俺の命は塵芥
「はぁっ、はぁっ!」
俺は走る。一刻も早く毒々しい林を抜けようと、全力で駆け抜ける。
後ろから聞こえる地の底から這い出て来たような……いや、違う。そんな比喩なんかじゃない。
実際に血の底から這い出て来た赤黒い小動物に追いつかれないように、脚に風を纏わせ今までにない速度で脱出を試みた。
「くそ……次はどうすれば、俺は生き残れる……!?」
きっと俺は、何度もここで死んでいる。
赤い獣に全身を食いつくされる記憶。どこからともなく足元へと現れた血の池へともがきながら沈んだ記憶。
そんな数多くの死の記憶、死の恐怖を胸に秘め、脳裏に浮かんだ俺ではない俺の記憶から打開策を模索すると、後ろへと手をかざし魔力を放出した。
「燃えろ!」
魔力の高まりは虚空を震わせ激しく燃える。現れた炎は薄緑色をした木々へと燃え移り、火種は大業火へと成り上がった。
普通の木はこんな簡単に燃えない。だからきっとこの木々だって色通り普通の物ではないのだろう。
まるでガソリンやナトリウムのように轟々と音を立てて延焼する炎の隙間から血色の小さな塊が幾つも擦り抜け俺への追跡を再開する。けれど、最初に見た時よりも数は減っているようだ。
この対策は正解だったみたいだ。一歩進んだという安心感はあるものの予断を許さない状況、次の手を考えるために自分の記憶を呼び起こす。
色々な死因の内から何かヒントを探し出し、それを用いて危機を脱する。
この二日間幾度となく繰り返したその行動は、もうすっかり慣れてしまって当たり前のようにこなすことが出来てしまう。
たった二日、されど二日。
更には幾十幾百、下手したらそれ以上の自分ではない自分の遺志は確かに内へ宿っている俺の判断力は、前までの俺とは全く違うと言い切れる。
あの謎の声の言いなりになるのは何だか癪だとけれど、目論見はまんまと成功してしまったわけだ。
今の俺は生き残る事に躊躇しない。恐れに身を竦ませる事だってない。
張りつめ切った精神は感情の起伏をひどく乏しいものにして、なんだか機械にでもなったみたいだ。
「……寝てないのもよくないのかな……」
飲まず食わず眠らず。生物としての生存本能、生理的欲求の内のいくつかを欠乏した俺だけれど幸い理性だけは残しているつもりだ。
全ては元の世界に戻るため、そしてフウの足手まといにならないため。
目的さえはっきりしていれば、どんなに辛くても俺は自分を殺せることを知った。
裸足に伝わる土の感触。擦り切れ血が出る痛みは生きている証。
目の前に現れた枝を屈んで避けながら、俺はようやく林を脱出する。
「……っ、そろそろ次の手を打たないとまずいよね……!」
このままだと俺は全身に集られ貪られ、さぞ悲惨な死を迎えながら二日前に戻ってしまうんだろう。
過去の数えきれない自分の一人になってしまうのはやっぱり怖い。だから恐怖をもう味合わないために、俺は生きるべく最善を尽くさなければならない。
そうして割り切るのが大事。結果を恐れるのは良いけれど、結果へつながる過程を怖がるのはダメだと言う事も学んだことの一つ。
けれど、けれどだ。現状後ろから追いかけて来る血の獣たちを退ける手段は限られている。
奴らには炎以外はほとんど効果がない。身体が液体で出来ているようで、物理無効とかいうゲームのような特性を備えている。
その本体は地中を自由に移動する血の池だから、地面がぬかるむ事イコール直接俺を呑み込もうと行動を始めた証、そちらにも気を付けないと。
「もうちょい……あと少し進めばっ」
先にあるのは巨大な家屋の残骸。そこを目指してただひた走る。
あそこにたどり着ければ生き残れる可能性が高い。もちろん確実ではないし、これも一種の賭けなんだけど。
「────!!!」
「あぶなっ!」
扉まであと数歩、後ろから嫌な風を感じて身を低く伏せると頭上を飛んでいく赤い線。
顔を横に向けつつ後ろを伺い、左胸、右膝の二か所に同じように飛んでくる複数の赤色を身をねじる事で回避する。
「よし……っ!」
続いて足元が溶けるかのように解け始め、俺は足裏に走る鋭い痛みから瞼を力ませながら、思い切りジャンプする。
「おらぁ!」
バギィッ!!
そのまま目の前にあった朽ちかけの謎素材の扉へと、脚へ纏わせていた風を爆発させながら飛び蹴りを放つ。
大きな音を立てながら小さな罅が扉全体へと伝いいくつかの破片へと変わり、中の様子がうかがい知れるようになった。
「っ、よしっ!」
「ギュギャァ!?」
扉の中には空が丸見えの四方が囲われただけの部屋、今にも風化し崩れそうな家具類、そしてその中で佇む紫色の毛皮を纏った一匹のネズミのような醜い獣の姿。
いきなりの俺の乱入に驚いたように目を見開いた獣だけれど、すぐに俺を餌と認識したのかその瞳をギラリと捕食者のモノへと変えて唸り声をあげだした。
けど、残念だったな。お前は俺を食べる前に大きな障害を乗り越えなければならない。
「おらっ! 入って来やがれ!」
勢いを殺さず回し蹴りでドアフレームを破壊すると、大きく広がった穴から入って来たのは執拗に俺を追いかけまわしてくれた血の小動物たち。
一対の瞳と無数の赤顔が繋がるように視線を合わせた。
「よっしゃ! 狙い通りっ」
俺は無力だ。異様なバケモノが跋扈するこの終わった世界において、きっと俺はカーストの最下位に位置する極上の餌なんだろう。
だからこそ追われる、なんせ楽に食べる事が出来るから。けど同時に彼らは闘争を勝ち抜いてきた勝者でもあるんだ。
勝者と勝者は交わらない。互いの生存戦略の妨げとなる存在は排除しなければならないという原始的な関係性は、このような終末世界においても至極当たり前な物であろう。
蠅のように高速で紫を翻弄する赤と、その鋭い一撃で赤色を潰す紫。二者の戦いの隙に俺は崩れかけた壁の隙間を抜けて、這う這うの体で抜けだした。
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