5-2 Promise Over The Sky
審判の日。日本は朝から殺伐としたムードが漂っていた。河月でも、人が集まる場所では投票を呼び掛けたりだの何だのと、とにかく騒がしい。
ペンションでの資材調達の後に寄ったショッピングモールでも、その集団に遠目ながら遭遇した流雫は、深い溜め息をついた。あと1週間もすれば、澪の誕生日を祝える。それまでは宿題を一気に終わらせつつ、手伝いに没頭する……それで十分だ。
しかし、その予定が大きく変わることになったのは、夕方過ぎの澪から着信だった。ディナーの準備中だった。
「え?4日間!?」
火に掛けたポトフの鍋を見張りながら、流雫は彼女の言葉に思わず問い返す。
今年に入って遭遇した一連の事件への捜査協力を、澪の父親が求めてきた。
金曜日から月曜日までの4日間、全部取調と云うワケではないが、朝早く河月を発ち、帰り着くのは夜と云うのを連日繰り返すよりはマシだろう、と云うことらしい。
その数分後、今度は鐘釣夫妻に澪の父から、エムレイドとしてその旨の連絡が有った。夫妻は快く受け入れた。悉くテロに遭遇しているのを不憫に思う一方、決して屈しない強さの持ち主を、我が子ではないながらも誇りに思う。
しかし、まさか流雫と澪、両方の誕生日をそれぞれの日に祝えるとは、思ってもいなかった。半分遊びではないが、それでも会えるのが嬉しい。
ディナーが終わると、共用リビングのテレビは選挙速報を映し始めた。流雫は後片付けを済ませると、そのまま自分の部屋に戻る。
……気になることはただ一つ。秋葉原の事件の影響が、どう出たかだった。どう転んでも、そのままで終わるワケが無い……。
悶々としながら夏休みの宿題に手を出した流雫のスマートフォンが、ニュース速報の通知を鳴らしたのはそれから1時間後のことだった。
「太陽騎士団系、躍進」
短い見出しが目に止まった流雫は、ペンを置いて画面を開く。
……太陽騎士団と関係が有ると取り沙汰された議員が躍進した一方、旭鷲教会と関係が有るとされた議員は大都市圏を中心に大半が落選したと云うものだった。
秋葉原の事件で、絶対的な勝利を確信したに違いない連中は、しかし欅平千寿が以前話さなかったことを全てを証言したことで、一気に窮地に立たされた。それが、投票日の3日前の話だ。
それから一気に形勢が逆転した。それがこの結果だ。SNSには当然ながら、ターニングポイントとなった売国奴欅平を殺せと云う投稿も飛んでいる。
明日からも安堵できない……と思った流雫のスマートフォンが通知を鳴らした。澪からのメッセージだった。
「これで少しは、落ち着くといいね」
澪は、美桜の父親と会ったことは流雫には話していない。何れは話すことにはなるだろう、しかし今はその時じゃない。
「うん」
とだけ返した流雫は、しかしそうならないことは覚悟していた。そして、澪も。
……秋葉原の青酸ガス事件は、伊万里の落選を受けた報復として引き起こされた。そして、結奈と彩花は軽症ながらも被害に遭った。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
ニュースも明後日ぐらいまでは、選挙関連のことが多く流れるだろう。憂鬱が続く。とにかく今は、数日後に最愛の人に会えることだけを糧に乗り切るだけだ。
一夜明け、朝から秋葉原は騒がしかった。前夜の静まりが幻のように思える。
オタク向けの繁華街方面の話ではなく、旭鷲会と傘下の宗教団体のことだ。2週間前の事件で近くに移転した本部には、朝からメディアが押し寄せていた。
大掛かりな目論見が外れたが、それは皮肉なことに味方に回したハズのメディアが原因だった。
アリシアの父、リシャール・ヴァンデミエールの記事に対し、看過できないと判断した連中が政府を通じて圧力を掛けた。そして、秋葉原の事件ではあくまでも被害者だと声高に叫んだ。
だが、海外からの目は日に日に厳しくなり、更にあの事件がその卑劣さを自ら露呈する結果になった。そして、トドメを刺したのが宗教学者の証言だった。あの証言を大々的に報道したから、証言は出鱈目だと言って封殺することができなかった。
この歴史的惨敗は疑問ですらなく、自然の流れだった、と海外では言われている。
そして、支持者が午前中から支持者が選挙で不正が有った、選挙そのものが陰謀だったと叫んでデモを始めた。今のところ小競り合いだのは特に起きていない。
「去年と同じだな……」
と休憩室の端に座り、アイスコーヒーを飲んでいたベテラン刑事は言う。それに後輩が
「でも、これが結果ですからね……」
と返した。去年、青酸ガス事件の直後に同じ秋葉原で、同じようなデモが起きていた。
ふと見下ろした臨海署の真下、その一角に、数十個もの貨物コンテナが集まっている。その様子を見た常願は
「しかし、此処も此処で騒がしくなるな……」
と言った。
国際ツーリングEV選手権、略称ITEC。その第4ラウンドがこの週末、日本で開かれる。街中を走る電気自動車をベースに製作されたレーシングカーが、公道を封鎖した臨海副都心を走り回るのだ。そして臨海署の目の前の道路も、そのコースの一部になっていた。
エンジン音が皆無だからこそ実現できているが、皮算用ながら国内外から延べ10万人がこの臨海副都心に押し寄せる。そして、テロ専従のエムレイドはそれどころではなく対象外だったが、他の面々は会場の巡回に借り出されるのだ。
その準備が既に始まっていた。明日からは公道の封鎖に向けた作業が始まる。
「ただでさえ、日本は世界に対して負い目が有る。自業自得、自縄自縛と言えば元も子もないが、日本としてはこのイベントで、多少なり汚名を挽回しなければな」
と言った先輩刑事に、弥陀ヶ原は
「俺としては、此処からタダで観戦できるのは有難いことですがね」
と言う。常願も
「決勝の時は、長めの休憩時間といこうか」
と冗談交じりに言った。
秋葉原でのデモは平和裏に終わったが、炎鷲こと唐津の苛立ちは相当なものだった。オンライン配信のみの番組での発言と態度からそれが判る、とSNSへの投稿が相次いでいた。
……予想外の結果、それは有り得ないこと……もとい有り得てはいけないことだった。
年明けから、公算が大きく狂った。その修正のために、新宿で当時の総司祭暗殺を企て、刺客を送り込んだ。しかし、それも暗殺は上手くいったが、狂った。実行犯が逮捕されるとは思わなかった。
そして、フランス発の記事が大きな一撃となっただけでなく、河月に隠していた違法銃もバレた。だから、渋谷と秋葉原で偽旗作戦を起こすしかなかった。
しかし、最悪なことが起きた。秋葉原の事件の結果、有能な手下だった総司祭を生け贄にせざるを得なかったこと、ではない。宗教学者の二度の証言だった。
フランス発の記事の援護射撃をしただけでなく、1週間前に至っては教団の実情を暴露した。流石に私設軍隊のことまでは知られていないようだが、教団にとって、否……唐津自身にとって不都合な真実が、次々と白昼の下に曝された。
……全ては、井上と地元が同じだった伊万里が国会議員になった後、あの生意気な少年に執着したことに始まった、と唐津は思っていた。
あの日本人らしくない見た目に因縁を付けたまでは、未だどうにでもなった。しかし、大町の父親を殺した後、その息子が河月に殴り込んできたことで、形勢は一転した。あの時、何故居合わせた男も殺さなかったのか……それがターニングポイントだった。
そして、空港で面と向かってテロリスト呼ばわりされ、激昂した。挙げ句展望デッキで、男とグルだったセーラー服の少女に撃たれた。
そこで死んでいればよかったが、足を撃たれただけで生きていた。生きて警察に捕まれば、本人の悪行だけでなく、OFAを経由してこっちの方面への飛び火は避けられない。
だから、伊万里の部下兼監視役として送り込んでいた白水に伊万里の殺害と、自らの口封じとして自殺を命じた。クレイガドルアに讃えられるために死を選んだ白水こそ、敬虔な信者だと言えた。
ただ、そもそも男に執着していなければ、そもそも殺そうとする必要は無かっただろうし、深追いした挙げ句このような結末も迎えるようなことすら、無かっただろう。
恩人ではあるが、晩年は臆病者で目の上のタンコブでしかなかった井上を、些か強引だったが排除した。全てを語られれば、何もかもが終わるからだ。
そして、奴が崇めるクレイガドルアの名の下に突き進んできた。しかし、もう少しで手が届きそうだった野望が、今年に入って遠離っていく。
……何が何でも、井上ですら手中に収められなかった地位を手に入れる。そのためにも、炎鷲と云うホーリーネームを名乗る唐津学は、テネイベールに似たオッドアイの少年……と云う悪魔を、必ず排除しなければならない。そして、あの太陽騎士団の敬虔ながら目障りだった女の妹を名乗る奴と、オッドアイの悪魔と一緒にいる女も。
そもそも、旭鷲教会だのクレイガドルアだの、唐津にとってはどうでもいいことだった。使えるものは使う。革命を起こすためには、手段を選ばない。そのために、OFAと伊万里がかつて乗っ取った企業を通じ、銃と弾倉、銃弾を密造させた。
後は、実行に移すだけの話。Xデーは8月1日だと決めていた。しかし、少し予定を早める必要が出てきた。そして東京では、外国人も集まるイベントが有る。名刺代わりに顔を覚えさせようか。
渦中の人物だが、悪名は無名に勝る。しかし、やがて悪名は名誉になる。その時まであと、数日。男の目は、既に勝利を確信している。
「日本も、まだ捨てたものじゃないな」
とアルスは言った。昨日の選挙の話だ。フランス人が鳴らしてきたスマートフォンを耳に当てる流雫は返した。
「少しだけ安心した」
「とは云え、これで一連の事件が解決するワケじゃない。何度も言うが、気を付けろ」
と言ったフランス人に
「うん。判ってる」
と返した流雫は続けて問う。
「隣にアリシアいる?」
「いる。代わるか?」
と問い返しながら、アルスはアリシアにスピーカーフォンモードにしたスマートフォンを渡す。赤いセミロングヘアの少女は問う。
「ルナ、何か有った?」
「サンキュ、アリシア。あの記事が有ったから、一気に事が進んだ」
そう言った流雫に、アリシアは
「何だ、気にすることないわ」
と返し、
「これからがヤマ場よ」
口調を変えた。
「……奴らは宗教団体じゃない。宗教の皮を被ったテロ集団でしかない。アタシたちにとって何よりの害悪。……クレイガドルア……ゲーエイグルも、言ってみれば太陽騎士団が生んだもの。悪魔とは云え、奴らはその名を踏み台にした……」
「連中にとっては、あのクリスマスから始まった悪夢の集大成……と言えるか。本来は俺たちがどうにかすべきだろうが……」
と続けたフランス人2人に、流雫は
「でも、僕だって被害者なんだ。だから、他人事じゃない。……ただ、僕にはミオがいる。だから、何が有っても怖くないよ」
と言って微笑む。顔は見えない、しかしその声に潜む悲壮感を、2人のフランス人は逃さなかった。
「……お前、やっぱり強いわ」
と言ったアルスに、流雫は言った。
「ミオやシノ、それに……アルスやアリシアがいるから、ここまで真実を追えてきた。それだけだよ」
「あのクリスマスから、全てが変わった。でも、あれが起きたから……こうして4人に逢えた。そう思えば……悲しいことは多かったけど、悪いことばかりじゃなかったかな……そう思ってる」
その言葉に、アルスは思わず口角を上げる。
そう、ルナはこう云う奴だ。今大切にしたい人の存在だけで、悲惨な過去さえポジティブに捉えられる。だから、あのタワーでも希望を見失うこと無く、手繰り寄せた。
……あのテネイベールに似たオッドアイの持ち主を敵に回した瞬間、相手から勝利と云う言葉は消える。そのことを、世界で3番目に知り尽くした少年は、何度目かの約束を交わした。
「……お前は絶対に生きろ、ミオもシノもだ」
「約束する。絶対に生きて、アルスやアリシアに会う」
通話を終えた流雫は、少しだけ眠気を感じた。日付はとっくに変わっていた。ベッドに入り、目を閉じる。一瞬だけ、かつて愛した、愛したかった人が見えたような気がした。寂しそうな、でも何処か嬉しそうな表情を湛えながら。