦虫を?み潰した様な表情を作って俯いてしまう。そんな俺達と打って変わって頑として牛魔に怒りをぶつけ続けたのはコンだった。


「だったらどうして!!! 自分の町に住まう妖魔をあんな目に合わせられるのです! 戦いに負けた妖魔を、あんな場所に……捨てる事が出来るのですか!!!」


「弱き者は生きるに値しない、それだけの事だ」


 その結論に至るまで色々あったのだろう。そう予感させる程に牛魔の言葉は重々しかった。


「そんなの間違ってます!!!」


「ふん、我の考えを理解出来ぬならそれで構わん。さて、我からも聞かせて貰いたい。土地神様の消失を聞き、何故、希望を捨てられずにいる。路肋からその事を告げられた時、神鬼ですら、大多数が膝を崩したと言うのに。ザメルの言葉から可能性を示唆しただけの妖魔達ですらどれ程の絶望に苛まれたか見ていたはずだ。にも拘わらずだ、貴様達は何故、そんなにも平然としていられる? 我の言葉に嘘等混じってない事は愚か者でも理解出来よう」


 コンとミナシの視線が僅かな時間だが俺に注がれる。それによって牛魔は何か察したのか、今までの自分の行動に迷いのない自信に溢れた態度とは打って変わって怯える様な表情を作る。


「何故、路肋はこの者達を通した? 何故、この者達はこの宮殿内を迷わず進めた? あ、あり得ぬ、その様な、事……あり得ぬ!!! オロチ!!!」


 牛魔の怒号に反応する様にオロチがその巨体を牛魔の影から露わにする。オロチは俺達を素早く見極めた後、ミナシにターゲットを絞って、大口を開けながら襲い掛かる。ミナシは地面を転がる様にして何とかオロチとの接触を避ける。


「もう止めて下さい!!! あなたが信じた土地神様は最後の最後までこの国を、この国の民を思ってくれていました! ちゃんと次の土地神様を選んでくれていたんです!!! だから! 私達が争う理由はありません! 何処にもないんです!!! この国には土地神様はちゃんと居るんです!!!」


 コンの視線が俺に、それに導かれる様に牛魔の視線も俺に注がれる。だから俺は、牛魔の瞳が憎しみに染まって行くのがすぐに分かってしまう。


「あり得ぬ、あり得ぬあり得ぬあり得ぬ!!! 妖狐の妄言等誰が信じるか!!! その嘘だけは許せん!!! 許せん!!!」


「コン!!! 余計な事を言ってないで、さっさとそいつを連れて行きやがれ! 大した時間は稼いでやれねーからな! ハク! 行けるか!!!」


「無論、意地でも食らいつく」


「良い返事だぜ!」


 オロチがコンに向かって口を大きく開きながら突進して行く。ハクが真横からオロチに向かって全力で体当たりし、僅かながら軌道をずらす。しかしその反動は大きく、ハクの肩の毛がハゲ、下の肉から血が滲む。


「邪魔だ! 退け!!! そいつだけは許せん! この手で葬り去ってくれる!!!」


「退く訳ねーだろ!!!」


 牛魔は猛牛の様にミナシに突進し、鉄棍棒を力任せにミナシに振り下ろす。ミナシは咄嗟に剣で庇うが、剣は棍棒によってあっさり砕かれ、直撃を受けたミナシの左腕が曲がらない方向へと曲がる。ミナシは表情を苦痛に歪めながらも動かす事が出来る右手で牛魔の体に爪を立てる。


「無駄だ、神鬼である我は土地神様より霊脈の霊力を頂いている。貴様がいくら奪い取ろうと決して奪い尽くせぬ!」


「体を回復出来れば十分だっての!!!」


 ミナシの折れていた左腕は急速に元に戻って行く。ミナシはコメカミに青筋を浮かべながら、牙と爪をむき出しにして、獣の様に牛魔に襲い掛かる。牛魔はそんなミナシを棍棒であっさり弾き飛ばすが、ミナシはすぐに起き上がり、体が再生されるのもそこそこに牛魔に向かって行く。ハクの方もオロチに巻き付かれない様に、周囲を飛び回る様に素早く移動を続け、時折、オロチの巨体に体当たり等を行い、着実にダメージを積み重ねていた。


 俺は、一刻も早くこんな危険地帯から脱出しようと、ミナシ達に背を向けて駆けていた。コンも少し遅れて俺に追い着いて来る。


「貴様も分からぬ奴だ。妖狐に話しに耳を傾けおって、都合の良い話しに騙されおって!!!」


「妖狐の言葉が気に入らねーなら、あたしから言ってやろうか? あいつが次の土地神様だってな!!!」


「黙れ、黙れ、黙れぇぇええええええ!!!」


「ち、これが神鬼の本気っ……時間、全然稼げ……これは、氷の、剣? 何で折れた剣から氷の刃が生えて来たんだ?」


「蛇鬼の、随分面白い事をしているではないか。私も参加させて貰おう。何、戦前の準備運動だ」


「氷月っ! 何故その様な者の味方をする! 邪魔を! 邪魔をおおおぉぉぉおおおおお!!!」


 牛魔の雄叫びが遠く離れて行く俺達の所まで届く。すぐに追い掛けて来ない事からミナシはきっと十分に戦えているのだろう。


 俺達は迷う事なく、正面にそびえ立つお城の中に入る。城内は無駄に広い空間が広がっているだけで何もなかった。あるのは深緑のツルツルした石の床の上に建てられた真っ赤な柱だけだった。内部はまるでお通夜の様な静けさに満ちており、普段は警備等をしている妖魔達はその場に膝を着き立つ事も出来ない様子だった。誰かにやられたと言う訳ではなく、単に絶望から動く事もままならない様子だった。

 城内の神鬼達は、表情こそ辛そうだったが、これから始まるであろう、戦に備える様に、慌ただしく動き回っている。

 城内がそんな状態だった事もあり、侵入者である俺達を咎める者は誰1人としていなかった。誰もが自分の事で精一杯で周りに意識を向ける事もままならないのだろう。俺達はここに来た時と同様に霊脈を辿って城内を進み続ける。


「ここも、凄く、入り組んでます」


 先ほどまでの場所は城内の門に位置する場所だった様で、通り過ぎると、目の前に迷路と言うべき複雑に入り組んだ廊下が現れる。廊下には壁がなく、廊下から隣の廊下を見渡す事は容易だったが、その場所に行く手順を探すのには苦労しそうだった。廊下の廊下の間には白い石が敷き詰められており、やろうと思えば下に降りて隣に廊下に行く事は出来そうだった。


「……こっち」


「え、この部屋に入るのですか? ここ、どうみても誰かの部屋ですよ? あ、ま、待って下さい!」


 俺は霊脈を辿る様に居住区と思われる廊下を進んで行く。何度か俺達は、妖魔達の傍を通り過ぎる。彼らの表情も様々で、魂が抜けた様な表情で天井を見上げる者、苦悶の表情を浮かべる者、中には泣きながら走っている者までいる。

 廊下を進み続けると、やがて、周囲からその様な妖魔達も完全に居なくなる。俺は正面に黒い光沢に金の繊細な花の絵が施された重々しい扉が見えたタイミングで足を止める。その扉の前には、背中に昆虫の羽が生えた妖魔が待機しており、俺達の存在に気付いたその妖魔は、慌てた様子で俺達の元まで掛けて来る。


「待つんだ! 気持ちは分かる、分かるが、これより先は神聖な地、許可なく立ち入る事は例え神鬼であっても許されない。分かって欲しい、この通りだ」


「許可なら取っています!!!」


 コンの有無を言わさぬ一言に、俺達の進行を妨げようとした、その妖魔はビクッとその場で飛び上がる。俺は戸惑いに満ちるその妖魔を横切り、異様な雰囲気を漂う黒い扉に手を触れる。扉に手を触れた所で何か特別な事が起こる訳ではなかった。その扉は俺の事を受け入れる様に力なくスッと開く。


 霊脈核、土地神様の住まう場所。そこにはとても広い円状の中庭が広がっていた。その中庭の中心には、まるでシュウマイの様な小さな家がポツンと建てられている。小さいと言っても周囲の宮殿と比べての話しであり、人が1人生活するには十分な大きさ、むしろ少し広いくらいである。

 そこが、ゴールだった。俺達が目指した場所、霊脈核だった。もっと派手だったり、特別な場所を想像していたが、実際は何とも言えない寂れた場所だった。


「あそこか」


 俺は中央にある小さな建物に向かって歩き始める。


「う、嘘……ま、待って下さい!!!」


「どうした?」


 コンは信じがたい物を見る様な視線で、正面にある建物を見詰める。


「……あそこなのですか? あ、あんな場所に? え? ……あんな所にこれからずっと? あんな小さな場所に閉じ込められるんですか?」


「さあ、そうなんじゃないか?」


「う、嘘、ですよね?」


「いや、俺に聞かれても」


 俺は霊脈核に向けて足を進めようとする。するとコンは俺の前に両手を広げながら立ちはだかる。


「どうして、どうして、碧音はあれを見て、平然としていられるんですか!!!」


 コンは今にも泣き出しそうな表情で、中庭の中央にあるシュウマイ型の小さな屋敷を指さす。俺はコンの言いたい事が分からず首を傾げる。


「碧音が土地神様だって知った時は、本当に嬉しかったです。こんな奇跡あっても良いのかって思いました。土地神様と話しただけでなく、旅までしたのですよ。私の人生でこんなに輝かしい瞬間が訪れて良いのかって思ったくらいです。それに碧音が土地神様になれば、もしかしたら神鬼にして貰えるかもって厚かましい想像までしてしまったりもして……。でも何より嬉しかったのが、碧音の幸福が無条件で約束された事です。土地神様になれば宮殿暮らし、誰もが羨む様な贅沢な日々を送れるのだと思っていました」


 俺は、コン以上のお人好しを知らなかった。顔も知らない赤の他人にここまで献身的になれる人物はそうはいないだろう。コンは俺が自分に特別な事をしてくれたと思っているが、何も特別な事はしていない。只、普通に接しただけだ。たったそれだけの事で、コンはここまで俺を支え続けた。


「でも蔵姫さん達の話しを聞き、土地神様になる事の大変さを知りました。どれだけの重責が圧し掛かるか、この国を背負って行く責務がどれ程のものなのか、知りました。それでも大きな宮殿の中で不自由なく暮らせるのです。それならきっと幸せになれると思っていました。でも実際は……あんな、あんな場所に閉じ込められるんですよ! 霊脈核で霊脈の調整をし続けなければならない土地神様は……あんな小さな場所に閉じ込められてしまうんですよ!!!」


 コンの瞳に涙が滲む。溢れる雫を拭いもせずに彼女は真っ直ぐと俺を見詰めて来る。コンはいつだって俺の事を真っ先に考えてくれる。俺が幸せになる事を望んでくれる。


「碧音はどうして平然と受け入れられるのですか! だって、碧音は……宝来の国の方で、この国とは何の縁も所縁もないのですよ? この国の為に犠牲になる必要は……何処にもないのですよ?」


 そこで初めて俺は、コンの言いたい事を理解する。コンには、霊脈核に入る事はこの国の為に犠牲になる事に思えたのだろう。あの小さな屋敷に閉じ込められ、幽閉される事を嘆いてくれているのだろう。自分の国より俺の事を優先してしまうコンに、俺は笑みをこぼす。


「……きっと、トッチー、いや、前土地神は、この場所が窮屈で仕方なかったんだろうな。自由に出歩けない事に嫌気がさして仕方なかったんだろう。嫌だと思えば思う程、自欲不施の法に縛られ、どうする事も出来なくなっていった。だから600年なんて長い時間土地神であり続けてしまった。誰かにこの辛さを押し付ける様な事が出来なかったんだろう」


 ゲームですら敵に情けを掛ける様な筋金入りのお人好しだ。自分が嫌だと思ってしまった事を誰かにさせるなんて真似が出来ずに苦悩し続ける姿が、容易に想像出来てしまう。自欲不施の考えは素晴らしいと思う。大勢の民の幸せを望んで法にしたのだろう。でも、その法に当の本人が1番苦しんでいたのだと思うと笑い話しにもならない。


「前に少し言っただろ。人間の中だと落ちこぼれだって。色んな物から取り残された、変わって行く周りに付いて行けなかった。そうして俺は、自分だけの小さな世界に閉じこもった。トッチーにも理解出来なかったんだろうな、自ら望んで部屋に籠る者が居るなんて、驚いてた。だからトッチーは決めたのかもな、俺に。……コン、俺は別に苦じゃないんだ。閉じこもる事も、部屋から出られない事も……」


 コンは俺の言葉に激しく首を横に振り続ける。


「分かりません、分かりません! 本心なのですか? それが……碧音の本心、なのですか?」


「コン、俺が土地神になる条件を覚えてるか?」


「お、覚えています。私やミナシに今までと変わらず接して欲しいって……」


「それが俺にとって最も大切な事。なんなら、それ以外はどうだって良いんだ。って、何でコンが泣くんだよ。悲しい事なんていってないだろ?」


 俺はコンの元に近付き、彼女の瞳から零れる涙を指先で拭う。


「……自分でも良く、分かりません……でも、溢れて来るんです……碧音は、本当に変です! 物凄く変です!」


 そう言った、コンの言葉から遠慮や緊張と言った物が消えていた。俺は口元を少し緩ませ、彼女の傍を通り抜けて霊脈核へと向かおうとする時だった。廊下の一部が派手に吹き飛ばされ、牛魔が中庭へと飛び出して来る。おそらく迷路の壁を壊すように廊下を壊し、一直線にここまで来たのだろう。


「あり得ぬ、あり得ぬ、あり得ぬあり得ぬ!!!」


 どれだけの死闘を終えた後なのだろうか? 牛魔はボロボロだった。体中が切り傷だらけ。左腕はなくなり、付け根の辺りが凍り付いている。背中には3本の氷の矢が刺さっており、瀕死ともいえる状態だった。にも拘わらず、俺達の前に姿を見せた牛魔は、今までで1番、精力に満ちていた。牛魔は俺だけに視点を合わせ、歩みを進めて来る。


「そ、そんな、ミナシきゃぁうっ!?」


 牛魔はコンを突き飛ばし、右手で棍棒を担ぎ上げながら駆けて来る。走る速度自体はザメルやハク等と比べれば早くないが、その力強さは別格だった。壁ですら突き破り迫って来る、闘牛の様な迫力があった。突然迫り来る車を避けれない様に、避け様等なかった。幸いなのはコンの無事を確認出来た事だ。コンは派手に地面を転がっていたが、体を起こせる程のダメージしか負っていなかったらしい。


「させるかぁああああ!!!」


 牛魔が破壊した廊下の奥から氷の塊の上に乗った全身血だらけでボロボロになったミナシが、凄まじい速度で飛んで来てそのまま牛魔に氷事体当たりする。咄嗟に棍棒を地面に突き立てた牛魔は、下げた右足を地面に食い込ませながら、砲撃にも近いその一撃を右手で受け止める。そして咆哮な雄たけびと共に氷の塊をミナシと共に真横に吹き飛ばす。牛魔は折れて完全に使い物にならなくなった自分の右手を気にする素振りも見せずに視線を俺に向き直す。


「何故だ! 何故! あの御方が自分以外の誰かを土地神にする事等あり得ぬ!!! 自欲不施の信念を誰よりも強く持つあの方が! 何故、何故だ!!!」


 信念に法、自分に向けられる同じ問。俺も知らず知らずの内にフラストレーションが溜まっていたのだろう。口を開くと同時に苛立ちが爆発していた。


「誰も彼も同じ事ばっかり、部屋の中に居るのが好きな奴だって居るんだよ! 動き回るより部屋でゴロゴロしてたい奴だって居るんだよ! 信念、信念、信念ってうっとうしい、信念なんて自分が苦しんだり後悔しない為の物だろ! 自分が望んで、したくてする物こそ信念だろ! 自分の信念で苦しんだり悩んだりするくらいなら、そんなの捨ててしまえ、下らない!」


 トッチーにも似た事を言った気がする『要らないと思ったら捨てろ』本当に何にも考えてない言葉だと思う。でも……たとえ考えても同じ事を言ったと思う。だって、要らない物は要らないのだから。


「あ、ああ、あああああああああぁぁっぁぁああ!!!」


 牛魔はその場で膝を着いてしまう、良く分からないが、俺の言葉は牛魔の戦意を完全に打ち砕いたらしい。


「ぐっ、んと、こいつ、マジもんの化け物だぜ。あたしと氷月相手に平然と戦いやがって。つーか、どうなってんだ? 何でこいつは泣いてんだ?」


「さあ、文句言ったら泣いた」


「一体どんな文句言ったんだよ」


「わ、私はちゃんと聞いてました! とても考えされられる事を言ってました!」


 ミナシがコンに俺が言った文句について問い詰めていると、ズルズルと大きな物が地面を擦れる音が聞こえて来る。そちらに視線を向けると、牛魔と同じくボロボロになったオロチが、全身の氷の箇所にヒビが入った氷月と、血で白い部分の方が少なくなったハクが共に現れる。


「てめーら、戦ってたんじゃねーのか?」


「蛇鬼の、これを落としたであろう」


 氷月は古びた木札を1つ取り出す。それは師範代から受け取った例の木札だった。それを横目にオロチが口を開く。


「彼女が認めた者達の言葉ならば一考する価値があると判断したまで」


 氷月とオロチは俺に視線を向けた後、その場で土下座でもする様に、地に膝を着き深々と頭を下げる。


「土地神様、知らぬ事とは言え、数々の非礼、お許し下さい」


「土地神様、このオロチ、あなた様に手向かうつもりは一切ありません。牛魔の始末、契りを結んだ物として、責任をもって果たさせて貰います」


 ゆっくりと頭を上げたオロチは牛魔を尻尾に巻き付け、そのままスルスルと来た道を戻って行く。

 

「氷月であってるよな、まだ土地神になってないから気にしなくて良い。と言うか気にしてなかったのに、そうやって態度を改められると余計気になって来るだろ」


 氷月は『はっ』と小気味いい返事を行い、すっと立ち上がる。


「しかし、あたしが言うのもなんだけど、なんでこいつが土地神様だって話し、信じたんだ?」


「蛇鬼の、逆に問う。何故、そこに転がっている希望を否定出来る」


「……それは、確かにそうか。否定なんか、出来ねーか。たとえ偽りでも……てめーは、ボケっと何してんだ。さっさと霊脈核に行って正式に土地神様になって、神獣とやらと印を結んで来い。それで今回の戦は回避出来る」


「神獣って何だよ、また急に訳の分からない単語が出て来たぞ」


「土地神様とのみ契約する妖獣の事で御座います。土地神様」


 氷月の言葉にハクが補足説明を行ってくれる。


「ザメルが神獣を見せる様に言って来たのは、それが霊脈の霊力を自由に引き出せる土地神様にしか契約を結ぶ事の出来ぬ妖獣だからだろう。日暮れは近い、急いで貰いたい」


 空を見る、既に夕暮れ、今にも太陽は地平線の向こう側へと沈もうとしていた。俺は皆に見送られながら、1人で霊脈核に向かう。


 霊脈核、土地神が過ごす事になる屋敷は、別段特別な場所とも思えなかった。綺麗な和式の部屋と言う事以外の感想は出て来なかった。細かく見れば部屋に置かれている物全てが一級品である事は間違いないが、豪華な部屋と言うにはあまりにも地味だった。とは言え、このくらいの部屋の方が、生活するのなら、ちょうど良いのかも知れない。

 草履を脱いで部屋の奥に進むとすぐに背中に違和感を覚える。次の瞬間、何かが体を貫く様な感覚と共に、全身に止めどないエネルギーの奔流が襲って来る。最初は濁流の様な奔流に呑まれ溺れそうになるが、生まれたての魚の様に、俺はその奔流の泳ぎ方知っていた。それだけでなく、どうすればその濁流を心地良い物に変えられるかも知っていた。それが霊脈を制御すると言う事なのだと本能的に理解出来てしまう。


「これで霊脈と繋がったのか?」


 答え等は帰ってこないが、おそらくそうなのだろう。今まで以上にはっきりと霊脈の流れを感じる。この場所の下に、霊脈の吹き溜まりの様な場所がある、おそらくそこが霊脈核なのだろう。ふと、視線を上げると壁に飾られていた掛け軸が、巻き取られ、黒々とした扉が出現する。その扉は、俺を招く様に独りでに開く。

 俺はいつもの様に思考を放棄して、導かれるまま目の前に現れた扉の先、地下へと続く、薄暗い階段を下りて行く。ジメジメとした場所だったが、階段や周囲の壁は、全て木の板で補装されており、土や石がむき出しになっている個所はなかった。螺旋を描く様に階段を降りて良き、やがて目的の場所に到着する。

 地下からマグマの様にあふれ出したエネルギーによって真っ白な太陽がそこに浮かんでいた。これこそが霊脈核と言う物だのだろう。それとの繋がりを強く感じる。殆ど暴走状態になるその霊力が、土地神である俺の体に流れ込み、そこから適量に分けて、各地へ走る霊脈へと霊力を分配する。土地神が国にとってどれだけ重要なのか今更ながら理解する。


「あー、もしかして、神獣?」


 俺は霊脈核の傍で深い眠りについている巨鳥を見つけ、声を掛ける。俺には、その巨鳥が不死鳥に見えた。体中から燃える様な霊力を常に放つ巨大な赤い鳥。鳥飛王とは比べ物にならない程の巨体とワイバーンを軽く凌駕してしまう程の力強さに、圧倒されそうになる。まさしく神獣とまで呼ばれる存在だった。

 声を掛けても全く返事がなかった為、俺は取りあえず不死鳥に触れる、その瞬間だった。俺の体を通して霊脈核の膨大なエネルギーが不死鳥に注がれる。それはきっとモーニングコールの様な物だったのだろう、その不死鳥は目覚め、宝石の様な青い瞳を覗かせる。


「お主が次の土地神か……我は神獣。土地神のみに仕え、土地神を守る存在。我との契りにより、土地神は我が死せず限り死せず、老いる事も朽ちる事もない。我は土地神の一部であり、土地神は我の一部である。我らは智、命、力、全てを共有する物なり」


 神獣の言葉はまるで魔法の呪文の様だった。左手の甲に契約呪印にも似た青白い呪印が刻まれて行く。痛みは感じなかった、分かりに自分が自分でない様な感覚に襲われる。まるで目の前の神獣と重なり合う様な、1つに溶け合う様な不思議な感覚だった。


「土地神様、我の背に……。民に新たな土地神の誕生を知らしめるとしよう」


「あ、ああ……あー、なんて呼べば良いんだ?」


「名は持たない。好きに呼ぶと良い。土地神様は我をどう呼称する」


「……えー、その、とりあえず保留で」


 妖魔でも何でもない、異界から来た人間が土地神になると言うのに、何の反発もない事に拍子抜けしてしまう。俺が神獣の背にしがみ付くと同時に、神獣は体を起こし、翼を広げる。


「ホリュウ、理解した」


「いや、違っ……それより、ちょっと、羽ばたこうとしてないか? ここ地下だよな! 上に天井とかあるけど!?」


「天井等、我の前には意味をなさない」


「俺には意味あるけど!?」


 俺の声等聞いていないのかホリュウは飛び立つ。まるで幽霊の様に天井、その上に広がる螺旋階段、そして屋敷をすり抜け、空高く飛び上がって行く。俺は自分の体に異常がないか確かめる。五体満足である事を確認して、俺はそれ以上考える事を止めてしまう。


「我らは全てを共有している。我の力は土地神様の力でもある」


 赤く燃え上がるホリュウの飛翔は緩やかに沈みかけた太陽に引っ張り上げるのと同義だった。ホリュウは物理的にも精神的にもこの国の太陽を務めていた。


 ホリュウの高らかな一鳴きが国中に響き渡る。たったそれだけで国中の意識がホリュウに集められる。コンやミナシにハク、氷月、ザメルや路肋、蔵姫にトンキチ、得ノ国に太淵国、開戦を前にそれらの国と対峙していた国の神鬼、そして民。まるで、波紋が広がって行く様だった。その誰もが膝を折り、俺に向かって首を垂れる。


「土地神様、法を宣言し、民の生き方、そしてこの国の在り方を定めるのだ」


 ホリュウが民達の様子を見て、俺にそう促して来る。


 ――土地神が定めた法が、その国での唯一の正義となる。法とは土地神の信念、生き方そのものである。


 トッチーは自欲不施の法を定めた。それが彼の生き方で信念だった。俺の生き方、信念は……不変、変わらない事。特に他者との関係性だ。ずっとそのまま、変わらなければ良いと思う。きっとこの考えは変わらないだろう。

 でも……これは他人にまで求める様な事なのだろうか? 勿論、人間関係は他者があって初めて成立する。他者に正式に求めてなければ、かつての自分の様に孤立してしまう。トッチーは自分の信念に苦しみ、悩み続けていた。そして捨て去りたいとまで言った。もし彼は俺に何を期待して、何を考えて土地神をさせようとしたのだろうか?

 頭の中を色々な事が巡って行き、巡りに巡る。自分の中で正しい事と正しくない事がすみわけされて行く。誰もが頭を下げたまま俺の言葉を待っていた。俺が定める法を待ちわびている様だった。俺の次の言葉がこの国の行く末、そして彼らの今後の生き方を決める事になる。

 俺は口を開く。今、感じている事、考えている事をそのまま口にする。


「――特に……なし!!!」


 俺は彼らに向かって高らかにそう宣言する。ホリュウが何かしたのか俺の言葉はまるで思念派の様に国中に届く。

 俺は考えに考えて、そして考える事を辞めた。

 誰もが好きに生きたら良いと思う。信念なんて自分で勝手に持てば良い。生き方だって自分で決めれば良い。正直に言うと、この国の妖魔達がどう生きようが、そこまで興味はなかった。いや、全く興味がなかった。

 そりゃ、守るべきルールはあると思う、善悪だって存在すると思う。でも結局の所、それは人それぞれだ。牛六角の様に力が全てと言う事を正しく思う者もいれば、それを間違っていると思う者もいる。ルールなんて、結局自分や周りの人間が不満なく過ごす為の物だ。特別何か決める必要なんてないと思う。必要に感じた時、必要になったルールを決めれば良い、それが必要なくなれば、そんなルール、さっさと捨てれば良い。

 だからこそ、俺が何か皆に守らせる法を定める気にはなれなかった。まあ、ざっくり言うと『勝手にしろ』と言う事だ。


 ふと、ミナシが『やっぱり何も考えてねーじゃねーか』と言っている姿が脳裏に浮かぶ。結局それで良いのかも知れない。その時になっても特に何も思いつかなかった。きっと、それだけの事だ。


 こうして、この国、酪王晩に新たな土地神が誕生したのだった。酪王晩はこの日より、暦を魂暦と改め、新たな歴史の1ページを刻む事となる。因みに碧音が改めた魂暦のコンは、暦を定める際、コンに丸投げしようと彼女の名を呼んだ事が切っ掛けだと言う事は、酪王晩の民の大多数が知らない事である。

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