心折れた獣
「なんだよあれっ、なんであんなっ、フウがっ……!」
『落ち着きなよ』
「落ち着けるかよ!」
ダメだ、あれはダメだ。フウのあんな顔見てられない。
顔を埋めているのは……あれ、俺の服だ。お風呂上りに着せてあげて、そのまま寝巻にしてたシャツ。
『大体、十日目くらいかな。突然服を脱いで何するのかなって思ったらさ、あぁやって顔を埋めて君を求めてるんだよ』
「……っ、フウっ……!」
『いくら元が君の服とは言え、匂いなんて残ってるわけがない。洗濯だって碌にしてないんだから君の匂いよりも自分の匂いしかしないだろうね。
しかもだよ? あれは正確には君の服じゃない。君たちの世界の産物、つまり合成繊維部分を一般的な向こうの世界の麻に置き換えた。
フウカ君もそれを理解しているだろうけど、縋らざるを得ないみたい』
淡々と語る声、でも俺の中に湧いてくるのは激情だった。
何とかしてあげたい、いますぐあの身体を抱きしめて、頭を撫でてやりたい。
『向こうの世界でフウカ君は獣の特徴を宿した。身体は今まで以上に強靭さ。
けど……どうやら心は脆いようだね。誤算だった』
「……フウは、心が脆いわけじゃないよ。知らないところに一か月も一人で生活させられたら……誰だってああなるだろ」
『うん? そんなもんなのかい?』
なんだよその言い方、まるで人じゃないみたいな……人じゃないのかもしれないけどさ。
だとしても、フウにこんな仕打ちをしたこいつへの苛立ちは止まらない。人がどういうものなのかよく知らないなら知らないで、あまりにも身勝手だろ?
「それにまだ子供なんだぞ!? 成人した大人じゃない、まだ十一歳のちっちゃな子供なんだ!
それを森の中で一人一か月? どうにかなるに決まってるだろうが!」
『むむ……これはこっちに非があるのかな。謝罪しよう』
「謝罪どうこうじゃなくてなぁ……!」
そんなものいらないだろ、何の役にも立たない。それに元から許す気はないし。
【にぃちゃん……】
「! フウっ!?」
『おっと、動き出したみたいだね』
もぞもぞと身体を動かして、俺の服から顔を離した。
……そんなひどい顔すんなよ、ダメだってその顔、死人よりひどい顔してるぞ……。
目の周りは赤くなって唇をキュッと結んだその顔は泣いているようにも見えるけど涙は出てない。
それがかえって不自然で、その不自然さが不憫さを際立たせていて……それもそんな顔をしているのが大切な幼馴染であるフウだという事実が俺を蝕んでいく。
【さみしい……さみしいよ……オレ、にぃちゃんいないと、ダメなんだよ……】
『ずっとこんな感じさ。だから君を呼んだってわけ』
【ずっといっしょに……いてくれんじゃ、ねぇのかよぉ……うぅ、うぁぁぁ……】
あまりにも理不尽だとは思う。確かにフウは自分の意思で向こうの世界に行ったわけじゃないかもしれないけど、俺だって自分の意思でこっちに留まってたわけじゃない。
全部悪いのはこの声だけのこいつだ。俺に文句を言われても困るんだ。
けど、けどさ。こんなフウの様子を見てたらもう耐えられなくなるだろう? 一応俺の家族はまともだ、フウの孤独を本当の意味で分かってやることは出来ない。
けど埋めることは出来て、今まで埋めてきた。分かち合ったんだ。
「……れも」
『おっとぉ!?』
「俺も連れてけ!」
『いいよぉー! その言葉を待ってたぁ!』
うるせえ、マジでこいつうるせえよ。
あり得ないほどのテンションで待ってたとか抜かす声への好感度が更に更に落ちていく。
今の俺の一言、どれだけ俺が葛藤してたのかわからないんだろうな。だってつまりは、向こうでの生活を捨てるってことになるんだろ?
俺だってラノベとかそういうのは読んでた、今の日本で広く一般的に想像されるファンタジー世界にあこがれだってあった。
けどよくよく考えたらさ、よくある異世界転移って、主人公は何らかの形で地球での生活とお別れしなきゃいけないんだよ。
親しい友人とは今生の別れ。ゲームやネットといった娯楽とはおさらば、母親の料理だってもう食べることは出来ない。
何だかんだ俺だってまだ十六でさ、少なくとも俺はまだ自立出来るような人間じゃないから物語上の人物みたいな超人のようなメンタルは持ってないんだよ。
「は、はは……言っちゃった……」
『どうしたんだい? ああそうだ、何か欲しいものとかあるかな、フウカ君の事を考慮して少しくらいなら──』
多分今、身体があったら俺泣いてるんじゃないかな。身体の感覚が無いはずなのに、胸が震える様な気配がする。
すべてを捨てて、フウの為に。
あーあ、俺って良い奴すぎるよな……幼馴染で親友で、親代わりをずっとしてきたけど俺とフウはまだ他人なんだ。
そこまでしてやるんだ……代わりに俺の心に空く穴を、フウは埋めてくれるかな。
『ちょっとちょっと、聞いてるかーい? 欲しいものだって! 君が特にないなら、フウカ君が欲しがってたものとかあると教えてもらえないかな』
「……フウが、欲しいもの……」
多分フウは俺が渡したものだったらなんでも喜んでくれる。けど、そうだな……強いて言うなら……。
「首輪、かな」
『首輪? ……ああ、なるほどね……確かに彼は……』
今考えてみると、俺に飼ってほしいっていうあの発言も、俺と家族になりたかったとかだったりして。
だったら……なんか気恥ずかしいな。嬉しくはあるけどさ。
ってかもっと他に方法あっただろうとは思うんだけどなぁ、なんでペットなんだか。
『……よしわかった。じゃあ君と一緒に首輪も転送してあげよう。特別仕様の良いものを用意してあげようじゃないか。
それと君には……そうだな、フウカ君はあのままだと効率が悪い。幸い君の器は空っぽだ、良い感じに調整させてもらうよ』
なんだか知らないけど、もう勝手にやってくれ。俺なんかもう気疲れちゃったんだよ。
何が何だかわからなくて、あれよあれよと事が運んで、フウのあんな姿も見せられて……限界だ。
『おっと……意識レベルの低下、魂の摩擦を確認。極度のストレス? 人は脆いなぁ……まあいいや、丁度いい。
目が覚めると君は森の中にいる。目が覚めたら右を向くと獣道があるはずだよ。そこを進めば、彼の元へたどり着ける』
思考に靄がかかってきた。まるで大きな鉄の塊でも乗せられたような鋭く鈍い重みを感じる。
すぅーっと、意識が遠のいていく。
『じゃあね、ああそうそう、ついでに説明書も──』
何かを言っていたような気がするけど、頭まで暗闇に覆われる方が早かった。
次話から本編が始まります。