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妖魔界の土地神様  作者: モチュモチュ
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土地神様

 ガタガタと揺れる荷車の中、目を覚ました俺は、目だけで周囲の景色を確認する。如何やら街道から大きく外れた薄暗い森の中を進んでいる様だった。体を少し起こした瞬間、手足の力が抜け、俺は成す術もなく倒れ込んでしまう。


「あ、碧音、目覚めたのですか!? もう大丈夫です。街を離れて森の中に逃げ込みました。今の所、追手もいせんよ」


「あのワイバーンとか言う妖獣の目を誤魔化すのは大変だったんだぜ。ハクに囮になって貰って、その間にあたし達は観客に紛れて街の中に逃げたんだからな。んで、てめーを荷車に乗せて、その荷車をあたしが引いて森まで逃げたんだぜ。鳥飛王を倒したってのに木札は貰い損ねるしよ……木札の事なんてどうこう言ってる状況でもねーけどな」


「今まで生きて来た中で最も恐ろしいと思った出来事だった。白い羽の導きがなければ肉片も残らなかったと思われる。あれが神鬼の妖魔か、土地神様によって霊脈の霊力を与えられている妖魔の妖獣は強大過ぎる」


 意識の覚醒に伴い右手に鋭い痛みが走り始める。俺は痛みを無視して体を起こす。


「そんな化け物の足を引き千切ったこいつも理解を範疇を超えてるけどな……あの鎖は何だ? あいつは妖獣か? んな力隠してたのかよ」


「やっぱり碧音は特別でした。神鬼になる為にこの世界に招かれたんですよ!」


 右手だけでなく、ナイフで引っ掻かれた様な様な痛みが背中全体に走り、思わず呻き声を上げてしまう。


「――っ、くっ」


「あ、あの、痛むのですか?」


「ああ、ちょっとな。鎖は貰ったんだ、トッチーから、身を守ってくれるだろうって」


「トッチー?」


「ほら、前に説明しました。碧音をこの世界に招いた神鬼の御方です」


「そう言えば、んな話し聞いた気が……おいおい、平気か、顔色悪いぜ?」


 ミナシだけでなくコンも心配そうな眼差しで俺を見詰めて来る。平気だと言いたかったが、正直息を吐くのも辛かった俺は、必要以上に心配されない為に、コンにちょっとした提案をする。


「……痛みを紛らわせたいから、何か話しでもしてくれないか?」


「は、はい、話しですね、話し……あ、では、土地神様の話しをしましょう」


「おいおい、まだ色々と聞きたい事が――」


 ミナシはコンの言葉を遮ろうと口を挟むが、コンはお構いなしで語り始める。ミナシは小さく舌打ちをした後、口をキュッと閉じてしまう。


「今の土地神様は、今まで存在したどの国のどの時代の土地神様より優しいと言われているんです。自欲不施の法を定め、妖狐や蛇鬼と言った他国では受け入れられない妖魔達も無償で受け入れてくれた御方で、この国だけは今も出入国に対して完全な自由を認めているんです」


 それはそれで……問題な気もするけど。


「土地神様のこんな話しがあります。ある日、土地神様の元に食事を届けた給仕の者が、謝って土地神様の頭にその食事をひっくり返してしまったのです。土地神様は怒りもせずにその妖魔に言ったのです。『今回は頭なので、次にこぼす時は足にして下さい』と。どうですか? とても優しいですよね」


 コンの声が遠くに聞こえて来る。まるで子守唄でも聞かされている様だった。


「……他にも土地神様の話しはありますよ。この国の税がとても低いのは知っていますよね。もっと払っても良いって村が幾つも出るくらい少ないんです。それでも、その僅かな税を支払えない村が出てしまったんです。その村の村長が土地神様に呼び出されてしまいます。村長は僅かな税も支払えない事を恥、死を覚悟しながら土地神様の元に向かいました。そんな村長や村の事を土地神様は心配して下さったのです。そしてその村から徴収するはずだった税を逆に村に収めて下さったのです」


 コンは楽しそうに土地神について語り続ける。俺は少しだけのつもりで目を閉じる、すると本格的に意識が何処かに旅立つ様な感覚に襲われる。体を起こして居られずに倒れ込む。


「おい! おい! ハク! 止まってくれ! どうした! 熱か!」


「――違います! 冷たいです! 息もか細くて……ど、どう、ど、どうすれば!?」


「――っ、糞っ、毒か! 腕だ! 右腕を見せろ!!! ――っ!? この痣、なんだ? ……呪印か?」


「呪印? 呪印って、あの鎖の様な妖獣と契りを結ぶ為の呪印ですか!?」


「呪印に詳しい訳じゃねーから、判断出来ねーよ。でも明らかにこれが悪影響を与えているのは間違いなさそうだぜ」


「ならこの呪印を消せば良いのですか!」


「言葉で言うほど簡単な事じゃねーよ。妖獣からなら一歩的に破棄も出来るけど、妖魔が契りの破棄を希望する場合、妖獣の同意が必要になる。とは言ってもこれは一般的な契りに限った話し、こんな呪印見た事もねーよ」


「だったらどうすれば、このままじゃ碧音が! どうにか出来ないのですか!!!」


「ミナシ、師範代ならば何とか出来るのではないかい? あの方は呪印に精通している。予想と推測しか出来ない我々と違い明確な対処を行ってくれるはずだ。それに1度状況の整理も兼ねて師範代の元を訪れるべきだ。今回のあらましは我々では持て余してしまう、元神鬼であるあの方を頼るべきではないか?」


「喧嘩別れみたいな事して飛び出して来たってのに……仕方ねーか、ハク、行き先を蛇村に変えてくれ」


「その必要はない、牛六角を出た地点からそちらに向かって移動している」


「てめー……、ち、急ぐ今回に関してはよくやったって褒めてやる」


「褒める必要はない、反対されても押し切るつもりだった」


 荷車が大きく揺れる。目を閉じている為、状況は確認出来ないが、おそらくハクが加速したのだろう。


「碧音……お願いです、無事で、いて下さい、お願いします」


 ポタポタと頬に、熱を持った雫が零れ落ちて来る。それがコンの涙だと想像するまでもなく分かってしまう。


「てめーは、どうしてそこまで、そいつの事を……」


「だって、だって碧音は私なんかと違って特別なんです。宝来の国から来た人間ですよ! 神鬼になるべき方で! 私に色々な事を気付かせてくれて――」


「……てめーが妖狐だからこそ、あえて言うけどな。こいつに騙されてるんじゃねーのか? あのワイバーンの位は松だ、それも松の中でも頂上に位置する存在だ。そんな妖獣の足を引き千切ったって事は、あの鎖はあのワイバーンと同等かそれ以上の妖獣と言う事になる。そんな妖獣と契りを結びながら、こいつはそれを隠していたんだぜ? どう考えても怪しいだろーが」


「な、何を言っているんですか!!! 碧音は誰かを騙したりしません! ミナシは碧音の何を知っているって言うんですか!!!」


「なら聞くけど、てめーはこいつの何を知ってるって言うんだ?」


「碧音は宝来の国から招かれた人間で――」


「んな事、全部こいつから聞いた話だろーが、本当に人間なのか確かめられたのか? つーか、神鬼だろうが宝来の国から人間を連れて来るなんて真似出来る訳ねーだろ。出来たら他の国の神鬼がこぞって行っている。宝来の国の漂流物の1つで国が分かるんだぜ? 蒸気何とかを手に入れた国は別の国になったって言われてんだぜ」


「でも、でも――っ! でも! そんなの関係ありません!!! 碧音の言葉が全部嘘だったとしても関係ありません! 碧音は妖狐である私に普通に接してくれたんですよ! 蛇鬼であるミナシにだって普通に接してくれているんですよ! そんな人が苦しんで死にかけているんです。私は碧音が世界一悪い人でも助けます! 傍にいます! 信じます!!!」


「……ったく、こっちが悪い事をしてる気分になって来るぜ」


「自欲不施、これ以上、この話題を続けるのは法に反するのではないかい?」


「そーだな。色々考えるのはこいつを治してからでもおそくはねーよな」


 そこで糸でも切れたかの様にプツリと意識が途切れる。次に意識を取り戻したのは、周囲から賑やかな子供の達の声が聞こえてきた時だった。目を開こうとするが、まぶたが重く、薄目になってしまう。それでも何とか周囲の様子を確認する事は出来た。荷車の周囲には下半身や頭が蛇の子供達が集まっており、ミナシに向かって『神鬼に成ったのか?』や『逃げ駆けって来たのか』や『慰めてやるぜ』等、からかわれていた。『るせーな!』と言いながら子供達を追い払うミナシの声は何処か楽しげだった。


「ねえねえ! ミナシ、土地神様に会えた? 土地神様に村の事お願いしてくれた?」


「――わりーな、モンモ。まだ土地神様に会えてねーんだ。でも神鬼になって必ず会って来るぜ。だからそれまで、もうちょっと我慢してくれよな」


「うん、分かった! あれ? そっちの人は……妖狐だ! うわー、騙されるよー!」


 モンモと呼ばれた下半身が蛇の女の子は楽し気に逃げて行く。


「わ、私はそんな事はしません!」


「……ミナシか、何しに戻ったのじゃ?」


 白い毛の綺麗な30後半のマダム系の綺麗な顔立ちをした女性が姿を見せる。只、子の人物も女性の部分は上半身のみで下半身は黒い蛇だった。彼女は、ミナシの事を鋭い剣幕で睨み付ける。口調にも冷たさと棘が含まれていたが、ミナシはそんな事は、気にも掛けずに口を開く。


「……師範代、モンモを引き取ったのか?」


「仕方あるまいて、霊脈の乱れで村の半分と共に彼女を育てていた者は森に呑まれたのじゃからな」


「あ、あの……」


「む、妖狐なんぞ連れて来おって、何のつもりじゃ。この村を滅ぼすつもりか! 妖狐が入り込んで滅んで行った小さな村が幾つあると思っておるのじゃ!」


 コンが物悲しそうにシュンとして俯いてしまう。


「そう言う話しは後にしてくれ、まずはこいつを見てくれ、見た事もない呪印が――」


「む、この症状、霊力枯渇を引き起こしておる、さっさと運び出して寝床に寝かせるのじゃ」


「はいよ、コンもしょげてねーで、手伝ってくれ」


 荷車から降りたミナシは荷車に寝転がる俺の服の襟を掴む。次の瞬間だった。勢い良く服が引っ張られたかと思うと、荷車から引きずり落される。


「かはっ……あ、う……」


 全身に痛みが走り、辛うじて保っていた意識が一瞬飛ぶ。


「な、何しているんですか! 丁寧に運んで下さい!!!」


「わ、わりーな。こう言うの慣れてなくて」


 コンとミナシは俺の肩を担ぎ上げ、地下に伸びる緩やかな傾斜のトンネルに俺を運ぶ。

 掘ら穴の中にある、ロウソクの明かりで照らされた家の中は比較的普通だった。ベッドに食卓、キッチン、そして暖炉。小さなアパートの様に一通り揃っている。脱皮した様な皮が部屋の隅に干されているのが多少気になったが、それ以外は普通の家だった。

 ベッドに寝かせられてた俺は、突然、肩を師範代に噛みつかれる。


「――っ!?」


 全身の痛みで感覚が麻痺していたと言え、刺す様な痛みに、目の奥に火花が散る。


「な、何をしているんですか!?」


「今、少し私の霊力を注入した。これで一先ず霊力枯渇で命を落とす事はないじゃろう」


「……少し、楽になった、気が、する」


 重い瞼をなんとか開き、コンに視線を向ける。コンは俺の言葉を聞き、力が抜ける様にその場に座り込む。


「ほ、本当ですか。ふう、良かった、です……」


「おい、お前まで倒れんじゃねーよ」


「す、すみません。でも気が抜けて、急に眠気が……すう……」


 ミナシはため息を吐きながら、寝息を立て始めたコンを別のベッドに運ぶ。


「問題はこれからじゃ、霊力枯渇なんてものは普通では起こらぬ」


「あたしは何もしてねーぜ!?」


「疑ってはおらぬ。お主が多少霊力を奪い取った所で、ここまでの症状にはならぬ。現在も尚、持続的に霊力を失い続けておるのじゃ。心当たりは何かないか?」


「それなら右腕を見て欲しい、見た事もない呪印が刻まれてやがる。化け物みたいに強い妖獣と契りを結んでいやがるみたいだぜ」


 師範代は右腕の袖を捲って行く。俺の腕を見た瞬間、彼女の表情を分かり易い程険しくなる。そして今度は俺の顔を無言で見詰めて来る。


「その呪印、そんなにやべーのかよ」


「いや、これは呪印等ではない、只、とてもじゃないが、信じられぬ物じゃ……妖獣と言ったが、まさか白銀の鎖ではなかろうな?」


「白銀の鎖だったぜ。ワイバーンの足を引き千切りやがった……そんなにまずい物なのか?」


「いや、危険な物ではない。これはかつて灰鬼の力を封じる為に使われていた物じゃ」


「灰鬼? そんな種族。初めて聞くぜ」


「無論じゃ、500年前には滅びた種じゃ。現存しておったら蛇鬼等可愛く思われておる。灰鬼は見た物触れた物、全て灰へと変えてしまう力を持っておって、妖魔にして、妖獣の竹や松に匹敵する存在として恐れられておった。故に灰鬼は自らの力をこの様な鎖で封じておったと聞いている」


「んな、化け物じゃねーか……ちょっと待て、こいつの腕にそんな物があるって事は――」


「……しかし、私はこの者の様な種族は初めて見た。単刀直入に聞かせて貰う。お主は灰鬼であるのか?」


「そんな、訳の分からない力なんてないっての。普通の人間だ」


 俺の返答に師範代とミナシが顔を見合わせる。


「人間とはあの宝来の国に居ると言われている、あの、人間か?」


「本当かどうかはあたしには分からねーよ。でも、どっちにしても珍しさは伝説級じゃねーか」


「しかし、この鎖で霊力枯渇を引き起こすとも思えぬが、ふむ……。むしろこの鎖は身を守る為の物のはずじゃ。それにじゃ、根本的な問題として私にはこの鎖に干渉する事などは出来ぬ。今は霊力を与えつつ様子を見るほかあるまい」


 診察を終えた様で、師範代はまくり上げた袖を元に戻して行く。一仕事終えた様子で背筋を伸ばす師範代にミナシは真剣な眼差しを向ける。


「師範代、聞きて―事がある。土地神様だけど……消えたりしてねーよな?」


「――っ、何故、そう思う?」


「牛魔だよ。こいつらの話しによると、得ノ国の兵を招き入れてるらしいぜ。土地神様が来た事を確信してるみてーな口ぶりで。牛魔だけなら妄言だって切り捨てられるけど、得ノ国が動いてるってなると……どうしても、その可能性をどうしても考えちまうんだよ」


「……事実、じゃろうな」


「んなっ! な、なんだよ、それ。それじゃあ、この国は――っ」


 いつも自信に溢れていた力強さを感じさせてくれるミナシの声が弱弱しく震えていた。


「土地神様の事を知っていれば知って居る程、この国の現状を見て、そう考えてしまうであろうな。あの方は、今の様な状態を決して良しとはせぬ。だからこそ、誰よりも土地神様を信頼し、崇拝していた牛魔は誰よりも先に土地神様の消失を確信したのじゃろう」


「まさか……村がこんな事になっても師範代が動こうとしなかった理由って……土地神の不在を知ってたからじゃねーだろーな! 師範代なら土地神に会おうと思えば会えるだろ! 土地神が消えた事、最初から知ってのかよ!!!」


「それは私を買いかぶり過ぎじゃ。単に土地神様を信じておっただけじゃ。必ず何とかしてくれるであろうと……。それに私も土地神様と会えて言葉を交わせたのは生涯でたったの3度じゃ、会おうと思って会える御方などではない」


「嘘!!! 土地神様はいるもん!!! 祈れば通じるもん!!! 師範代の嘘吐き!」


 突然室内に子供の大きな声が響く、部屋の扉の前に、涙目のモンモが立っており、そう叫びながら師範代の家を飛び出してしまう。


「モンモ! はあ、最悪じゃ、何もかも最悪な状況じゃ……」


「消えたって、なんで消えんだよ。可笑しいじゃねーか、天命の日も迎えてねーんだぜ! 土地神は何処に消えたって言うんだよ!!!」


「その話し、ほ、本当、なのですか?」


 モンモの声で起きたのだろう。コンが青ざめた顔で師範代を見詰める。師範代はコンの質問には答えず、俯いてしまう。

 息が詰まりそうな程、重々しい空気が室内中に漂う。絶望、未来に対する絶望が、そこらかしこから溢れ出ていた。

 俺にもそんな時があった。未来を不安に思い、いつも暗い表情をしていた。でもどれだけ考えて悩んでもどうしようもない事だと知った。それで俺は考える事を放棄した。考えなければ不安も感じず絶望もしない。至極簡単な話しである。


「考えなければ良いんだよ、そう言う先の話しなんて」


「――っ、てめーは!!!」


 ミナシは俺の胸倉を掴んで来るが、すぐに俺が病人である事を思い出し、解放する。俺は痛む体を堪えて何とか上半身だけ起こす。一連の騒ぎで目を覚ましたのだろう、コンが不安げな声を上げる。


「考えないなんて出来ませんよ、そんな事、出来ません、ううっ」


 今にも泣きだしそうなコンの顔から俺は視線を外す。


「はあ……なんで気持ちや思いって簡単に変わってしまうんだろうな。コン、言ってただろ。土地神様は素晴らしい方だって、世界で最も優しい人だって。それがちょっと居なくなったかもってだけで、そんな顔してさ。そんな素晴らしい奴なら、何だかんだ何とかしてくれるんじゃないのか?」


 些細な事、僅かな変化で、他人の気持ちは余りにも大きく変わってしまう。俺が理解出来ない事、したくない事。どうして同じ気持ちのままで居られないのか? どうして同じ気持ちを持ち続けられないのだろうか? どうして友達のままで居られないのか? 簡単に疎遠になってしまうのか? 恋人同士が別れたり、夫婦の離婚、その全てが俺には分からない。これまでも、これから先も、きっと分からない。


「ふ、ふふ……碧音は、本当に、凄いです。なんか、急に大丈夫の様な気がして来ました」


「ち、なんか納得いかねーけど、あたしまでそんな気がして来たぜ」


「ミナシ、良き者と知り合えたようじゃな」


「師範代、この間抜けは、本当に何にも考えてねーだけだからな。只の間抜けだぜ」


「失礼だな。俺は何も考えないって考えてるからな」


「それを何も考えてねーって言うんだよ!」


「……不変の思いと言う物か。私も持っていたつもりであったが、修行が足りなんだが。あっさり土地神様に対する信頼が揺らいでしもうた」


「そう言えばトッチーも、俺が不変の信念がどうとか言ってたな」


 トッチーは『嫌いじゃない』とも言っていた、俺の幻聴かも知れないけど。


「あ、れ?」


 急に全身から力が抜けて行く。起きている事も出来ずに崩れる様に倒れ込む。全身から熱が消えて行く。次に感覚が無くなり、視界が暗く染まって行く。


「不味い、また霊力枯渇を引き起こしておる。最初にかなりの量を注入したはずじゃが! 何処じゃ! 何処かに大量の霊力が使われておる、やはり原因は右腕ではない! 何処じゃ!? おい! 他に心当たりはないのか!?」


「わ、分かりません」


 師範代に上半身を起こされた後、服を脱がされて行く。上着を半分程脱がされた所で師範代の手が止まる。


「んなっ!」


 師範代は俺の背中を見て絶句する。コンやミナシも俺の背中を見て怯えた物を見る様な目を俺に向けて来る。


「せ、なか……どう、なって……」


 息を吐くついでに何とか言葉を乗せて行く。俺の質問に答えたのはミナシだった。


「わ、分からねー。でもとんでもない呪印が刻まれてる。まるで生きてるみたいに、文字や円が動き続けてやがる。こんな呪印、見た事ねーよ。いや、もはや呪印かどうかも怪しいぜ。師範代……師範代?」


「……の流れを表し、治める、脈の在り方……決め、地を……正し、統括せし者……」


「師範代!!!」


「――っ!? す、済まぬ。呑まれてしもうた」


「こいつは何なんだよ。原因明らかにこいつじゃねーか!」


「わ、分からぬ、個人に理解出来る範疇を遥かに超えておる。……じゃが、1度だけ、これと同じ物を見た事がある。私の生涯で1度だけ……同じ物を私は見た事がある……」


 師範代はその場で深々と頭を下げる。額を地面に擦り付ける程深く。


「……土地神様の背中に、同じ物が刻まれておった。僅かな時間であった、じゃが、それは生涯忘れも出来ぬ……この方はおそらく――っ」


 師範代の次はコンが、その場で膝を折り、土下座でもするかの様に深々と頭を下げる。最後にミナシだった。彼女も2人と同じ様に地に額を付ける程深く頭を下げる。


 ――次代の土地神様――


 そう囁く様に言った師範代の言葉が何処か遠くに聞こえる。俺は状況も呑み込めないまま、土下座を行う3人の背中をボケっと、意識を失うまで見詰める事しか出来なかった。


 3日後、俺の体に起こっていた霊力枯渇はすっかり落ち着きを取り戻していた。俺の背中にある呪印が完成したとか何とかで、安定した事により、全てが回復に向かい出した。

今では、今までの不調が嘘の様に快調だった。まるで新しい体でも与えられた気分だった。


「はあ……」


 なのに、気分は最悪だった。もう何度目になるのかも分からないため息を吐く。あの日、師範代が口にした『次代の土地神』と言う言葉が頭の中を巡り続ける。俺はその言葉の意味を理解出来なかった、と言うよりしたくなかった。


「はっ……はは、土地神様? 次代の土地神? はは……」


 土地神、その国に絶対必要な君主。国の在り方も土地神次第。誰もから歓迎され、期待され、自分達を救い、導いてくれる事を信じる存在。それを俺が? 自分の未来や将来すら考える事を放棄し、投げ出した俺が、国の未来や将来を背負えと?


「う、うえ……うう……」


 そんな事を考えると体が拒絶反応を引き起こし、思わずえずいてしまう。この俺が、そんな土地神様に……悪い冗談にしか思えなかった。


 当然、俺は否定した。あり得ないと何度も言った。しかし師範代と話しを重ねる内にトッチーが土地神様で間違いないと言う結論が出されてしまう。実際に会った事がる師範代が語る土地神様の容姿と、俺が出会った灰色の髪の綺麗な男性の容姿が一致してしまった。土地神様は灰鬼である事や白銀の鎖を持っていた事も師範代が土地神様から聞いたとの事。疑う方が難しかった。


 そこからは、この話題は俺の手元を離れ、あれよあれよと膨らんで行った。人生を交換したと言う俺がコンにした話し等も合わさって、気付いた時には、俺は土地神様となっていた。

 当然、この事も良くはない、良くはないけど、俺にとっては脇に置いて、考えないと言う処置がとれる話しだ。俺が1番、こたえているのは、コンやミナシの態度の変わり様だった。目が合う度に頭を下げ、俺が話し掛ける度に、土下座でもするかの様に頭を下げ続ける、当然態度もよそよそしい。初めて会う人物に接するよりもよそよそしい。

 不変、何よりも人間関係が変わらない事を望む俺にとって、2人の変化は、言い様がない程にキツイ物だった。

 不意に視線を感じて目線を部屋の入口に向ける。モンモと言う幼い少女が俺の事をジッと見つめた後、両手を合わせて懸命に祈り始める。俺と目が合うと、モンモは恐怖や怯えとも少し違う、畏怖の表情を浮かべて、頭を地面に叩きつける様に思いっきり下げる。彼女はそこからどうして良いのか分からないのか、そのままの状態でズリズリ後ろに下がって行く。姿が見えなくなり、暫くすると、慌ただしく玄関が閉じられる音が聞こえて来る。


「……はあ」


 自分に向かって必死に両手を合わせている村人達の姿を想像してしまう。今もこの家を取り囲み、何かの儀式の様に期待と救いを求めて、俺に向かって祈りを捧げる妖魔達が目に浮かんで来る。

 俺は息苦しさと共に、言い様の無い気持ち悪さが体の中を駆け抜け、逃げ出したいと思ってしまう。過度な期待に精神が追い詰められて行く。

 こう言う時にどうすれば良いのか俺は良く知っていた。考えない事、何もかも、全て、考えなければ良い。考えて、考えて考えて、考えても、結局答えなんて出て来ない。何も変わらない。只、不安が膨らみ、苦しみが大きくなるだけ。でも考えなれば……苦しみもなければ、不安もない。


「そう、何も考えない」


 その瞬間、俺の中にあった不安や心苦しさが消えて行く。簡単な事だった。考えなければ良い。自分が次代の土地神だどうとか、国の未来も将来も何も考えなければ良い。考えなければ苦しむ事も不安になる事もない。そう、何も考えなければ良い。


「今、俺がしたい事……お腹空いた」


 俺は獣の様に本能のままに行動する事を是とし、食べ物を探してフラフラと部屋の中を歩いて行く。師範代の部屋は、こことは別にもう一部屋あるらしく、そちらからコン達の話し声が聞こえて来る。


「牛魔様は……どうしてあんな酷い事が出来るんですか! 村を……村をあんな事にするなんて、誰よりも土地神様を慕っていたなら、そんな事出来ないはずです!」


「牛魔は元々、闘技場の出身者じゃ。自欲不施の法が出来てから血の気の多い連中、死んでも構わないから戦いたいと思う連中が集まり、小さな村を生み出した。それが戦う者達の村『六角』じゃ。名の由来は闘技場が六角形である事から来ておる。牛魔はそこで生まれ、そこで育つ事となった。当初の六角は酷い所だったと聞く。毎日の様に闘技場や闘技場外で殺し合いが行われ、毎日の様に死が溢れていた。それでも、その村には血のたぎりを押さえられない連中が集まり続けたらしい。その場所で生きると言う事は戦い勝つと言う事じゃ。牛魔はその地で生き延び、頂点を極める事となった。その実力が認められ、牛魔は神鬼になる事になった。神鬼となった牛魔は『六角』の村を『牛六角』と改めた。村は大きくなり商業も盛んになり町となった、どれ程大きく賑わったとしても本質は変わらぬ、あの町は戦う者達の町じゃ。今では力の町と言われているそうじゃの。戦い、弱き者は死を迎え、強き者が生き残る。牛魔にとっては、それだけの事じゃ。その村も弱き者が死を迎えたとしか思っておらぬじゃろう」


「そういや、こんな木札をくれたジジイが言ってたぜ、牛魔は闘技場に負けた奴に指導してたって」


「その木札、お主、何処で……いや、それは牛魔の師である方の物じゃ。牛魔はその師考えを引き継いだからこそ神鬼になれたと聞く。その者がそうおっしゃったなら、そうなのじゃろう。牛魔が以前の様な考えを持ち、弱き者を切り捨てる様になったとすれば……土地神様の消失を確信した事が原因じゃろう。以前の様に生きる事が全てと考え、死を無意味な物と捉え始めたのじゃろう」


「生きる事が全てで、死は無意味な物つー訳か。分からねー考えでもねーな」


「何を言ってるのですか! そんな考え、酷過ぎます!!!」


「理解は出来るってだけだ。今は少し違う、言葉には出来ねーけど、なんか違うって思うんだよ。それが自欲不施の法に乗っ取ってるって言ってもよ」


「……ミナシ、想像以上に成長して居るようじゃの。その木札を与えられる程にか……しかし驚きじゃ、あやつが、オロチと契りを結んでおったと言う事じゃ。オロチの奴、また神鬼と契りを結んでおるとはのう」


「え? え? あの妖獣の事を知っているのですか?」


「昔の話しじゃ。オロチは私と契りを結んでおったのじゃ。あやつは妖魔になりたいと常々言っておったからのう。今も智に飢えておったのか。牛魔も態々オロチと契りを結びおって、神鬼を止めた私への当てつけじゃな。さて、そろそろ、真面目な話しをする時間じゃ」


 師範代は一際大きな咳払いをして、口を開く。


「此度の件、全ては天命の日までに土地神様を中央の霊脈核に送り届けねばならない。霊脈核、そここそが、土地神様の住まう地である事は理解しておるな?」


「あの別にいつ送り届けても良くないのですか? 土地神様は既に土地神様なのですよね」


「いや、厳密にいえば、霊脈核にて霊脈とつながる事で土地神様となる。時間制限に関しては全く別の要因から発生して居る問題じゃ」


「天命の日にしか土地神様になれないとかか? 土地神様の交代と言えば天命の日にする物らしいからな。他の国ではそうだぜ」


「この虚けが!」


「あいた!? ひでーな、師範代!」


「既に牛魔は事を起しておる。得ノ国の者を招き、村まで焼き払った。もう後には引けぬ。今更土地神様が現れる事が牛魔にとって、どう言う事が言うまでもなかろう」


「襲って来るってのかよ? 土地神様だぜ」


「確かに見る者が見れば私の様に分かるじゃろう。しかし霊脈核と繋がっていなければ、前土地神様に指名を受けたにすぎぬ、それも誰も知らぬ状況でじゃ。お主達はどうじゃ? あの方を会った時から土地神様と思えたか? あの方が自分は土地神様だと名乗ったとして信じられたのか?」


「まあ……ぶん殴ってただろうな」


「そう言う事じゃ」


「わ、私は信じました! ずっと特別だと感じていました!」


「コン、今はそう言う話しをしてんじゃねーよ」


「それに敵は牛魔だけではない。中央を挟んで反対側にある太淵たいえん国も問題じゃ。あの国の法は『勝利せよ』じゃ。土地神を含めて全員が勝つ事を全てと考え、どんな状態、状況でも負けだけは認めぬ者達じゃ。そ奴らが挙兵の準備を刻一刻と勧めておる。太淵国は、特に得ノ国を目の敵にしておるからのう。この国の異変を察し、是が非でも霊脈の確保を狙っておる。それが得ノ国に勝利する最も簡単な近道じゃからな。彼らにとっても新たな土地神様の出現は邪魔でしかない」


「太淵国の連中か、面倒な奴らだってのは知ってるぜ、やたらと負けず嫌いで、どれだけボコっても『負けてない』とか言って立ち向かってくんだぜ。気持ち悪いと言うか怖いと言うか」


「あの国と戦をする様な事になれば酷い物じゃぞ。泥沼程度では済まぬ、どちらかが滅びるまでの戦になり兼ねん。となれば得ノ国も黙っておらぬじゃろう。三つ巴の酷い戦争に発展する。そうなれば、コンの村での出来事が些細な出来事に感じる程にこの国は酷いありさまとなる。土地神様を天命の日までに霊脈核に送り届けられなければのう」


「た、大変です」


「事のすべては天命の日に起こる。天命の日、唯一土地神様を民が拝める日でもある。そんな日に土地神様が現れなければ、土地神様の不在を疑うを全ての者の疑念が確信へと変わるじゃろう」


「つまり、天命の日が終わると共に開戦、そうなると最後、新しい土地神様が現れようと、出した矛を収める事は出来ねーって訳か」


「牛魔が得ノ国の部隊を招き入れておるから、更に残された時間は短いかも知れぬ。あやつもあやつのやり方で、この酷い戦争を避けようとしておるようじゃからな」


「どうして太淵国も得ノ国も霊脈を手に入れようとするのですか? その為に戦までしようとして、私には分かりません」


「霊脈を少しでも確保出来れば、神鬼を100人は作れると言えば霊脈の価値が分かるはずじゃ。霊脈を確保する事は、そのまま国の力へと繋がるんじゃよ」


 俺はそれ以上3人の話しを聞いていたくなかった。今はとにかく土地神と言うワードから距離を置きたかった。


「そうだ、お腹空いてたんだった」


 自分が今したい事を思い出し、改めて周囲を見渡し食べ物がないか探す。しかし部屋には食べ物らしき物はなかった。俺はフラフラと家の外に向かう。外に出た俺を待っていたのは村人達の好奇の視線だった。師範代の家を取り囲む様に大人から子供まで老若男女が集まっており、俺の姿を見た瞬間、彼らが俺に向けていた好奇の視線は畏怖へと変わり、全員大慌てで頭を地面に擦り付ける様に頭を下げ始める。

 恐らく、俺が何も言わなければ、死ぬまで頭を下げ続けかねないだろう。誰もが固唾を呑む静寂の中、俺の一挙手一投足を見守り続ける。得も言われぬ緊張の所為が、お腹が、小さな音を鳴らす。俺は恥ずかしさを隠す様にすぐに口を開く。


「お腹、空いた」


 その瞬間、俺を取り囲む妖魔達はまるで電撃が走ったかの様にビクッと反応する。


「――っ、宴だ! 宴の準備をしろ!!!」


 そんな誰かの掛け声を合図に、蜘蛛の子でも散らす様に妖魔達が各地へと散って行く。武器を手に狩りに向かう者や自宅で料理の用意をする者、木を伐りテーブルを作ろうと張り切る者、何故か地面を掘り始める者。各々、宴の準備を始める。


「と、土地神様、宴の準備が出来るまでこちらでお休み下さい」


「――お休み、下さい」


 蛇頭の子供の妖魔とモンモが木の椅子を日陰に用意し、俺を案内しようとする。


「あー、うん、ありがとう」


 俺の言葉を聞いた子供の妖魔は突然泣き始める。泣いたかと思うと唐突に手を合わせて祈り始める。モンモもその子に合わせる様に俺に向かって必死に手を合わせて来る。

 どうにも居心地が悪く、俺はフラフラっと村の中を散歩する。村は蛇の妖魔が多いだけあり、独特な作りとなっている。家は全て地中にある様で、地上には田畑しかなく、田んぼしかない田舎町よりも殺風景な場所だった。

 村を歩いていると田畑が唐突に森に変わる。俺がボケっとその森を見詰めていると、後ろから声を掛けられる。


「――たく、心配したぜ。勝手にウロウロすんじゃ――しないで下さいぜ、土地神様」


 振り返ると額に軽く汗をにじませたミナシが立っていた。ミナシは俺と目が合うと同時に深々と頭を下げ始める。俺はあの乱暴者のミナシとは思えない行動に思わず眉を潜めてしまう。


「ミナシまで、止めてくれ」


「そう言う訳には行きませんぜ。土地神様」


 俺は小さくため息を吐きながら視線を目の前の森に戻す。すると、ミナシが目の前の光景の説明をしてくれる。


「霊脈の乱れで、村の半分がその森に呑まれたんだ。大勢亡くなった……大勢。こんな事が今は国中で起こってやがる。牛六角の大穴も含めてな」


「どうして前の土地神様は……村をこんなに、うう、どうして……」


 その声に振り返ると、瞳に涙を溜めながら森を見詰めるモンモの姿があった。ミナシはそんな彼女にどう接して良いか分からず困り顔で頭をポリポリと書いている。


「はあ……俺が来るのがちょっと遅れただけだ。宝来の国には行くのも来るのも一筋縄じゃないからな。だからトッチーを……前の土地神様を悪く思うなって。強いて言うなら悪いのは俺の住んでた宝来の国だな。場所が遠いのが悪い。幾らでも責めて憎んで良いぞ。許可する」


 モンモはコクリと小さく頷いて、森を見詰める。


「宝来の国の馬鹿! おタンこなす! 最低!!!」


「……何だよ」


「何でもありませんですぜ、土地神様」


 そう言いうミナシの瞳にはハッキリと呆れの感情が見て取れた。きっと適当な事言ってるなとでも思っているのだろう。

 とは言っても、何の根拠もなく言ってる事じゃない。トッチーがこの地を離れてから、俺がこの地に来るまでの間に、明らかに時間的な大きなズレがある。それに俺が最初に着た場所が辺境の森の中……全て不測の事態なのは間違いないだろう。別の世界との移動、そんな無茶苦茶な行いで、万事順調に物事が運ぶ方が奇跡だろう。

 師範代の家の近くに戻ると、宴の準備がかなり進んでいた。座布団代わりに大きな葉が敷かれ、料理に使われている香辛料の良い香りがそこら中から漂って来る。


「ミナシ、村の外に土地神様は出ていませんでしたよ! 村の中は――と、とと、とち、とと!?」


 コンがハクと共に村の出入り口の方から戻って来る。コンは俺の姿を見た瞬間、瞳を白黒させながら、壊れたラジオの様になってしまう。


「コンも俺を探してたのか?」


「そ、そう、あえ、と、とち、とと、と――っ。……」


 コンは俺と目が合うと同時に過呼吸を引き起こしたかと思うと口から泡を吹き、白目を剥いて倒れてしまう。俺は、地面に仰向けで横たわるコンをジト目で見詰める。


「……こいつ緊張のし過ぎで泡拭きやがった。ハク、師範代の家に運んでやってくれ」


「了解した。土地神様、失礼いたす」


 ハクまで俺に頭を下げる。俺は複雑な心境のまま、ハクに咥えられ、連れて行かれるコンに視線を向ける。ここ数日『避けられてるな』とは思っていたが、まさかここまで酷い状態になっていたとは予想外だった。


「良かった。寝床から消えているのを見た時、逃げ出したのではと思ってしまいました。土地神になると言う事はこの国を背負うと言う事、その重責は一介の妖魔には計り知れない物。それだけではない、土地神になると言う事は、霊脈核の外に出る事の許されぬ身となる事、その窮屈さが最低200年も続く事を考えれば、誰もが土地神様になる事を是とする訳でもありませぬ。本当に申し訳ない、前土地神様が認め選んだ方を僅かでも疑ってしまった自分の事が恥ずかしい限りじゃ」


「そんなの感じる玉かよ、責任とか重責とかと無縁に見えるぜ、あ、いや見えますぜ」


「人を何にも考えてないみたいに言いやがって、お腹が空いてウロウロしてたんだ、何も考えずにフラフラしてた訳じゃない」


「何にも考えてねーな! まだ妖獣の方が色々考えてるからな! ――っじゃなくて、ですよ、と、土地神様」


「歩いたら喉乾いた」


「こいっ……やっぱり何も考えてねーだろ」


「ミナシ! 何をしておるのか。土地神様は喉が御渇きになり、苦悩しておるのじゃぞ! すぐに飲み物を用意せぬか!」


「だから、師範代! 一々殴んじゃねーよ! たく! おい、それくれるか? ああ、ほら、飲み物お待たせしましたぜ」


 俺は渡された飲み物を口に含み、すぐに吐き出す。下の上に乗せた瞬間、目にチカチカする様な衝撃が走り、体がそれを異物としか認識出来なかった。


「如何やら土地神様はジョロキンの生き血はお気に召さなかった様じゃ。何をしておる、水じゃ、水を取って来ぬか!?」


「だから、殴んじゃねーよ! 師範代の力は洒落になんねー力なんだぜ?」


 生き血? 今、生き血って言った? 口の中、気持ち悪くなって来たんだけど!? ……考えるのを止めよう、口の中を切ったのだと思おう、そうしよう。

 それから少しして本格的な宴が始まる。机の上に大量の料理が並べられ、俺の正面に急きょ作られた木の枝で囲われた簡易のステージの中で村の女性達がウネウネ踊りや、男性達の舞踏、連れている妖獣の力自慢が始まる。

 この村の住人にとって、さっきに生き血はお酒の様な物らしい。生き血を煽ってはご機嫌な様子で笑っている村人達が目に付く。御馳走に関して、説明する事は何もない。良く分からない生き物や虫が並んでいたのを見て、俺は思考を放棄してしまった。生で出された物は無理だったが、焼いた物は食べられなくない味だったのは確かだ。

 宴に参加している村人達を見ているとちょっとした疑問が湧き上がる。


「……他の蛇鬼は居ないんだな」


「ああ、この村にはあたし以外も5人いたけど、1人は共食い、1人は村を出て、残りの3人は森に呑まちまったぜ……ましたぜ。残ったのは師範代の家に転がり込んでたあたしだけになっちまったな。こんな事なら、クシシの奴は食らって置けばよかったぜ」


 何かとんでもない事を言っている様な気がしたが、例によって考えない事にする。

 ステージではモンモを含める子供達の可愛らしい踊りが始まる。その踊りを見ているとコンの事を思い出してしまう。素人目だが、改めてコンの舞の凄さが良く分かる。歌も音楽もなく人の目を引き付ける事の凄さを思い知らされる。

 モンモ達の踊りが終わったのを確認して席を立つ。すると直ぐに師範代が俺の行き先を尋ねて来る。


「ちょっと、コンの様子を見に行くだけだ」


 師範代とミナシが目配せし、互いに頷き合ってすぐにミナシも席を立つ。


「なら、あたしもついて行く……行きますぜ」


 師範代の家に入っても村の賑やかな音や声は絶えず聞こえて来る。コンはベッドの上で膝を抱えてため息を何度もついていた。そして物々と何か呟いている。そんな彼女に最初に声を掛けたのは俺ではなくミナシだった。


「コン、何してやがる? 外は宴でお祭り騒ぎになってるんだぜ? 部屋でジッとしてても良い事ねーだろ」


「!? み、ミナシ……でも、その――っ!? と、とと、とち、と!?」


 またもや過呼吸を引き起こしそうになるコンを見て、俺は仕方なく、彼女の視界の外に移動する。


「すーはーすーは……と、とち、土地神様!?」


 コンの裏返った声に俺は思わずその場でズッコケそうになる。


「ほ、本日はおひ、御日柄も良く、その、えと、あの、御日柄も良く、ご機嫌麗しゅう、えと、ござりますです?」


「コン、気持ちは分からなくもねーけど、一旦落ち着けつーの」


「お、落ち着くって! と、とち、土地神様がそこに居るんですよ! 落ち着ける訳ありません! 心臓がバクバク言って今にも裂けそうです。そこの御方が誰か分かっているのですか? 土地神様ですよ、とち、土地神、様、とち、ととと、とち!?」


 コンはまた過呼吸を起こし始める。コンの態度の変化を見ていると、どうしてこんな思いをしてまで土地神にならなければならないのかと思ってしまう。少しずつ疎遠になって行った友達達の顔が浮かんでは消えて行く。どうして彼らは、変わる事を当たり前だと思い、変化を受け入れてしまえたのだろう。いつまでも同じ事を続ける、同じ思いを持ち続ける俺に異様な物を見る目を向けて来たのだろうか?

 ……コンと今まで通りの関係で居られないのなら、コンが今まで通り、俺と接してくれないのなら、土地神様なんて肩書は俺にとっては邪魔でしかない。


「決めた、土地神にはならない」


 俺はハッキリと2人にそう告げていた。ミナシが信じられない物を見る目で俺の事を見詰めて来る。


「はあ!? てめー! 何を考えてやがる!? てめーが土地神様にならないって事は、この国が滅びるって事なんだぜ! 村の惨状見ただろ! 森に呑まれて大勢死んだ、それが国中で起こってる! それに戦だって起こる事になる! そうなればどれだけ多くの妖魔に妖獣が傷付き命を落とすと――」


「だったらその態度の代わり様は何だよ!!! ちょっと土地神になるからって、目が合う度に頭を下げて来たり、泡拭いて気絶したり、真面に喋れなくなったり!」


「……それはコンだけだぜ」


「俺は何も変わってない、昨日の俺とも一昨日の俺とも、その前の俺とも、何も変わってない! なんで、こんな些細な事で態度が変わるんだよ! 気持ちが変わるんだよ!」


「些細な事じゃねーだろ、土地神様だぜ?」


「コン!」


「は、はい!!!」


「コンが今までの様に俺と接してくれないなら、土地神にはならない。ミナシもだ」


「待てや、それだと周りに示しがつかなくなんだろ! 土地神様が何か分かってんのか? あたし達にとって神様、同じ土俵に立って、話して良い方じゃねーんだぜ!?」


「だから土地神にはならないって言ってるんだよ!!!」


「この国はどうすんだよ! 見捨てんのかよ」


「知るか! そんな事一々考えてる訳ないだろ!」


「くかかか、はははは……。こう言う人物だからこそ、前土地神様は選ばれたのかも知れぬ。私程度の妖魔には、何を考えて居るかまるで理解出来ぬ、推し量れませぬ」


 師範代が盛大に笑いながら部屋に入って来る。


「師範代、こいつは何も考えてねーだけだって」


「何も考えてない者が土地神にならぬとハッキリ宣言したりする物か。その者には、その者の考え、その者の法があるのじゃよ。私には分からぬし、理解も出来ぬが。ミナシ、コン、お主達はどうする? 土地神様は既に答えを出しておる。次はお主達が答える番じゃ」


 コンとミナシは顔を見合わせる。


「答えも何も選択肢なんてねーだろ」


 そう答えるミナシに対してコンはジッと俺の事を見詰めて来る。


「一緒に国を渡り歩いても良い。国境を越えてコンの舞を大勢に見て貰うんだ。俺は、なんとか楽器を演奏出来る様になってみせるぞ。結構器用だからな、何とかなるって。お金は……あれだ、俺の荷物でも売れば良いし」


 俺はコンに向けて手を差し伸ばす。コンとの旅、他の国々で舞を披露して拍手喝采を受けている姿が容易に想像出来てしまう。何でも良かった、コンとそうして過ごせるなら、彼女との関係が、これまでも、これからも変わらないのなら、何でも良かった。

 コンは俺が伸ばした手に触れようとして、途中で拳を作り、ゆっくりとその拳を自分の膝に乗せる。


「やっぱり、碧音は土地神様です。土地神様になる為にこの地に来た方です。私なんかと違って、特別で……あれ、涙が、可笑しいです、悲しい事、言われてないはずなのに……。私、妖狐ですけど、嘘、吐けないので、正直に答えます。今まで通りに接するのは難しいです。土地神様は私達にとって余りにも特別な方ですから。でも、碧音を思う私の気持ちは出会った頃から何も変わっていません!」


 コンは恐る恐るといった様子で俺の顔を真っ直ぐな瞳で見つめて来る。


「んー、満点の答えじゃないけど……良いかな。土地神様になっても」


「ほ、本当ですか!」


「俺だって人並みの心はあるんだ。目の前で困ってる人が居たら助けるくらいの事はする。考えない様にして見捨てる事も勿論出来るけどな」


 その時だった、慌ただしい様子で村人が部屋に駆け込んで来て、師範代と共に出て行く。少しして神妙な面持ちをした師範代が部屋に戻って来る。


「良いか? 今、入った情報だが、周辺の村で牛魔の私兵がお主達の事を血眼になって探しているらしい。この様な手配書まで用意されておる」


 師範代は俺達の似顔絵が掛かれた手配書なる物を見せて来る。1枚の和紙に確りと特徴の捉えられたコンとミナシ、ハクの立ち絵が描かれており、その横にオマケ程度に俺らしき人物が添えられている。


「ちっ、闘技場を壊した事があたし達の所為にされてるぜ。蛇鬼と化けてない妖狐は絶対数が少ないから見つかるだけで終わりか」


「普通なら目立つこの2人には囮を務めて貰い、その間に土地神様を霊脈核に――と言う提案は、やはり受け入れては貰えぬか」


「ああ、今まで通りじゃないと俺は何処にも行く気はない」


「段々と只のワガママな糞ガキに思えて来たぜ」


「……少し待っておれ。確かここに、あった。これは私が神鬼をしていた時に認めた神鬼志願者に渡していた木札じゃ。今更こんな木札に何の価値もないが、身分を証明するのには十分なはずじゃ。中央についてすぐの場所に私の知り合いのラミアがやってる大きな宿屋がある。その木札を見せれば無条件で匿ってくれるはずじゃ。中央には白奈木はくなきの森を抜けると良い。街道を行くより時間は掛かるが、急げば天命の日までに十分間に合うはずじゃ」


「師範代、冗談はやめてくれ! 森を行くって正気かよ、あんな目印も道も何もない場所、ぜってー迷うぜ?」


「例え迷ったとしても土地神様なら霊脈を辿る事も出来よう」


 ミナシが俺に視線を向ける。その瞳には『そんな事、出来るのか?』と疑いの色が籠っていた。俺は彼女の瞳に対して確りと首を横に振って答える。


「その土地神様は首を横に振ってやがるぜ? 出来ないって意思を確りと示してるぜ?」


 師範代はミナシの言葉を無視して話しを先に勧めて行く。


「荷車の方の整備と旅に必要な物資の補充は任せて貰いたい。お主達はお主達で旅の準備を進めるのじゃ。私は村人を集め、情報を統制させて来る」


「ちょ、行っちまったぜ……」


 俺達は旅の準備を進める事となる、それも今までとは違い、1週間以上掛る本格的な長旅の準備である。食料や水、多少の薬に大きな布等、必要になる物は師範代が用意してくれて居たので、俺達がする事を言ったのは私物の整理である。荷物は減らす様に言われたが、ヘッドホンやパジャマを置いて行く気にはなれず、結局持って行く事に決めた。特にパジャマ、こちらのゴワゴワした服を比べるとどれだけ優秀な素材で出来ているのかと感心してしまう。ヘッドホンはヘッドホンで首に掛けると安堵感を覚えられるし、どれも置いて行く事等出来るはずがなかった。

 この時の俺はまだ旅行気分で旅に赴こうとしており、長旅の辛さを微塵も知らなかった。それが地獄だと気付くのに2日も掛からなかった。

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