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妖魔界の土地神様  作者: モチュモチュ
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人生交換しませんか?

             妖魔界の土地神様


 序章 引きこもり妖魔界へ


 中学の頃から始まった引きこもり生活も気付けば5年と言う月日が流れていた。

別に外に出られないと言う訳じゃない。単純に自分の部屋が好きだった。快適だと言っても良い。態々外に出る必要がないのだから、出なくても良いと言うのが、今の俺の考え方である。

元々、俺は変化と言う物が苦手だった。良く言えば、1度始めた事は何があっても続けるタイプ。悪く言えば、ズルズルと未練たらしく続けてしまう人間。変化の中でも特に苦手なのが、交流関係の変化だ。例えばクラス替えや新しい学校生活等である。交流関係の変化は、俺にとって1度上げたレベルがリセットさせる様な物だった。

想像して欲しい、必死にレベルを上げたゲームのデータが消えてしまった時の事を……。その時、1からやり直そうと思える人は一体どれだけいるだろうか? 俺なら、そのゲームは2度と見たくないと思ってしまうだろう。

変化が嫌いな人間にとって引きこもり生活とは、理想環境その物だった。親が居なくならない限り、何も変わらない。変化と言う変化が殆どない。強いて変わる事と言えばプレイするネトゲやドラマやアニメの内容くらいだ。


「ちょ! 後ろから撃たれてるんだけど!? トッチー、さっきの奴ちゃんと止め刺したんじゃなかったのか!」


「すまぬ、しかし自分がされたくない事を他人にするのはのう」


「倒れても止めを刺さないと回復されるって言っただろ! 挟まれたらどうしようもない――っ」

俺はアサルトライフルの照準を素早く合わせ、敵の胴体に何発も打ち込む。


「正面の奴を落とした! 走れ走れ!!! エリアが狭まってるんだ、向こうの建物で迎え打てば確実にやれる、俺達の優勝はもうすぐそこだ!」


「遂に最後まで生き残れるのか、ここまで長かったのう」


「毎回の様に何処かの誰かが足を引っ張るからな!」


「すまないのう、スカイ……あれ、もう終わったのかい?」


「え? ああ、エリア外ダメージで死んだのか。何にしても優勝したぞ、初優勝だ」


 スカイとは俺、赤石あかいし 碧音あおとのチャットネームである。ボイスチャットの相手は3年前に知り合いになったトッチーだ。

 トッチーの印象は、とにかく優しい奴だ。意味が分からないくらい優しい。敵には止めは刺さないし、レアアイテムもその価値を認識していながら二束三文で別のプレイヤーと交換してしまったり、とにかくお人好しだった。でもゲームセンスは高い。基本的に何をさせてもプレイが上手い。後、偶に爺さんと話しているのでは、と言う気分にさせられる。本当に爺さんかも知れないけど。


「……スカイ、真剣な質問なのだが。お主は、その、自ら家に引きこもっておったの」


 それは、かなり切り込んで来た質問だった。俺達は互いの事なんて、まず聞いたりしなかった。お互い同じ様な時間に同じぐらいネットに潜っているのだ。態々プライベートな事を聞く事もなかった。聞いても楽しい話題にならない事は明白だ。だからトッチーがそんな質問を投げかけて来た事に俺は戸惑いを覚えずにはいられなかった。


「……そうだけど」


「何故?」


「何故って居心地が良いから? 快適だし。と言うか、そっちも似た様な物じゃないのか?」


「私は死ぬほど外に出たいよ。窮屈でいつも息が詰まりそうだからのう」


「だったら外に……」


 俺は言いかけた言葉を止める。外に出たいと思いながら外に出ないのは、何か外に出られない事情があるのだろう。同族だと思っていたトッチーとの間に大きな溝が出来た様な気がしてしまう。そんな事を考えていると急にトッチーは真剣な声で話し始める。


「今まで、自分が嫌な事は無条件で他人も嫌なのだと考えていた。だから私は今まで自分がされて嫌な事は、絶対に他人にも行わないと決めてこれまで生きて来た。……しかし、それはどれ程自分勝手な考えだったか、お主と知り合って骨身に染みた。私はどれ程に身勝手な事をしていたのかと。お主以外の物は誰も教えてはくれなんだ。私が良しとする事を嫌がる者も居れば、私が嫌がる事を良しとする者も居る。こんな当然の事にも気付かなんだ。お主くらいだ、私の事を怒ったり怒鳴ったりしたのは、お主が初めてだ。結局、私が良かれと思って定めた事は、只の押し付けだったのかも知れぬな」


「……急にどうした? 悪い物でも食ったのか?」


「そう……かも知れぬな……」


 漂う重たい空気に耐え切れず、俺は慌てて口を開く。


「ま、周りに相当気を使われてたんだな。もしかして何処かの財閥の御曹司とかか?」


「……財閥とはお金と権力を沢山持っている者の事だったかい? 似た様な物かのう」


「何に悩んでるか知らないけど、その内何とかなるって思って寝てれば良いんだよ。俺は毎日そうしてる」


「ははっ、そこまで割り切る事が出来る、お主の様な者こそ、相応しいのかも知れぬのう。……以前から考えておったのだが、1つ頼まれてくれぬか?」


「改まって気持ち悪いな、こっちは毎回トッチーの尻拭いさせられてるんだ。今度は何をやらかしたんだよ。最高レアのキャラを素材にして合成したとかか? 運営への問い合わせも面倒なんだけど。ああ、機材関係のトラブルなら店に相談した方が……」


「私と入れ替わって貰いたい」


 唐突過ぎる発言に俺は普段使わない脳みそをフル回転させる。


「はあ? 入れ替わるってアカウントを交換しろってか? 何でまた? そっちの方がレアアイテムとか多く持ってなかったか? トッチーは運だけは良いからな」


「以前の私なら、勝手に決め付けて嫌な事に部類していた。お主との出会いが私を変えた。だから尋ねたい。私と人生を入れ替わって貰えないかい?」


「いや、え? 何を――っ、はあ?」


「私は自分がされて嫌な事はしないと決めていてのう。今までも、そしてこれからも、それだけを信念に生きて来た。自分が嫌がる事を他人にしない、それこそが平安へと繋がるのだと信じていた。でも、それは只の独りよがりの押し付けだった。私はどうあってもこの考えを捨てる事は出来ぬ。だから、私は尋ねたい、私と入れ替わって貰えないかい? 嫌でなければ、望むなら、パソコンの画面に手を置いて欲しい」


 俺は、変化が嫌いだ。何よりも。何かが変わる事を嫌っている。だから理解出来なかった自分の手がパソコンの画面に伸びている事が。どうして俺の手は勝手に動いているのだろうか?

 画面に触れると同時にモニターの熱が手の平に広がる。


「ありがとう」


 モニターが急に落ちたかと思うと真っ黒な画面に白く美しい手が俺と重なり合う様に添えられていた。次の瞬間、重なった美しい手から真っ白な鎖が3本飛び出して来て、画面に押し付けていた右腕に絡みついて来る。


「なっ!?」


 驚く間もなく、抵抗出来ない程の力で、俺はパソコンの画面の中に引きずり込まれる。


「まさか、答えてくれるとは……。お主には驚かされてばかりだよ。私は君を見習わなければならない様だね。お主は、自信が信じていた不変の信念を捨ててまで、私の提案に答えてくれた」


 真っ白な着物を着た、灰色髪のとても綺麗な男性が立って居た。神秘的で、男だと分かっていても、見惚れてしまう程の美しい人だった。


「違っ……俺は、只……」


「教えて貰えないかい、何故、信念を捨てられたのかい?」


 その男性の余りにも真剣な眼差しに、俺はいつもの様に頭を空っぽにした返事を返す。


「別に俺は……はあ、要らないって思ったらさっさと捨てれば良いだろ。だってそれは要らないんだから」


「……要らないと思えば捨てれば良いか。ふ、ふふ、確かにその通りであるな。私もお主に習い、1度、自分の信念を捨て去りたいと思う。その鎖は本来、私、灰鬼の力を縛る物だが、君を守る盾としても役割を果たせるはずだ」


「いっ」


 腕に白い鎖が痛みを感じてしまう程にきつく巻き付いて来る。


「そして、最も肝心な物を渡さなければねのう。これが私の人生だ。受け取って貰いたい」


 その男性はおもむろに着物を脱ぎ、俺に背中を見せる。そこには円と見た事のない文字が組み合わさった神秘的な模様が青白く白光する線で描かれていた。円も文字もまるで生きてる様に絶えず動き流れ続けており、神秘的な反面、とても恐ろしい物へと見える。

それがゆっくりと剥がれおり、小さな青白い光の玉となり、彼の手の平に収まる。


「さあ、君の人生と交換して貰いたい」


 彼が光の玉を俺に差し出して来る。彼に言いたい事や聞きたい事が山の様にあった。あるはずなのに俺は何も言葉が出て来なかった。彼が悪魔か天使かはたまた全く別の何かは分からない、1つだけハッキリしている事は、俺は彼と取引してしまったのだ。

 俺が手を差し出すと光の玉がスッと俺の手の平に移動して来る。それと同時に、あれ程美しかった彼の姿が、冴えない引きこもりの男性へと変わってしまう。彼は変わり果てた自分の姿を見て、嬉しそうに笑みを浮かべる。そして、彼は俺と入れ替わる様に俺がこの空間から出て行く。


「私は君の……」


「まっ――」


彼の最後の言葉を聞き取る事も、言葉を続ける事も出来なかった。勢い良く流されて行く、まるで濁流に呑まれたかの様だった。抵抗する機会も与えられずに何処までも流される。

 気が付くと満月の綺麗な夜空が見え、背中やお尻からヒンヤリとした土の感触が伝わって来る。


「森? 何で?」


 体を起こしつつ、まばたきを何度も行う。景色は変わらず森のままだった。周囲には背の高い木々が視界を埋める程乱雑に生えており、地面はフローリングの床と最もかけ離れた雑草の生えた土が敷き詰められており、背後には自分の背丈程もある大きな岩がポツンと鎮座している。逆に言えばそれ以外の物は何もなく、どうして自分がここに居るのかと言う謎が深まるだけだった。


「そ、そうだった!? 入れ替わって……ない?」


 俺は先程の出来事を思い出し、慌てて自分の体を確認する。冬用の青いふんわり生地の部屋着を着込んだラフな格好の自分の体があった。頭にはマイク付きのワイヤレスヘッドホンが装着されており、右の手首には鎖の跡が刻み込まれる様に確りと残っており、ヒリヒリとした鈍い痛みを伝えて来る。あの白い美しい男性に入れ替わっている様な事はなかった。


「ここ、何処なんだ?」


 夜の森の中、俺はどうして良いか分からず、先程の男性の事を考えて居た。


「不変の信念を曲げてか……そんな立派な信念なんか持ってないって……」


 そりゃ変わらない事に越した事はない。ずっとこのままならどれだけ良いか、でも、そんなのは幻想だ。分かり切ってる。どれだけ願っても、時間は流れ、周りは変わって行く、それはいずれ大きな波となり、俺自身を呑み込み押し潰してしまう。それに只、不安を覚えていただけだ。時折、どうしようもなく逃げ出したくなる。魔が差すと言うのだろう。彼の提案を受けたのも、それ、魔が差しただけ……魔が……。


「……本当にここ何処?」


 人生を入れ替える? ??? 待ってくれ、え? 意味が分からない。思考が堂々捲りし始めたタイミングで、俺は思考を完全に停止させる。いつもの様に考える事を放棄してしまう。何も考えない、俺が最も得意としている事だった。

どれだけの時間が立っただろうか、起きているのに寝ている様なまどろみの中をさ迷う俺の意識が、ガサリと音を立てて揺れた茂みの音で覚醒する。視線を音の方に向けると、おもむろに1匹の灰色の獣が姿をさらす。4本脚の牙を剥き出しにした狼の様な獣だった。狼の登場だけでも大事だが、そいつの目は、額の所に縦に並ぶ様に3つ付いていた。その狼擬きに続く様に別の狼擬きも牙を剥き出しにしながら姿を現す。


「もしかして……不味い?」


命の危機を感じた俺は、本能的に立ち上がる。比較的温かい服装だったが、お尻がすっかり冷え切っていた。靴下から伝わって来る湿った土の感触に濡れスポンジを踏んだ様な気持ち悪さを覚えながらも少しずつ後退り、狼擬きとの距離を離す。

その内の1匹が飛び出すのを合図に、俺と狼擬き達は一斉に駆け出していた。


何で、何で、何で!!!


そんな言葉を心の中で必死に叫びながら走り続ける。確実にスピードなら負けているが、狼擬き達は俺との距離を必要以上に詰めようとはせずに追い回して来る。疲れさそうとしている事はすぐに分かったが、分かった所でどうする事も出来なかった。

森にピーと高い笛の音が響き渡る。俺は、そのたった1度だけ聞こえた笛の音に導かれる様に、笛の音が聞こえて来た方角に走り続ける。

すると奇跡が起こる。人の声が聞こえて来たのだ。俺は救いを求め声の方に向かって走る。人が入る隙間もない様に思われた木々の間を向けた時だった。茂みの向こう側から、警戒心と緊張感の漂う鋭い声が聞こえて来る。


「誰だ!?」


 俺は声が聞こえて来た方向に茂みを越えて飛び出す。そして馬に乗った3人の影を見付け、安堵の息を吐く。


「良かった、助け――」


 その人達に駆け寄った瞬間、俺は思わず言葉を詰まらせてしまう。眼前に居たのは、異様な雰囲気の漂う黒い甲冑を纏った馬の体、その体に携えられたロングソード……そして、その馬に乗って居る人は何処にもおらず、馬自体に人の体が生えている。


「ケンタウロ――っ」


 言葉を言い終える前に、右腕に衝撃が走る。何が起こったのか分からないまま視線を下に落とすと、右腕があるべき場所から消えていた。代わりにあったのは月光に照らされ、溢れ出す真っ赤な血だった。今まで感じた事のない痛みが襲って来たのはその直後だった。


「ああああぁぁあぁああ!!!!」


 剣で千切り飛ばされた自分の腕を見た瞬間、視界が真っ赤に染まって行く。溢れ出す疑問符と痛みで訳が分からなくなってしまう。視界の端で頭上高く振り上げられる刃の輝きが見える。振り下ろされる事が分かってもどうする事も出来なかった。その場に立ち竦んだまま、自身に最期の時が訪れるのを待ち続ける。


「クソ、眼浪がんろうか。我々の所在が知られるのはまずい、その男の始末は頼んだ、こっちはこいつらの相手をする」


「ここは森の浅い場所だろ、まだ襲って来る様な妖獣がいるのか」


 目の前のケンタウロスは改めて剣を振り上げる。それでも俺は地面に転がる自分の右腕を見詰める事しか出来なかった。


 剣が振り下ろされ様とする正にその時、地面に転がる右手首の痣が剥がれ落ち、3本の白い鎖が伸びる。三つ編みでも解ける様にクルクルと何処までも長く伸びたその鎖はまるでダンスでも踊るかの様に暴れ始める。鎖によって、俺の目の前にいたケンタウロスが周囲の木ごと真っ2つに叩き切られ、その次の瞬間には、別の鎖によって更にバラバラに引き千切られ、見る影もなくなって行く。悲鳴を上げる間もなく3匹のケンタウロスは真っ赤な血を吐き出す肉の欠片になってしまう。


 その場に居た俺以外の全て、ケンタウロスも狼擬きも木々も雑草も、小石すらも、何もかも引き裂いた真っ白な鎖は最後に俺の右腕に絡みつき、千切れた手首を強制的にくっ付けて来る。そして3本の白い鎖は手首が取れない様に右腕に物凄い勢いでグルグルと巻き付いて来る。


「――っ!? うう」


 俺は声にならない悲鳴を上げながら、その場を逃げ出していた。只管走り続ける。ホラーゲームでも感じた事のない恐怖がそこにあった。何処まで逃げても逃げ足りなかった。薄暗い森の中、何処に逃げれば良いのかも、何処まで逃げれば良いのかも分からず、体力の続く限り走り続ける。次第に足に疲労がたまり、足の裏には痛みが走り始める。


「どこか、どこか、どこか!!!」


 茂みを掻き分け、湖が見えたと思った瞬間、その畔で綺麗な舞を踊るお面を付けた女性の姿が視界に移り込む。

 シャンシャン、無数の鈴の音に合わせる様に白いお面を付けた女性は湖の畔でクルリヒラヒラと舞い踊る。

 俺はその舞に見とれてしまう。まるで浄められる様だった。俺の身に起きた先程の出来事が全て祓い清められ、洗い流されている様だった。俺は、その舞をずっと見続けたいと思うが、そんな思いとは裏腹に、俺の視界は地面しか映さなくなる。地面にぶつかると思った所で俺の意識は完全に途絶えてしまうのだった。


 俺は日差しの眩しさに耐えきれず目を開く。視界には古びた木の天井が映り込む。体を起して周囲に視線を向ける。そこはキッチンと寝室があるだけの倉庫レベルの小屋だった。

俺は、その寝室に寝かせられていた。薄いごわごわした獣の皮の様な物が布団代わりに体に被せられており、額には何故か湿った葉っぱが張り付けられている。傍には木の桶が置かれ、綺麗な水が桶の中で波打っていた。その傍には木のコップと玄米のオニギリが2つ葉っぱの上に並べられている。


「眩しい……」


 木の格子窓から差し込む光を避けて、影に移動する。太陽の光を見たのは2,3年ぶりの事だった。自分でも気づかない内に太陽光に嫌悪感を抱く様になっていたらしい。

 俺は、右手で額に張り付けられた葉を剥がした後、自分の右手を見詰める。右腕は少し熱を持っている。指を動かした後、強く握ってからゆっくりと開く。


「は、はは……腕が千切れるとかあり得ないよな……」


 右腕からジンジンと感じる不自然な熱に言い様の無い不安が胸を突き抜け、俺は服の裾を少し上げる。そして言葉を失う。手首には鎖が巻き付く様な螺旋状の真っ赤な痣がくっきりと残っていた。その痣からジンジンと痛みにも似た熱を感じる。その痣に紛れる様に腕にはありありと一刀両断された後が残っていた。足の裏にも濡れた葉を貼り付けられている、少し見ると細かい傷が幾つも出来ている。


「夢……じゃ、ないのか」


夜の出来事を鮮明に思い出してしまう。腕を切り落とされ、切り落とされた腕から伸びた白い鎖、そして肉の断片。ゲームでグロテスクな物は見慣れているが、臭いまでついて来ると気持ち悪さは桁違いだった。嫌悪感、それも気持ちではなく体自体が拒絶する様な、対処のしようがない物だった。

 落ち着け……相手はケンタウロス、化け物だ。そんな奴がどうなっても……。


「うえっ、はあ、はあ……考えるの、止めよ……」


 俺は考える事を止めて脳内を空っぽにする。そして『自分が今したい事は何か?』と自身に問い掛ける。その問い掛けに応える様に俺のお腹が控え目な音を鳴らす。俺はコップに用意されたお水を飲み、その横に置かれた玄米のオニギリを手に取る。


「……塩むすび、しかもパサパサしてて、あまり美味しくない」


 あんなグロテスクな光景を思い出した後に平然と食事出来るのも思考の停止と言う俺の得意技のおかげだった。考えなければ思い出す事もなく、気持ち悪くなる事もなくなる。至極簡潔な話しだった。

 食事を取りながら、ボケっとして居ると、灰色髪の男性、トッチーの姿を頭の中に思い浮かべてしまう。


「人生を入れ替えて欲しい……か」


 狼の様な化け物に、他人を平然と殺そうとするケンタウルス……唐突に森の中に放り出されて、命の危機を感じさせられて……自分の愚かさを呪いたい。引きこもりの俺と人生を入れ替わりたいと望む奴が、順風満帆な人生を送れている訳がなかった。


「ははははは! こいつはお笑い種だぜ。まさか、俺達に付いて来るつもりなのか? 俺達に、お前みたいな、妖獣も従えられない雑魚妖魔が?」


「し、神鬼には誰でもなれると牛魔様が、い、言っていました! だから私も――」


 家の外から聞こえて来た話し声に、俺は窓から顔を覗かせる。赤い1つ目の鬼の傍に青色と黄色の小鬼が控えており、彼らの足元に、例の狼擬きが伏せをしながら待機している。そんな小鬼達と向かい合う様に耳とフサフサの尻尾が生えた、茶色いみすぼらしい格好をした少女が向かい合って言い争っている。


「それには幼獣を従えられるって最低条件があるんだぜ。俺の妖獣の眼浪なんか目が4つもある特別な個体だ。こう言う選ばれた妖獣を従えられる者だけが、神鬼になれるんだ! お前みたいな妖獣も従えられない奴が神鬼に成ろうなんて恥なんだよ、恥!」


 赤鬼に突き飛ばされ、少女は地面に倒れ込む。少女は頭部の狐のお面を何よりも先に庇う。そのお面だけ、小汚い少女の格好に不釣り合いな美しい物だった。


「――っ! と、土地神様が定めたこの国唯一の法『自欲不施』を忘れたのですか!」


 少女の言葉に赤鬼はつまらなそうに答える。


「ふん、自分がされて嫌な事は他人にするな、だろ」


「でしたら――」


「ははは! 土地神様の法を俺が守ってないとでも言いたげだが、俺がお前の立場なら俺の行動を受け入れる。妖獣すらも従えていないのに神鬼に成ろうとするなんて恥を晒す以外の何物でもないからな! 突き飛ばされ様が否定され様が嫌だとは思わない。あん、何だ、その目は……言って置くけど、俺は喧嘩も嫌じゃないぜ?」


 狼擬きが、素早く起き上がり、牙を剥き出しにしながらじりじりと少女に近付く。少女は後退り、窓から見えなくなってしまう。何とか見ようと体を格子窓に押し付けた時、窓枠が派手な音を鳴らして壊れ、俺は干された布団の様になってしまう。


「あ、目覚めたのですか? 体調はどうですか? 今朝は酷くうなされて居ましたよ」


 体を起こし、顔を上げると、地面に座り込んでいる少女だけでなく、鬼も狼擬きも俺に視線を向けていた。これ程に大勢から注目浴びた事がなかった俺は、どう反応して良いか分からず、考える事を放棄して、取りあえず手に持っていたオニギリを口に含める。

 ……鬼? 鬼だよな。しかも俺を襲おうとした狼擬きまで居るし、もしかしてヤバいのか? 見つかったら問答無用で襲われて食われるとか!? ……決めた、なかった事にしよう。今、何も起こってない、起こってないんだ……。


「ちっ、興がそがれた、お前ら行くぞ。コン、忠告だ、牛魔様の一向について行こうとは、思わない事だな。誰が認めようと俺は認めないぜ。もし現れたら眼浪の餌にしてやる」


 赤鬼が立ち去ると同時に彼の取り巻き達も立ち去って行く。彼らの姿が見えなくなってすぐに地面から立ち上がった少女が駆け足で家に向かって飛びこんで来る。玄関から俺の居る部屋まで来て、俺の事をマジマジと見詰めて来る。

 その少女は可愛らしい顔立ちをしていた。クリクリした黄金の瞳に可愛らしい鼻に口。腰のあたりまで伸びた茶色い髪の毛は癖毛らしく何か所も飛び跳ねている。そして頭には白をベースとした狐のお面と……三角に尖った獣耳。腰からは大きな尻尾が生えている。


「その……ここは一体……」


 俺は一旦、少女に対する疑問を考えない事にして質問を行う。


「ここは酪王晩らくおうばん国の境近くにある村、楽奈らくなの外れにある私の家です」


 完全に呪文にしか聞こえなかった。聞き取れたのは『私の家』と言う部分はだけだった。


「昨日の事は覚えていますか? 森の中を物凄い勢いで駆けて来て、そのまま意識を失ってしまったんです」


「覚えてる……」


 俺が不思議そうに耳や尻尾を見詰めて居ると、少女は恥ずかしそうに頭のお面に触れる。


「わ、私はコンです。……あなたの想像通り妖狐の妖魔です。あ、でも騙そうとかそう言うつもりはないです! ほら、狐面だってちゃんとあります。変化していない証拠です……って、信じてくれませんよね」


「付け耳……な訳ないよな」


 鬼が居て、縦に並んだ瞳を持つ狼が居て……目の前にはケモ耳が生えた少女。いっそ狐に化かされている方が、気が楽だった。


「あの、名前を教えて貰えませんか?」


「あ、ああ、自己紹介か、そうだった……俺は赤石 碧音」


 いつぶりだろうか、新しい人と言葉を交わしたのは、トッチー以来だから3年、こうして顔を突き合わせてとなるともっと長い。


「あかいしあおと……随分長い名前ですね、あかいしあおと、あかいしあとと、あおと」


「……碧音で構わないよ。まずはその……助けてくれてありがとう」


 ゲームでお礼を何度も言ってるからだろうか、自然とそんな言葉が出てしまう。俺の言葉を聞いたコンは、瞳を見開き嬉しそうにその場でピョンと飛び跳ねる。


「お礼なんて、私は何もしてませんから。湖で倒れていた碧音を運んでここに寝かせただけです。その、碧音は格好と言い持ち物と言い見た事ない種族ですけど、旅人ですか?」


「見た事ないって種族って人間だけど」


 その瞬間、場の空気が変わるのをありありと感じてしまう。コンの沈黙と共に緊張感が伝わって来る。失言だったと思った時には、何もかもが手遅れだった。

 鬼に妖狐……それらは、どう考えても妖怪の類だ。妖怪と言えば人間をどうするか、考えなくても分かる。色々なメディアで彼らが人間を餌にしているのは周知の事実だった。

 息が詰まる様な沈黙を破ったのはコンの笑い声だった。


「ぷっ、人間ってあの人間ですか? この世界とは別の何処かにあると言われている宝来の国に住んでいると言われている、あの人間だって言うんですか? これでも妖狐の端くれです、嘘を吐かれるのは嫌いじゃないですけど、私は簡単には騙されませんよ」


「あー、そうなの、この世界とは別の何処かにある……この世界とは別……やっぱり、そうなのか……」


 自分の置かれている状況を半ば無理矢理に把握させられた俺は、分かり易く落ち込む。

壊れないと思っていた物が壊れる瞬間、変わらないと思っていた物の変化は、俺の精神に多大な負荷を掛ける。あるのは失望と絶望。もはや、帰る方法を探して帰ろうと言う気力すら湧いて来なかった。

自分の今後を考え不安に陥りそうになり、俺はいつもの様に思考を放棄してしまう。


「……も、もしかして、ほ、本当に人間なんですか? 本当の本当に人間?」


 コンの驚きのあまり震える声に嫌な物を感じた俺は、彼女から目を反らし、少し俯く。


「……やっぱり山猿とかにして置く」


 妖怪についての知識が保々皆無に近かった俺は、適当に山を付けた動物の名を上げる。今は何も考えたくなかった。


「ほ、本当に人間だとしたらとんでもない事です! 10年前、明興国めいこうこくに宝来の国から蒸気と言う物が流れて来て、明興国は大きく変わりました。道の代わりに線路と言う物が作られ、こんな辺境の村まで物資の輸送を行える様になったとか言われています。それ以来、どの国も宝来の物は想像がつかない程の高値で取引される様になったんです。もし宝来の物を見付けて中央に持って行くと一生遊んで暮らせる程のお金を貰えたり、無条件で神鬼にして貰えたり、それはもう凄い事です! それが生きた人間となると……ゴクリ」


 瞳を輝かせながら俺の事を見詰めて来るコンを見て、俺は警戒心を強める。


「お、おい、まさか、俺を売り飛ばすつもりか」


「ま、まさか、自欲不施の法があるんですよ、そんな事はしません。でも碧音にとっても悪い話しじゃないです。間違いなく好待遇で出迎えてくれるはずですよ。無条件で神鬼にして貰えて何不自由ない生活は約束されるはずです。きっと宮殿暮らし間違いなしですよ」


「さっきから気になってたんだけど、神鬼って何だ?」


 自欲不施も気にはなったが、つい先程、赤鬼が説明していたのを聞いていたので、改めて聞こうとは思わなかった。それより気になる事が沢山あった。


「え? 土地神様に直接仕える偉い方々の事です。神鬼にも色々あって各地で土地を収めたり、土地神様の護衛や、中央で政治を行ったりもするんです。何より重要なのは、神鬼になる事で使える霊力が跳ね上がり、強い妖獣だって従えられるんです。私の様な弱い妖魔でもです」


 彼女の話しを分かり易く要約すると、土地神が王様、神鬼が貴族と言った所だろう。

正直そこまで楽観的に考えられないけど、こんな所で誰の保護もなく生きて行く事も出来ない。実験動物として扱われる事なく、保護して貰える事を期待するしかないのか?


「と言うか、そんな貴重な存在にも関わらず、昨日、普通に襲われて、殺され掛けたんだけど。だから必死に逃げて……」


「それは、一体、どう言う事ですか?」


「あの眼浪? あいつらに囲まれて食べられそうになった」


 真剣だったコンの表情が、俺の言葉を聞き、破顔してしまう。


「野生の妖獣は別ですよ。自分達より弱いと判断したら誰彼構わず襲って来ます。と言いますか、森のあんな浅い所にまで眼浪が出たんですか? そっちの方が驚きです。そこまで強い妖魔ではありませんけど、もっと森の深い部分で生活している生き物ですし」


「その後、馬の下半身に人の上半身が合わさった奴らに助けを求めようとしたら、いきなり攻撃されたからな。言葉を喋ってたけど、もしかしてそいつらも妖獣なのか?」


「馬……人の体……も、もしかして隣国、得ノ国の人馬ですか!? あり得ません! 他国の兵士が街道も使わずこっそり森を抜けるなんて、あってはならない事です。そもそも、妖獣がひしめく国境の森を越えるなんて自殺行為です。でも通ろうと思えば通れ……って通れる通れないの問題じゃないです! 何かの間違いじゃありませんか?」


「間違いも何もそいつらに問答無用で右腕ぶった切られたからな」


 俺は少し熱を持っている右手を擦る。そんな俺をコンはジト目で見詰めて来る。


「……切られてないじゃないですか」


「……いや、これは、その……くっ付いた?」


 どう説明して良いか分からず荒唐無稽な返答になってしまう。正直、白い鎖が暴れ回った話しは避けたかった。そもそも千切れた右腕から鎖が飛び出し暴れ回ったと言う話しも荒唐無稽だ。


「変な夢でも見ていたんじゃないのですか? まだ病み上がりですし、休んでいた方が良いですよ。霊脈の関係上、国の領土はそれぞれ最初から決まっているのです。領域侵犯なんてする意味も理由もありません」


 立ち上がるコンを見て、俺は彼女に行き先を尋ねる。


「一体何処に」


「明日は牛魔様がこの村に来るんです。それまでに舞の最終調整をして仕上げて置かないとなりません。素敵な舞を披露して、牛魔様に気に入られて、土地神様への拝謁許可が出れば……神鬼にして貰えるかも知れません。こんな機会もう2度と来ません」


 家を飛び出して行こうとするコンを俺は思わず呼び止めていた。


「待って! ……あー、俺もついて行って良いか?」


 呼び止めたのは良いが、それ以上の事を何も考えていなかった俺は、思わずそんな事を口走っていた。コンは俺の顔をジッと見詰めて思い悩む。


「……分かりました。練習している姿を見られるのは少し恥ずかしいですけどね。ついて来て下さい。いつも練習に使っている場所に行きます」


 コンは家の隅から草履を取り出し、台所のある部屋の地面に並べる。俺は自分の足に視線を落とした後、自分の傍に置かれた穴の開いてしまっている靴下を履く。


「……その履物なんですか? 先の部分が割れていないと不便じゃありませんか? あ、でも履物自体高価な物ですけどね」


 コンは足を上げ、少し汚れた素足を俺に見せつけて来る。


「草履なんかなかったから、不便でも何でもなかったんだよ……」


 俺は指で靴下に割れ目を作り、草履を何とか履く。その間にコンは大きなカゴを背負い一足先に家を出て行く。俺もそれに続いて履き慣れない草履の感触を確かめる様に軽く足踏みを行う。足の裏に少し痛みが走るが、我慢出来ない程の痛みではなかった。


「へー、宝来の国には草履がなかったんですか! 外歩く時とか困りませんか? 石とか踏むと草履を履いていても痛いですよ」


「靴って言うもっと良い物があったんだよ」


「碧音はその靴は持ってないのですか?」


「ここに来る直前まで自分の部屋に居たからな。もし来る事が分かってたら旅行鞄に旅行セット詰め込んで持って来てた。いや、キャンプ道具の方が良かったのかもな……って、どっちも持ってなかったな」


 俺は自然と時間を確認する為、スマホを探すが、持ってない事に気付き小さなため息を吐く。振り返ったコンが心配と不安を交えた視線を俺に向けていた。俺はそんな視線に耐え切れず苦笑いを浮かべ、話題を変える。


「昨日踊っていたダンスじゃなくて、舞だけど何処で覚えたんだ?」


「あれは私が考えた私だけの舞です。……幼い頃、妖狐の九尾様の舞を見て、私も舞いたいと思う様になったのです。今思い出しても九尾様の舞は素敵です。私の憧れの方です」


「そうなのか――」


 左足の草履がすっぽ抜ける様に脱げ、俺は急いで草履を履き直す。スリッパよりも履き難く歩き辛いと言えば、草履の使用感がどれだけ酷いか分かって貰えるだろう。


「いっそ裸足の方が良くありませんか?」


「草履で足の裏、チクチクするだろ。昨日走った所為で足の裏に擦り傷出来てるし」


 森の中を暫く進むと小さな湖が見えて来る。コンは、踏み均され、土がむき出しになった場所まで移動し、草履を脱いでそっと近くに置く。そして懐から鈴が幾つも付いた祭具の様な道具を取り出し、シャンと大きく音を鳴らして、それを合図にする様に舞い始める。

 コンの舞はゆったりとした動きを基調とした優雅な物だった。ダンスと言えばアイドルが踊る様な可愛らしい物や激しい動きの物しか知らないので、コンの舞は新鮮だった。

しかし鈴の音だけで音楽なければ歌もない、湖の波紋の音が聞こえて来そうな中、服が擦れる音と地面に足が付く音を聞きながら舞を見るのは次第に退屈に感じて来る。

 する事もなかった俺は、舞を見ながら、それに合う曲を頭の中で再生する。


「ターン、タタタン、ターン」


俺はゲームで盛り上がっている時のノリで、鼻歌を交えてその曲に合わせて手拍子をしてしまう。するとコンは驚いた風に俺の方を見て来るが、すぐに舞に集中し始める。心なしが、彼女の踊りにキレの様な物が出て来る。


「何ですか! 今の!」


「あ、ごめん、邪魔して」


「全然構いません! それよりどんな妖術を使ったのですか!? パンパンって手を叩く音に舞が引っ張られていつも以上に踊れました!? そうです! さっきの音に合わせて鈴の音を鳴らしてみても良いですか?」


「あ、ああ、良いけど」


 コンは嬉しそうに鈴の音を響かせながら舞を始める。先程の舞とは最早別物だった。鈴の音がメロディーとなり、心地良く響き渡る。俺はいつしか手拍子も止めて、コンの舞に見入っていた。


「……はあ、はあ……こ、これ、凄く疲れます……暫しの休憩です」


 10分程の舞を終えたコンはフラフラになりながら俺の傍に座り込んで来る。


「そう言えばさっき聞きそびれたけど、自欲なんだっけ、あれって何?」


「自欲不施の法ですか? この国の土地神様が定めたこの国の唯一の法です。意味は自分の嫌がる事は他人にするなと言う物です」


「そう言えば、トッチーもそんな事を信念にしてたな」


「トッチーとは誰ですか?」


「俺をこの世界に送り込んだ奴」


「なっ、まさかー、そんな事が出来る妖魔なんて居る訳ないじゃないですか。聞いた事もありません」


「でも、現に俺はこうしてこの世界に来てる訳だし」


「そ、それは……もし、そんな事が出来る方が居るとすれば、きっと神鬼の方に違いありません! そ、その神鬼の方はなんて名前なのですか!? 今は何処に居るのですか? その人と会えれば――」


「だから名前はトッチー、本名じゃないだろうけど。今は俺と入れ替わる様に俺の世界、宝来の国? に居るんじゃないか?」


「その方は宝来の世界に……そ、その、どうしてトッチー様は碧音をこちらの世界に呼んだのですか? 土地神様から信頼され、力を分け与えられた神鬼の方なら何か深い考えがあっての事だと思うのです」


「理由……」


 深い理由があったのだろうか? 神鬼、この世界で言う貴族の様な存在が、どうして俺と入れ替わりたいなんて思ったのだろうか。きっと周囲から尊敬され、必要な存在だっただろう。


「人生を入れ替わって欲しいって、頼まれたんだ」


 彼が深く悩んでいた事は俺でも分かる。魔が差したのかも知れない。彼もまた俺の様に魔が差してしまったのも知れない。何かから、どうしようもなく逃げ出したいと思ってしまったのかも知れない。彼は別れ際、信念を捨てたいと言っていた。俺の『このまま何も変わらなければ良い』なんて思いとはきっと違うのだろう。それを捨てるのはどれ程難しい事なのか俺には想像も出来ない。


「えええ!? そ、それって碧音に神鬼になって欲しいって事じゃないのですか!?」


「あー、そうなのか?」


「だって、人生を入れ替わって欲しいって……そう言う事ですよね?」


「はは、流石に、そこまで望まれてないって、だからそんな憧れと期待の籠った眼差しを向けないでくれ」


 俺の言葉に、コンはまるで自分言の様に残念がりながら、シュンとした表情で落ち込む。しかし、すぐに彼女は表情を元に戻す。


「落ち込んでは居られません。さっきの舞の感覚を忘れない内に練習再開です」


 そう言ってコンはまた舞を始めるのだった。


 練習を終えたコンは『夢中になり過ぎました』と言いながら慌てた様子で山菜取りを始める。俺も見様見真似で幾つか山菜を集めて行く。そんな事をしている内に日は大きく傾き、家に戻り食事が出た時にはすっかり暗くなってしまっていた。

 部屋の中が暗過ぎて外で食事を取る事になったのは色々な意味で新鮮だった。

 夕食に用意されたのは山菜のスープと冷えた玄米だった。真面な味付けもされておらす、とても美味しいと言える物ではなかった。でも残さず食べた。人はお腹が空くとお腹にさえ入れば何でも良いらしい。


「ふあ、昨日は夜まで練習していたので今日は眠いです。私はここに寝るので、碧音は布団で遠慮なく寝て下さい……」


「あ、ちょっと……もう寝てるし」


 コンは畳の上でまるで犬の様に体を丸めて寝息を立て始める。まだ眠たくなかったが、何もする事がない上、俺は目を閉じ、無理にでも眠ろうとする。しかし、いざ眠ろうとすると、ここでの生活の厳しさを感じずには居られなかった。

隙間風に軽く身震いしながら、布団代わりの獣の皮を体に巻き付ける。寝床とは言えない硬い畳、温かくならない掛け布団、枕すらない。まだ刑務所で暮らした方がマシなのでは、思えてしまう程酷い環境に耐え切れず、俺は思わず呟いてしまう。


「……帰りたい」


 ここでの生活を気楽に考えていたつもりはなかったが、身を持って厳しさを体験すると自分がどれ程甘い考えを抱いていたのか思い知らされるのだった。

 バタバタとした物々しい音に、俺は目を覚ます。目を開けてすぐ、自分の部屋とは違う見られぬ景色に、軽くショックを受けながら体を起こす。何とか1日は乗り切れたが、この先、ここで生活するなんて考えたくもなかった。


 床で寝た所為か全身が少し痛い。相変わらず右腕はヒリヒリと熱を持ってるし、体調も気分の最低の朝だった。


「これ! 朝食です! えっと、これとこれに……それと――」


 コンに投げる様に渡されたオニギリを受け取りながら、俺は彼女に声を掛ける。


「えらく慌ててどうしたんだ?」


「慌てるに決まってるじゃないですか! 牛魔様がすぐにでもこの村に来るんですよ! 何とかして舞を見て貰って気に入って貰う必要があるんです。あ、そうです。碧音の事も相談しましょう。きっと良い様に取り計らってくれるはずです」


「ちょっと、待ってくれ、その、牛魔って奴は大丈夫なのか? 信用出来る様な奴なのか?」


 警戒心を剥き出しにする俺とは裏腹に、コンの瞳は信頼と言う言葉で染まっていた。


「当然です! 土地神様に認められた、この村を含めた周辺を治める神鬼の方ですよ。それに牛魔様は種族ではなく個人の能力を評価して下さると言われている方で、彼に認められ、神鬼になった妖魔も居ると言う話です。そんな方が信用出来ない訳がないです。神鬼の方が私達の様な妖魔を見て下さるだけでも特別なのです」


「……実力主義って事なのか?」


 実力主義と知り、俺は気が重くなる。やる気のある人にとっては素晴らしい存在なのかも知れない。しかし、俺の様にぬるぬると、色々な事から逃げ出した人間にとっては、相性は最悪と言わざるを得ない。要は体育会系って事だ。


「はい。だから私の様な妖魔にも神鬼に成れる機会を与えて下さるんです。この日の為に大切に保管していた1番上等な服を着ます」


 淡い朱色の綺麗な織物を取り出したかと思うと、コンはその場で唐突に服を脱ぎ始める。彼女は、俺が見ている事に気にする素振りも見せずに取り出した衣装に身を包む。灰色の下地をベースに淡い朱色が生える着物に近い民族衣装で上等な物だと一目で分かる。元々顔立ちは良いので衣装を変えれば全く別人の様に見えてしまう。


「この服ですけど、どうですか? 可笑しくありませんか? 中古品なのであちこち破れていて……手直しした箇所とか目立っていませんか?」


 コンはその場でゆっくりと回転する。


「あ、ああ、目立ってない。良いんじゃないのか?」


「ふう、碧音も準備して下さい。村で一緒に牛魔様を出迎えましょう」


「準備って、俺の方は……」


 俺は畳の上に置いていたヘットフォンを見詰める。どう考えても邪魔だが、取りあえず首に掛ける。気休め程度だが、普段使っている物を身に着けると気が休まる様に感じる。


「村って言ったら人、一杯居るよな」


「特に今日は村人全員で牛魔様を出迎えていますよ。牛魔様が来ると言う事もあって他の村からも人が来ていますし」


「……ここに残ったらダメか」


 人混みが苦手だった為、思わずそんな事を口走っていた。


「何言っているんですか! 牛魔様に会わずにどうするんですか! 宝来の国から来た人間だと伝えて保護して貰うんですよ」


「……それだけど、止めないか?」


「止めてどうするつもりなのですか? 人間だと言えばきっと神鬼にもして貰えるはずです。トッチー様もきっとそう考えて碧音をこの世界に呼んだのです! 間違いありません!」


「でも、その人、実力主義なんだろ……俺って、そう言う人に嫌われ易いから、やる気を感じられないとか言われて……」


 そう言う人は、俺の様に投げやりな奴を見ていると腹が立って仕方ないのだろう。俺自身もそう言うタイプの存在とは、出来れば関わり合いたくない。

 コンは困った顔をして、俺の事をジッと見詰めて来る。彼女が明確に俺の事を心配してくれているのが分かる。きっと、俺の今後の事を必死に考えてくれているのだろう。


「……あ、そうだ。宝来の国の物なら何でも高値で取引されてるんだよな……俺が身に着けてる物、全部その宝来の国の物だけど」


 コンは俺の言いたい事にすぐに気付いたのか、瞳を見開き、俺の全身に視線を向ける。


「俺の持ち物を売れば、当分は生活に困らないだけの大金が入るんじゃないか?」


「それは、そうかも知れませんけど……」


 コンから『その先はどうするつもりなのですか』と言う視線を向けられる。俺はそんな視線に気付かない振りをする事しか出来なかった。今の提案は、問題を先送りにする一時しのぎの処置に過ぎないのだから。


「なら、牛魔って人には、俺が人間だって事は黙って置いてくれないか?」


「――で、出来ません!?」


 人が良さそうなコンのキッパリとした否定の言葉に、俺は一瞬パニックに陥る。


「はあ? いや、何で?」


 コンは俺に見つめられ、困った様に俯く。俺の視線に耐えきれなくなったのか、彼女は肩を小さく震わせながら、その理由を告白する。


「だって、だって、私……嘘が下手なんです! 妖狐なのに、変化も嘘も……下手なんです!!! だから妖狐として、誰かを騙しながら生きて行く事も出来ずに、こんな辺境の村はずれでひっそりと暮らすしかなかったんです……」


 告白を終えたコンは項垂れる様に頭のお面と顔を隠す様に両手で覆ってしまう。


「何も嘘を吐けって訳じゃないって、黙って置くだけ、言わないだけなら出来るだろ?」


「うう、出来、ますかね? 隠している事、ば、ばれませんか?」


「あー、ほら、誰も疑ったりしないって」


「が、頑張ってみます……そ、そそ、そろそろ行きましょう、ニン、あ、う、碧音」

コンは『うへへ』明らかに不自然な笑みを作り、そしてぎこちない動きで、自分の口を塞ぎながら玄関に向かう。俺はそんなコンの姿を見て思わず頭を抱えてしまう。


「おい、鈴忘れてるぞ」


「あ、危なかったです! ふう、これがないと舞を披露出来ない所でした」


 不安しかないが、大丈夫だと無理矢理思う事にしよう。

 

 獣道の様な場所を進む事10分、広い道に出ると同時に、賑やかな声が聞こえて来る。村全体が浮足立ち、完全にお祭り騒ぎとなっていた。村自体は、俺の想像以上に酷い物だった。簡潔に言えば茶色く汚い。井戸を中心に土と木のボロ屋が立ち並ぶ、住宅地らしき場所。その他は、あぜ道と田畑となっている。それが村の全てだった。駄菓子屋もなければ車の1つもない、本当に何もない所だった。

 ここの村人の多くはカラフルな色をした鬼達がメインらしく、原色の赤、青、黄色が最も多く、ポツポツと、緑や紫と言った色の鬼も混じっている。鬼達の中に別の村から来たと思われる、単眼や顔だげの妖魔、足が6本あったり、蜘蛛女としか言えない者まで、存在している。当然だが、俺の様な人間なんて影も形も存在していなかった。

 そんな彼らの傍には眼浪を始めとする、これまた様々な妖獣が控えており、こちらに関して言えば魔物としか表現出来ない物が殆どだった。それらが集まったこの村の状況は、まさに百鬼夜行としか言い様がなかった。


「夜に見たら卒倒するな」


 昼間でも1人で見たら卒倒しそうだけどな。


「も、もう牛魔様が到着しているみたいです!」


 コンの視線を辿ると琥珀色の鎧を付けたムキムキの鬼達の中心に角の生えた二足歩行の真っ黒な牛が腕を組み鎮座している。間違いなく、あの牛が牛魔なのだろう。


「もうあんなに人が並んでいます。急ぎましょう!」


「あ、おい……はあ、もう」


 俺は背筋に寒気の様な物を感じながら、妖魔達の中に足を踏み入れる。その直後だった、コンが昨日の3人の鬼に捕まり、妖魔達の中から弾き出される。


「コン、何しに来た、お前みたいなはぐれ者が来て良い所じゃないんだよ」


「今日は村の外からも沢山流れ者が来ています。私だけ――」


「弱いお前は村の恥だって言ってるんだよ! お前は知らないかも知れないけどな牛魔様は何より力を重要視してる方なんだよ、舞? 下らない、力を示せない者が牛魔様に近づこうとするだけでもおこがましいんだよ!」


 怯み後ずさったコンはチラリと俺に視線を向けた後、決意を固める様に視線を赤鬼に真っすぐ向ける。


「……い、嫌です!」


 一触即発の雰囲気、赤鬼の傍に控えていた眼浪が牙を剥き出しにして低い唸り声を上げた時だった。――ドン! 村中に響き渡るそんな大きな太鼓の音と共に、村人達のざわめきが止む。それに合わせて赤鬼達も口をピタリと閉じ、牛魔の方に視線を向ける。


「まずは村を上げての歓迎、感謝する!」


 力強く声量の良い声が村中に響き渡る。


「神鬼とは! 実力がある者こそなるべきだと常々思っている。故に我は! 君達の中にも必ずや神鬼となる器の持ち主が居る事だろうと確信している。是非見せて貰いたい、我に君達の実力を! その器の価値を!!! 生きる力を!!!」


 話し終えた牛魔が用意された椅子に腰を下ろした瞬間、村人達から歓声が上がる。


「どうですか? 素晴らしい方だと思いませんか!」


 コンも興奮した様子で他の村人と共にはしゃいでいる。俺はそんな彼女を何とも言えない表情で見詰める事しか出来なかった。まるで男性アイドルのライブに付き合わされている彼氏の気分だった。

 すぐに腕自慢達によるアピールタイムが始まる。ある者は自分自身の力を証明したり、ある者は連れている妖獣の力を示したり、その両方を示す者。行商人はここぞとばかりに武器や食べ物等を売り、他の村人達はそれらを一種の娯楽として楽しんでいた。


「ほほう、珍しい、四眼の眼浪か。眼浪の瞳はそれぞれ、景色、音、温度を見る事が出来ると言われているのだ。そして4つ目の瞳は霊力を映すそうだ」


 牛魔が始めて関心を示したのは例の赤鬼が連れていた眼浪に対してだった。赤鬼は深々と頭を上げる。


「は、はい。その通りでござい、まする? そ、その、今、こいつの力を見せます、です」


 赤鬼は普段使い慣れてないであろう敬語を必死に駆使しながらアピールを始める。


「……この様に、霊力の流れを見る事で、次の相手の行動を予測して、先手を打つ事が出来ます、です。こいつは他の眼浪は一線を隔しています、です、はい」


「ふむ……オロチ」


 牛魔がサッと手の甲に描かれた楔と文字が書かれたタトゥーを見せた瞬間だった。赤鬼の眼浪は何かを察したかの様にその場から飛び跳ね、一気に距離を取る。次の瞬間、その場所の茶色い塊が叩きつけられる。それは大蛇の胴体だった。10メートルはあろうかと思われる大きな大蛇が突然牛魔の影から姿を見せ、眼浪に対して体当たりを行った様だった。攻撃を外した大蛇は何事もなかったかの様に牛魔の影に消えて行く。


「あ、あれが牛魔様の妖獣オロチ……初めて見ました。す、凄いです。……碧音、あれ、碧音、どうしました? き、気絶しています!?」


「――はっ、あまりの衝撃に、少し意識が飛んでた。コン、今日は、そのさ、俺、帰るな」


 俺はその場から逃げ出そうとするが、コンにしがみ付くかれ、引き止められる。


「ま、待って下さい。何言っているんですか! もうすぐ私達の番ですよ! ここまで来て怖気つかないで下さい!」


「怖気づくだろ! だって、さっき地面揺れたけど! 軽い地震起こったけど!? 何だよ、あれ、化け物中の化け物だろ。関わりたくない! 気に留められたくない! 視界にも映り込みたくない!」


「神鬼である牛魔様の妖獣ですよ。強いに決まっているじゃないですか」


「ほ、本当に頼むぞ。俺が人間だって絶対に言うな、良いな、絶対言うなよ」


 あんなのに僅かでも関心を持たれたくない。出来る事なら関わらず生きて行きたい。


「――は、はい……だ、だだだ、大丈夫、でで、です」


 コンはサッと自分の口を両手で塞ぐのだった。彼女のそんな姿を見て、俺は意識が遠のくのを感じてしまうのだった。


 やがてコンの順番が回って来る。彼女は同じ側の足と手を同時に出しながら牛魔の前に立つ。呼吸を整えた彼女が懐から鈴を取り出し、一礼する。それで彼女のスイッチが入ったのか、今までの緊張が嘘の様に舞を披露し始める。

 コンはすっかり昨日のメロディーに乗せての舞をマスターしており、鈴の音と共に素晴らしい舞を披露する。誰もが彼女の舞に見とれていた。その舞の凄さに誰もが言葉を失っていた、只1人を覗いて……。


「下らん! 我が求めているのは力だ。それ以外に興味はない、速やかに立ち去るが良い」


 それは、コンの今までの努力も思いも願いも踏みにじる何処までも無慈悲な言葉だった。すぐに舞を取り止めたコンは、その場で膝を折り、頭を地面に擦り付ける。


「あ、あの、1つだけ、この人の事をお願いします! 牛魔様、この人は宝来の国から来た人間です! だからその、この人の保護を――」


 感情と思考が色々追い付かなかった。あれだけ人間だと言うなと念押ししたにも関わらず、言ってしまったコンに対する苛立ちと、同時にどうしてそこまでするのかと言う疑問、舞を認められなかったコンに対する同情心も混ぜ合わさり、訳が分からなくなってしまう。


「……くっ、くはははは! 人間? 宝来の国の住人と言われている、あの人間だと? 馬鹿馬鹿しい。ここまで馬鹿馬鹿しい妄言を吐いてくれるとは実に愉快だ」


 牛魔の刺す様な視線が俺に向けられる。俺はその迫力に気圧され、後退ってしまう。


「妖狐の言う事等、何1つ信用出来るか!!! 我を笑わせた礼に今回は見逃してやる。だが目障りだ! 我の前に2度と姿を見せるな! 次に姿を見る様な事があれば自欲不施の法により裁かせて貰う」


「ま、待って下さい、騙したりしません。狐面もあります、変化も――」


 牛魔から殺気の様な物を感じた俺は、大急ぎでコンの元に駆け寄り、彼女の口を塞ぎながら体を抱え上げる。


「あはは、もう来ませんからー」


 俺は如何にも間抜けそうな笑みを浮かべながら、コンを連れてその場を駆け足で立ち去る。その途中、村人達から冷たい視線を向けられるが、野次は不思議と飛んで来なかった。

 コンの家に戻る途中の獣道で彼女を下ろす。体力の限界を迎えていた俺は、その場で崩れる様に屈み込む。


「う、腕、吊る……、腰も、限界……」


「……すみません……私の所為で……私が……ううっ」


 コンは俯いたまま何度も『すみません』と言葉を繰り返し続ける。

こう言う時は、どうすれば良いんだろうか? 女子って確か……人の悪口とかで盛り上がるんだよな? よ、よし、試してみよう。


「でも牛魔って奴も最低だな。何が求めてるのは力だ。脳みそまで筋肉で出来た事言いやがって――」


「牛魔様の悪口は止めて下さい! 悪いのは私なんです! 妖狐の……私です」


「そんな事――」


 俺の言葉は、悲鳴の様なコンの言葉によって遮られる。


「あるんです! ……あれが世間の妖狐に対する普通の反応です。常に嘘を吐き、騙し続ける生き物だって思われているんです……いえ、実際、妖狐とはそう言う妖魔です。変化で他人に成りすまし、金品を騙し取っています。別の国では、妖狐だって言うだけで襲って来る妖魔も居るくらいです」


 コンは側頭部のお面を自分の顔に付ける。すると、彼女の姿が、一瞬だけ俺に変わるが、すぐに元に戻ってしまう。


「私は霊力が少ないので変化も真面に出来ませんけどね……やっぱり、幻滅しましたよね」


 俺は、俯こうとするコンの顔を両手で掴み、視線を強制的に合わせる。妖狐がどう言う存在で、周りからどう思われているとか、俺にはどうでも良かった。そんな事より気になる事があった。


「……なんであんな事をしたんだ? 土下座までして、俺が人間だって言って……」



「私と違って碧音は別です。本当に本当の人間です。保護して貰うべきです。神鬼になる為にこの世界に来た人です」


「だから! そう言う事じゃなくて! どうしてそこまで、俺の為に何かしようとするんだよ」


 親切心だけで土下座なんて出来ると思えなかった。あの場面でのあの行動、自身の命の危険すらあった。にもかかわらずコンは俺の為に頭を下げた。何故そこまでするのか、そこまでしてくれるのか俺には理解出来なかった。


「……だって、だって、碧音は無条件に私の事を信じてくれたじゃないですか! 妖狐の私を疑う様な素振りも見せずに接してくれました。そんな事、今まで生きて来て初めてでした。だから思ったんです、この人、本当に妖狐の事を知らない人なんだって。そんな人、この世界じゃ存在しませんよ。妖狐の悪名なんて全ての国で広がっています。だから人間だって聞いて、宝来の国から来たと知って……素直に納得出来たんです」


 コンは曇りのない瞳で真っ直ぐ俺の事を見詰めて来る。


「そんな特別な人と私は奇跡が起きて出会えたんです。出会えただけでなく私を頼ってくれたんです。そんな人の為に私に出来る事があるんですよ。なららしますよ、私に出来る事なら何でも、だってそれは特別な事ですから。こんな出来損ないの妖狐の私にも特別な事が出来るなんて、奇跡じゃないですか」


 たったそれだけの理由だった。でもコンにとってはきっと十分な理由なのだろう。俺は、自分が特別だと思われていた事に違和感を覚えてしまう。とは言え、特別だと思われる事に関しては、悪い気分にはならなかった。寧ろ心地よかった。そこで俺は気付く。

 ああ、そうか。なるほど、特別か。コンもこの気分を味わいたかったのか。


「だから碧音だけはって思っていたのに、私の所為で碧音まで……すみません。私の所為でこんな事になって、すみません……私が居なければ、私が――」


 コンは耐え切れずにその瞳に涙を溢れさせる。俺は彼女から溢れる涙を服の袖で軽く拭う。心底辛そうに、申し訳なさそうに涙を流すコンに感化され、俺まで泣きそうになってしまう。


「コンが居なかったら野垂れ死んでた。だから、何も気にするな。俺がコンにどれだけ感謝してると思ってるんだ? 寝る家があるだけでも助かるんだから」


「ほ、本当ですか?」


 今なら親にも素直に感謝を述べられそうだった。食事の用意に住む場所、携帯代の払いも、全て当然の事だと思っていた。寧ろ義務とすら思っていた。でも違った。今までの何不自由ない生活をする事がどれだけ大変か、たった一晩で思い知らされた。今の俺はコンが居なければ寝床も今夜の食事すら真面に用意出来ない。


「ああ、本当に助かってる。ありがとうな……で、どうしようか」


 コンは涙を拭いながら立ち上がり、精一杯の笑顔を俺に見せてくれる。


「夕食の為に、山菜集めでもしましょうか」


「……昼食はないのか」


「昼食って何ですか?」


「お昼にご飯は食べないのか?」


「食事は朝と夜だけですよ?」


 やっぱり何よりも優先して帰る方法を見つけ出した方が良い気がして来た。


 山菜を集めている最中、コンは頻りに手を止めては、深いため息を吐く。すぐに首を振って山菜集めに戻るが、すぐにまた手を止めて深いため息を吐く。例えるなら受験に落ちた様な物なのだろう。落ち込まない訳がなかった。

 あれだけ俺の事を考えて居てくれているコンに何が出来ないのかと俺なりに考えてみる。


「コンはどうして神鬼になりたいんだ?」


「え? なれるのなら誰でもなりたい物だと思いますけど」


 どうやら質問の仕方が悪かったらしい。


「なんて言えば良いのか、コンにとって神鬼になる事がゴールなのか?」


「ゴール???」


「最終到達点、最後の目標って意味。その先は何も無い」


「……どう、何でしょう……考えた事もなかったです。舞を見て貰って……もっと多くの人に見て貰いです」


「それは神鬼にならないと出来ない事なのか?」


 コンは俺の質問に表情を暗くする。


「妖狐、ですから。神鬼にならないと誰も見向きもしてくれません……くれないんです」


「ここじゃなくて、他の国でもダメなのか?」


「私達妖狐を受け入れてくれる国はここ酪王晩だけです。他の国には入れても貰ません。だから私、この国が本当に好きです。この国も土地神様も、好きだからこそ見て欲しいです。褒めて欲しいんです。ふへへ、ちょっと恥ずかしいです」


 コンは恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる。俺の興味はこれ程までにコンに慕われている土地神と言う存在に移る。


「土地神ってどんな奴なんだ?」


「え? と、土地神様ですか? それはもう、偉大で特別で凄いお方です。この世界の国は土地神様の為に存在すると言っても良いのですから。私を含めて国の妖魔達は土地神様の為に生きていると言っても良いです」


「流石にそれは言い過ぎじゃないのか?」


 まるで忠義に生きる戦国武将の様な事を言い出すコンに洗脳でも受けているのかと疑いの眼差しを向けてしまう。コンはブンブンと首を振りながら口を開く。


「そんな事ありません! 土地神様が霊脈を調整して下さるから、国は存在出来ているんです。土地神様が居なければ国なんて一瞬でなくなってしまいます。国の要の様な方です。土地神様が居てくれるから、文字通り私達も生きて居られるんです。土地神様の為に生きて居ない民なんて存在していません!」


「そ、そうなのか」


 コンの圧に気圧され、俺はそれ以上何も言えなかった。


「それにこの国の土地神様は特別優しいお方です。私達、妖狐も受け入れてくれて、税も物凄く低く設定してくれているんです。村ごとに余裕があるので、私の様な、はぐれ者でもギリギリ生活出来ています」


「……いっそ土地神に直接舞を見せるのはどうだ?」


 俺の提案にコンは髪の毛と尻尾の毛を逆立てながら勢い良く後退る。


「と、と、土地神様に、ちょく、直接!? そ、そんな、そんな恐れ多いです! わ、分かっているんですか土地神様ですよ、土地神様! 直接なんて……。そもそも私達の様な者が会える相手でもありません。雲の上の更に上に位置する様な方ですよ! 神鬼の方に御目通りを頼むのとは訳が違います!!!」


「その土地神様が認めてくれたら、皆コンの舞を見てくれる様になるんじゃないかって思ったんだけど、まあ、難しいか」


「私の事より碧音はこの先どうするつもりなのですか?」


 コンから飛び出したカウンターパンチの様な質問に俺は思わず口をつぐんでしまう。

 まずは、自分の持ち物を売り払って、お金を作って、それから……どうするのだろう?


「……何も考えてない」


 結局、俺はいつもの様に思考を放棄してしまう。強いて言うなら『明日も生きていれば良いな』くらいの思考しかしていなかった。


「想像以上に酷い答えです……でも、ふふふ、その、私も似た様な物です。今は先の事なんて何も考えられません」


「別に時間に追われてる訳でもないし、その内なんか思いつくだろ」


「はい、碧音にそう言われると、なんか、そんな気がして来ました!」


 こうして俺達は、この日も山菜集めに精を出すのだった。

 夕暮れ時、世辞にも美味しいと言えない夕食を食べて居る時の出来事だった。


「コンは普段は、何の仕事をしてるんだ? 山菜集めか?」


「違いますよ。舞です。村の祭事とか祝い事の時に舞を披露するのです。後は、豊作の舞を踊る事もあります。これには決まっている振り付けがあって、間違ったら物凄く怒られますね」


「へー、もっと村から疎まれてるのかと思ってた」


「この国の人達は皆優しいです! 月一でお米も分けてくれますし。村の人達からは結構頼りにされているんですよ……仲良くまではしてくれませんけど、それは私が妖狐である事を考えれば仕方のない事です。舞をさせてくれているだけでも特別な事なんです!」


 ピー。ふと、窓の外からそんな笛の音が聞こえて来る。1度だけなら気にもならなかっただろう。しかし、笛の音は1度所か断続的に絶えず聞こえ始める。


「何かあったのでしょうか?」


「祭りの続きでもしてるんじゃないのか?」


 コンは、いそいそと玄関から出て行き、そのまま戻って来なかった。2分程経ち、戻って来ない彼女が気になり、俺も玄関に向かい外の様子を伺う。

 赤かった。まるで夕焼けを水面に映したかの様に地上が赤く染まっていた。


「キャンプファイヤー……じゃないよな」


 どれだけ大きな規模のキャンプファイヤーをすれば、地上を赤く染める程の炎を撒き散らせるのだろうか。


「嘘です、よね? 嘘――っ!?」


 何が起こっているのか先に気付いたコンは、何かに弾かれる様に村に向かって駆け出す。俺は口の中の物を大急ぎで飲み込みながら彼女の後を追い掛ける。

 村に近付くと俺にも何が起こっているのか分かってしまう。パチパチと炎で木が弾ける音、ここまで伝わって来る熱気、そして所々から聞こえる悲鳴。

 コンは木の影で座り込み、放心する様に燃える村を見詰めていた。村の現状を見た瞬間、俺も言葉を失ってしまう。只の火事ではなかった。そこでは狩りが行われていた。ピーと笛の音が鳴ると、上空から巨大な鳥が勢い良く降下し、村人を掴み上げ、そのまま上空から叩き落としていた。それだけでなく、ここに初めて来た時に俺が見た馬人が剣を振い、容赦なく抵抗も出来ずに逃げ惑う村人達を切り伏せている。

 地獄絵図、そんな言葉が不意に出て来る。確かにこの状況を表現するのにそれ以上の言葉はないだろう。でもそんな言葉で目の前で起こっている事の全てを表現しきれるとも思えなかった。もっと酷く、醜い物だった。


「ど、どうして、ですか……こんな、こんな――」


「お、おい、出るな――っ」


 動揺しながらも俺は、コンの体を引っ張り茂みの影に隠れる。ゲームでこれに近い状況は何度か体験した事があった。隠れて様子を伺って、冷静に敵の動きを見て1人1人倒して行くのが基本だが、ゲームとはまるで違う。まず心臓の鼓動、あり得ないくらい早く、そしてハッキリと感じてしまう。動けるとは思えなかった、真面に様子を伺う事すら出来そうになかった。何もせず、逃げるべきだと思いながらも、体を動かせず、その場で息を潜め続ける。

 コンは屈み込んだまま、手と肩を震わせていた。瞳は虚ろで、俺以上に動揺している事は疑い様がなかった。


「皆殺し、か」


「こちらの不手際とは言え、確かに気分の良い物ではないな。だが、本当に全て殺してしまって良かったのか? 目撃者を出さぬためには必要な事ではあるが、この国には自欲不施の法があるのであろう? 国は違えど、土地神の定める法をないがしろにする気はない」


「得ノ国の神鬼、ザクロ殿ともあろう方が随分とお優しい事を言う。――所詮は名すらも知らない小さな村。我が気に留める事も無い。我が連れて来た部下もこの程度の事態で騒いだりはせぬ。自欲不施……我も、我の部下も誰もが立場が逆となり、同じ事をされても嫌だとは思わぬ、むしろ当然だと思っている」


 すぐ近くから声が聞こえて来て、俺は何も考えないまま、茂みの影から声が聞こえて来た方に視線を向ける。そんな俺の瞳に真っ先に移り込んだのは、コンに因縁を付けて来ていた赤鬼の姿だった。赤鬼は刺し傷、切り傷、火傷痕で全身ボロボロだった。


「どうして! こんな――、こんな事を! 牛魔様!!! 何故!!!」


 必死の形相で叫ぶ赤鬼の視線の先には牛魔が立っており、燃える村を冷たい眼差しで見下ろしていた。そして彼の隣には森で見た人馬、しかし彼らとは少し違いその人物は、腰まで伸びたうねりを帯びた長く赤い髪、深紅の鎧を身に纏い、腰には体程大きな長槍を携えた、明らかに只者ではなさそうな雰囲気を纏っていた。


「ほう、少しは腕に覚えのある妖魔も居る様であるな」


 ニヤリと笑みを浮かべ槍を構えようとしたその妖魔を牛魔は腕の伸ばし、制止する。


「この国は遅かれ早かれ消えてなくなるのだ。貴様、我に付かないか? 共にこの国を捨て得ノ国に行くつもりはないか? 歓迎するぞ」


「ふざけるな!!! 良くも、あいつらを、俺の仲間を、俺の妖獣を……こんな事をするって事は! されても文句はいわないよなあぁぁああああああ!!!」


 赤鬼は棍棒を振り上げ、牛魔に向かって走る。その手に持つ棍棒を振り下ろし、致命的な一撃を与える為に……。しかし、彼が牛魔に辿り着く事はなかった。彼は、唐突現れた巨大な塊に呑まれて消えてしまう。その巨大な塊は昼間見た例の大蛇だった。


「ふん。むろんこの国に住まう者として我の仲間、我の妖獣、我自身が殺されても何の文句もない。だが態々殺される義理もないがな。……聞かねばならぬが、ザクロ殿、何故到着が早まったのだ? 村人の大多数を明日には我が引き剥がして置くと伝えたはずだが、さすれば、こうして戦に使う時間も短縮出来たはずだ」


 牛魔は自分の影に潜るオロチを一瞥した後、ザクロと呼ばれた、人馬に視線を向ける。


「斥候に出していた3人が何者かに殺された。『義に生きよ』それが我らの国の法。仲間の死に闘志を燃やす部下を止める事が出来なかった。妖獣の仕業だと推測して森を捜し回っている内に村に出てしまい、後は知っての通り、目撃された以上、拙者達がする事は1つ」


 ザクロは憤りを隠しもせず腰の槍を引き抜き、石突の部分を力強く地面に突き立てる。牛魔は目を見開き、驚きを隠せない様子で口を開く。


「な!? 人馬を3人も倒しただと。その様な妖獣がこの森に潜んで居ようとは……確かに国境近く森、何が居ても可笑しくはないが、しかしそれ程の妖獣となると位は竹……いや、松か」


「松だ。骨すらも断ち切る過剰なまでの攻撃で、兵は肉片になっていた。そいつは眼浪もついでと言わんばかりに肉片に変えている。力だけでなく鋭さ、そして速さを兼ね備えている。あれ程の事が出来る妖獣は拙者の国でもそうはいない」


 オロチとザクロの元に若い白髪の人馬が掛けて来る。彼はザクロの正面で、居住まいを正し、剣を鞘から少し抜き、カチリと大きな金属音を鳴らして仕舞う。


「ザクロ様、村人の殲滅及び、村の制圧が完了しました。現在は陣を引く準備に取り掛かっています!」


「うむ、カガミ、報告ご苦労である。私達は義に生きなければならぬ、この地での出来事、義によって報いる為、必ず此度の作戦は成功させねばならぬ、良いな」


「は!」


 カガミと呼ばれた若い人馬は剣を鞘から少し抜き、またカチリと大きな金属音を鳴らして剣を鞘に仕舞うのだった。


「ザクロ殿、天命の日、この国がなくなった時、くれぐれも我の事は……」


「承知。得ノ国の神鬼に成れる様に土地神様に取りなしてやる。とは言った物のこの国の土地神が居なくなったと言う事が誠でなければ、この約束になんの効力も持ち合わせてない事を努々忘れるな」


「半年前から、この国の霊脈は目に見えて乱れ始めたのだ。各地の村は地形の大きな変化で被害を受け、中には消滅してしまう村まで存在する。森の増幅、液状化、大穴、これは始まりに過ぎない、更に異変は国中に広がるだろう」


「確かにここ数ヶ月はこの国からの難民が多く得ノ国にも来ている」


 牛魔は何処までも深刻な表情を作りながら口を開く。


「……天命の日を迎えた時、多い程度では済まなくなる。この国の消滅が決定するのだ」


「しかし、中央には天命の日に向けて土地神の候補者が集められていると聞く。土地神は、現土地神による指名制。土地神が居ないと言う貴殿の話しが誠なら、候補者を集めても何の意味も――」


「ああ、ない。ないが、こうして隣国への牽制となる。土地神が居なくなった事が明るみになれば、霊脈を狙われ攻め込まれる事は明白であるからな。路肋ろろくのやりそうな事だ。土地神が居ないと明るみになればこの国は秩序を失い、崩壊する。霊脈を狙われ、南と北の隣国からも侵攻を受け、泥沼の酷い戦場と化すだろう」


「うむ、今や霊脈は国の資源。この地の霊脈が暴走し、踏み入れる事すら出来ぬ場所になる前に、他の国々も霊脈の力を少しでも多く確保しようとするであろう。そこで起こる衝突は、酷い物となるであろう」


「私はこの国の土地神を良く知っている。だからこそ、我は確信を持つ事となったのだ。あの方なら民に被害を出す様な事はしない。自身が霊脈の調整が出来ない状況になれば、天命の日を待たずして次の土地神を指名する。それすらもしないと言う事は……考えられるのは1つ。この国の土地神は……消えた。土地神がいなくなった国に未来はない。消え去る国に未練などはない」


「確かにここの土地神は優しい事で有名だったな。得ノ国では腑抜けと言われていたが」


「我が身抓って人の痛さを知れ。確かに立派な考えだが、民から税を搾り取らずして国の発展等あり得ない、現在もこの様な貧相な村で溢れかえっているのは、この国だけ。これらは全て土地神の方針の責任。その上、国を見捨てて消える等、我は愛想が尽きたのだ」


「それが、貴様がこの国を売る事を決めた動機か」


「自分の地位の為に土地神を裏切る私を軽蔑するか?」


「……いや、この国の現状を考えれば、貴様の行動は『義』と言える。だから我々の土地神様は貴様の提案を受け入れた。我らが霊脈を真っ先に確保すれば、態々他の国の土地神は、この国に手を出す事もないだろう。国は戦火を逃れ、滅びるまでの間に民は別の国へと避難出来る。得ノ国も、霊脈を貰う義として、この国の民を多く受け入れる準備を進めている」


 2人の良く分からない会話を聞いていると、唐突に真横から大きな声が聞こえて来て、思わず尻餅を着いてしまう。


「嘘です!!! 土地神様が……土地神様が居なくなったなんて嘘です!!! そんな、何でそんな事、そんな嘘を吐くんですか!!!」


「まだ生き残りが居たか……」


 ザクロはコンと俺の姿を見て、槍を構えるが、すぐにその構えを解く。まるで相手にもならないと言わんばかりの態度だった。彼の隣で牛魔は腕を組みながらコンの事を真っ直ぐと睨み付ける。


「妖狐にだけは嘘つき呼ばわりされたくはない。この国から土地神は消えた。これは紛れもない事実だ。霊脈の乱れと共に、いずれこの国は妖魔も妖獣も住める場所ではなくなる。この国は文字通り消えてなくなるのだ」


「そんな、そんな事、土地神様が居なくなる事なんてありえません!!! ……こんな、こんな酷い事をして、自分の地位の為に国を売るなんて、いくらお優しい土地神様でも黙っていませんよ!!!」


 牛魔はまるで虚勢で吠え続ける犬を見る様な冷たい眼差しをコンに向ける。


「存在しない土地神を恐れる必要が何処にあると言うのだ」


「土地神様は居ます! 今も私達を見守ってくれています! この先も、ずっと、ずっと!」


「我は滅びる国を有効活用しているだけである。滅びる国の霊脈の力を渡すだけで土地に街を貰えるのだからな。いずれ多くの民がこの国を出る事になる。我は、その時に受け皿になろうと言うのだ。感謝こそされ、責められる結われはない!」


「そいつらも食らって良いのかい?」


 牛魔の影からオロチが顔だけを覗かせる。首を縦に動かす牛魔より早く俺は動いていた。只々逃げる事だけを考え、その為だけに行動していた。コンの手を取り、必死に走る。森の奥へ奥へと走り続ける。しかし、牛魔より早く動いたのは俺だけではなかった。彼らの横に控えていたカガミと呼ばれた人馬も行動を開始していた。


「神鬼である牛魔様の手を煩わせる必要はありません。ここは私にお任せを……プカラ!」


 カガミが笛を吹くと同時に上空からヘリコプター2台分はある大きな鳥の化け物が俺達を目掛けて追い掛けて来る。

 滑空して来た化け物鳥の鋭い爪に捉えられそうになり、俺はコンと共に森の中にダイブする様に逃げる。その巨大な鳥は、巨体が災いし、森の中に入れず、上空へと飛び上がる。


「く、小癪な! 上空からの探索! 打って出る!」


「待て、カガミ! 見た所妖獣すらも従えていない妖魔。その上、片方はこの国でも信用を持たない妖狐と来た。目撃者には違いないが態々捜索隊を出すまでもないと考えるが、牛魔殿はどう見る?」


「後顧の憂い残すべきではない。僅かであっても不安要素は排除する必要がある。始末するべきだ。でなければ村人を殲滅までした意味がないのではないか、ザクロ殿」


「まさか、得ノ国出身でもない貴殿に諭されるとは。我らが何の為に無関係なか弱き者を手に掛けたか、義は果たされなければならぬ。義の為、彼らには消えて貰うしかない様だ」


「し、神鬼であるザクロ様自ら動かれるおつもりですか!」


「森に逃げた所で私のワイバーンから逃れる事は出来ぬ」


 森を走っている最中、高らかな笛の音が聞こえて来たと思った瞬間だった。上空からドラゴンにも見える異形の影が、弾丸の様にこちらに迫って来る。必死に走り続けるが、その弾丸は真っ直ぐ俺達に向かって落下して来る。


「くっ――、クソ」


 その弾丸から逃れようと必死に走っている最中、草履が脱げ、その拍子に俺はバランスを崩してコン共々倒れてしまう。地面にコンと共に横たわりながら終わったと思った瞬間だった。俺達の進行方向の先に上空から先程の弾丸が着弾し、爆風と共に、周囲の木々をなぎ倒す。俺達は成す術もなくその爆風に巻き込まれ吹き飛ばされる。

その空の王者と言うべき黒き存在は、周囲を見渡し、俺達の姿が見えない事を確認すると飛び上がり、瞬く間に上空に彼方に消えて行く。

如何やら、今ので死んだと思われたらしい。転んだおかげで死んだと思ったが、逆に助かったらしい。森の中でホッと息を吐く俺を余所に、コンは慌てた様子で俺の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせる。


「は、早く逃げますよ! すぐにここを離れないといけません! 捜しに来るかも知れません!」


「あ、ああ」


 俺は靴下を脱ぎ、草履を素早く履き直しながらコンと共に駆け出す。

お互い必死だった。必死に逃げ続けた。森の中を何処までも逃げ続けるのだった。

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