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Lunatic tears _REBELLION  作者: AYA
act1 Sunlight Girl Moonlight Boy
10/57

1-9 Cleared To Proud

 「流雫!?」

澪の声がイヤフォン越しに聞こえる。マイクが拾った銃声に反応したか、声色には焦りが滲んでいた。

 「僕は無事」

そう流雫が答えると、安堵の溜め息が聞こえてくる。

「今何処なの?」

「展望フロア。今下りてる」

と澪の問いに答えた流雫は、高めのステップ音を響かせ、階段を駆け下りる。暫くは追って来ないのなら、下りもエレベーターを使ってよかったか。

 「やっぱり、犯人の銃にホログラムが無い……」

と澪が言い、流雫は返す。

「今見たのもそうだった。渋谷と同じ……」

 今自分が口にした言葉に、流雫は思わず唇を噛む。

 ……渋谷で撃たれた人の妹が、今恋人と一緒にいる。そして、戦わなければならない犯人が持つのは、渋谷で見たのと同じ、違法扱いとなる銃。ホログラムシールが弾倉に貼られていなければ違法扱い、それは銃を持つための講習会でも教わった。

 弾倉を交換……つまりは銃弾の補填ができないようにするもので、うっかり剥がしてもアウト。銃弾を購入する時に、販売管理の有資格者のみが剥がし、貼り付けることが可能と云う仕組みで、銃の乱用を防ごうとした形だ。

 ……あの事件は、左傾化する日本への警鐘が目的だった、と犯人は供述している。この違法銃が何処かに流通しているのか、若しくは同じグループなのか……。そしてもし後者だとすると、目的は何なのか……。

 「流雫?」

と澪が名を呼ぶ。恐らく、何を思っているかバレているだろう。

「……今は、残る連中を……」

とだけ、自分に言い聞かせるように声に出した流雫は、地上のフロアまで辿り着く。正しくは、地下広場の真上に架かる細いデッキの上だ。

 後は、2人と合流するだけだ。残るのは、1人……。


 「今は、残る連中を……」

イヤフォン越しでもクリアに聞こえたその声に、走りながら頷く澪。その目に、シルバーヘアの少年が見える。

「流雫!?」

と声を上げた少女は、彼が立つデッキに曲がる。

「流雫!!」

と、再度自分の名を呼んだ恋人の名を、流雫は呼び返す。

「澪!」

そして、彼女の後ろから詩応も追ってくる。

「伏見さん!」

「アンタたちが心配で!」

と、詩応は流雫に言いながら目を向ける。それに対して、

 「……サンキュ……」

とだけ答え、微笑んでみせる流雫。

 ……本音は2人に逃げ切ってほしかった。でも、こうなった以上は3人で乗り切るしかない。最も危険な役目は、僕が背負う。……そう、囮になるのは僕だ。

 詩応の姉を救えなかったことへの贖罪……と云うより、少しだけやれるパルクールで敵を撹乱したい。そして隙を突いて2人が……。

 噴水側から走ってきた、ネイビーのスーツを着た例の男が見える。銃口を3人に向け、しかし少し外して引き金を引く。

 銃声と同時に、ガラスの柵が割れる。

「きゃぁっ!」

「なっ!?」

澪と詩応が同時に声を上げる。それが合図だった。


 澪と詩応に

「2人はこれで!」

と言って、今し方自分が下りてきた階段を指す流雫は、角刈り頭の男を遠目から見据えた。それはデッキに足を踏み入れると同時に、小走りを止めて歩きながら、銃口を流雫に向ける。

 「ソレイエドールの傀儡の分際で……!」

と男は、低い声を大きく絞り出して流雫に言った。言った、と云うよりは怒鳴った、が正しい。……ならば。

「これも……創世の女神による試練なのか……」

と、男に聞こえるように呟いた流雫。

 「黙れ!何が創世の女神だ!」

と一喝する声に、少年は

「女神の導きで、久遠の平和の下で過ごせるのなら……死ぬのも悪くないか」

と返した。

 ……詩応が聞けば、唾棄するに違いない。太陽騎士団の信者ではない人間が、あたかも敬虔な信者であるかのように振る舞っているのだから。

 しかし、太陽騎士団を疎んじている連中に対して挑発するには、これしか思い浮かばなかった。そして、問うた。

 「ただ、あの世への手土産に1つだけ知りたい。お前らは、何を崇めている?」

「知る必要も無い」

とだけ答えが返ってくるが、流雫は

「……ソレイエドールでもなければ、ルージェエールでもない。……だとすると、何だ?」

と再度問う。

 「知る前に死ぬんだよ!」

と男が苛立ちを露わにした。引き金に触れた指が震える。流雫は数歩だけ後退りし、

 「やっぱり、怖い……」

とだけ呟いた少年は怯えた表情で、ガラス柵越しに、車椅子用に設けられた緩い勾配のスロープとの立体交差の真上にいることが判る。そして、男が

「崇める神を間違えたことを呪うんだな」

と言った。

 流雫はその瞬間、表情を一変させて右へ身体を向けた。

「ほっ!」

と声を上げて跳び上がり、胸の高さほどの手摺りに片手を突きながら乗ると、そのまま柵を越えて跳ぶ。

「何!?」

予想外のことに、男は慌てて銃口を向ける。

 しかし、その驚きで撃つタイミングが遅れ、先に重力によって落下を始めた流雫を狙った3発の銃弾は、柵のガラスを割っただけだ。

 「くそっ!」

と上階で声が響いた瞬間、流雫は膝を曲げてスロープに着地した。両手を地面に突いた流雫が走り始めると、直前まで彼がいた場所にガラス片が降り注ぐ。

 男は、焦りを抱えて再度銃を構える。逃がすか、と言わんばかりに。しかし、それより早く流雫は、青いタイルのフロアへと今の要領で……但しノーハンドで飛び下りる。上下の移動は、狙われにくくするための、或る意味究極の移動方法……。

 4メートル近くの高さを跳び、その連続の着地で、僅かに流雫の両足は痛みを抱える。ただ、それもごく一時的なものだ。

 昨日同様に、SDGsイベントのテントが並ぶ地下の広場。その端から階段を見ると、男が音を立てて駆け下りるのが目に止まった。

 その最下段の端には、見知った女子高生2人。後は任せるしかないが、望まない事態も有り得る。流雫は近くの……先刻乗っていたエレベーターの陰に潜んだ。何か有れば、何時でも動けるように。


 「やっぱり、怖い……」

その呟きに、澪は思わず不敵な笑みを零した。

 その直前の遣り取りも相俟って、流雫の一芝居には感心するしかない。怖いとは思っているが、簡単に口にしない、それが澪が誰より愛する少年だ。何より、口振りが軽く聞こえる。

 直後に、流雫が目の前のスロープに飛び下りるのが見えた。

「流雫!?」

その様子に驚いたのは、詩応だった。

 ……澪の恋人の武器の一つが、この僅かだが人間離れしたアクション。詩応は渋谷のテロ事件の動画で、彼が動き回るのを見てはいる。しかし、生で見るのは当然ながら初めてだった。

 そして、更に飛び下りようとする流雫から目を逸らし、2人は最下段に着いた。同時に、頭上でガラスが砕ける音がした。ガラス片が降ってくる。詩応は

「澪!」

と名を呼び、セミロングヘアの少女の手を引く。

「詩応さん!」

と声を上げながら、澪が避けた1秒後、鋭利な破片が青いタイルに降り注ぎ、けたたましい音を響かせて更に砕け散った。

 「きゃっ!!」

「くっ!!」

咄嗟に背中を向けて目を閉じ、更に顔を手で覆って目にだけは入らないようにする2人。

 階段の周囲には細かいガラス片が散らばっている。しかし、決着を付けるには其処しか無い。幸いなのは、澪がいた位置よりも1人分前にガラス片が降り、階段の真下には散乱していなかったことだ。

 2人は顔から手を離し、階段の前に戻る。真正面に立ちはだかる詩応、そして階段の死角にしゃがむ澪。ショートヘアの少女は、綺麗なターコイズ色の瞳を、階段を駆け下りてくる男に向ける。

 「お前もグルか!」

そう言って銃を構えた男に、詩応は冷静に銃を構える。……至近距離。どっちかが撃てば、全てが動く。……詩応が撃たなくても、彼女が撃たれること無く、同時に決着を付ける方法は一つしか無い。

 澪は銃のグリップを強く握り締め、その右手の上から反対の手を包む。手首に飾られたブレスレット、そのアクセントになるティアドロップのチャームに流雫の存在を感じた澪は、頷いた。

 タイルに鋭い靴音が響いた。その音に、僅かに男の集中力が切れる。ふと音の主に目を向けようとしたが、既に足下に飛び込まれ……。

 「っ!」

小さい吐息混じりの声、それに被せるように

「がっぁ……!!」

と男は声を上げた。

 澪が全力で振った銃身の角が、脛を捉えていた。

「こっの……!!」

前屈みになった男は、咄嗟に離れた少女を見ろ下しながら銃口を向ける。その瞬間、澪に撃つべき理由が生まれた。

 右膝を突いて両手で構えた澪。小さな銃声が2発……周囲に音が反響する中、ネイビーのスラックスに血が滲む。

「ぐっ……ぁぁ……っ……!!」

苦悶の表情を露わにし、銃を持ったまま両手で太腿を押さえる男は、殺意に満ちた目で睨みながら、その場に崩れ、ついに銃を落とす。

 ……1月だと云うのに、やはり手には汗が滲んでいる。これが、人を撃つと云うこと。テロから生き延びるための最終手段……。

 その光景に流雫は

「澪!」

と声を上げながら、最愛の少女に駆け寄る。咄嗟に走ったから、細かなガラス片を踏んだが気にしなかった。

「流雫……!!」

と顔を上げた澪は、しかし男の目付きの変化を見た。口元は見えないが、笑ったように見える。

 澪は血相を変えて

「逃げて!!」

と叫んだ。その様子に、流雫は

「またか……!」

と呟き、

「伏見さん!こっちに!!」

と叫ぶと同時に、澪の手を引っ張って引き起こした。詩応も、何が何だか判らないが2人の言葉に反応する。

 流雫は咄嗟に、引いた手を離して澪を強く押した。前のめりになった澪の背後に回る。その瞬間、大きな爆発音が地下に響き、数秒前までいた階段が大きく揺れた。

「きゃあっ!!」

「くっ!!」

2人の女子高生が揃って声を上げる。少し爆風に押された流雫は

「っ!!」

と顔を歪ませつつ耐えた。

 火災報知機が鳴り響き、周囲からも悲鳴と怒号が飛ぶ。しかし、誰も近くの消火栓に走ろうとしなければ、消火器を持ち出そうとしない。目の前で起きた、文字通り目を疑う光景。誰もが発狂しないよう目を背けるばかりだ。

 ……昨日と同じだった。自爆と云う、最悪の結末。

「……何て日だ……!」

と詩応が呟く。その隣で澪は、足に力が入らずその場に崩れ落ちる。

「澪っ……!」

流雫は膝を地面に突き、恋人を抱き寄せる。胸板に顔を埋め、

「流雫……!」

とだけ声に出した澪が、しかし泣いているのが彼には判った。頬を濡らし、それは流雫のシャツのトリコロールに伝って滲む。

 折角の旅行を2日間も台無しにされたから、じゃない。銃を撃ったことへの恐怖……それも有る。テロへの怒り……それも大きい。しかし何よりも、詩応も自分も、そして流雫も生きている……そのことへの安堵が大きかった。

「怖かった……!」

と震える澪に、流雫は何も言わなかった。

 今はただ、言葉にならない感情を受け止めるだけだった。初対面の日、澪が僕にそうしたように。


 「澪!」

「流雫くん!」

異なる声色でそれぞれの名を呼ばれた2人の高校生。どっちも聞き覚えが有る声。澪は視界を滲ませたまま、

「えっ……!?」

と顔を上げ、流雫もそれに続く。そこには、東京からの刑事2人が立っている。中年の男と、若めの男。

「父……!?」

「弥陀ヶ原さん!?」

と2人は呼び返す。

 澪の父……室堂常願。弥陀ヶ原と長年組んでいるベテラン刑事。トーキョーアタック以降、トーキョーゲートの捜査担当になり、そして先日後輩と共にエムレイドに異動になった。

 「怪我は無いか?」

と問うた常願に澪は

「あたしたちは無事……」

とだけ答える。その隣に立つボーイッシュな少女に、弥陀ヶ原は

「君は……流雫くんの知り合いかな?」

と問う。詩応が

「知り合い、と云うか……」

と答えると、弥陀ヶ原は警察手帳を出しながら言った。

「警視庁のテロ専従捜査課、エムレイドの弥陀ヶ原だ」

 ……昨日、流雫が詩応の目の前で誰かと通話していた。その時の第一声が

「弥陀ヶ原さん?」

だった。そうか、その相手はこの刑事だったのか……。そう思った詩応は、

「……どうも……」

とだけ言って、軽く頭を下げる。それ以外、何と言っていいか判らないのが本音だった。

 「……名古屋まで来て災難だが、テロに遭った以上仕方ない」

と言った常願に、頬を掌で拭いた澪は頷いた。これから、この瞬間までに見た記憶を再生すると云う、或る意味孤独な戦いが待っている。


 所轄の警察署へは車で数分の距離だが、刑事2人はセントラルパークスの交番を借りることにした。隣に小さな地域安全啓発センターと称した部屋が有り、10人まで収容できる。

「詩応!」

と呼びながら走ってくるポニーテールの少女に、詩応は

「真!無事でよかった」

と返した。

「そこの2人も無事だけど、何かどーらえらいことになっとるでにゃあの……」

と言いながら周囲を見回す真は、しかし大好きな街のど真ん中で起きた惨劇に目を細める。詩応は彼女の肩を軽く叩いて、関東からの2人の高校生に続いて中に入った。

 隣の交番で、父親が6人分のコーヒーを淹れようとするのを手伝う娘は、電気ケトルのスイッチを入れながら父に

「でも、どうして名古屋に……」

と問う。

「昨日の夕方、弥陀ヶ原から気になることを聞いてな。太陽騎士団のネックレスだと」

と、常願は娘の問いに答え、続けた。

「その話を上にしたところ、念のために朝一で行ってこい、とさ。で、着いた途端にテロの一報だ」

その声に、澪は思わず

「……渋谷の時に似てる」

と言った。常願は

「その話は後でな」

とだけ言って、インスタントコーヒーの瓶を棚に戻した。

 2回に分けて6杯分のコーヒーを持ってくると全員に渡し、最後に座った常願は、向かい側に座る高校生4人を見ながら問うた。

「……さて、と。早速だが……何が起きた?」


 真、詩応、澪、流雫の順で事情聴取が始まった。特に3人は銃を撃ったことで、多少時間が掛かる。そのため、真から始めたのは当然のことだった。

 ……詩応は、銃を撃ったのは初めてだった、と常願に言った。しかし、初めてには見えなかった。銃と云うものに怯まず、的確に犯人を狙って撃った。その完璧と思えるほどの所作に、澪は自分の弱さを思い知らされる。

 「……澪、お前の番だぞ」

と父に言われ、澪は

「……あっ……」

と小さな声を上げながら、現実に引き戻される。流雫と詩応はその様子を、何処か不安げな表情で見ていた。

 ……一通りの供述の後、常願は問うた。

「先刻言い掛けたな、渋谷の時に似ていると。何が似ているんだ?」

その言葉に、澪は言葉を詰まらせる。

 流雫と詩応にとっての辛い記憶を、掘り返すことになるのでは……。しかし、避けては通れない。無関係かもしれないし、重要な意味を持っているかもしれない。

 澪は一呼吸置いて、覚悟を決めた。

「……弾倉に、ホログラムシールが無かったの」

その言葉に、流雫は唇を噛み、詩応は目を見開きながら

「……何?」

と声を上げる。そこまでは見ていなかった。

「意図的に剥がした、と云うより最初から貼られていなかったような」

と澪は言った。

 意図的に剥がせば、その跡が残るようになっている。それすら無かったと云うのは、あの手この手で跡を消したか、そうでなければそもそも貼られていなかったのか。消す理由が無い以上、最初から貼られていなかったと見るのが普通だ。

 「それに、今回のワンボックスも……」

と流雫が口を挟むと、弥陀ヶ原は

「遠隔操作だと言いたいのか?」

と問う。流雫は頷いたが、しかし

「自爆を厭わないのに、特攻は怖れる……それも引っ掛かるけど」

と言った。そこに

 「人……乗っとれせんかったでよ」

と真が被せる。詩応は、まさかと云う表情で彼女に顔を向ける。

「真?」

「運転席どころか、車内に人なんて見えせんかったで……」

 大教会にワンボックスが突撃した瞬間、真は外にいた。直前に一瞬だけ車を見たが、前方には誰もいなかった。そして、突撃しても誰も降りてくる気配は無かった。

「……遠隔による無人運転、ホログラムが無いこと……。それだけで決めるのは短絡的過ぎる。だが、何らかの関連性は有りそうだ」

と常願が言い、最後に流雫を指名した。


 流雫の取調だけは長くなる傾向に有る。女子高生3人は、休憩と称して交番の前に並ぶ。

「……刑事だったんだ……」

と切り出した詩応に、澪は頷く。

 遠目に見えるチューブタワーのほぼ真下では、鑑識が作業をしていたが、地面には煤のような痕がこびり付いている。そして澪は、間続きになった交番から漏れてきた話し声で、犯人全員が同時に自爆していたことを知る。

 2人はチューブタワーの付近で、1人はスペース21の地下で、そして1人はスペース21の展望フロアから下りる階段の途中で。やはり、自爆してまで隠し通したい何かが有る……。

 そう思いながら俯く少女は、隣の少女に

「……詩応さんは、一歩も怯まなかったし、初めて撃ったとは思えないぐらい……完璧で……」

と、目を逸らしたまま小さな声で言った。

 頭上から降り注ぐガラス片を避けられたのも、彼女が手を引いたから……。そう思うと、詩応には頭が上がらない。瞬間的に結託したが、あたしは恐らく彼女の足手纏いだった……。

 そう思っていた澪の顔を見ながら、

 「でも、澪がいたから助かった。あのままだと、多分助からなかった」

と詩応は言った。

 ……犯人と銃口を向け合った詩応は、しかし動くに動けなかった。隠していた恐怖に縛られていたのも有る。しかし、詩応に気を取られている犯人の脛を澪が打ったことで、全てが動いた。

 そして何より、何に気付いたのかは判らないが澪は

「逃げて!!」

と叫んだ。だから自爆に被爆しなくて済んだ。

 ……澪は、そうやってアタシを助けた。完全に無意識なのだろう。ただ、今の彼女はアタシより劣っている……そう思っているに違いない、と詩応は思っていた。

「……澪は十分役に立ってる」

と詩応は言った。しかし、澪はそれに返す言葉を見つけられない。役に立っていると云う手応えが無かった。全員が生きていることに、見出せればいいのだろうか。

 そして、2人の刑事と向かい合っている流雫が気懸かりだった。

 その流雫の取調は、他の3人の供述の確認がメインになったが、やはり渋谷との関連性が大きなポイントだった。途中で澪も呼び出され、そこで弥陀ヶ原から

「高速での事故、あれは完全に太陽騎士団を狙った犯行だった」

と告げられた。

「太陽騎士団を……?」

とリピートした澪に、弥陀ヶ原は

「乗っていたのは、東日本の地域幹部。河月の教会に行く途中だった」

と答える。それに常願は

「……今年に入って、既に3件も太陽騎士団が狙われている。未だ2週間も経っていないのにな」

と続く。そして2人に投げられた、とある質問。2人は揃って初耳だと答えた。弥陀ヶ原は

「まあ、普通は知らないだろうな。俺も、トーキョーゲートの捜査に関わっていなければ、知る事は無かっただろうし」

と答え、常願も

「俺もだ」

と続く。

 澪の父から聞かされなければ、一生その名前を知ることは無かっただろうか。その4文字が、トーキョーゲートと云う鎖から解き放たれた2人を縛り付けようとしていて、それに抗う術は最初から存在しないように思えた。


 4人の高校生が2人の刑事から解放されたのは、正午を回った頃だった。セントラルパークスとスペース21の鑑識は続き、後者は立入制限が敷かれている。

 空腹を覚えた詩応の提案で、地下街でランチでもしよう、と決まった。真も澪もそれに賛成し、半ば乗り気ではなかった流雫には拒否権は無かった。

 流雫も、確かに空腹ではあるのだが、それよりも先刻聞いた名前が気になる。……新たな脅威が目の前に仁王立ちしていた。……この3人にも、無関係ではいられない。唯一そうでいられるのは澪だが、彼女は何だかんだで色々知ることになるだろう。

 「流雫?……先刻の話?」

と、思い詰めたような表情の流雫に澪が問う。流雫は少し間を置いて

「……うん。でも2人には……」

と答える。詩応は

「……何を話した?」

と問う。

 2人にも、話さなければいけない。そう覚悟せざるを得ない。ただ、そのことを話すのなら、何処か騒がしい場所がいい。

 地下街は地上の騒動の影響で、普段より少しだけ空いている。4人が入った店は、真が勧める味噌煮込みうどんの店だった。

 端のテーブル席に座った4人は同じものをオーダーし、店員が下がっていくと、詩応は改めて

「……先刻、何を話してた?」

と問うた。一呼吸置いて、澪は

「……2人は、旭鷲教会と云う名前は……?」

と問う。名古屋の2人は

「……聞いたことは無いな」

「うちもあれせんで」

と答える。

 ……やはり、誰にとっても初耳。そう思った澪に、詩応は

「……この話はここまで。折角2人が名古屋に来たんだし、今からは楽しまないと!」

と言った。

 ……澪は、このボーイッシュな少女には敵わないと思った。結奈に対するそれと似た、詩応へのコンプレックスを覚える。

「流雫と澪が気付いたから、アタシは自爆から逃げられた。アタシだけじゃ、助かってなかったよ」

と詩応は言う。

 流雫と澪、2人は何度もテロに遭遇してきたことで、テロや自爆の予感に対しては誰よりナーバスになっていた。だから逃げられたし、戦わざるを得なくてもその覚悟を決めるだけの時間は得られた。

 2人はそれだけの話だと言うだろうが、しかし澪の叫びで助かった人は他にもいるだろう。どのような形であれ、詩応を含めた誰かは助かっている。それぐらい、誇ったとしても罰は当たらない。

 「詩応さん……」

とだけ言った澪は、その言葉に救われていた。その隣の流雫は、しかし何も言わず俯いていた。今は気にしたって仕方ないのは判っているが。

 直後に訪れた僅かな沈黙を破ったのは、土鍋を運ぶ店員だった。蓋が開けられると、濃厚な味噌の香りが眼前に漂う。それだけで、3時間近く前の惨劇を今だけでも紛らわせることはできそうだ、と澪は思った。

 その隣で流雫は、恐る恐る箸を手にする。うどんの類自体、あまり口にしたことが無い上に土鍋で煮え滾るものは初めて。どう攻略すべきなのか……次の戦いは、この熱い料理だった。ただ、とんでもなく平和な戦いだ。

 ……詩応にとって、昨日大須で見た本来の2人が戻ってきたように思える。

 真はそもそも男子と云うものが苦手だから、流雫と仲よくするのは無理な話だとしても、澪とは仲よくできるだろう。後は、流雫と詩応だ。互いの苦手意識さえどうにかできれば、全ては丸く収まるのだが、それが何より難しい。

 その原因だった詩応の姉の死が有るからこそ、流雫は自分が生き延びるため、誰も殺されないためにと戦った。4メートルぐらいの高さを飛び下りるのを躊躇わなかったのも、だからと思えば詩応は納得がいく。

 ……ただ、あの渋谷のことはどうしようもなかった、と流雫には割り切ってほしかった。それだけが、詩応が関東から来た少年に一つだけ望むことだ。

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