1-6 Complex Discord
一方的な迫害。澪は、最愛の少年が言ったその言葉が、ケープ型コートの内側で背筋を凍て付かせるのを感じた。そして、詩応の様子も気になっていた。
流雫が弥陀ヶ原と話し終わったと同時に、詩応は流雫に詰め寄った。しかし今は、その少年の言葉に返す言葉を見つけられない。
太陽騎士団と血の旅団……そしてノエル・ド・アンフェル。反応した言葉はその3つ。それが意味するのは。
澪は恐る恐る問うた。人のプライバシーに踏み入る感覚に、踏み留まろうと思ったが、しかしもう引き返すことはできない。
「詩応さん……もしかして、太陽騎士団の……」
その言葉に、詩応は
「……そうだよ。アタシは、太陽騎士団の信者。アタシだけじゃない、一家揃って」
と答えた。そして、流雫はやはりだと思った。もし全くの無関係なら、ここまで詰め寄ってこない。
流雫自身、推理……の真似事だと思っているのは、全てが妄想止まりであってほしいからだ。だが、彼女はそう思っていなかった。何より、流雫の言葉に信憑性が有る。
ノエル・ド・アンフェルに遭遇した、と流雫は言った。まさか……。詩応は問うた。
「アンタも……太陽騎士団の?」
「僕は……無宗教。ノエル・ド・アンフェルは、偶然遭遇しただけ」
と流雫は答え、一瞬迷ったが続けた。
「……河月の太陽騎士団の教会爆破事件で、通ってた学校も被爆した」
その言葉に、詩応は固まった。……一度ならず二度までも。一言で言えば不運だ。否、生きているからまだ救われているか。
「あの教会が、太陽騎士団のものだったのは最近知ったんだけど」
と流雫が言うと、澪は
「……あたしは、流雫から聞かされるまで、太陽騎士団も何も知らなかった……。でも、テロなんて手段は……」
と言いながら、険しい目付きを詩応に向けた。
刑事の父と元警察官の母の間に生まれたからか、澪の正義感は人一倍強い。特に流雫のかつての恋人を殺し、殆ど話さなかったとは云え同級生を殺したトーキョーアタックやトーキョーゲートに対しての執念は、時折父も呆れるほどだった。
ただ、全ては自分が生き延びるため、そして流雫を殺されないため。時々正義感が暴走する時も有る、しかしそれも含めて澪の強さでもあり、そして弱さでもあった。
「……アンタたちが此処にいるのも、アタシがアンタたちと出逢ったのも、ソレイエドールの導きなのかも」
と詩応は言った。澪はそれに
「詩応さんがそう思うのなら、そうかもですね」
と言って微笑む。その隣で流雫は
「導き、か……」
と呟いた。
ソレイエドールの導き。それは太陽騎士団の基本理念の一つでもある。この出逢いも、そうなのだろう。
……しかし、全てが女神の導きだとするのなら、僕がフランスを離れることになったこと、美桜と出逢って、そして失ったことすら、導きになるのか。だとすると、残酷にも程が有る。
……美桜が死ななければ、澪と出逢うことは無かった。ただ、人の死を目の当たりにし、絶望の深淵に叩き付けられることは無かっただろう。
それと同時に、詩応は敬虔な信者だと思った。終末論を唱えながらも、基本的には社会活動による功徳の積み重ねを美徳としている太陽騎士団らしい。相容れないのは、僕の弱さ故のものだと判っている。
……渋谷のあの件も、どうしようもなかったこと。そう思えれば楽なのに、思ってはいけないと思う僕もそこにいた。……同時に思うことが多く、意識がそっちに引っ張られる。
「……流雫?」
と澪が呼ぶ。
「あ……」
とだけ声を上げた流雫は、ふと我に返る。最愛の少年が何を思っているのか、澪には判っていた。
「流雫、何処行く?」
と澪は問い、引っ張られる彼の意識を引き摺り戻した。
……正直、名古屋港水族館は候補に入れてあるが、それ以外は全くのノープランだ。
ただ、正直それさえも億劫に思えてきた。最終日は全てがノープランだから、今日のところは近場をゆっくり回って、水族館は最終日に回してもいい。
「この近くを回ってみたいかな」
と流雫は言った。
「じゃあ、大須かな。歩くけどいい?」
と詩応は問う。2人は頷いた。
……波乱に満ちた初日の午前中が終わった。あと2日半、しっかり楽しむ。そのことだけに、意識を全振りするだけだ。
栄から歩いて40分ほどの界隈、大須。西端の大須観音のお膝元で、商店街が並んでいる。大都市のほぼ中心部だからか、地方で問題視されているシャッター商店街とは真逆の賑わいぶりを見せている。
……歩いている間に交わした会話の流れで、明日も詩応が2人をガイドすることになった。当初の予定通り2人きりになるのは最終日だけ。それは或る意味誤算だったが、澪は彼女の存在を有り難がっていた。
誰とでも仲よくなることができるのは、流雫には無い澪の才能だ。現に、河月のアウトレットで偶然出会した流雫の同級生、笹平と連絡先を交換し、今でも時々他愛ないことで遣り取りをしている。
……僕には到底無理なことだ、と流雫は思っていた。羨ましくはないが、ただあと一歩をあの時踏み出せていれば……澪と出逢うことは無かったが、美桜は死ななくて済んだのではないのか……と思うと、自分自身に苛立ちを覚える。
そう思いながら歩いていると、商店街のアーケードの終点に着いた。目の前は大須観音。折角だからと、参拝することにした。
外の大きな階段を上がった先で、隣同士に並んだ流雫と澪。2人が願うのは、やはり互いに無事に生き延びることだった。元日もそうだったが、あまりにも夢が無い。ただ、例えば来年の大学受験の合格祈願も、大学受験を安心して受けられるだけの平和が無ければ始まらない。
その平和を享受するためにも、先ずは生き延びなければ。その最低限の願いを叶えるところから……それが今の日本の現実だった。
詩応は階下に留まり、スマートフォンを耳に当てている。
「今日明日は、東京からの2人について回る」
「東京からの?」
「渋谷で、殺されたアネキに駆け寄ってきた2人」
「また凄い偶然……。何処で?」
「タワーで偶然。……敵じゃないと思うが、何かね……特にあの流雫って男子の方」
「ルナ……?」
「フランス人との混血らしい。……夕方、会える?」
「ええよ。名駅でよきゃあ?」
「ああ。時間はまた言う。じゃあ」
誰かとの通話の最後でそう言った詩応は、スマートフォンを小さなバックパックに入れる。それと同時に2人が戻ってきた。
ランチタイムもそろそろ終わる、しかし近くの飲食店は混んでいる。こう云う時は買い食いするのも有りだ、と詩応は思い、提案してみる。2人は首を縦に振った。
定番の名物に有り付けるワケではないが、旅行先でそう云うのも悪くない。逆に名物三昧にしようとすると、店を探して駆けずり回って……となって楽しめなくなると、それこそ本末転倒と云うやつだ。
商店街を歩いて気になったものを手に入れ、少し外れた公園の隅のベンチに座る3人。ケバブを頬張る流雫と澪を見つめる詩応は、1人だけ選んだ辛口ソースのケバブを手に、先刻の通話を思い出していた。
……話していた相手は、高校の後輩で恋人。女子同士だが、彼ポジションは言わずもがな。彼女から掛かってきたが、それは名駅で起きた事件の被害者が病院で死亡したと云う一報だった。そして、太陽騎士団の地域幹部でもあった。
太陽騎士団の日本支部は東京に有るが、それは東日本、中日本、西日本の地域支部を取り纏めるだけの存在だ。そして、それぞれの拠点は仙台、名古屋、福岡。その中日本支部の幹部が殺害された。
流雫が拾ったゴールドのネックレスは、その幹部の証。ただ、その八芒星が目に付いただけで狙われたとしても、やはり自爆と云う結末が引っ掛かる。以前から監視、追跡されていたとしか思えない。そして、然るべきタイミングで……。
「詩応さん?」
と澪が名を呼ぶ。詩応は顔を上げ
「え?」
と声を上げる。澪は、少しだけ迷った後で
「……流雫のこと、苦手でしょう?」
と問う。流雫は、ジュースが欲しくなって近くのジューススタンドに並んでいる。今なら、2人きりでいられる。今、話を切り出すしかなかった。
意外な言葉に、詩応は
「……澪?」
と言いながら、怪訝な目で澪を見つめた。
「……流雫は……何度もテロと戦ってきて、撃たれたことだって有って……」
と、澪は目を細めながら言う。
……2ヶ月前、流雫の地元河月のアウトレットで、流雫は澪の目の前で太腿を撃たれた。パニックで泣き叫ぶ澪は、しかし激痛と戦いながら犯人の足を狙った流雫が切り拓いた勝機を逃さず、犯人を仕留めた。
それでも、澪は流雫が撃たれたことに泣き叫び、流雫は澪を泣かせたことに罪悪感を抱えていた。悪夢、それ以外に形容できる言葉が見つからない1日だった。
「……誰にも死んでほしくなくて、誰にも泣いてほしくなくて……。でも、それができなくて苦しんでいて……」
と言った東京の女子高生に、詩応は
「……苦手だな」
と言い、続けた。
「……アネキが死んだことは、やはり悲しい。地獄に突き落とされる感じだった。だけど、吹っ切って生きるしかない。流雫は勝手に、アネキの死を抱えてるだけだ」
その言葉に、澪は思わず唇を噛む。
……人の死を経験したことが無い澪には、何も言えない。しかし、詩応が言いたいことは判るし、流雫が人の死に思っていることだって判る。
人それぞれの答えが有る中で、流雫と詩応は正反対で相容れない。それだけの話だ。……そうは判っていると思いたい、しかし。
「……あたしは、流雫の味方でいたい……」
澪は言った。無意識だった。
「流雫には、何も言わず受け止めてあげられる人が必要で、だからあたしは流雫の力になりたいんです……。流雫には、あたししかいないから……」
正直、詩応が流雫を苦手に思っていることは、タワーの下にいる時から判っていた。だから、今自分が出しゃばっていると云う自覚は有ったが、止められなかった。
「澪……」
と、悲壮感を浮かべる少女の名を呼んだ詩応に、澪は言った。
「詩応さんが言いたいこと、流雫も判ってると思います。でも、流雫はどうしても……」
「……他人に優しく、でも自分には厳しい……それが行き過ぎてる」
と言った詩応の言葉に
「そして裏目に出る時が有る……」
と澪が被せた。それは自分も、なのだが……それは彼女にはバレていないらしい。
「はぁ……かなり並んだ……」
と溜め息交じりの声がした。流雫が戻ってきた。紙製の4人用カップホルダーを両手に持っていて、それには3人分のジュースが差されている。
「適当に選んだけど…澪と伏見さんから選んで?僕は残りで」
と言った。
そう、流雫はこう云う少年でもある。……宇奈月流雫と云う少年のことが判るようになるには、やはり時間が掛かるか。
詩応は軽く溜め息をついて礼を言い、コーラを手にした。
小腹を満たした3人は、商店街を歩いて回る。観光客と地元の買い物客が混ざる通りの賑やかさに軽く圧倒される流雫と澪。めぼしいものこそ無かったが、1周歩いて回るだけでも楽しい。
名古屋は観光地に乏しいと言われるが、他の街に比べて少ない程度であって、地元と違うだけで楽しい。それが流雫の今までの感想だった。
商店街を1周して大須観音に戻ると、3人は地下鉄に乗ることにした。関東からの2人は名駅のコインロッカースーツケースを引き取らなければならず、地元名古屋の1人は名駅で人と会う。
明日も会うことになるから、と澪と詩応はメッセンジャーアプリの連絡先を交換した。流雫はそれに混ざらなかったが、それは詩応だからではなく、3回だけ会った澪の同級生に対してもそうだった。
彼の連絡先リストに、同じ学校の生徒を含めた同世代は澪しかいない。学校でほぼ唯一言葉を交わす笹平でさえ、直接の連絡手段を持っていない。正確には、流雫が意図的に消したのだが。
ただ、澪がいるから別に困らない……とは思っていたし、詩応も迫ってこなかった。
「じゃあ……10時にセントラルパークスで」
と詩応は言い、金時計の前で3人は別れた。流雫と澪は地下鉄で栄まで戻る。
その背中を見ていると
「伏見先輩っ!」
と後ろから呼ぶ声がする。名字で呼ばれた詩応は振り向き、ダーク寄りのシルバーヘアをポニーテールにし、ブラウンのパーカーを羽織った少女が其処にいた。
「真……2人の時は詩応でいいと」
そう言った詩応に、真と呼ばれた少女は
「学校のクセで」
と言って笑った。