side:ライン 戦跡
「んー、こんな感じ……で良いのかなぁ、いや、もうちょい水で濯いで……」
フウと一緒に黒獣を狩った洞窟の中、微妙な温度に長らく放置された黒獣の身体は、見るも無残な姿に変わっていた。
その腹部分は食い千切られ肉が露出し、しかも僅かに腐りかけているのか顔をしかめてしまうような臭いを発している。
俺が洞窟に入った瞬間、奥へと逃げていく幾つもの小さな足音が聞こえた。野性の死体漁りの類だろうが、俺の目的は肉ではないから問題はない。
見るも無残な状態になったその身体、けれどその皮部分は思ったよりも綺麗なようで、俺は野生動物の解体で身に着けた技能を使ってその身体に処置を開始した。
「あとはこうして……あー、紐が欲しい……」
俺が作ろうとしているのは貫頭衣。大きな一枚布に頭と腕を通す穴を開けただけの一番簡単な衣服。
今まではフウが狩ってくる獲物の大きさがそこまで大きくなかったから作れなかったけど、こいつの毛皮なら問題ない。
水魔術が使えて本当に良かった……流石に俺の身体も汚れちゃうからね。
服を脱いで脇に置いて、全身血だらけになりながら解体を進めていく。
「肉は全部洞窟の奥の方へと放り投げてっと。どうせあの死体漁りたちが処理をしてくれるはずだ」
流石に内臓の処理は正気度がゴリゴリ削られるような感じがするけどね。
普段捌いている小動物とは大きさが全然違うし、食われかけでぼろっぼろ、腹の中の消化されかけたあれこれが猛烈な臭いを発していたし。
あと、一番不思議だったのは心臓だ。死んで一日たっていて腐敗が進んでいても良いはずなのに、どういう訳か全く腐っている感じがしない。
肉は引き締まっていて今にも動き出しそう、強靭な筋肉の塊といった感じだった。
それに何が不思議って、やけに美味しそうに見える事だ。
腐ってはいないはず、けど時間が経った肉を食べて腹を壊したらシャレにならないだろうし、そもそも俺は肉を殆ど食べられないはず。
それは分かっているのに、どうしてもその欲求に抗えない。本能がそれを求めているかのようにすら感じられる。
今すぐかぶりつきたいといった感じではないけれど、強いて言うなら大好きなおやつを前にした犬と同じような感じ。
極めつけはその心臓から若干ながら魔素の気配を感じる事、魔素は不思議な物質だから、腐敗を防ぐ防腐剤のような効果もあるんだろう。
じゃあ、食べても大丈夫、大丈夫なはずだ……うん、大丈夫だよな?
「……大丈夫なわけないだろ……腹壊したらマジでやばいんだよ……」
まあその話は後だ、今は毛皮の処理の話。心臓は適当に魔術で作り出した桶の中に入れておく。
取り合えず時間はかかったけど皮を剥ぐ作業は終了した。頭と手足は千切り落し、牙と爪だけ回収して奥へと放り投げた。
毛皮の裏にへばりついた油やら何やらをそぎ落とし、時折フウからの念話の誘いに応じながらもそれを続ける。
かなりの時間、空に少しだけ赤色が見え始めた頃、大きな一枚毛皮の完成とフウからの念話の誘いはほぼ同時だった。
「出来たぁ……! 服にしないと……あ、でも先にフウだ」
俺はもうすっかり慣れてしまった動作で魔素を操り、フウの魂へとアクセスを試みる。
繋がった瞬間、音は聞こえないはずなのに大音量だと感じられる声が聞こえる。
『にいちゃん! ついた!!』
「お、ようやくか……じゃあ、怪しまれないように……ってのは無理だから、俺が言ったようにね?」
『うん』
「あくまで売れる場所を聞くんだよ? その前に言葉が通じる事を確認してからね? 出来れば他に何も考えてない、それが当たり前って感じに振る舞って──」
『わあってるよ! にいちゃんはシンパイショーだなぁ……』
心配くらいするのは当たり前だろ……だって何があるか分からないんだから。
もしもフウが辛い目にあったら。そう考えるだけで胸が締め付けられるような思いをする俺は、確かに過保護なのかもしれない。
けどそんな過保護な俺を作ったのはフウなんだから、少しは責任を感じて欲しい。
……なんて、今年11歳の幼い少年に言うのもどうかとは思ったから言わないけど。
「……本当に心配だなぁ……」
『ダイジョーブだって! それよりさ、にいちゃんの方はどぉ?』
「ん? 服作りの事? それならもう少しで出来るはずだよ」
『そっかぁ……、じゃあ、オレそろそろ行ってみるな!』
「気を付けてね、危なかったら逃げるんだよ……?」
『うん! じゃあ!』
「じゃあって……え!? 切られた!?」
そんな事出来たのか!? いや、フウなら切断できてもおかしくは無いけど……なんかショックだ。
心配で心配で仕方がない、けど考えすぎるのも良くない事だろう。ちょっと前に割り切るって決めたばっかりじゃないか。
気を取り直せてはいないけど、毛皮に風を吹き付け水気を飛ばし、若干の獣臭さが香る毛皮に取ったばかりの鋭い牙で切れ込みを入れていく。
かなり大まかに見れば四角形に分類される、一辺が大体3メートルくらいはある巨大な毛皮。その中心部分に俺の首が通るくらいの穴を開ける。
流石はフウの肩を綺麗に噛み千切っただけはある、その鋭い牙に少し力を入れてやるだけで毛皮は裁断された。
「なめし革とか作れたら良いんだけどね、作り方知らないし」
なんの心得も無い、ただ小動物の解体をいくらか必要に迫られ行っただけの俺の腕じゃ、皮はボロボロで肌触りが良いとは決して言えない。
でも貴重な皮だ、切り取った円形の皮はまた何かに使うとして……腕の穴を開ける位置、間違わないようにしないと。
「ん、っしょ……あー、着心地は微妙だけど、温かいな……臭いはもうちょっと何とかしよう」
毛皮に首を通して大まかな位置を確かめる。
意外とずっしりとした黒獣の毛皮、内側の少しゴムっぽい感触が素肌に触れてくすぐったいような気もするけど、服として使うなら十分だ。
それにこれ、意外と分厚いから俺が着てた服の何倍も頑丈だろう。
重さがあるから足が疲れるかもしれないけど、服が傷つくのを恐れて信仰が遅くなる事はもう無い。
毛皮を脱いで、腕の穴を開けていく。とりあえず肩は出てた方が動きやすいな、あとぴったりしてるのも嫌だから、少し余裕を持って脇下が見えるくらいの大きさに……。
「……よし、出来た」
そうしてようやく出来上がった黒獣の貫頭衣。見栄えは……どうだろ、多分あんまり良くないけど、服としては上出来じゃないだろうか。
森を歩いていて厄介な、植物の棘やらやすりのような葉から肌を守ってくれるし、服として重要な局部を隠す役割もちゃんと果たしてくれている。
強いて言うなら、臭いがきついけれど、これに関しては洗うなり時間経過なりで何とかなるはず。洗濯だって簡単だ。
それに意外と毛並みはフサフサで、触っていて気持ちがいい。
「良いじゃんこれ。さてと、じゃあ後は……」
俺は下に置いていた寝間着のシャツとパンツを回収し、一纏めにしてから毛皮で包んで皮ひもで包みながら、その隣に置いたままの肉の塊を見つめる。
「こいつをどうするか、だよなぁ」
こんな良く分からない不思議肉、本来なら食うべきじゃない。
なのに、抗いようが無い食欲に俺は涎を呑み込んだ。




