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俺と首輪の協騒曲  作者: ふぁふぁに~る
黒影と深森の練習曲
25/56

慢心の代償

「てゃッ!」


「ギゥゥゥ!?」


 フウの先制攻撃は上手く決まった。風に押されて高速で飛んで行ったフウは、空中で器用に身体を回転させ、とっさに振り向いた黒獣の前足に思い切り蹴りを繰り出す。


「よっしゃ!」


「グァゥゥ!」


「うわっ!? あっぶね!」


「フウっ!」


 この距離でも聞こえた、どこか鈍いフウの打撃音。


 しかし黒獣だって一撃で倒れるわけもなく、痛そうな声をあげながらも顔を突き出し、ぐわぁと歯をむき出しにする。


 噛みつかれる寸前、何とかフウはその顔を平手で逸らして攻撃を回避した。


 後ろに飛び去った小さな身体に俺は駆け寄る。


「大丈夫?」


「んげぇ……マジであっぶねぇ」


 冷や汗を搔きながらもどこか楽しそうなフウ。口元には乱暴な笑みが浮かんでいる。その様子から、俺のフウの意識の違いを垣間見た気がした。


 ……凄いなぁ。普通だったら怖くてどうしようもなくなると思うんだけど。


 しかも一回大怪我を負わされてる訳でしょ? 俺だったら、怖くて身体が動かなくなるかもしれない。


 お互いに距離を取り合い見合う。フウの打撃が当たった右前足を庇いながらも獰猛なうなり声をあげる黒獣に、戦意喪失の色は全く無い。


 怒りと闘争にギラギラと赤い瞳を輝かせながら、鋭く伸びた牙をむき出しにしている。


 そんな中で俺たち二人は身を震わせる。一瞬の違和感に敵前にも関わらず視線を合わせた。


「……ん? なんか、また……」


「うぅ……にいちゃん。にいちゃんも?」


 不思議な感覚。あの獣から何かが飛んできて俺の中に入り込む。


 あれはフウがケガをする直前、家で感じたのと同じもの。淀んだ何かがこびり付いているのに一切の変化がないあの感じ。


 フウもこれを感じているのか……。


「……にいちゃん、今はさ、あれやっつけないと」


「そ、うだね。うん、じゃあ俺は……」


 何したら良いんだろう。


 フウの言葉で我に返り、何とかアシストをしようと考えるもどうすれば良いのかわからないんだ。


 だって、今まで俺は戦いとは無縁だったし、フウみたいに道場に通ってたわけでもない。


 誰かを殴った経験なんて悪い事をしたフウに拳骨を落としたことくらいだし。


 とりあえず、魔法で……。


「えっと、水でぬらしたら少しは動きにくく、なるよね?」


 目の前に水の球を生み出し黒獣へと飛ばす。


 今できる全力、俺が普通にボールを投げるような速度よりも早く飛んだそれはしかし、簡単に横ステップで避けられてしまった。


「にいちゃんっ!」


「うわぁっ!?」


 そんな俺の軽率な行動は、隙を伺い続けていた獣へのチャンスに他ならない。


 避けると同時に巨体を丸め、まるでボールのように身を弾けさせた黒獣は風を切りながらこちらへと飛び掛かってくる。


 やっぱりどうすれば良いのかわからない、片腕を目の前に突き出し半目で相手を観察するだけの俺は、あまりにも情けない。


「グァァァァ!」


「っ……!」


「せいやッ」


 ぶわりと漂う獣臭が感じられるようになった瞬間、目の前から黒い影が横へと吹き飛んだ。


 代わりに映ったのは日に焼けた細腕と、鬼気迫ったフウの顔。身体が凄い力で引き寄せられて俺尻餅をついた。


「にいちゃんだいじょーぶ!?」


「う、うん……あ、ありがと……っ」


 やばい、普通にお礼を言おうとしたのに、声が普通じゃない。


 少しだけ目じりを下げて心から心配そうな顔で、フウは俺を慰める。


「……声、ふるえてんぞ。やっぱオレにまかせてよ、にいちゃんのことはオレがまもるから」


「くぅっ……」


 ついつい奥歯を嚙み締めた。


 情けなくて仕方がない、俺がフウを守るんだって決意したばっかりだったのに、なんで俺は……。


「グゥゥンッ、ギュァッ!」


「くそっ! にいちゃんこっち!」


「うわっ!」


 横から身体を突き飛ばされて、フウに上から覆いかぶさられえるように横に倒れる。その上を獣の巨体が飛んでいく。


 俺、あのままだと噛みちぎられてた。そう考えると冷や汗が止まらなくて、心臓の音がとにかくうるさかった。


「──ちゃんっ、にいちゃん!」


「っ、あ、フウ……! に、逃げないと……」


「何いってんだ!」


 はっ、お、俺は、何を……。


 逃げるも何も付いてきたのは俺だ。フウを絶対に一人にしたくなかったから、無理を言って付いてきた。


 魔法だって使えるから何かできるって思って、それで、それで……!


「はぁっ……大丈夫、俺は、大丈夫だから、フウ……」


「……ほんとーだな? ほんとに、ケガしないよな……?」


 大丈夫だ。多分避けるくらいなら俺でも出来る。


 フウの身体を押しのけ立ち上がると、俺は目の前の黒い巨体を真っ直ぐに見つめた。


 赤い瞳は爛々と輝いていて、鋭く逆立つ毛並みは狂暴な印象を強くこちらに叩きつけてくるようだ。


 身体が震える。でもそんな情けない自分に鞭打って、脚の震えを無理やりに抑えた。


「じゃあ、オレいってくるから……っ」


 凄いなぁ、フウは。


 小さな後ろ姿は勇猛で、俺なんかとは全然違う。黒い獣の禍々しい爪が目の前にブォンと振るわれると、それをフウは咄嗟に身体を深く沈みこませる。


 そのまま沈んだ身体の勢いを活かして下から上へと打ち上げられた足蹴りは、獣の脛を打ち砕く。


「ギァァア゛!!」


「おりゃぁ!」


 そこは、前にフウが捨て身の特攻を仕掛けたであろう場所。黒獣が引きずり庇うようにしていた前片足だ。


 悲鳴を上げる獣は涎を撒き散らし、けどそれにすら当たらない程素早くフウは身をひるがえしながらも重力に導かれるままに身体は地べたへ倒れ込んだ。


 けれどやはり相手も相手、人の言葉も通じない野で生きる生命だろう。


 すぐさま危機を感じ取ったのか、痛みに鈍ったのであろう思考も吠えて誤魔化し、大口開いて噛みつこうとするが、それは不発に終わった。


「んッ!」


「ブガッ!」


 その顎は土に塗れた足で強制的に閉じられる。いくら頑強な黒獣の顎だろうが、こちらへきて身体能力が強化されたフウの超低地からのかち上げとは渡り合えない。


 きっと渾身の一撃だったのだろう。三点倒立の要領で下半身を立たせたその一撃は、しかし体格差からかその筋力からか、小柄なその体躯では上半身を浮かせるには届かず首だけが天へと向くだけだ。


 尻尾で地面を蹴り身体を縦に270度回転させながら俺の方に飛び下がり、未だに座り込んだままだった俺の少し前方へと両脚で着地した。


 肩で息をするフウに、思わず片手を伸ばしかけてやめた。何だかフウの邪魔をするような気がしてしまったから。


「はぁっ、はぁ……くそ、首かたすぎんだろあいつ……」


「フウ、怖くないの……?」


「……こわくても、にいちゃんはオレが……!」


「つっ……」


 なのに、そんな事を言われてしまったらどうすれば良いんだ。


 邪魔をしないために手を伸ばさなかった。それが今の俺に出来る精一杯の事だったから。でもさ、そもそも俺がここにいること自体が邪魔になってるんだ。


 俺の質問に少しだけ身体を震わせたフウの顔は後ろからだと分からない。けど耳も尻尾もピンと伸ばしたその姿は恐れの二文字を感じさせない。


 そんなフウの様子に俺の心は波打つばかり。波打ってばっかりで、ちっとも役に立たない……俺、俺は……。


「ガァァァッ!!!」


「な、なんだ……!?」


「にいちゃん離れろ!」


 紫色のもやもやがあの黒獣の身体から立ち上って……それが徐々に身体の周りに集まっているような……。


「にいちゃんってば!」


 おどろおどろしい雰囲気をその身に纏わせた黒獣の身体はより深い黒へと侵食されていく。


 僅かに光を反射していた毛皮の艶は消え去り、まるでブラックホールかくやというその黒色に吸い込まれるように俺の瞳は離さない。


「にげろぉ!!!」


「……え?」


 次に気が付いたのは必死の形相でこちらを手を伸ばすフウの姿と、不定形の黒い球体の姿。


 俺の意識は、あっけなく搔き消えた。

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