5-9 Requiem For The Devil
4人が連行された臨海署は、3人は女子宿直用のシャワー室へ案内された。流雫も男子用を案内されたが、代わりにバスタオルだけ受け取ると最上階の休憩室の端で、服の上からタオルを押し当てながらスマートフォンを耳に当てる。市街地コースとして閉鎖されたエリアに乗り付けた車に乗せられる直前、
「流石だ」
と返事が届いたからだ。身体を温めるより、大事なことが有る。
「よくやった」
スピーカーからの第一声に
「サンキュ、アルスもアリシアも」
と答える流雫。
「全員無事か?」
「うん。怪我もしてない」
そう答えた流雫に、アルスは
「……お前はヒーロー扱いされることを好まないのは知っているが……、お前はヒーローだ。お前だけじゃない、ミオやシノも」
と言った。流雫は
「……だと思う」
と返す。珍しく否定しなかったが、それは澪や詩応の名が入っていたからだ。無論、アルスも判っている。2人がいたからこそ、僕は戦えた……流雫はよくも悪くも、そう口にする人間だと。
「今日だけは甘えろ?」
と言って戯けたアルスに
「……今日だけは、そうするよ。でも、アルスもアリシアもヒーローだからね。僕にとっての」
と答えた少年は、乾いたハズの瞳にまた冷たさを感じる。
思わず、紙コップに入ったコーヒーでごまかすと、弥陀ヶ原が近寄ってくるのが判る。また、別の……しかし誰も死なない、時間が長いだけの戦いが待っている。だがその前に、知りたいことが有る。
「あ、アルス。最後に一つ、教えてほしいんだ」
と流雫は言った。
アルスのスマートフォンが短く鳴ったのは、1組のカップルがレンヌの教会に着いてすぐのことだった。礼拝堂に入るなり目にした
「やったよ」
とフランス語で書かれたメッセージに、ブロンドヘアの少年は大きな溜め息をつき
「ルナがやった。無事だ」
と恋人に言いながら、
「流石だ」
と送る。それと同時に、
「戦いも、終わったわね……」
とアリシアは言葉を返した。旭鷲教会が仕掛けた宗教テロと云う戦いが、ついに終わった。
その余韻に浸っていると、今度はスマートフォンが長く鳴る。アルスは最初の声から弾んでいた。その会話の様子は、赤毛の少女にとって微笑ましい。
その最後に、アルスが長い言葉をゆっくりとした口調で唱える。
「判らなくなった時は、言ってこいよ」
と言って通話を切った恋人に、アリシアは言った。
「最後のって……」
「ああ。ルナらしいよな」
とアルスは答える。ただ、唯一惜しむとするなら、自分でなくシノに問えばよかったのに。恐らく、思い立ったのが自分との通話中だったからか。
司祭が礼拝堂に入ると、アルスは
「日本の争いは、終わったようです」
とだけ伝える。ニュース速報でも未だ届いていない、最速の情報だ。
「そうか……それはよかった」
と答えた司祭に、アリシアは
「これで、この国の脅威は一つ消えましたね」
と被せる。
「ああ。少しずつ平和が戻ってほしいものだ。この国だけじゃない、あの国にも、そして世界にも」
と司祭は言い返し、奥へ消えていくと同時に礼拝堂に信者が入ってくる。何時もと変わらない土曜日の朝だ。
アルスは礼拝堂を後にし、アリシアもそれに続く。
「賑やかは苦手だからな、一旦出るか」
そう言った恋人に、アリシアは微笑んだ。彼なりに、平和が戻ってきたことを実感したい、それが判っていたからだ。
6人が集まる取調室は、一言で言えば狭苦しい。
「……大変だったな」
ベテラン刑事の一言で始まった取調は、事件の規模が規模だけに、今日明日と2日間掛けての耐久戦になることが、既に決まっていた。
……真は、2日前に教会で話を聞いていた。この7月中に、何かが起きるのではないかと。フランス革命に擬えた動きが日本で起きても不思議ではなかった。そして、起きるとすれば東京。だから東京へ向かうことにした。
先輩で恋人の女子高生は呆れたが、しかし3人だけでは足りなかった。真がいたから、1対2が2組として有利に事を運べたと思っている。そして、それは流雫も澪も同じだった。
レースを妨害したコンテナトラックは盗難車だったが、南岸の埋立処分場で乗り捨てられた。火を放たれ、全焼している。単に臨海副都心を撹乱する目的だったと思われている。
警察に立ち向かった唐津の私設軍隊は、流雫たちの決着がつく直前に鎮圧された。大きな被害が双方、そして人質となった数万人にも出ること無く終結した。
詩応と真が取り押さえた首相は、刑事に逮捕されるまで藻掻いていたが最後は呆気なかった。今は近くの病院で、真が撃った1発の銃弾の摘出手術が行われている。流雫や澪と同じ小口径の銃は、威力が弱いために銃弾が貫通せず体内に残りやすいと云う、もう一つの特徴が有る。だから、或る意味で厄介なのだ。
そして、その隣の部屋では大怪我をした男の処置が行われていた。
暴発は、秋葉原で澪が戦った相手がそうだったように、密造した違法銃と違法銃弾そのものに起因するものだった。生産時の精度に問題が有ることが、河月で押収した銃を細かく調査した結果判明している。更には、銃弾も火薬を規定より多く装填していたため、内部の部品が爆発のエネルギーに耐えられず変形し、弾が詰まった可能性が有力だった。それでも、暴発の確率自体は低いが。
最も手っ取り早い武力化、その答えが大量の密造だった。その結末は、その最終決定を下した唐津にとっては最大の皮肉でしかなかった。
澪は、3週間近く前に秋葉原で遭遇したあの事件を思い出していた。だから、血相を変えて唐津に駆け寄った。流雫と同じで、この黒幕には死なれてほしくなかったからだ。
生きて、今までの事件について全て話すことで、何もかも明るみになってほしかった。日本乗っ取りを狙った総司祭しか、知らないことは多いハズだからだ。
しかし、秋葉原で見たことがフラッシュバックする。それとの戦いを強いられながら、澪は椅子に座る女子高生3人の端でただ俯いていた。
唯一立った流雫は壁に寄り掛かり、目を閉じている。トップバッターだった真の供述を聞きながら、今までのことを思い返していた。
……この2年近く、トーキョーアタック、トーキョーゲートと云う亡霊に付き纏われてきた。しかも、その結末をこの目で見届けることになるとは。
今まで遭遇して戦ってきたテロで、その結末に後味が悪くないものなど無い。流雫が護りたい人全員が死なないことは、今まで大町と詩応の姉を除いて達成してきたが、あくまで最初の条件でしかないのだ。そして、全てが終わった今の後味は、寧ろ最悪だった。
……戦いは終わった。だが、あのテロの脅威への恐怖、張り詰める緊張感、イチかバチか賭けるしかない悲壮感、そして銃の音と反動……死ぬまで、脳から消え去ることは無いだろう。ただ、二度と銃を持たなくて済む……そう願うばかりだ。
澪は時折、後ろを振り返る。微動だにしない恋人が、何を思っているのかは判っている、と思いたい。
日没を迎えた頃、最後に回された流雫の取調も終わった。真は、どうやら詩応の1人部屋に転がり込むらしい。教会の担当も、臨海署から話を聞いていたらしく、経緯が経緯だけに特別だと言っていたようだ。
帰り間際、流雫はあのペデストリアンデッキに行きたいと言った。総司祭に銃口を向けたあの場所に。3人はついていくことにした。
空には晴れ間が戻っていた。しかし、あのゲリラ雷雨の痕跡は、未だ残っている。しかしその雨に流されたのか、階段の血痕が残っていないことは幸いだった。
「……此処かな」
そう呟いた少年は、スマートフォンを鳴らした。
「……やっぱり頼む」
そう言った少年に、礼拝堂に戻っていたアルスは
「ああ。何時でもいいぞ」
と答える。信者ではない自分だけより、信者のアルスも交えた方が相応しい、そう思っていた。
流雫はスピーカーフォンモードにし、その場に膝を突く。アルスも礼拝堂の床に膝立ちした。そして、詩応は無意識に、流雫の隣に跪いた。
……そうか、だからこの場所に戻りたかったのか。やはり流雫には敵わない、と思いながら目を閉じた。
我が女神、ルージェエールに願う。クレイガドルアに眠りを。彼は悪から解き放たれた。
我が女神、ソレイエドールに願う。クレイガドルアに眠りを。彼は悪から解き放たれた。
この地から、彼に鎮魂の祈りを捧ぐ。久遠の安寧を与え給え。
この地から、彼に鎮魂の祈りを捧ぐ。久遠の安寧を与え給え。
フランス語と日本語が繰り返される。その様子を、澪と真は後ろから見つめていた。
……日本乗っ取りを阻止する戦い。それは、血の旅団をベースに創設された旭鷲教会、それに私利私欲の踏み台として寄生する人間と云う名の悪から、悪魔クレイガドルアを護る戦いでもあった。これ以上、独裁者にいいように扱われないように。そして悪は、逮捕と云う形でこの地に倒れた。
時を同じくして、連中がフランスで起こそうとしていたテロも、未遂に終わったと聞いている。流雫は漸く、浮かばれてほしかった人々に救済の手が差し伸べられたと思った。そして、何時しか日本乗っ取りの隠れ蓑として使われるようになった、その名にも。
……そして澪は、流雫の救済を願っていた。彼は既に、一生分の怒と哀に苛まれてきた、だから喜楽で満たされてほしかった。
「……サンキュ、アルス」
その言葉に、スマートフォンのスピーカーから
「やっぱり、お前らしいわ」
と言って笑う声が聞こえる。流雫は微笑んでみせた。その表情は、レンヌにいる少年には見えないが、容易に想像がつく。
「……また連絡するよ。じゃ」
そう言って通話を切った流雫は、ブルーとブラックのグラデーションを映すオッドアイの瞳を濡らしていた。
テロとの戦いは終わった。しかし、戦いがもたらした結束は終わらない。これからも続く。普通に遊べる、何でも話せる間柄として。
孤独でも構わない、澪と知り合うまでそう思っていたハズの流雫が無意識に、深層心理で求めていたもの。そして2年近く経った今、美桜がいた頃より笑えている……少年はそう思った。それだけ、流雫が感情を見せるようになったからか。
美桜は羨むだろうか。ただ、同時に
渋谷で別れることにした2組は、最後にハチ公広場に寄った。土曜日の夜とあって相変わらず喧噪に包まれている。
詩応は姉が斃れた場所で手を合わせる。
「終わったよ、詩愛姉」
とだけ言ったボーイッシュな少女と、その隣に立つ恋人の背後で、流雫と澪は慰霊碑に向き合っていた。
「……あたし、一度だけ……美桜さんに逢ったの。夢で……だけど」
そうボブカットの少女は切り出した。
「台風の空港……あの前の日に。……流雫のこと、頼むよ。美桜さん、そう言ってた。そう言ってほしかったから、夢に出てきた……そう思ったりする時も有るけど」
「だからこの前、約束したの。この場所で。流雫を死なせはしないと」
と言ったボブカットの少女は、凜々しい目付きを恋人に向け、そして微笑む。
「……だから、あの時……」
流雫は言った。
あの雨足に掻き消されない声は、今でも耳に残っている。そして、あの言葉が唐津に焦燥感をもたらし、自滅を招いた。暴発と云う結末は、澪にとっては少し強烈だったが、美桜が2人を形振り構わず、とにかく護ろうとしたから起きたことなのか……。と、流雫は数時間経った今になってそう思う。
「うん」
と頷いた澪は
「今日まで、約束は果たせた。流雫を護れた。でも、これで終わったワケじゃない。明日からも、あたしは流雫の力になる。流雫には、あたしがいなきゃね」
と、最後に少しだけ戯けてみせる。流雫は
「だから、僕も澪の力になる」
とだけ言った。悲壮感が潜んでいないことは、そのアンバーとライトブルーのオッドアイの瞳を見ればすぐに判る。
……SNSで知り合って2年近く、流雫は確かに強くなった。頼もしくなっていった。今に満足できない、だから僕は弱いと言い続けていても、自分自身のことだから自覚が無さ過ぎるだけで。それは、澪が誰よりよく知っている。
もし、流雫が迷って歩けなくなったのなら、あたしは流雫の澪標になる。最愛の少年が見上げる、星無き夜空にさえ微かな光の瞬きを見つけられるように。