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妖魔界の土地神様  作者: モチュモチュ
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力の町

 草履が脱げる。もう何度目の事か分からない。指の挟む力も無くなり、真面に草履を履く事も出来なくなっていた。あれから、かれこれ一晩歩き、木々の間から木漏れ日と共に朝日を拝む事になってしまった。俺は脱げた草履を拾おうと屈み込み、そのまま地面に座り込む。

 運動すら真面にしていなかった引きこもりに足場の悪い森を一晩も歩くなんて無茶な話しだった。もう足が限界だった。1歩たりとも歩けそうにない。


「なるほど、宝来の国では舞には音楽と歌が揃って初めて完成するのですか!」


 不自然な程明るいコンの声が前方から聞こえて来る。空元気だと分かっていても掛ける言葉を俺は持ち合わせておらず、俺に出来た事は彼女の空元気に付き合う事くらいだった。


「って、碧音、座り込まないで下さい。追手がいつ迫って来ていても可笑しくないんですから」


「もう無理、歩けない……これ以上歩いたら足が壊れる。ああ、もう追手とか知るか! 追手の事とか考えるのを止める。ほら、追手の事を考えなければ幾らでも休む事が出来るだろ」


 コンは『何を言っているんですか』と冷たい物を見る目で俺の事を見詰めて来る。


「まだ一晩しか歩いてないのに何言っているんですか」


「死んだと思われてるんだ、追手とか居ないって」


「死体がないのを確認して追い掛けて来ているかも知れないじゃないですか!」


 と言うか、何でこんな目にあってるんだ。いつもならこの時間はフカフカのベッドで惰眠を貪っている頃だ。疲れる事もせずに喉か乾く事も無く、ダラダラと部屋で過ごせていた。はあ、考えるのを止めよう。今手に入らない物の事を考えても辛くなるだけだ。


「飲まず食わずで、もう一晩も歩いてるんだぞ。倒れてないだけ褒めて欲しいくらいだ」


 目的地は中央らしい。牛魔の件を報告したり、彼の話しを確認する為には中央に向かうしかないとコンは断言していた。

今の所、追手の気配はない。追手よりも時折姿を見せる森に住まう妖獣の方が身の危険を感じさせて来る。息を潜めて何度もやり過ごしているが、何度も命懸けの綱渡りをさせられている様な状態だった。


「……碧音に自欲不施の法を破らせる訳にも行きませんね。少し休みます」


 コンは地面から盛り出した木の根に腰を下ろす。俺も地べたから木の根の上に座る位置を変える。周囲を見渡す限り木々が埋め尽くしており、俺達が居る場所は獣道すらもない森の中だった。

 黙って休憩としていると、コンから俺に向かって話題が投げられる。その内容はどれも宝来の国、俺の世界の事だった。俺は思考を停止させながら、辞書でも引く様にコンの質問に端的な答えを返し続ける。


「でも舞いながら歌に音楽って難しいですよ。舞ながら大きな声を出すなんて、とても出来そうにないですし……もしかして人間の特別な力だったりするんですか?」


「練習すれば出来る様になるんじゃないか?」


「宝来の国の歌ってどんな物があるのですか? 聞きたいです。碧音は歌えますか。私が歌えるのは『かしましのー』って奴です」


「あー、それってもしかして和歌みたいな奴か?」


「和歌? 歌ですよ。歌と言ったらこれじゃないですか」


「メロディーに合わせて歌うのを歌って言って……その歌とは別物」


「どんなのですか? 聞かせて欲しいです」


 俺はコンの舞を見ていた時に頭の中に流れていた歌を軽く口ずさむ。とは言っても、歌詞などは殆ど覚えてない為、鼻歌である。コンは真剣な表情で俺の鼻歌を聞き続けていた。


「す、凄いです。何か、感動で涙が出て来ました。私にも出来ますかね?」


「言って置くけど。今の物凄く下手だからな。ちゃんと言葉で歌ってないし、でもコンなら出来るんじゃないか。出来るまで、途中で投げ出したりせずに、出来るまで練習しそうだし」


「えへへ、そうかも知れません」


 コンは俺の真似をする様に早速鼻歌の練習を始める。俺はそんなコンに一晩歩いている間に湧き上がった疑問を全てぶつける事に決める。


「聞きたい事が幾つかあるんだけど、質問して良いか?」


 鼻歌を止めたコンは嬉しそうに俺の方を見て来る。


「はい、何でも聞いて下さい!」


「えっと、なら最初の質問、妖獣も言葉とか話せるのか?」


 牛魔のオロチは確かに言葉を発していた。俺はその事を思い出しながら質問を口にする。


「んー、何処から説明しましょう。まず私達がこの世に生まれ落ちる時、智を求めれば妖魔に力を求めれば妖獣になると言われています。妖魔は呪印によって妖獣と契約を果たす事で、互いに足りない部分を補い合うのです。妖獣は妖魔の知性を借り受け、代わりに妖魔に力を貸し与えます。強い契約、深い契約を交わす程、妖獣が借り受けられる知性は多くなり、言葉も話せる様になります。勿論、強い契約には霊力が多く必要ですので神鬼の方や、神鬼になれる様な方しか出来ませんけどね」


「ふーん、今の話しだと妖獣から妖魔とか妖魔から妖獣が産まれたりするのか?」


 俺の言葉にコンは眉を潜めて首を大きく傾げる。


「どうして妖獣が妖魔を産むのですか? 妖獣や妖魔も依り代に自然と発生する物ですよ。殆どは何かの屍が依り代になる事が多いですけど、妖狐の私はこの狐面が依り代です」


「あ、ああ、そう、なの? 依り代があれば自然と発生……」


 根本的に人間と生命としてのメカニズムから違ったらしい。もう少し詳しく聞きたい気もするが、結局、そう言う物として受け入れるしかないのだろう。俺はそれ以上考える事を止め、次の質問に移る。


「他の国もこの国と同じ様に土地神が居るのか?」


「はい、7つの大きな霊脈があり、その7つの霊脈を治める土地神様、その土地神様の元にそれぞれの国があります」


「国は……7つしかないのか?」


「当然ですよ、土地神様が居て国があるのですから」


 踏み込んだ質問をして良い物だろうかと少し迷うが、いつまでも気を使うのも疲れるので、気にせず踏み込む事に決める。


「土地神が居なくなったら国がなくなるって、どう言う事なんだ?」


 コンは一瞬苦虫を噛み潰した様な表情を作るが、すぐに不自然な笑みを浮かべながら返事を返してくれる。


「言葉通りの意味です。土地神様が霊脈を制御してくれているから、この地に私達妖魔や妖獣が住めています。その土地神様が居なくなれば……霊脈は乱れ、住める場所ではなくなってしまいます」


「その、代わりとか、代行出来る存在はいないのか?」


「いませんよ。土地神様の代わりなんて……」


「そ、そう言えば土地神の候補者が集められてるって聞いたけど?」


「はい、200年土地神を務めた土地神様は八百万の神々として出雲に招待され、そこで1つ位の高い神様に昇格すると言われています。なので200年に1度、次の土地神様を選ぶ機会があるんです。次代の土地神様は土地神候補者の方の中から選ばれる事が通例で、土地神様の完全な指名制です。だから土地神様が認め、任せられる候補者が居なければ引き続き、土地神様が土地神様を続ける事になります。この国の土地神様は600年間、土地神様を続けて下さっています」


「……600年って3回も昇進断って土地神続けてるって事なのか?」


 と言うか、600年も生きてる事も驚きだけどな。


「細かい事情は、私には計り知れませんが、そうなりますね。その200年に1度の日を天命の日と言って国を挙げてのお祭りが行われるのです。特に中央は各地に散っている神鬼の方々や土地神候補者、その年の神鬼志願者も集まり、それはもう凄いらしいです。私もこうして天命の日を迎えられる時に立ち合えると思うと……感激で涙が溢れそうです」


 この世界の事情が少しだけ見えて来る。土地神が居なくなる事は、その国にとって何よりも致命的な事は間違いなさそうだった。土地神は国王とは全く別物だ。代わりはおらず、居なければ文字通り国が滅びてしまう存在。コンの言った『土地神様の為に生きている』と言うのは大げさでも何でもなく、本心からの言葉だったのだと痛感させられる。


 不意に脳裏にトッチーの姿が思い浮かぶ。とても美しく、男の俺から見ても綺麗だと思える人物。俺と入れ替わる様に向こうの世界に消えたとしたら……。


「土地神ってどんな人なんだ?」


「またその質問ですか。とても素晴らしい方で――」


「そうじゃなくて、見た目とか、もしかして灰色の長い髪の男性とかじゃなかったりする?」


「知りませんよ。土地神と直接会えるのは神鬼の中でも特別な地位の方だけです。きっと物凄く大きくて強いです、あんな牛魔なんて指先1つで倒せる様な人です」


「トッチーは……別に強そうではなかったな、うん。でも神鬼だから強いのか? いや、神鬼とも限らないのか。それに居なくなったとしたら、随分と前から居なくなってるよな」


 牛魔があれ程の行動に出るまで数日やそこらの話しとは思えない。1年や2年と言った長い規模での話しだ。トッチーが土地神だと言う考えは色々と無理がある。そんな事を考え込む俺を余所に、コンは1人で物々と何かを呟き、頻りに頷いていた。


「……そうです。中央では土地神候補者が集められ、お祭りの準備が行われているんです。土地神様が居なくなったとか絶対にあり得ません。そんな事、絶対に信じ……。――っ、囲まれています。こ、こっちです!」


 コンは立ち上がり慌てて移動を始める。足はまだ回復している状態ではなかったが、それでも無理矢理立ち上がり、彼女の後を追い掛ける。未だに妖獣に襲われていない最大の理由はコンの動物的な勘だった。そのおかげで妖獣をやり過ごせていると言っても良い。


「完全に追い掛けて来ています」


 駆けながら振り返ると木々の隙間からキラリと光る眼浪の瞳は幾つも見える。


「あれの餌になる事だけは嫌なんだけど! 自欲不施の法は!?」


「妖獣は法とか守ったりしませんよ! そもそも彼らは自分自身が餌になる事を嫌だと思ってないかも知れませんし!」


「本当に素晴らしい法だよ、穴だらけで!」


「はい、土地神様の定めた素晴らしい法です!」


 眼浪に追い立てられるまま俺達は逃げ続ける。相変わらず眼浪達は必要以上距離を詰め寄る事はしなかった。追い掛け回して弱り切った所を仕留めるつもりなのだろう。一晩歩き疲れ切っている事が露見すればすぐにでも襲って来そうで、気が気じゃなかった。

 暫く走っていると、左手から和歌が聞こえて来る。


「人の声、近くに街道があるのかも知れません」


「た、助けを、求めたら、何とか、はあ、はあ、なるのか?」


「そ、その方が強ければ、助けて貰えるかも知れません」


 その直後だった。その和歌は断末魔へと変わり、その後、静寂が森を支配する。コンは足を止め、首を傾げながら周囲に視線を向ける。


「気配が消えました」


「助かったのか、ふう。今度こそダメかと思った」


 左側を見ると何処までも続いていた森がぷっつりと途切れ、真っ白な光で満たされている。俺は光に誘われる虫の様にフラフラとそちらに移動する。光の先を覗き込むと、そこには狭いながらも確りとした道があった。


「道は追手が……うっ……酷い、です」


 コンの視線の先には5匹の眼浪が、夢中になる様に肉の塊を貪り食っていた。その傍には荷車があったが、それを引く馬は既に逃げてしまい、千切れたロープがユラユラと風で揺れていた。

 眼浪達は半分ほど食事を行った後、狩り殺した獲物を森の中に引きずり込み、そのまま消えてしまう。


「……水」


 荷車には樽と思われる物が積まれており、俺は我慢出来ずに森から飛び出し、荷車に駆け寄る。この際、お酒でも気にせず飲もうと決め、樽に取り付けられた蛇口をひねり、中身を左手で受け止める。中身は綺麗な水だった。俺は夢中になりながら左手に貯めた水を口に運ぶ。


「コン、食べ物もあるぞ。ほら、干し肉に、干物、お米までもあるぞ」


「か、勝手に取ったりしたらいけませんよ、自欲不施の法が――」


「持ち主はもういないから、これは落ちてる物だから気にするなって、ほら、喉乾いてないのか?」


 俺は近くに出来ていた血だまりと、遺体を運んだ時に出来た血の跡を一瞥してすぐに視線を荷車に戻す。俺は考える事を放棄して、今したい事、喉を潤す為に行動する。荷車の中にあったコップを手に取り、中に水を注ぐ。

 干し肉をかじっているとコンも我慢出来なくなったのか、森の中から出て来て、俺がコップに用意していた水を勝手に飲み干す。その後、干し肉に手を付け、夢中になって食べ始める。


「お、美味しいです! こんなに良い物、久しぶりに食べました!」


「干し肉が良い物って、まあ、山菜スープに比べたら美味しいか」


「む、山菜汁も美味しいじゃないですか」


 水で煮ただけのスープの何が美味しいと言うんだ。


「……あまり街道に出ているのは危険です。追手に見つかりでもしたら、森の中を必死にここまで逃げて来た努力も無意味になってしまいます。もしかしたら指名手配されて、似顔絵が近隣の街に配られているかも知れません。只でさえ、妖狐と変な格好をした2人組なんですよ。それだけでも目立ちます」


「だったら、食べ物とか持ち出せる物をさっさと持ち出すぞ。このまま手ぶらで旅なんて無理だろ。そもそも中央に向かうって言ってるけど、どのくらい掛かるんだ?」


「7日は、その、掛かります」


「はあ? 1週間!? 掛り過ぎだろ」


「掛かり過ぎるって、何言っているんですか? 今のは道を進んだ場合の時間なので、実際はもっと掛かりますよ」


 俺は手に持っていた食べ物を力なく荷車の中に転がす。


「野垂れ死ぬ未来しか見えないんだけど……」


 ふと、俺は荷車の中に服らしき物を見付ける。引っ張り出し、自分の体に当て、サイズを確かめる。


「着替えたら俺達だって分からないんじゃないか?」


「着替えたくらいじゃすぐに分かりますよ」


「でも俺達が直接会ったのはあの2人だけだし、それ以外なら平気だろ。ほら着替えるから後ろ向け」


 コンが俺に背を向けるのを確認して俺は上を脱ぐ。服を脱ぐと嫌でも右手が視界に移り込む。相変わらず鎖の巻き付く様な痣で真っ赤になっている。


「こうして、こうか? 下はズボンみたいには、なってるのか」


 多少複雑だったが、俺は無事に緑色をしたこの世界の服に身を包む。服は着物と洋服との中間と言った物だ。強いて言えば着物っぽく見える洋服と言えば良いだろうか。最後に足袋を履く。正直一番の問題は裸足に草履を履いている事だった。森を歩いた所為で足の甲には擦り傷に豆まで出来て、それはもう酷い状態だった。この足袋で多少マシになってくれると良いけど。


「これなら商人に見えるんじゃないか? 適当に売り物らしい物でも持って行けば、街道を進んでも平気だろ」


 振り返えったコンは、俺の姿を頭からつま先まで舐め回す様に見て来る。何も言われない所を見ると、どうやら着方には問題ないらしい。


「な、何言っているんですか。この道の先にある街は牛魔様の治める所ですよ! そんな危険な場所に態々行ったりするのは自殺行為です」


 これ以上森を歩きたくなかった俺は思考を挟まず反射的に答える。


「そこだ。牛魔もまさか俺達が自分の街に来てるとは思わないだろ。裏を掻くんだよ、裏を。木を隠すなら森に、人を隠すなら人混みにって言うだろ」


「そんな言葉初めて聞きましたけど」


「森の中で見つかったら人違いじゃ誤魔化せないけど、街の中なら誤魔化せるだろ」


「私、嘘、付けないんですけど。その点も考えて言っているんですよね?」


 俺は都合の悪い事は聞かない事に決め、視線を荷車に移す。


「……あ、これ、お金じゃないのか? こんな所に隠してたのか、ラッキー」


 俺は、服の下に隠されていた銅板の入った袋を見付け、それを手に意気揚々とコンに見せようを振り返った時だった。俺の目の前にキラリと光る剣先が突き付けられていた。

 蛇の模様が掘られた刀身の奥には緋色の髪をツインテールに縛った、尖った2本の牙が目立つ黄色い瞳の女性が立っていた。黒い衣を腰の部分をしめ縄で縛っており、見ようによっては祭りのスタッフの様な格好をしている。


「碧音? 急に静かに――っ!?」


 剣を突き付けられた俺の姿を見て、コンの顔から血の気が引いて行く。後退ったコンを見て、俺に剣先を突き付けた女性が、声を張り上げる。


「動くな! 逃げようとしても無駄だ。妙な行動をすれはハクがてめーを食い殺すぜ」


 彼女の背後から馬よりも二回り程大きい真っ白な狼が姿を現す。


「その荷車……てめーらの物じゃねーよな?」


 も、もしかして横取りしようとかそう言う訳か? し、仕方ない。


「み、見逃してくれ、これは持って行って良いから!」


「わ、悪いのは私です! この人だけでも! み、見逃して下さい! お願いします!」


「俺だけ見逃されても困るんだけど! この後どうしろって言うんだよ!」


「だ、だって……あ、相手の人、蛇鬼ですよ。蛇鬼って言ったら――眼浪より危険な妖魔です!?」


「眼浪より危険ってどうなってるんだよ!」


 俺達のやり取りを見て、その女性は呆れた様な表情を作る。


「お、おいおい……。そこの血だまり、やったのはてめーらか? 返答次第じゃそのままブスリと行かせて貰うぜ」


「ふざけんな! 俺達がそんな事出来る様に見えるのか!」


「状況を見る限り、他に考えられねーだろ。この荷車の持ち主を殺して荷物を奪ってる以外にどう見ろと?」


「じ、自欲不施の法があるんです! そ、そんな怖い事出来ませんよ!」


 俺はコンの隣で首がもげる程激しく頷き続ける。


「どうだか。自分は奪われても殺されても嫌じゃないとか言いやがって、略奪や殺しをしてる連中も居るからな。てめーらも同じじゃねーのか?」


「本当に穴だらけの素晴らしい法だな!!!」


「はい、土地神様が定めた素晴らしい法です!」


「嫌味で言ってるんだからな!」


「ミナシ、そやつらからは血の匂いも妖獣の気配も感じぬ。おそらく眼浪1匹すら勝てないだろう。妖獣と契りを結んでいない妖魔が、妖獣と契りを結んだ妖魔に勝つ事は不可能、この者達が荷車の持ち主を殺害したと言う推察は過ちだと進言する。そもそも、そこの血だまりも血が古い数日は経過していると考えられる」


 ミナシと呼ばれた女性は一旦剣を引っ込め、鞘に仕舞うが、その視線は鋭く、特に俺の事を睨んで来る。


「ちっ、ハクが言うなら間違いねーか。でだ、てめーらは何してやがる? まさか、自分が盗まれても平気だからって、盗みでもしようとか考えてたんじゃねーだろーな! そう言う舐めた真似をする奴が一番嫌いなんだよ!」


「ミナシ、これは2つ目の試験ではなかろうか?」


「はあ? 試験? この辺りは神鬼が治めてる土地に入ってないぜ?」


「神鬼試験を軽く捉えるのは感心出来ない。この旅は全てを試験として捉えるべきだ。ミナシ、自分が何になろうとしているのか、改めてよく考えるべきだ」


 ミナシは舌打ちと共に俺の事を背筋の冷える様な眼差しで睨みつけて来る。学校の不良程度なら逃げ出しそうな彼女の凄味に負けて、俺は背筋に嫌な汗を流しながら咄嗟に嘘を吐く。


「こ、こんな所に荷車と血痕があったら、何があったのかって調べるだろ? な、なあ、コン?」


「は、ははは、はい!? し、しし、調べていた、だだ、だけです。ど、泥棒しようとか、お、おおお、思っていません!? これぽっちも!?」


 ――いくら何でも動揺し過ぎだろ。声だけじゃなく体全体まで震えてるし。訝し気な視線で俺とコンを睨んで来るミシナを見て、俺は心の中で頭を抱える。必死にこの状況を切り抜ける手段を考える。

 そうだ、賄賂だ! ゲームでこう言う時に賄賂を渡すイベントがあった。その時のイベントは、お酒とか振舞って相手の機嫌を取って、それから賄賂を送って見逃して貰うんだったよな。問題は肝心なお酒だけど……都合良くある訳ないよな。代わりになる物……。


「ま、まあ、落ち着いて、まずは1杯」


 俺はコップに水を注いで蛇鬼の女性、ミナシに差し出す。


「気が利くじゃねーかよ、ゴクゴク、ふう、乾いた喉に……って、てめー! この水、他人様の物だろーが!!! 何を飲ませてやがる!!!」


 ミナシの両のコメカミに血管が筋となって浮き出る。俺はその迫力に息を呑みながら、慌てて次の賄賂を差し出す。


「ま、まあまあ、干し肉でもどうだ? 干物もあるぞ」


「お? 干物があるのか! 最近魚はとんと食ってねーからな。こいつは中々……じゃねーよ! だから何を勝手に他人様の物を食わせてくれてるんだ!!! あたしまで盗んだ事になるじゃねーかよ!!!」


「お、お代を払えば、盗んだ事にならないんじゃないですか?」


「……そりゃ、確かに。おい、幾らだ?」


「えー。500円」


「500……エン? それは銅板幾つだ?」


「1つが10円だと考えたら……50?」


「ばっ、そんな大金払える訳ねーだろ!!! それだけあれば半年は暮らせるだろ!」


 ミシナがコメカミに青筋を浮かべながら俺の胸倉を掴んで来る。それをコンが間に入って慌てて止める。


「こ、この人は宝来の国の方なので物の価値とかに詳しくないんです! 銅板1枚で十分です!」


 何故一々余計な事まで言うのかコンを問い詰めたい衝動に駆られる。


「宝来の国? ハク、あたしの記憶違いか? そんな国この世界にあったか?」


「それは、この世界とは別にあると言われている異界の国をその様に呼んでいたと認識している」


「あー? まさか、あの人間が住んで居るって言われてるお時話の国か?」


 ミシナはマジマジと俺の事を見詰めて来る。俺は今にも噛みつかれるのではないかと背筋が凍る思いだった。


「ぷっ、はははははっ! 旅芸人でももっとマシな事を言うぜ? それがよりにもよって、人間? 宝来の国から来た人間って、ぷはははっ!」


「ほ、本当の事ですよ! ですよね、碧音」


 俺が返答に考えあぐねていた時だった。


「てめー、良く見るとその狐面、妖狐じゃねーか! おい! あたしの宿代返せや!!!」


「な、なな、何の話しですか!?」


「惚けるんじゃねーよ! 宿屋に案内するとか言って宿代請求して置いて、いざ宿屋に付いてみれば当然の様に宿代を払う事になっただろ!!! 宿屋の主人に話しを聞けばそうやって旅人から宿代をせしめているそうだな!!! 自分はされても嫌じゃないとかそんな言い分があたしに通用すると思うなよ? はっ、そういう事か、今回の試験は自欲不施に反せず、妖狐をどうするかって事かよ」


「試験? なんか試験でもしてるのか?」


 俺の言葉に呆れ顔を作るミナシとは裏腹に白いオオカミが丁寧に説明を行ってくれる。


「私達は神鬼志願者、つまり神鬼になる為に必要な木札を集める旅をしている最中である。木札を得るには土地を収める神鬼が考えた試験を突破し、6つの木札を集める事で土地神様への拝謁許可を頂ける。そこで旅を通じて自分なりに見つけ出した自欲不施の法が土地神様に認められれば、土地神様より霊脈の力を授かり神鬼へと至れる事になっている。現在ミナシは木札を1つ得ている」


「ご丁寧に説明する必要あんのかよ。さて、目の前にあるのは無人となった荷車、積んである荷物から、行商人の物。そして妖狐に……種族の分からない奴か、妖狐の変化か、疑っても切りがないか。ちっ、こう言う頭を使う奴は苦手なんだよ、力で解決出来ねーのか?」


「その力で解決する為にもやはり考える事は必要だ。まずは道筋を決める事だ。荷車か、妖狐か。それらをどうするべきなのか。自欲不施を念頭に自分なりの答えを導き出さねばならない」


「んな事、言われなくても分かってるっての……って、てめーは、何、平然と荷車を物色し続けてやがる!」


「この先の事を考えて装備を整えようかよ。手ぶらは流石にあれだろ?」


 ミナシにいきなり胸倉を掴み上げられ、俺は目を白黒させながら驚く。彼女の竹を斜めに切った様な長く鋭い爪が皮膚に刺さり、痛みが走る。俺はそれでも尚、荷車に積んである数本の剣を物色していく。


「だから平然とあたしの前で盗みをしてんじゃねーよ!!! 頭痛くなって来やがった。……盗みは間違いなく自欲不施の法に反する。これを阻止するのは――」


 その時だった、森の影から眼狼が1匹飛び出して来て、一直線にコンに襲い掛かる。

 ミナシの行動は誰よりも早かった。俺を突き飛ばしたミナシは、眼狼がコンの元にたどり着く頃には既に剣を振り上げており、一呼吸も行う前にその眼狼は両断され、地面にどさりと転がり落ちる。彼女の傍に控えていた白狼が駆け出し森の中に消えて行くと同時に、獣達の情けない声が聞こえて来て、周囲に満ちていた緊迫した気配が消えて行く。

 ミナシは引き裂かれ無造作に地面に転がった眼浪の肉を掴み上げ、血の滴るその生肉を口に含める。俺はその行為に自分の目を疑った後、気の所為だと思う事にするのだった。


「あ、ありがとうございます!」


「べ、別に感謝される程の事はしてねーよ。咄嗟に体が反応しただけだ」


 俺は無事なコンの姿を確認して心の底からホッとする。


「一刀両断って……強いんだな」


「あいつらは群れで襲ってくるから強いんだろ。1匹じゃ脅威にも何にもならねーだろ。そんなのにビビり散らかして何も出来ないてめーらが弱すぎんだろ。ほら、てめーらはさっさと消えるんだな。妖狐を追っ払って荷車と切り離す、これがあたしが出したこの試験に対する結――ち、まだ居やがったか」


 ミナシは、シッシと俺達を追い払うようにしながら剣を構えなおす。色々と整理の着いていない状況だが、1つだけわかる事がある。それは、彼女の見捨てられれば確実にゲームオバーになると言う事だ。


「嫌だ!!! 仲間に入れてくれ!」


 俺は無駄に大きな蛾のごとく、ミナシの足に飛びつく様にしてしがみ付く。正直、自分1人ならここまで必死にならなかったと思う。でも今はコンがいる。何が何でも安全を勝ち取らなければ彼女が犠牲になりかねない。こんな俺の事を特別だと言い、命がけで俺の事を考えてくれる彼女を犠牲してしまう事なんて考えたくもなかった。


「こいっ、何を! 放しやがれ! まだ眼狼がいんだろ! 見えねーのか!!!」


「頼む、この通り!」


 俺は必死に頼み込みながら彼女の両足を掴む。死んでもこの手を放すつもりはなかった。


「何が『頼む、この通り!』だ! あたしの足を離しやがれ!!! 両足を掴むな! 態勢が崩れっ」


 態勢を大きく崩したミナシが放った剣は、迫って来た眼狼を捉えはしたが、その命を絶つには至らなかった。命の奪い合いにおいて相手を絶命させられない事は致命的である。眼狼は狂気を滲ませたような唸り声をあげながらミナシの腕に食らいつく。酷い傷だった。肉は抉れ、真っ赤な肉の下に白い骨が覗いている。

 ミナシはコメカミのあたりに青筋を浮かべながら、手に持っていた剣を捨て、竹筒の様に尖った爪を眼狼の喉元に突き刺す。すると眼狼の喉元からドバドバと血が溢れ出し、その血が彼女の爪に溜まって行く。爪の一撃で致命傷を与えたのだろうミナシはぐったりとした眼狼を押しのけながら、爪に溜めた血を飲み干す。すると彼女の腕の見るものはばかられる様な酷い傷が瞬く間に治って行く。


「馬鹿野郎が!!! 何を考えてやがる!」


「何も考えてない!」


「何も考えてねーのかよ!!! ちゃんと考えて行動しろってんだ!!!」


 俺は放されない様に両腕で抱え込み、暴れる彼女の足を必死に掴む。


「考えて何も考えない事にしたんだよ! 人が何も考えてないみたいな言い方は心外だ」


「……こいつ頭わいてるのかよ」


「ちょっと待ってくれ、こんなに弱い俺達を見捨てるって言うのか? 断言してもいい、この先、絶対死ぬぞ! 10歩先で妖獣の餌になってるぞ!!! ほら、旅は道連れ、世は情けって言うだろ!」


「そんな言葉知らねーよ!」


「ミナシ、すまない、多少追い払い損ねた……? 何をしているんだい?」


 森の中から戻って来た白狼が首を傾げる。


「あたしが聞きてーよ! 仲間にしろとか言って足を掴んで来て、その所為で眼狼程度の相手に手こずる事になりやがった」


「それで、どうするつもりだい?」


「はあ? んなもん、追い払うに……って言いたい所だけど、確かにこいつら、このままほっぽり出したら野垂れ死にそうだな。仕方ねー。次の町までは送ってやる。ちっ、この試験、あたしはこいつらを荷車から追い払うって結論出したって言うのに……いや、荷車を置いていけば同じか」


「喜べコン、町まで送ってくれるって。これでやっと休める。一晩中歩いたからもう足が動かない。……どうしたコン……気絶してる」


 立ったまま白目を向いているコンを抱えて、俺は荷車に乗り込もうとする。そんな俺の首根っこミナシが無言で掴んで来る。


「おい、何当然の様に荷車に乗ろうとしてんだよ! お前達と荷車を引き離すって言ってんだろ!!!」


「はあ? なんで?」


「自欲不施の法に乗っ取ってお前達に盗みをさせない為だ!!!」


「でもこんな所に放置して道を塞いでる法が迷惑だろ」


「ち、どっちが正解なんだ。クソっ、わかんねーぜ! 自分がされて嫌な事は他人にはしない……確かに道のど真ん中に荷車があれば邪魔だが、かといって盗みは問題外だ……」


「ミナシ、この件に関して自分に言える事は何もない。自分が正しいと思った事を選び取る他あるまい。それがこの神鬼志願の旅だ」


「こう考えたら良いだろ。ちょっと移動するだけ、盗む訳じゃない、移動しただけだって」


「……」


 荷車に腰を下ろした俺は足を伸ばしながら息を吐く。コンが意識を回復した地点で互いに自己紹介は済ませている。向かい側に座っている口の悪い女性がミナシ、そして荷車を引いているのが彼女と契約を交わした妖獣、ハクである。2人は神鬼志願の旅を行っている最中である。


「蛇鬼のあたしの仲間になりたいなんて一体何を考えてやがるんだ? 間抜け程度の話じゃすまないぜ」


「そんなに可笑しいのか?」


 コンに視線を向けると彼女は視線をキョロキョロさせ、苦笑いを浮かべる。


「そ、そんな事、ななな、ない、でででですよ? じゃ、蛇鬼は……ちょ、ちょっと共食いしたり、妖魔を狩って食べたりするだけですよね、はは……」


「何だ、ちょっと共食いしたり、妖魔を狩って食べるのか……よし、逃げよう!」


 荷車から飛び降り様とする俺の腕をミナシが掴んで止める。


「ばっ! 走ってる荷車から飛び降り様とする奴があるか! 何も考えてねーのか!」


「当たり前だ、先の事は考えない主義なんだ」


「それを間抜けって言うんだよ! 蛇鬼のあたしに仲間にして欲しいとか言うから、一体何を考えてやがるのかって勘ぐったけど……本当に何も考えてねーのな。一応言って置くが、てめーらを食うつもりはねーからな」


「なんだ、それなら安心だな」


「はい、良かったです。いつ調理が始まるのかとドキドキでしたよ」


 俺とホッと一息吐きながら荷車に座り直す。コンも安堵の息を吐き、緊張の糸を解いていた。


「……てめーら、お人好しなのか、間抜けなのか……何であたしの言葉を素直に信じるんだよ。自欲不施の法があっても怯える物だろ。『気が変わった』とかあたしが言い出たらどうするつもりなんだよ……しねーよ! 2人して怯えた目を向けるな! 調子が狂う」


「ほっ……。ミナシも神鬼になろうとしているならちょうどよかったです。碧音も神鬼になる為に宝来の国から招かれたんですよ。あ、トッチーって神鬼の方を知ってますか? その方が碧音を宝来の国から招いたそうです」


 ミナシはチラリと俺達に視線を向けた後、鼻で笑って視線を俺達から外す。


「神鬼になるには、その神鬼志願の旅って奴をしないとならないのか?」


 俺の質問に答えたのは荷車を引いているハクだった。


「厳密には神鬼になるのに必要なのは土地神様に認められる事である。これをしなければ神鬼になれないと言う決まりはない。しかし普通の妖魔は土地神様に拝謁出来る機会もない。だから定期的に神鬼志願者を集め、彼らに神鬼が認めた者に渡す6つの木札を集める旅に出させる。その中で毎年、1人、2人が土地神様に認められ、神鬼となる。これが最も簡単に神鬼になる手段だ」


「うへ、大変そう」


 ゲームなら定番の展開だが、現実でやらされるとなると完全に地獄だ。旅なんてするもんじゃない、一晩歩くだけで何度死ぬと思った事か。


「しかし碧音も神鬼になろうとしてるのではないのかい?」


「え? 別になりたくないけど」


「何言ってるんですか! 碧音はトッチー様に頼まれてこっちに招かれたんですよ、神鬼になる為に招かれたんですよ!」


「別に神鬼になれとか一言も言われてないし、ふあ、もう限界、なんだかんだ丸1日寝てないからな。徹夜だけならまだしも運動ませさせられたら体がもたない」


「……そう、言われると、私も限界かも知れないです」


 荷車に積んである洋服を枕に体を横にする俺の隣で、コンは体を器用に丸める。物の数秒で俺達の意識は深い闇の彼方に沈んで行くのだった。


 目を開けると夕陽に染まった空が見える。


「今頃お目覚めかよ。呑気な物だぜ。こっちは中々街に入れなくてイライラしてるって言うのによ。ち、なんだよ検問って面倒な事してやがる」


 周囲を確認する。城壁と共に城門が見える。その前には俺達も含めて旅人が何人も並んでおり、門番の黄色い鬼から審査を受けていた。


「そんなに褒めても何も出ませんって、はい、もう1度舞って欲しいんですね、土地神様」


 コンは城門が迫って来ている事も門番が検問を行っている事も知らずに呑気に寝言を言いながら、ぐっすりと眠り続けている。俺は全身から訴えかけて来る嫌な予感に背中を押される様にミナシに疑問を投げかける。


「神鬼が土地を治めてるとか言ってけど……あの町も神鬼が? ちなみに誰とか知ってる?」


「力の町、牛六角、治めてる神鬼は牛魔だったか。強ければ正義みたいな町だって聞いてるから、あたしにピッタリな町だな」


 今逃げ出そうものなら門番に怪しまれたちまち御用となるだろう。俺は静かに夕日に染まる綺麗な空を見上げる。そして考える事を止めた。


「神鬼志願者か、良いだろう、通れ。……商人か、荷を改めさせて貰う。クシに服、草履に傘、怪しい物はないな。例の2人組の旅人でもない様だ。通れ。次! 八久の村の出身か、そうか、大変だったな、通れ」


「八久の村?」


「霊脈の乱れで液状化して消えた村だよ。最近は霊脈の乱れで村に住めなくなった難民がこうして別の村や街に移り住むなんて話しざらだぜ。つーか、てめーら、大丈夫だろうな? さっき魂抜けたみたいな表情してたけどよ、あたしにまで迷惑かける様な事はしてくれるなよ」


「ああ、大丈夫だ」


「本当だろうな」


「ああ、もう何も考えないって決めたから大丈夫だ」


「何も大丈夫じゃねーだろ!!! 何かあるなら今すぐ突き出してやる!」


「ミナシ、それは早計な判断だと進言する。自分が蛇鬼である事を念頭に置いておくべきだ。まずは彼ら自身に心当たりを訪ねるべきだ」


 ミナシは俺に『話せ』と言わんばかりの鋭い眼光を向けて来る。


「ざっくり言うと牛魔の悪事を見た? それで殺されそうになって逃げてる」


「……ちっ、後で詳しく聞かせて貰う。まずはこの場を切り抜ける」


 門番が追加され、俺達の元まで駆け寄って来るのを見て、ミナシは手早く荷車を見渡し、コンの狐面を隠す様に彼女の頭に服を被せる。


「あたしは神鬼志願者だぜ」


「……蛇鬼の貴様が? ふむ、その木札は……確かに、そっちの2人は?」


「ああ、あたしの連れだ。何か文句でもあるのか?」


「い、いや、木札を一つでも獲得している神鬼志願者なら問題ないか。通って構わない」


 門番はミナシの気迫に気おされる様に俺達をさっさと通す。荷物ぐらい調べろとも思ったが、今回に限って俺達にとって都合が良かった。

 街は俺の予想に反して発展している所だった。真っ直ぐ正面の大きなお城にまで続く、幅の広い石畳、両サイドには赤を基調とした2階建ての木造のお店が立ち並び、多くの人々が行き交い、街は活気に満ちていた。街を行き交うのは鬼を始めとして多種多様な妖魔と妖獣達だった。中には所謂妖怪と言われている、のっぺら坊や猫女にろくろ首らしき者まで存在していた。


「本来なら木札の試験前に町をゆっくり見たい所だが、聞きたい事も出来たし、まずは宿に向かうとするか」


 周囲の活気で目を覚ましたのか、コンは目を擦りながら左右を見渡し、小さく欠伸を行う。


「ここは、何処、ですか?」


「牛六角の中」


「もう牛六角に着いたんで……ぎゅ、ぎゅかく――っ!? 敵の本拠地じゃないですか! なんで街の中に入って居るんですか!?」


「入れたから」


「入れても入るべきじゃないです!? 危険過ぎます!?」


「騒ぐな、うっとうしい。いくつか聞きたい事が出来た。宿に着き次第、色々説明して貰うぜ」


 宿に着く。ハクと荷車を外に止め、宿に入る。入り口を潜ると食堂が見え、そこにはミナシ達と同じ様な神鬼志願者達が集まっており、試験会場の様な異様な雰囲気に包まれていた。ミナシの姿を見た瞬間、志願者達の間に言い様のない緊張感が走ったのが印象的だった。そんな中、大きな紙の傘を持った優男が声を掛けて来る。


「おいおい、蛇鬼が神鬼になろうとしてるのは本当だったのかよ。あー恐ろしい、恐ろしい。共食いで滅びたって聞いたのにまだ生き残りがいたなんて、いっそ全滅してくれればよかったのに」


「ーーてめー」


 ミナシの両のコメカミの血管が浮き上がる。それは、彼女の怒りを推し量るには十分な目印だった。


「おっと、いくらここが力の町とは言え、神鬼志願者同士の戦闘は禁止だよ? 僕に手を出した瞬間、君は資格を失う。それとも妖魔食いの蛇鬼は僕を今晩の食事にするつもりか? あー、怖い怖い。まあ、神鬼志願者にも関わらず、妖獣と影入りの契りをすら結んでいない者に僕が負ける道理はないけどね」


「影入りの契りじゃねーとならねーなんて決められてねーだろ!」


 腕を振り上げたミナシと優男との間に俺は入り込む。


「はあ、疲れた疲れた、早く部屋で体を伸ばして眠りたい」


 俺は軽くジャンプして優男の足を思いっきり踏みつける。そして何食わぬ顔をして宿の奥に向かおうとする。


「いっ!? お、おま、お前!!! 自欲不施の法を知ってるのか! 僕の足を踏むって事は踏まれても良いって事になるんだぞ!」


「でもお前は踏まれたら嫌なんだろ? だったら俺の足は踏めないだろ? 踏まれて良いのなら、態々自欲不施の法なんか持ち出さないからな」


 俺はそんな挑発をしながら、優男の足元に意識を集中させ、返り討ちにしようと身構える。しかし優男は顔を赤くして悪態と捨て台詞を吐きながら去って行くのだった。


「……てめーは足踏まれても嫌じゃねーのか?」


「はあ? 嫌に決まってるだろ」


 ミナシは信じられない物でも見る様な目で俺の事を見詰めて来る。


「――本当に、いかれた奴だぜ」


 自欲不施の法、俺からすると言い逃れが幾らでも出来る穴だらけの馬鹿らしい法だと思う。でもこの国の住人にとっては絶対らしい。俺が想像している以上に、皆がこの法を成りよりも重んじている様だった。

 俺達は、そのままロビーを抜けて用意された部屋に向かう。用意された人は1部屋で一緒にされてしまった様だった。部屋には畳の上に布団が並べられただけで、他には何もなかった。

 部屋で荷解きを行っていると、ミナシが俺とコンに睨む様な鋭い視線を向けて、質問を投げかけて来る。


「さっそく詳しく聞かせ貰うぜ。何を見たんだ?」


 ミナシの質問にコンは表情を青ざめさせ、その場でうずくまってしまう。ミナシはコンからの説明を期待していたのだろう、彼女が話せる状態ではないと分かり、目に見えて疲れた表情を作り、視線を俺に向けて来る。俺は、町で起こった事を掻い摘んで説明する。


「冗談にしては達が悪すぎるぜ……土地神の消失? 得ノ国の馬人?」


 ミナシは頭を抱えてベッドに倒れこむ。


「と、土地神様が消えたなんて嘘に決まってます!!! あり得ません、そんな事……絶対に……絶対に嘘です!!!」


 コンは、怯える小さい子供の様に布団の中に潜り込んでしまう。体を起こしたミナシと目が合った俺は、変な空気になる前に話題を変える。


「……そう言えば影入りとか何とか言ってたけど、あれは何なんだ?」


「今、そんな質問良く出来るな。妖獣を自分の影に入れる事の出来る契りだよ。体の大きな妖獣でも邪魔にならず何処にでも連れて行けるからな、神鬼や国に仕える役人達はこっちが主流になってるぜ」


「そっちの方が便利そうだけど、ミナシはしないのか?」


「まあ、特に拘りとかねーけど、ハクと出会って初めて結んだ契りだからな……霧の濃い日に森で迷子になってよ、数日間さ迷って死に掛けた時にハクに助けられたんだよ。その流れで、契りを結んだんだぜ。それに態々、解除して結び直すのも面倒な話しだろ」


「妖獣って問答無用で襲って来る物じゃないのか」


「そりゃ、てめーらみたいな霊力の弱い奴にだけだっての。妖獣の多くは智を欲してやがる。だから、妖魔が契りを求めれば基本的には応じるぜ。つっても、こっちから契りを求めないと問答無用で襲って来んのが殆どだけどな」


「ふーん」


 俺は布団に寝転がる。硬く、ないよりはマシと言うレベルで寝心地は最悪だった。


「牛魔の事なんてどうでも良いけどよ、土地神様がいねーか……きつ過ぎるぜ、それだけはよ」


 ミナシはボソボソとそんな事を呟きながら、剣の手入れを始める。


 土地神が居ない。それが事実ならこの国は文字通り消えてなくなってしまう。その前に霊脈を狙った隣国が攻めて来て戦場と化すかも知れない。霊脈はおそらく、原油みたいな物なのだろう。戦争になるとあの村の様な光景が各地に広がる事になるのだろう。

 それに土地神が居ない事が事実なら、コンのしようとしている事も無駄となり、その先の未来も……止め止め、考えるのを止めよう。そもそも将来とか今後の事を考えるのは嫌いなんだ。未来の話しは、引きこもりには気が滅入る。


 次の日、全身の筋肉痛を覚悟していた俺は、意外にもそこまで酷い筋肉痛になっておらず、安堵の息を吐く。とは言っても体を伸ばしたりするとそれなりの痛みが走る。俺が筋肉痛よりも気にしていたのは右腕の痛みだった。昨日の夜からピキピキとした、刺す様な痛みが絶えず走っている。1度、確認したが、鎖の痣が酷い火傷痕の様に赤くなり、熱を持っていた。切断された痕の部分はかさぶたが出来て治り始めていたが、これ以上、悪化する様なら医者に診てもらった方が良いのかも知れない。この世界に医者が居るのかは知らないけど。

 朝食を取る為、食堂に向かうと空腹を刺激する良い香りが漂って来る。俺は眼下に広がる久しぶりの真面な料理に思わず泣きそうになってしまう。味のあるスープに、具材の入ったオニギリ等に感動を覚える日が来るとは思わなかった。

 その後は、試しに付いての説明が行われる。内容はとてもシンプルだった。闘技場にて、5体の妖獣の内、何れかを討伐すると言う内容だった。


「その鳥飛王ちょうひおう、得ノ国に住まう妖獣だと僕は記憶してるが、これと戦うのかい?」


 昨日の優男が手を挙げながら試しの説明を行っていた青鬼に質問を行う。鳥飛王の絵をみると、村を襲った馬人が使っていた妖獣にも見える。優男の話しからも、おそらく間違いないだろう。


「今回の討伐対象の位は全て竹、それらの中でもこの鳥飛王は非常に強力な妖獣となっており、この妖獣を狩った者はそれだけで牛魔様が直々に神鬼に取り立てても構わないと言っておられる」


 青鬼の説明を聞き、数名の明らかに柄の悪そうな連中がニヤリと笑みを浮かべながら宿を後にする。その中には昨日ミナシに突っかかって来た男も混じっていた。


「面白い。つまりそいつを倒せばこの試しだけではない、この神鬼志願の旅を終える事も出来ると言う事かい。流石、力が全てと言われている牛六角だよ」


 コンは貼り紙に書かれた妖獣達の名を声を震わしながら呟いて行く。


「……山蛇、黒餌虫くろえちゅう大鹿、獲樹木えじゅきそして鳥飛王……ど、どれも恐ろしい妖獣です。こ、こんなのと戦うって言うんですか?」


 まるで壁画にでも描かれていそうな簡易的な絵を見ても、どれ程恐ろしい相手なのかピンと来なかった俺は、コンにどれ程の相手なのかと小声で尋ねる。


「位が竹の妖獣ですよ! 普通の妖魔なら出会った瞬間、死を覚悟します。梅の中ですら危険な妖獣が沢山いるんですよ。あの眼狼が梅の中で下に値する妖獣です」


 つまり眼狼がスライム的な扱い? ……この世界恐ろし過ぎる。


「もしかして山蛇って……あの、牛魔の蛇みたいなのか?」


 俺の疑問に答えたのはミナシだった。


「牛魔のオロチは、竹の上の松だ。竹の妖獣達の中でも異形種と言われる特別秀でた物がそれに分類される。異形種ともなれば元々の種と姿も大きく変わるんだぜ。牛魔のオロチは、元々は山蛇だが、大きさが桁違いで、山蛇の3倍の大きさだと言われてる」


 それだけでも山蛇のヤバさが分かる。例え、あれの10分の1だとしても、簡単に人を殺せるサイズなのは間違いなかった。


「ハクも眼浪の異形種だぜ。まあ、眼浪は梅だからハクの位は1つ上の竹だけどな」


「あれが眼浪の異形種? いやいや完全に別の生き物だろ。目が4つあるとか程度の差じゃないぞ?」


「その程度の変化なら異形種にはならないっての。さて、この中なら、山蛇か大鹿なら倒せるが……昨日の話しを聞いた後だと呑気に試験なんかうけてられねーな。まずは、ハクと相談するか。情報を共有しておきたいしな」


 他の神鬼志願者に紛れてミナシが食堂から外に出て行く。コンは不安そうな表情を浮かべながら俺の元に寄って来る。


「これからどうするのですか? さっさと町を出ましょう。いつまでもこんな所にいたら見つかってしまいます、だから……」


「どこにいたって見つかる時は見つかるって、それよりここの食事、ちゃんと味があるな。鶏肉を混ぜたムギご飯みたいな感じだな」


「……こんな状況で料理の味なんて感じられません」


 互いに黙々と食事を取っていると何処か疲れた表情をしたミナシが戻って来る。


「とりあえず、今回もいつもの様に町の様子を見つつ、試験を受ける事に決めた。一応確認するが、お前達はどうする気だ?」


「土地神様の居る中央に向かいます。そこで見た事を全部話します。土地神様ならきっと碧音の事も何もかも上手く収めてくれるはずです」


「俺は勿論、何も考えてない」


「考えろや! むしろ何で考えないでいられるんだよ! 普通に考えて、まともに寝られないほどの事態に直面してるだろーが!」


「ちゃんと考えて、考えないって考えた」


「こいつと話してると、頭おかしくなる。あたしも中央に向かってるんだ、護衛くらいはしてやらなくもない、勿論、試験は優先させて貰うぜ。あたしにも事情はあるからな」


「どんな事情なんだ?」


「……平然と聞いて来るな、今から町を回る、ついて来るならついでに話してやる」


「じゃあ、いいや。あ、町回るならお土産よろしく」


「てめーはついて来い。ハクがいくつか聞きたい事があるって言ってたのと……てめーを部屋に残すのは、なんかムカつくんだよ。コン、てめーはどうすんだ?」


「あ、い、行きます。い、いいですよね?」


「構わないから、一々ビクビクするな、気を遣うだろ。こいつみたいにしろとは言わねーけどな」


 ハクを交えて町の探索を始める。ハクの質問は宝来の国、俺が住んでいた世界に関する事だった。なんだかんだ、ミナシも興味があるのか、俺の話に真剣な表情で耳を傾けていた。

 電車の話しを一通り終えた後は、ミナシが神鬼試験を受けている理由についての話となる。


「最近、霊脈が乱れているのは知ってるか? って、知るわけないか。霊脈の乱れの影響で様々な場所に問題が出てんだよ。あたしの故郷も突然森が侵食してきて村の半分が森にのまれた。神鬼になれるならそれに越したことはないけど、妖魔食いの蛇鬼がな、土地神様と会えさえすれば故郷の事を直談判出来ると思ってな……」


「土地神様の喪失の話しを聞いた際、頭から否定しなかったのは、霊脈を乱れと言う物をまじかで見ているからだ。酷い物だ。土地神様がいなくなれば国が滅びる、その事を実感させられる」


「ハク、止めろ」


「ああ、すまない。コン、今の発言は忘れて欲しい」


「……平気です。だって、土地神様は消えたりしません。誰よりも国の事を思って住まう妖魔の事を考えてくれて、私みたいな妖狐も無条件で受けれてくれる国の土地神様です。黙って消えたりする訳がないです」


「まあ、そうだな。自欲不施なんて法を定めたんだ。どの国の土地神様より優しい人だろうよ。蛇鬼を受け入れてくれる国なんてここくらいだからな」


 自欲不施、そんな穴だらけの法をここに住まう妖魔達が熱心に守っている理由が少しだけ分かった気がする。


 町は何処も活気にあふれとても賑やかだった。町のど真ん中を横切る1本の大通り、その左右では無数の店や屋台が立ち並び、絶えず人の声で賑わい続けている。都内の夏祭り、あれをほうふつとさせる賑わいである。


「はあ!? こいつを食う間に水を飲めだって! 水は後だろ! 良いだろう! どっちが強いか、決めるとしよう!」


「かかって来い、勝負の結果はすでに見えてるけどな!」


 突然、言い争いが始まったかと思うと、その場で喧嘩と言うにはあまりにも真剣な、決闘に近い争いが始まる。周囲に彼らを止める者はおらず、むしろ周りの者は場所を開け、道の真ん中に彼らの為のバトルフィールドが形成して行く。俺はそんな光景をチラリと見た後、視線を背ける。かれこれ6回そんな光景を見ていた。力の町。ここでは揉め事は全て決闘、強いか弱いかで決めていた。

 これもまた自欲不施の法に乗っ取っている。この町に住まう者の誰もがそれを是とすれば、是となる、なってしまう。


「んな事、考えるまでもねーだろ。力で決める、決めて良いと思ったからだろ。あたしも力で決めて良いなら、これ程ありがたい事もねーぜ。この町に態々来るって事は同意したって事になんだろ? やつも神鬼だ、土地神様も認めてるって事だろ」


「週末世界の様なルールだっ――いっ」


 グシャ、そんな嫌な音と共に目の前に腕らしき者が落ちて来る。俺が悲鳴に近い物を上げそうになりながら立ち止まっていると、コンが怯えるように服の裾を抓んで来る。彼女の視線を向けると、思い詰めた様な表情でキュッと口元を結んでいる。

 少しして、その腕の持ち主らしきボロボロの毛むくじゃらの妖魔がトボトボと歩いて来て『負けた負けた、これからは飯の前に水を飲みますよ』と呟きながら腕を拾って立ち去って行く。どうやら先程揉めていた片割れらしい。


「……今すぐこの町から出ないか? うん、出よう」


「こんなの……弱い妖魔はどうなるんですか!」


「弱い奴の事なんてどうでもいいだろーが、そいつが弱いのが悪いんだろ」


「……そんなの自欲不施の法に反します!!!」


「この町は力で決める事を是としている。そしてこの町に入ると言う事は力で決める事を是とすると言う事にならないかい? 牛魔は自欲不施を力で決める事と捉え、土地神様にも認められている。故にこの町が生まれた」


「この町の活気を見れば、力で解決する事を受け入れられているって分かるんじゃねーか?」


「でも負けたら、あんな……」


 コンは先程の妖魔の事を言いたいのだろう。腕を千切られるなんて、軽い争いではない。


「ミナシ、光があれば影もある様に勝者がいれば敗者もいる。知る必要があるのではないかい? 牛魔と言う神鬼の事をよく知る為に、普段は見ない部分に目を向ける事も大切なのではないか?」


「……ち、負けたら勝てる様に鍛えるだけだろ。何を見ろって言うんだ。……あいつは何処に行った、そっちか」


 ミナシは行き先を大きく変える。先ほどの妖魔を追って大通りを大きく逸れて裏路地をズンズン進んで行く。俺達もはぐれない様にミナシの後をぴったりと付いて行く。大通りから外れると先程までの賑やかな雰囲気は一変して、重く暗い雰囲気が周辺を埋めていく。


「な、なんか、怖いです。森の中ぐらい薄暗いです……」


「うっ、なんか、変な臭いするんだけど」


「只の死臭だろーが、肉が腐ればこんな臭いがする」


「あー只の死臭か、うん……うん」


 俺はいつもの様に考える事をやめる。先の事を考えないと言う引きこもり術がなければパニック程度じゃすまなかっただろう。しかし、ミナシはともかくコンも死臭に平然としているのが意外だった。


「森では死臭には死虫が集まって来るんです。あれはとても美味しいですよ。町でも居ますかね?」


 自然の中で生きる事の厳しさを学んだ気がした。


 1本の線が通った大通りとは違い、裏路地は無秩序の塊だった。乱雑に壁を共有する様に建てられた家屋によって、まるで迷路の様に入り組んでおり、自分が何処から来たか等は既に分からなくなっていた。裏路地に住まう妖魔達も大通りとは明らかに違い、スラム街、いや、誰もがボロボロで手足だけでなく生気まで失っており、何かの病気に侵されているのではと心配にすらなって来る。

 何より異常に感じるのが、そんな状態の彼らですら力によって物事を決めようとしている事だった。今にも死にかけの妖魔が死にかけの妖魔相手に死闘を行う。それにより場所や持ち物を奪い奪われたりしている。狂気としか思えなかった。何かに取り付かれているとしか思えない光景だった。


「よ、妖狐、ひっ――」


 また1人、裏路地に住まう妖魔がコンの姿を見て怯えて逃げて行く。裏路地の住人は、明らかに強そうなミナシではなくコンに怯えていた。


「ここの住人にとっては、強者より、騙して来る相手の方が恐ろしいらしーな」


 コンは寂しそうに肩をすぼめて俯いてしまう。きっとこれがこの世界においての妖狐の認識なのだろう。


「その腕、寄越せ」


「なら力を示せ。力がある者が腕をすべて貰う、良いな?」


 獣の様な咆哮。複雑に入り組む路地の中央で、その決闘は行われていた。俺達が追いかけ続けた毛むくじゃらの妖魔と足を千切られたのか、そこから骨がむき出しなった妖魔との決闘。互いに殺意をむき出しにしながらぶつかり合う。それと同時に毛むくじゃらの妖魔の影からは眼狼が、骨がむき出しの妖魔の影からは、全てが骨で出来た獣が飛び出し、食らい引きちぎり合う。

 決闘の決着は早かった。骨の妖獣が、眼狼を自身の骨を鋭く立てて串刺しにしてしまう。その後、自分の骨を組みなおしながら、巨大な口を作り、けむぐじゃらの妖魔の腕に食らいついて、引き千切る。それで勝敗は決定的だった。敗北を悟ったその妖魔は元々千切れていた腕を差し出し、トボトボとその場から立ち去って行く。


「妖魔は妖獣に力では決して勝てない、妖獣が敗北した地点で、その妖魔の敗北が決定する。そして妖魔が負ければ戦う理由のない妖獣は戦いを放棄する。故に妖魔の決闘では妖獣には妖獣をぶつけ、その間に妖魔同士で争い合うのが基本となっている」


 敗者の背中を見つめながらボケっとしているとハクが聞いてもいない説明を始める。


「戦いを放棄って逃げるのか?」


「そうだ。契約により片方がどんな状態になったとしても、片方が生きていれば、互いに死ぬ事はない。生存を優先するのは当然の判断だ。ちなみに妖獣が自らの意思で契約を破棄する事はまずない、あるとすれば契約相手が土地神様にあだなす時くらいだろう。我々妖獣もまた土地神様には敬意を抱いている。ミナシ、行くぞ。最後まで見届けるんだ」


「一々言われなくても分かってるって、しかしあの骨の妖獣は骸か、眼狼じゃ逆立ちしても勝てねーな」


 ハクとミナシが敗者の妖魔を追って、先に進んで行く。死臭が更に酷くなって行く。ミナシの後を追う俺は、しかめっ面を崩せなくなっていた。それ程に酷い臭いが周囲に充満していた。


 その場所は唐突に現れる。あれ程密集していたボロ屋はパッタリと消え去り、不自然な程に何もない場所に出る。その場所を見て、すぐに何もないのか理解する。そこには何もないから何もなかった。あるべきはずの地面がなく、虚空の闇が広がっている。直径で言うと300メートルはありそうな巨大な穴が、口を開いている。

 毛むくじゃらの妖魔はフラフラとその穴の元まで歩いて行き……その体を穴に投げ出してしまう。

 そんな光景を見て、コンは慌てた様子で穴のそばまで向かう。そして穴を覗き込んだ彼女はそのまま絶句して固まってしまう。周囲に漂う死臭の元とも言うべき場所に近づく気にもなれなかった俺は、周囲に視線を向けて別の事を考えようとする。


「どうして……どうして皆、こんな状態になってまで……」


 コンは泣いていた。彼女が何を思い、何に悲しんでいるか、俺には想像する事しか出来ない。只、1つだけ分かる事がある。この光景を作り出しているのまた、自欲不施と言う法によるものである。


 どれだけ時間がたっただろうか、死臭にも鼻が慣れ始めた頃に、瞳を真っ赤にしたコンがトボトボと戻って来る。


「す、すみません。えっと……」


 コンが俺ではなく、その後ろに視線を向けている事に気づいて振り返ると、年寄りの妖魔が傍に座り込んでいた。


「また1人敗者の穴に落ちてしもうたか」


「敗者の穴?」


「弱き者が落ちる穴じゃよ。昔はこの辺りはちょうど闘技場の裏にあることもあって、闘技場で敗れた者を鍛えなおす場所じゃった。牛魔様も時折、こちらに来ては、熱心に指導を行い、鍛えなおしておったのう。5年程前か、霊脈の乱れの影響で突然、あれが現れる時までは……。ここは決して終わりの場所ではなかった。再出発、始まりの場所ですらあった。それがあの穴が現れてからは、大勢があの穴に命を奪われた……牛魔様も変わり敗者を見なくなってしまわれた、ここも敗者が自身を終わらせる場所に変わってしもうた。わしに出来るのはここで祈る事だけ、妖狐のお嬢さん、彼らの為に涙を流してくれた事、彼らの代わりに感謝します」


「私は感謝されるような事、何もしてないです……色々と辛くなって、勝手に泣いただけです……」


「それでも構わんよ……その木札、神鬼志願者かい、お主はここをどう思う、この場所を、どう感じる」


「はあ? 下らない場所だぜ、ゴミ捨て場でももう少しマシだ」


「え? ゴミ捨て場にはちょうど良く――」


「そんな言い方しないで下さい!!!」


 コンの叫び声にも近い言葉に、俺は言いかけた言葉を飲み込む。コンの言葉が俺ではなくミナシに向けられたものだと分かり、俺はホッと胸を撫でおろす。


「……負けたから自ら命を絶つ? 下らないとしか言えねーだろ。負ければ鍛えなおす、強くなろうとするもんだろ。明らめる意味が分からねーよ。なんで強くなろうとしねーんだよ」


「……昔のあ奴に似ておるのう。純粋が故に理解出来ない。だがその純粋さは何よりも大切な物じゃ。これを持って行くと言い。足しにはなるはずじゃ」


 老いた妖魔は懐から古びた木札を取り出し、ミナシに手渡す。ミナシは木札を見て驚きに眼差しを染めながら、眼前の妖魔に視線を向ける。


「あんた、何者だ?」


「只のジジイじゃよ、ここで祈る事しか出来ない、哀れなジジイじゃ……」


 ふと、正面から地面を揺るがすほどの歓声が聞こえて来る。その完成にコンよミナシの意識が向いた瞬間を見計らい、老いた妖魔が俺に声をかけて来る。


「にしてもお主は色々と不思議な感じかするのう。先程の言葉の続きを聞かせて貰えぬか?」


「別に、ゴミ捨て場にはちょうど良いって思っただけ。ゴミで埋めれば穴も塞げるだろ」


「――ほほ、まさに真理。穴が開いたなら、いらない物を押し込んで塞いでしまえば良いか。確かにその通りじゃ。全く、その通りじゃ……こんな穴、さっさと塞いでしまえばよかったのじゃ、本当にのう」


 老いた妖魔の影から無数の白い羽があふれ出し、木の葉隠れの様に妖魔の姿をかき消してしまう。


「って、あのジジイ、いなくなってやがる。何者だったんだ、あのジジイ」


「ミナシ、これからどうする? 偶然とは言え、木札を手に入れられた。この町ですべき事は終わったのではないかい?」


「はあ? 闘技場で妖獣を倒せば木札を貰えるんだぜ。ついでに貰わない手はねーだろ。鳥飛王なんて妖獣を戦える機会、まずねーからな」


 ニヤリと楽し気に口元を歪ませたミナシは大穴を迂回して、その先にある闘技場に躊躇いもなく突き進んで行くのだった。


 闘技場へと続く、薄暗い廊下を突き進む。暗くてはっきり見えないが床の土は、長年蓄積した血によって赤みを帯びていた。廊下を木霊する歓声を押しのけるようにミナシは先へ先へと進んで行く。廊下の先の光に近付くと、彼女はそのままハクと共に飛び出して行く。


「おっと! ここで乱入者の登場だああああ!!! ここまで圧倒的な力で勝ち進んでいる得ノ国から来たサスライの覆面馬人! この変事にどう対応するのか、見ものだ!」


 観客の歓声に埋もれず、そんな声が周囲に響き渡る。その瞬間、周囲の歓声が更に激しいもとへと変わる。

 闘技場は、広い青空の元、土俵の様な大きな舞台を階段席となった観客達が取り囲んでおり、その中で繰り広げられる戦いに歓喜の声を上げていた。1番目立つ豪華な席には牛魔の姿もあり、俺は顔を上げない様に意識する。距離がある為、牛魔の方は俺達の事に気付いている様子はなかった。

 現在、繰り広げられていた戦いは一方的な物だった。覆面を付けた白い髪の若い馬人の操る鳥飛王が、神鬼志願者とその妖獣を一方的になぶり続けている。俺はその馬人に見覚えがあった。カガミ。あの時、牛魔やザメルの隣に居た得ノ国の兵に違いなかった。

 俺とコンは目立たない様に廊下の出口で闘技場の様子を伺う。


「む、蛇鬼ですか。この国にしか居ない、いや、居られない妖魔の1つでしたね。それにそこで隠れているお前達……まさか生きていたのですか……。あの後、遺体が見当たらず、森に住まう妖獣にでも持って行かれたのだと思っていましたが、まさか生き延びていたとは驚きです。義によってこの様な催しに参加する事になりましたが、私は幸運だった様です」


 驚く程、あっさりと見つかってしまった。ゆっくり後ずさって逃げようとするが、そいつが投げた巨大な盾が、俺達の後方に突き刺さり、退路をあっさり断たれる。


「てめー、得ノ国の兵士か、ち、嘘であってくれたらどれ程良かったか」


「……ザメル様に目立たぬ様にと言明を受けていましたが、貴方達に確実な死を与え、ザメル様に良い報告をさせて貰います」


 カガミが笛を吹くと、上空に飛び上がった鳥飛王が、翼をたたみ、矢の様にミナシに襲い掛かる。ミナシは剣を引き抜き、剣の側面で鳥飛王の突撃を防ごうとするが、簡単に弾き飛ばされ土壌の上を転がる。


「――っ、立派な盾を手放して、あたし相手に素手で勝てるとでも思ってやがるのか!?」


 体を素早く起こしたミナシは挑発的な視線をカガミに向ける。


「彼らの逃走を防ぐために使っただけです。まあ、あなた程度の相手には必要ないのも事実ですが。とは言え、1人の武人として名乗らせては貰いましょう。私は、神鬼ザメル様が率いる兵の部隊長カガミ。義にてあなた達に死を与えます」


 カガミは笛を鳴らし、鳥飛王に的確な指示を与えて行く。ミナシに止めを刺そうとする鳥飛王にハクが真横から食らいつこうとする。しかし鳥飛王は軽く羽ばたき、ハクの攻撃を簡単に避けてしまう。それだけでなくハクの体を鋭い爪で捉え、掴み上げる。

 ハクは必死に暴れ、爪から逃れるが、その皮膚は大きく抉られ、白い毛が深紅に染まる。


「所詮、その程度ですか」


 鳥飛王は上空を旋回しながら怪我を負ったハクを見下ろし高みの見物を決め込む。


「得ノ国の法『義に生きよ』それが私達が重視する唯一の法。ここでの義、それは、確実な勝利。如何やら上空への反撃の手段を持ち合わせてない様ですね。それでは私に勝つ事は出来ません」


「ちっ、糞が! 何が反撃の手段がねーだ。てめーは空なんか飛べねーだろ!」


 ミナシは剣を構え、ハクと挟み込む様にカガミとの距離を詰める。カガミは顔色1つ変える所か、笑みすら浮かべる。


「プカラ!」


 カガミの声に反応する様に鳥飛王は羽を上空から雨の様に降らし、ミナシとハク一方的な攻撃を仕掛けて行く。かすり傷が増えて行くミナシとハクの姿が土煙の中に消えてしまう。鳥飛王はその土煙に向かって容赦なく羽を飛ばし続ける。


「ど、どどど、どうしましょう?」


「隅で体を丸めて大人しくしておくしかないだろ」


 互いに屈み込む様に体を丸め、恐怖に身をやつす俺達にカガミは冷たい視線を向ける。自分で言うのもなんだが、相手の戦意を削ぐ程、情けない姿を晒していると思う。


「何故この様な者達がザメル様のワイバーンから生き延びる事が出来たのか不思議でなりません。そこで大人しくしていて下さい。まずはその忌まわしき妖魔の蛇鬼を始末させて貰います……なっ!?」


 カガミが驚きの声を上げる。それもそのはず、突然鳥飛王が苦しみ始めたかと思うと、そのまま力なく上空から落下して行く。土煙の中からミナシの声が聞こえて来る。


「てめーは、蛇鬼を良く知らねーみてーだな……あたし達が最も得意とする技は霊力を奪う事だ。暴れ回る事しか出来ない妖獣じゃねーんだよ! 1度でも接触する機会があれば、爪を突き立て血を奪える。その血を食らえば、妖魔、妖獣の源とも言うべき霊力を奪えんだよ!!! ハク!」


 ハクが土煙の中から飛び出し、土俵の上で悶え苦しむ鳥飛王の片翼を食い千切る。


「てめーの負けだぜ」


 ハクは続け様に鳥飛王を爪で引き裂き、止めを刺そうとする。しかしその一撃は鳥飛王の正面に高速で移動したカガミの剣撃によって防がれる。カガミは大きく後ろに吹き飛んでしまうが、ハクの攻撃を確りと防いでいた。


「んな! ハクの攻撃を防ぎやがった!?」


「小細工を!」


 カガミは鳥飛王の腹部に血で描かれた呪印を羽と共にむしり取る。戦意を喪失させる所か怒りで力を高めるカガミの姿を見て、ミナシは剣を低く構える。鳥飛王はふらつきながらも体を起こし、ハク目掛けて突っ込んで行く。それに合わせる様にカガミも剣を振り上げ、ミナシに向かって行く。


「義に生きる私の剣はそう軽くないですよ!」


「こっちだって剣は師範代に嫌と言う程鍛えられてんだよ!」


 剣を振り下ろすカガミに対してミナシも負けじと剣を振り込む。激しい金属音が周囲に響き渡る。ミナシの剣の腕は相当な物だ。動く獣を両断してしまう程の使い手だ。しかし4本の足で地面を踏みしめ繰り出されるカガミの剣撃にミナシは力で押し負け、片足を折ってしまう。ミナシは膝を地面に着けながらカガミと睨み合う。

 そんな2人の背後ではハクと鳥飛王の激しい闘争が行われていた。牙にくちばし、そして爪、接近しては激しくぶつかり合い、距離を取る、そして間合いを確認する様に数歩移動しては同時に飛び掛かる。2匹の距離が詰まる度、互いに深い傷を負い続ける。


「ち、体重の差がそのまま剣に出やがるぜ」


 ミナシの握る剣の剣先が、少し下がる。カガミはここぞとばかりに後ろ足で地面を蹴り、その力を剣に送り込む。力の均衡は完全に崩れ去り、ミナシは自分の剣によって頬に切り傷を作る。誰もが試合結果が見えたと思った時だった。事態は一変する。一瞬の出来事だった。下がり、抑え込まれていたはずのミナシの剣がいつの間にかカガミの剣の上に移動しており、そのまま流れる様にせり上がる。その様は、鯉の滝登りを彷彿とさせた。滝を上り切った剣は、カガミの右腕をぶった斬り、そのまま天に掲げられる。


「が、ああ――っあああああぁぁぁああ!!!」


 カガミは呻き声を上げながら後ろに大きく後退する。彼は右腕を斬られたにも関わらず、剣を落とす事無く、左手で確りと握り込んでいた。

 ミナシは無言で地面に落ちていたカガミの右腕を掴み上げ、鋭い牙を剥き出しにしながら噛り付く。まるで骨付き肉でも食べるかの様にカガミの腕をバキバキと骨を砕きながら口に含めて行く。

 その様子に、俺の隣に居たコンが『ひっ』小さな悲鳴を上げていた。会場に居る観客たちからも『恐怖』がアリアリと伝わって来る。俺はと言うと状況を理解出来ずにいた、と言うより理解したくなかった。


「ぐ……私の腕を! 腕を!!!」


 激高するカガミに向かってミナシは澄ました顔で口元に着いた血を拭いながら答える。


「あたしは蛇鬼だぜ? 戦い、食らう。そして霊力を奪う。強ければ強い相手程、全てを食らい収めるのが、蛇鬼にとっての敬意を示し方。てめーの腕を食らう事は戦う相手への最大限の敬意の示し方なんだぜ!!!」


 黄色だったミナシの瞳が怪しく赤く光ると同時に、彼女が負っていた傷が瞬く間に回復して行く。それに呼応する様にハクの傷も完全とは言わないまでも回復し始める。


「私の腕を食らって消耗した霊力を補充したのですか……。義に生きよ、私は義に生きなければならない! 最後まで! プカラ! 確実な成果を得る為、優先順位を変える。私がこの者達を押さえます、そっちの雑魚を始末せよ!」


 カガミはミナシに向かって、鳥飛王は俺達に向かって突進して来る。


「糞が!」


 ミナシは、捨て身のタックルを仕掛けて来たカガミに剣を突き立てるが、彼は剣が胸元に刺さろうが止まる事はなかった。そのままミナシに渾身の突撃を行い、吹き飛ばす。ミナシはサッカーボールの様に勢い良く吹き飛び、観客席のある壁に叩きつけられ、動かなくなってしまう。10メートル近く吹き飛んで壁に叩きつけられたと言えば、その威力の高さが分かるだろう。最早、スピードの乗った車と大差なかった。

 カガミはそのままの勢いでハクに向かって突貫し、ハクの巨体を体1つで抑え込んでしまう。

 迫り来る鳥飛王を前に俺達は、どうする事も出来なかった。狩る者と狩られる者、その差は歴然だった。俺は、距離を詰めて来る鳥飛王の大きさに圧倒されてしまう。象と同じ、翼を広げるとそれ以上に大きな鳥、そんな生き物が真っ直ぐ迫って来るのだ、その恐怖は尋常ではなかった。


「う、ううっ、うう」


 恐怖やら悔しさやらで泣き始めるコン。俺はと言うといつもの様に思考を放棄していた。只々ボケっと、自身に終わりが訪れるのを待ってしまっていた。


 ――私は君の……不変の信念が、とても好きだったんだよ。その信念は誇っていい物だよ――。


 あの時、聞き取る事が出来なかったトッチーが当然、脳裏に響く。投げ出していた思考が急速に戻って来る。身を寄せ合うコンの体温、体の震え、そして思考までも伝わって来る様だった。コンは何とか俺を助けようと襲われる直前に俺を突き飛ばすつもりだ。いつだってそうだ。コンは俺を特別だと言って、いつだって俺の事を優先し続けていた。

 何の為に俺はミナシと行動する事を選んだのだろうか、何の為に必死に逃げたりしているのか。


「そうか、変わって欲しくなかったんだ……」


 不変、俺は何よりも変化を嫌っていた。でもそれは、自分や生活環境の事じゃなかった。そんなのがどれだけ変わろうが、どうでも良かったんだ。だから簡単に投げやりになって命を捨てようとしてしまえた。

 俺が変わって欲しくなかったのは……たった1つ、人間関係だった。友達はずっと友達のままで居て欲しかったんだ。ちょっと環境が変わっただけで疎遠になったり、関係が崩れたり、それが何よりも辛かった。だから、気付くと俺は引きこもりになっていた。虐められてた訳でも、心に大きな傷を負った訳でもなく、只、周りとの関係が変わって行く事に付いて行けずに、逃げ出してしまった。追い付けなかったと言っても良い。

 トッチーに人生を入れ替えて欲しいと言われた時、俺は何も持ってなかった。本当に変わって欲しくない物を俺は何1つとして持っていなかった。友達も両親との関係も、何もかもが壊れて手元には何も残っていなかった。

だからあんな提案を受け入れてしまえた。構わないと思えてしまえた。もしかしたら、自分の中に、これを断るとトッチーとの関係が壊れてしまうかも知れないと言う思いもあったのかも知れない。

コンとの関係もそうだ。俺はこの関係がずっと続いて欲しいんだ。この先も、ずっと、ずっとずっと!

 俺はコンが動くよりも先に彼女を突き飛ばし、右腕を鳥飛王に向ける。


「守ってくれるんだろ!!! そうなんだろ!!!」


 叫ぶと同時に、右腕に刺す様な酷い痛みが走る。右腕だけの痛みのはずなのに全身が引き裂かれそうな錯覚に陥る。意識が飛びそうになる寸前の所で、右腕から3本の白い鎖がクルクルと三つ編みでも解ける様に俺の腕から伸びる。

それからは一瞬だった。白い鎖は、1秒も掛からずに鳥飛王を肉片に変えてしまう。鎖はそれだけで収まらずハクを押さえていたカガミの元に向かう。危険を察知したのか得体の知れない物に警戒したのか、ハクはカガミに噛みつき、彼が苦痛に顔を歪ませた一瞬の隙をついてその場から離れる。白い鎖は、そのままカガミも肉片に変えてしまおうと暴れ狂う。


「――ワイバーン!!!」


 上空からそんな叫び声が聞こえて来たと思った次の瞬間、巨大な影が落ちる。その直後、いつか見た空の王者と言うべき黒きドラゴンが上空から姿を見せ、白い鎖に向かって高速で落下して来る。凄まじい衝撃と共に両足で白い鎖を押さえ込んでしまう。

 押さえ込まれた白い鎖は杭でも打たれたイカの足の様にのたうち回る。鎖を抑え込む空の王者の背中から真っ赤な髪の人馬が姿を見せる。ザメル……存在感からして違った。只立っているだけでも強い事が分かってしまう。


「……ザメル様」


 カガミの瞳から色が消えると同時に、彼は地面に膝を着き、そのまま横たわる。ザメルは彼の傍で屈み込み、彼の頭にそっと手を当てる。


「貴殿のその義、この得ノ国の神鬼であるザメルが引き取らせて貰う」


 立ち上がり、クルリと体を翻したザメルは飛び散った鳥飛王の肉片の1つを拾いあげ、俺の事を今にも刺し殺し兼ねない視線で睨んで来る。


「――これは驚きだ。飛んだ食わせ者が居たらしい。……この切断面、拙者の部隊の斥候を潰したのはどうやら貴殿らしいな」


 俺は右手に走る痛みで、とてもザメルの言葉なんか聞いている余裕はなかった。俺の頭の中にあったのは早く終わってくれ、その1つだけだった。


「良くそこまで自身を弱く見せられた物だ。牛魔の懸念を否定した事は間違いであったか」


 ザメルは視線を観戦場にいる牛魔に向ける。肝心の牛魔は事態を呑み込めず、部下に何が起こっているのかと問い詰めている様だった。

 コンは俺から伸びた鎖を見て驚くが、すぐに首を振って俺と対峙しているザメルを睨む。


「ど、どうして、どうしてあんな酷い事が出来るのですか!」


 コンは体を恐怖で震わせながらも瞳には確りとした怒りが満ちていた。


「……酷いか、確かにそうかも知れぬ。だが所詮は見方の問題に過ぎぬ。牛魔の言葉が誠であれば『義に生きよ』その言葉を体現する意味のある死である。準備は必要、だが天命の日が訪れるまでは事を構えるつもりはない。これは互いに必要以上の犠牲を出さぬ為だ」


 顔色1つ変えず必要な犠牲と言ってのけるザメルに、俺は恐怖を覚えずにいられなかった。コンの問い掛けはザメルだけでなく牛魔にも向けられていた。


「お前は……あの時の妖狐、本当に生きていたのか……そちらの者も、しかもそれ程の力を……そこの者、我に力を貸さぬか? 我の部下、いや、神鬼にも慣れる――」


「私の質問に答えて下さい!!! あの穴は何ですか! そこにゴミでも捨てるみたいに」


 牛魔は驚く程冷たい視線をコンに向ける。


「下らない。弱い者に価値はない。それだけの事だ。この闘技場は強き者の為に存在する。力のない物になんの価値がある、弱い者の争いになんの価値がある。強き者が力を示す、ここはその為の場所である!」


 観客席から大喝采が巻き起こる。それは牛魔の独りよがりな考えでない証明には十分だった。牛魔のしている事が正しいか正しくないかは脇に置いて措いて、彼が人々から受け入れられている事は間違いなかった。


「そんな、事……」


 言葉を返せないコンを横目に、牛魔は俺を改めて勧誘して来る。


「それで、そこの者、どうだ? 私の元に――」


「牛魔殿、それは認められぬ。その者は拙者の部下を殺した者。その者を許す等と言う不義、義に生きる拙者が認める訳には行かぬ。貴殿達もあの村人達同様、拙者そして土地神様の義の為に消えよ!」


 ザメルが槍を構えた時、ワイバーンが雄叫びを上げ、上空に飛び上がる。如何やら白い鎖がワイバーンの拘束から脱け出した様だった。白い鎖は間髪入れずに傍に居たザメルに襲い掛かる。


「――何っ!?」


 ザメルは僅かに見せた苦悶の表情を、驚く事よりも先だと言わんばかりに鋭く尖った表情に戻し、槍を振う。


「はああああ!!!」


 その槍の一振りだけで、彼の強さ、神鬼と言う存在の強さを理解してしまう。常軌を逸していた。烈火のオーラを纏った槍はこの世のあらゆる物を引き裂く力を持っているとさえ錯覚させる。

 ザメルが槍を振り上げ、素早く下に叩き下ろしながら回転させる所までは見えたが、そこからは1人稽古を早送りしたかの様に槍を縦横無尽に高速で振り続ける。何をしているのか常人の俺には理解出来ないが、彼が槍を振う度、白い鎖に衝撃が走り、その衝撃が右腕を通して伝わって来る。

 全てが必殺となり得る槍捌き、ザメルはその全てを防御に回し、白い鎖に応戦し続ける。鎖はまるで磁石に引かれる鉄の様に何度弾かれてもザメルの元に向かって行く。均衡していると思われた、その戦いはザメルが1歩後退した瞬間に崩れ去る。1歩は2歩となり、3、4と後退する足数が瞬く間に増えて行く。


「ぬああああ!!!」


 これ以上引くのは危険と感じたのかザメルは2本の鎖を高速で左右に弾き、残った1本の鎖に向かって渾身の力を込めて槍を真上から突き立てる。槍が地面に突き刺さった瞬間、土俵に地割れの様な亀裂が走る。それと同時に彼が持っていた槍が粉々に砕けてしまう。それだけで先程の一撃にどれ程の力が籠っていたのか想像に容易くないだろう。

 槍が砕けてしまったからか、槍を砕く程の一撃を放ってしまったからか、ザメルは厳しい表情のまま、大きく背後に飛び、距離を取る。先程の攻撃を受けても傷1つ付いていない白い鎖を見て、ザメルは更に後ろに飛ぶ。

 ザメルを狙う白い鎖を抑え込もうとワイバーンが高度を下げる。その瞬間、鎖の1本が螺旋を描きながら伸び、ワイバーンの片足を切断する。ワイバーンは、雄叫びを上げながら上空に避難する。

 千切れ飛んだワイバーンの足が、ザメルの眼前の地面に突き刺さる。そこで初めてザメルが表情で驚きと共に動揺を見せる。


「あ、あり得ぬ……異形種であるワイバーンまで退けると言うのか! 拙者の国でも1、2を争う妖獣であるぞ! それを傷付ける? そんな事が……いや、斥候を潰した相手ならば松である事は承知の事……くっ。これでは部隊の仲間の義が、土地神様の義が……」


 自分に向かって真っ直ぐ伸びて来る鎖にザメルは堪らず、恥も誇りも履き捨てて、背を向けて駆け出す、鎖は何処までも彼を追い掛けるが、長さの限界を迎え、それ以上追えない事が分かるや否や素早く俺の右腕に巻き付く様に戻って来る。


「あがああああぁぁ、くあ、あああううう」


 右腕に白い鎖が巻き付いて来る時、まるで焼きごてでも当てられているかの様な痛みが走る。今まで以上の痛みに意識が飛びそうになる。その飛びそうな意識も痛みで引き戻される。


「ちっ、軽く意識が飛んじまってたぜ。気付いたらそいつは腕から白い鎖なんか出してやがるし……何が何やら。……でも、不味い状況に陥ってる事は分かる」


 安全圏まで逃げたザメルは体をクルリと翻し、ワイバーンに視線を向ける。上空に避難していたワイバーンは口を開き、口元に大きなエネルギーを貯め始める。


「あまりにも危険、ここで取り逃がす事だけはあってはならぬ! 神鬼ですらないのにあの様な力……あの者が神鬼となり霊脈の力が使える様になった場合を想像するだけで寒気がする。ワイバーン! もっとだ、もっと霊力を集中させよ、拙者の中にある霊脈の力も全て持って行け!」


「ち、どれだけの霊力を口元に集中させてやがる。嫌な予感しかしないぜ。ハク! 動けるな! この場をさっさと離れろ! コン! ハクに掴まれ! その動けない奴は咥えてやれ!」


 コンとミナシはハクに飛び乗り、俺はハクに咥えられ、音すら置き去りにしてしまう程の速度で闘技場から逃げる。


「逃がすな! 放て! 霊縮崩波!!!」


 その直後だった。ワイバーンの口から閃光が放たれる。爆弾でも投下したかの様な衝撃が闘技場を襲い、闘技場の一部が崩壊する。観客の歓喜の声はいつしか悲鳴へと変り、混沌の渦へと呑み込まれて行く。ハクは逃げ惑う観客に紛れる様に闘技場を脱出する。

 俺が意識を保てて居たのは、そこまでだった。逃げられたと思った瞬間、まるでスイッチでも切られる様に意識が消えてしまった。

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