3-2 Key Reference
「何故そこまでする?」
娘の恋人が、仲よくなったばかりのフランス人から渡されたと云う情報を一通り聞いた後で、ベテラン刑事はあくまでも冷静に問うた。
デリカシーの欠片も無い報道だけでなく、オンラインコンテンツ全てに対しても規制が掛かっている。しかし奇怪なのは、日本のネットワークや日本で流通する端末からはアクセスできないと云うこと。そう、まるで日本人に対してトップシークレットであるかのような……。
「……情報統制、検閲……そう云うことまでする理由……。……政府にとっても不都合だから……?」
と流雫が答えると、常願は更に問う。
「不都合?例えばどんな……」
端から見ると物凄く意地悪に見えるが、そこまで問い詰めたいのは、彼の言葉が妄想で片付かないほどの正確性を持っているからだ。
「……判らない。ただ、明るみになった時には……とんでもないことになるぐらいの……」
「政権が吹っ飛ぶだけで済めば御の字。全ての議員を入れ替えても挽回できないほどの何かが裏に有る……」
と、常願が流雫に被せる。……流石に、どんな不都合なのかまでは予想もつかない。ただ、
「トーキョーゲートすら超えるような、大スキャンダル……」
と独り言のように吐き出した澪の言葉が、大雑把ながらも答えだった。
夕陽に赤く染まる白い壁、規則的な電子音。数十時間ぶりに目を覚ました少女の意識が捉えたのはその2つだった。
「……詩応?」
そう言った声に、少女は
「……真……?」
とゆっくり反応した。
……そうか。降りようとした新幹線で、突然首を切られたんだっけ……。一気に気が遠退いて……。このまま死ぬのか、と思いながら。ただ、どうにか生きている。
直前の記憶を甦らせる詩応の隣で、ポニーテールを揺らす少女……真は、ナースコールのボタンを押した。
「名駅で切られたと聞いて、どえりゃあ驚いたでよ……。あれから2日近く経ったがね」
と安堵混じりの声で言った真に続くように、看護師が個室の病室に入ってくる。集中治療室から病室へ移されたのは、1時間前のことだったと聞いた。詳しくは、明日担当医から話が有るらしい。
……首に大きな違和感が有る。生きていることを感じさせるのは皮肉だろうか。
頸動脈を外れていたのが、不幸中の幸いだった。しかし、一時心肺停止状態だったことで、脳障害が残っていないかが、目下の懸念事項らしい。ただ、今のところは変な様子は見られない。
看護師が退室すると、詩応は
「……真……携帯……何処か有る……?……澪に……」
と言った。真は机に置かれた、画面が割れた端末を渡す。
2日ぶりに開いた画面には、2日前の昼過ぎに澪と流雫と3人で撮った写真が浮かび上がる。
……突然、澪によって流雫と2人きりにされた観覧車で、少しだけ彼と話せるようになった。話した結果、相容れないが流雫も必死なのが判る。
最大の武器であるフランスでの交遊関係を駆使してまで、自分をフランスから追い出すきっかけとなった団体の信者と組んでまで、真実を掴みたがっている。全ては、澪やアタシが泣かなくて済むようにと。
その流雫には、澪から連絡が飛ぶハズだ。
「……生きてるよ」
その一言だけを送った詩応のスマートフォンが震えたのは、その10秒後のことだった。……着信。澪らしい……そう思った詩応が通話ボタンを押すと、
「詩応さん……」
と自分の名を呼ぶ澪の声が聞こえる。……震えていた。泣いているのが判る。
「……生きてる……詩応さん生きてる……!」
そう何度も繰り返す澪に詩応は
「……澪と……流雫は……?」
と問う。自分と同じように狙われた……その可能性が気になっていた。澪は
「あたしたちは、特に……」
と答えると、詩応は安堵の表情を浮かべた。2人は狙われていない。詩応にとって、それが何よりの幸いだった。
澪が詩応と通話したのは、臨海署の休憩室でのこと。既に澪の取調は終わっていた。その遣り取りを隣で聞いていた父は、翌朝弥陀ヶ原と名古屋に向かうことを決め、澪からスマートフォンを受け取ると少しだけ詩応と話した。
それが終わると、澪は流雫に詩応が助かったことを伝える。やはり泣いていた。それだけ、詩応が死ななかったことが嬉しかった。
その通話相手は安堵の溜め息をついた。この2日間、気が気でなかったから、これからディナータイムの準備だと云うのに全身の力を失ってベッドに腰を落とす。……恐らく、詩応が助かったことに、澪以上に安堵していた。美桜の時のような悲しみを、誰も抱えなくて済んだ……。
「……ルナ、日本のことで質問が有る」
アルスからの着信に出た流雫に、フランス人の少年はそう切り出した。もうすぐ、日本は日付が変わる。しかし、流雫は気にしない。時差とはそう云うものだからだ。
「……銃を持ち始めたきっかけは何だ?」
「……トーキョーアタック。それから1ヶ月後に、持てるようになったんだ……」
「1ヶ月で?早過ぎるな」
流雫の答えに、質問者は正直な感想を洩らした。
「事件の規模が規模だし、あくまでも特殊武装隊の整備が終わるまでの……って名目だったけど。でも……確かに早過ぎた」
と答えた日本にいる少年に、レンヌから更なる問いをぶつけるアルス。
「早過ぎるってことに、疑問は無かったのか?」
「……有ることは有ったよ。でも、凶悪犯罪が増えてたから、早過ぎることへの疑問なんて後回し。とにかく抑止力が欲しかった……そう云う感じだった」
そう答えた流雫は、そこでふと疑問を抱いた。……何を知りたいのか。
「……何か、引っ掛かるの?」
「アリシアが、何故日本が急速に銃社会化したのか、疑問に思っているらしくてな」
と答えたアルスは続けた。
「俺も同じだが」
確かに、日本の銃社会化は異様なほどに急だった。今思えば、疑問だらけだ。
「……アルス」
と名を呼ばれた少年は返す。
「何だ?」
流雫は一呼吸置いて、言った。
「まさか、旭鷲教会が最も隠したいことが……その銃社会化と関わりが有る、なんてこと……」
「……お前はどう思う?」
「流石に僕の妄想……だと思いたい。だけど、仮にそうだとしても驚かない。予想外のことが起き過ぎて……何か麻痺してるような……」
そう答えた流雫の言葉は、少しだけ遅い。自分の言葉に覚悟を決めている……そう思えた。いや、決めざるを得ない、と言った方が正しいか。
「それが……日本の現実か」
そう言ったアルスは、しかし通話相手の日本人の妄想通りだと思った。
……宗教が政治に寄生して銃社会化。情報統制したいほどに隠したい問題となると、それぐらいの規模が妥当か。
鍵を握るのは、旭鷲教会の母体の政治団体、旭鷲会。規模や勢力は中堅以下でマイナーだが、だからこそ暗躍もできる。そして、傘下の宗教団体を使えば……。
……フランスを愛する人間として、祖国に危害を与える外国人は容赦しない。仮にそれが、流雫だったとしてもだ。
同時に、だから自分が属する団体が、間接的ながら彼を祖国から追い出すような結果を招いたことに対する、罪の意識も持ち合わせている。無論、彼に力を貸したところで清算できるとは思っていないが。
「……もしそれが本当なら、日本は更に厄介なことになる。それでも、お前は日本に残るのか?ルーツはこっちなんだろ?戻ってきたりしないのか?」
「……日本に残る。今はフランスの方が安全だと思ってる。でも、好きな人だっているから……」
「ミオか?」
「澪だけじゃない」
と言葉を被せた流雫の頭に、黒薙や笹平、そして詩応が浮かぶ。相容れない部分は有れど、何だかんだで話すことはできるし、特に詩応とは同じ目的を持っている。
「……死なれては困る人……澪以外にもいるから……」
そう言った流雫に、アルスは問うてみた。
「俺もか……?」
「当然。離れてるけどね。僕がアルスを信じる限り、アルスは僕を信じる……そう思ってる。僕を信じてる人には死なれてほしくないし、僕だって死ぬワケにもいかない」
そう答えた流雫は、はにかみと凜々しさが混ざった表情を浮かべた。音声だけの遣り取りのハズだが、アルスにもそれは想像できる。
「……テロなんかで死ねない」
と流雫は言った。
死ぬことより、人を失うことが怖い。そして何より、暴走した連中のエゴで殺されるなんて、理不尽でしかない。……思い通りにさせるか。
「……やっぱり、お前は強い」
とアルスは言い、口角を上げたがすぐに戻す。
「……旭鷲教会には気を付けろ。今日本で、最も政教を混同している連中だからな。大体、母体と傘下の関係が真逆なのも珍しいが、何より今の立ち位置が、俺らから見ても危険過ぎる」
その言葉に
「……判ってる」
とだけ答えた流雫は、アルスの
「じゃあ、またな」
の言葉を待って通話を切った。
……トーキョーアタックのインパクトが大き過ぎて、誰もがテロへの抑止力として銃を合法化することに疑問を抱かなかった。言ってみれば、政府の傀儡のように。
……其処に、今まで見落としていた真実が有るのなら……。美桜を殺したトーキョーアタックの、本当の真実が隠されていて、それに触れることができるなら。
「……澪、伏見さん……アルス……」
流雫はベッドに身体を預けながら、護りたい3人の名を呟いた。
アルスはスマートフォンを鞄に入れると、雨が降るレンヌの街で赤い傘を揺らす。アリシアとは30分前に教会前で別れたばかりだ。
……トーキョーアタックは、極右の政治家と難民支援団体が起こした、難民排斥の機運醸成のための事件だった。それはフランスでも知られている。
だが、それがもしルナが妄想だと前置きしながら語った通り、銃社会化と関連が有るとすれば。銃社会化のために、トーキョーアタックを起こしたとすれば……隠したいのは当然だ。
……あの日本人が言った通り、今の日本では何が起きても不思議ではない。そして、彼の身に何が起きても。
「……ルージェエールよ、願わくばルナの守護を」
と、アリシアがいるハズの教会で唱えよう。そう思ったアルスは、踵を返した。
次の日の昼休み。流雫は学校用のタブレットと睨めっこを続けていた。と云っても、昼休みまで受験対策に費やしたいワケではない。今はそれよりも、気になることが有った。
……旭鷲会。1972年に結成された政治団体で、スタンスは所謂極右。揺るぎない愛国を土台とし、特にこの数年はインバウンド需要による経済再生を真っ向から非難し、同時に在日外国人の社会的制限と難民の排斥を掲げている。
その一方で、地方を含めて議員を輩出したことは一度も無く、今後もその予定は無い。
……それが、旭鷲会のサイトに書かれていたことだった。
「……何か、同じ臭いがする」
と、流雫は呟いた。
……トーキョーゲートの黒幕、伊万里雅治。あの男も、日本人ファーストを掲げていた。同郷の国会議員が暗殺されたことで地滑り的に国政進出を果たしたが、4ヶ月後の総選挙では落選した。そして、台風の空港で流雫と澪を殺そうとし、澪に撃たれた。
流雫はスマートフォンで、久々に男の名前を検索した。
……大学在学中に旭鷲会に入会し、国会議員の補欠選挙に立候補するのを機に退会した。しかし、その後も旭鷲会的思想を継承した、愛国心に満ち溢れた論客として活躍。日本の悲惨な現状に気付き始めた若者を中心に、舌鋒鋭い志士として支持された。
今でも有志が管理する個人サイトには、そう書かれていた。
……台風の空港で澪に撃たれ、弾丸の摘出手術で都内の病院に入院していた伊万里は、しかし退院の日、白水大和と云う部下に背後から銃撃され、報道陣の目の前で死亡した。そして、白水自身もその場で自殺すると云う、最悪の後味を残した。
ただ、この死によって伊万里が生前の支持者……所謂ネット右翼……から神格化されるようになった。そして、間接的に旭鷲会の支持に波及している。
「……そっか……」
と、流雫は呟いた。
……旭鷲会にいた伊万里は、団体の方針に則り退会し、無所属として出馬した。しかし、あの発言の数々は旭鷲会時代のそれと変わらない。
もし、旭鷲会を支持し、その末に旭鷲教会への入会が有るのだとすれば。そして、教会に入る信者からの寄付の一部を、寄付と云う形で政治団体に回せば。……非課税の教団は重要な資金源、傘下に宗教団体を置く理由も判る。
そして流雫は、昨日自分がフランス人相手に言ったことを思い返していた。
……この連中が銃社会化に関わっている。自ら妄想だと一蹴したが、伊万里と云う男を中心に据えると、妄想とは思えなくなってくる。OFAと旭鷲会、そして旭鷲教会が一気に結びついてくるからだ。
仮に、既存の議員が秘密裏の信者であったとすれば、間接的に旭鷲会は議会に関与することになる。そこで教会との関係が取り沙汰されても、信仰の自由で押し通せる。国会は、保身に走りたがる連中の巣窟だ。
……アルスのことだから、そこまで探っているだろうか。そう思いながら、流雫はスマートフォンのIMEをフランス語に設定した。
東京からの刑事2人を病室に迎え入れた詩応は、一言目に
「……太陽騎士団は……もう終わりだ……」
と呟いた。信者であることに誇りを持っている彼女が、そう口にしたことに2人は一度耳を疑う。
「総司祭に、旭鷲教会のスパイが就いた……」
と言った詩応の言葉を、弥陀ヶ原は手帳に書き留める。その隣で、少女はあのボイスレコーダーアプリのデータを再生した。
「この話……新宿で前総司祭が殺された日の夜に……直接呼び出されたもので……」
「だから2人が君を迎えに行き、流雫くんが君に銃を向けたのか……君を俺たちに保護させるために」
と弥陀ヶ原が言うと、詩応は頷いた。
流雫がクレイガドルアの名を口にしようとして、恋人に取り押さえられた。それは、詩応を追っていた2人の男に、少しばかりの混乱を引き起こさせた。公に知られていないハズの名を知る、正体不明の女子高生ヒットマンがいる、と。
ただ、その数時間後に新幹線で被害に遭うとは思っていなかった。
「……そう云えば、教会で何か渡さたりしなかったかい?」
そう言った弥陀ヶ原に、詩応はふと思い出した。机の上の鞄に手を伸ばそうとすると、弥陀ヶ原が手に取って渡してやる。
詩応が取り出したのは手帳だった。太陽騎士団の手帳で、教団としての活動に特化した1冊。教会の売店で購入できるが、合宿に行けば初日に無料で配布される。それ自体は、太陽騎士団の伝統だった。
「……貸して?」
と言った若めの刑事は、詩応から渡されるとポケットに入れてあった自分の家の鍵を突き刺し、無理矢理引き裂く。
「弥陀ヶ原!?」
と呼んだ先輩刑事は、しかし娘の恋人が言っていたことを思い出した。
「な、何を……」
詩応は突然のことに、何が何だか頭が追い付いていない。
「やっぱりか……!」
そう声を上げた弥陀ヶ原が、手帳の裏に小さなプラスチックカードを見つけ、両手で割る。その断面に基盤が見えた。
「……手帳に仕組んであったのか……」
そう呟く刑事は、詩応にカードを見せた。
「流雫くんの読み通りだ。……忘れ物トラッカー、連中はこれで君を追っていた」
その言葉に、詩応は目を見開き、唇を震わせる。
……臨海署を出た後も、アフロディーテキャッスルで観覧車に乗っていた時も、ブレスレットを手に入れて楽しんでいた時も、全て何処にいるかバレていたことになる。そして品川から新幹線に乗ることすら。
「……完全に、アタシを殺す気で……」
と言った詩応は、動揺を抑えるのに必死だった。……殺さなくても、これ以上姉の死を追うな、と云う牽制か。それも、合宿の初日に既に目を付けられていたとは。……新宿にいることすらも……?
……正直、今の太陽騎士団には恐怖を感じる。姉の死を過去のものとして、前を向いて生きる。そのためには、やはり真実に触れるしかない。我慢することが大人になる術なら、大人になんてならなくていい。
「邪教なのはどっちだ……」
詩応の呟きは、無意識だった。
「……言いたいことは判るが、今は安静にするんだ」
と諭した弥陀ヶ原の隣で常願は、改めて今日の取調の中身を整理する。……教団の乗っ取りには成功した。次の目的は何だ?そして、教団をどうする気だ?
旭鷲教会。今年に入るまで、謎に包まれた小規模のカルト教団と云う感覚でしかなかった。しかし、対太陽騎士団で起きた数々の事件に絡み、警察内部では少しずつ調査が進んでいる。
東京の本部への強制捜査も、3日後の金曜日に決まった。一悶着起きなければいいが。そう思いながら、常願は次の話題を振った。