胸中溶かす家の中
無邪気な子供って可愛いですよね。しかも自分に懐いてくれていたら。
「にーちゃーん! オレの着るものないー! あとタオルも!」
「マジでぇ!? ちょっと待ってー、手ぇ洗ってすぐ行くー!」
風呂場から聞こえてきたフウの声に、手についたお米を水で洗い流してから急いでタンス部屋に駆け込んだ。
並んだクローゼットには俺の服や母さんの、父さんのと並んで、フウが持ち込んだ自分の服が入ってるタンス。普段はここからちゃんと着替えの服を持ってから風呂に入るんだけど、すっかり忘れてた。
タオルは……仕方ない、俺ので拭いてやれば良いか。
「んー? あれ、おっかしいなぁ……」
「にいちゃーん!」
「……あ、そういえば……フウ! いったん家に服持ち帰ってたよねぇ! サイズ合わなくなってきたって!」
「あー! じゃあなに! オレ着る服ないの!?」
マジで!? と叫ぶフウに、俺も同じように叫び返す。
着る服が無い……そういう事になるなぁ。でもさすがに家の中を裸でうろつき回られたら気になってしょうがないし。これ俺の服着せるか、ブカブカだけど。
どたどたと音を立てて急いで風呂場へ向かう。
「にいちゃん!」
「はーい、そこ立っててー。ほーらタオルばさーっ。俺のだけど」
「うぁぁぁぁ……!」
裸で仁王立ちするフウカの頭から脇にハンガーで掛けてた俺のタオルをかけてやる。
楽しそうに悲鳴を上げる頭を乱暴にわしゃわしゃ水気を切って、身体を包み込んで水分を吸収する。
色素が薄めの茶髪が特徴的なフウは、身体をばたばた揺らして遊んでいる。ってか水が飛ぶからやめなさい。
「あー、このタオルもにいちゃんのにおいする……」
俺の匂い俺の匂いって……なんか恥ずかしいなぁ、それにそんな連呼するってことは。
「なに、俺ってそんな体臭キツイ? ってかごめんね?」
「んーん……そんなことないとおもうけど……それにオレ、にいちゃんの匂いだいすきだし」
包まれたタオルを手繰り寄せて、鼻をすんすんと揺らしながらそんな事を言い出すフウ。
……え、なにしてんの。顔に熱が集まるのを感じる、嫌な事を言われてるわけじゃないんだけど、なんか、なんかさ……!
「……そ、そっか。ってか何コレはっずかし! んな事言うお前だって良い匂いがするじゃんかよぉ! 洗い立てだぁー!」
「わきゃー!」
あーもう、ほんとコイツ可愛いんだよなぁ。風貌はまだまだ中性的だし見た目だって整ってるからとにかく可愛いんだ。何を言っても不快感を感じさせない見た目とか、絶対人生得するよ。
それに肩とか腰部分には綺麗な日焼け跡、健康的な優良児って言葉が良く似合う。
まだ十一歳なのに、お腹に縦筋が入ってるし胸だって割れてる。筋肉質なのに清らかでしなやかな肢体は野性的で、同時に魅惑的……羨ましい身体してんなぁおい。
「……」
「にいちゃん?」
……俺はなんで幼馴染の身体にそんな評論してんだ気持ち悪い。
「に、にいちゃん……あのさ、ちょっとはずかしーんだ?」
「あっと……ごめんね?」
うん、今のは俺が悪いな。もじもじと身体を揺らすフウカの全身をもう一度だけ拭きとってから、俺はシャツを被せた。
「ブカブカだけどごめんね。俺の服だけど今これしかなくてさぁ」
「うあー、ずりおちそー」
あとパンツもないんだよなぁ、ノーパンで過ごさせるわけにはいかないし……。これも俺のパンツで良いかぁ、サイズがあれだからなんか紐で縛って……。
「にいちゃん、オレこれしってるよ」
「ん? 何が?」
「『カレシャツ』ってゆーんでしょ!」
「ぶふっ」
そんなフウの突然の爆弾にオレは噴き出す。
いや、そうじゃない。なんか色々間違ってる。……あれ、間違ってない……? やっぱり間違ってるだろ、別に俺たち恋人じゃないよ。
「馬鹿な事言ってないで……ほら、これ履いて。俺のパンツ」
「にいちゃんのパンツ!」
「連呼しないで! んでこれを……紐で……おっけー、これでまあ良いでしょ。後でアイロン掛ければしわも取れるし」
「おぉー……なんかすーすーする」
俺のパンツを履かせて、その上から何かの紐、多分ズボンかなんかの腰部分のゴム紐だと思うけど、それを腰に括り付けて固定する。
スースーするのは……我慢してもらうしかないな。
「じゃ、頭乾かしててねー、俺はおにぎり握ってくるから」
「あーい」
ちゃっちゃと作っちゃわないと。濡れた頭をわしわし撫でてから俺は部屋から出て行った。
───
「にいちゃん、いる?」
「いるよー、どした、入ってきな」
「うん」
やる事やり終えて、二人でゲームとかして遊んでから俺は自室に引っ込んでベッドの上でダラダラしてた。
そうしたら突然ドアがたたかれて、聞こえてきたのはフウの声。返事をするとドアが開く。
「あ、あのさ……ひさしぶりに、いっしょに寝たいなーって、あはは」
「……? 別にいいけど……どしたのさ、突然」
「あー、あの、ちょっとな?」
どうしたんだろう本当に。なんか……緊張してる?
俺の座るベッドにすたすた歩いて、隣に座る。石鹸の良い匂いがふんわりと漂ってきた。
なんか、普段より距離が近い。太ももと太ももがぺったりくっついてて、どこか緊張した雰囲気のせいでこっちまで心臓が早くなるようだ。
本当に様子がおかしい。何かを隠していてそれを今から告白するような、そんな雰囲気だ。
「にいちゃん、気づいてなかったかもだけどさ……今日って、オレがこっちに来てから五年なんだ」
「……あー、そういえば、フウがこっちに引っ越してきたのって今日か……完全に忘れてた。ってか意識してなかったわ」
だって別に記念日ってわけじゃなかったし。でもフウカが意識してるのに俺が意識してなかったってのは少し申し訳ないような気がしないでもない。
「だからね、オレ……いっつもにいちゃんにお世話になってばっかだからさ……ありがとーって、いおーと思って……」
「お世話って……別に良いよお礼なんか、俺が好きでやってるんだし」
それに、フウと一緒にいると楽しいし。フウは可愛いから癒されるし……そんな事は恥ずかしいから言わないけど。
それどころかフウはもっと我儘言っても良いくらいだ。親があれなんだから、俺にくらいもっと甘えて欲しい。
優しく肩を抱き寄せて、微笑ましすぎて口角が上がるのを感じながら柔らかい髪の毛を丁寧にすいてやる。
「にいちゃん……いっつもありがとな。にいちゃんのおかげで、オレがんばれてる」
「いーや、フウが頑張ってるからだよ。俺なんてなんもしてない。フウみたいにカッコいいわけじゃないしね?」
「オレなんて、かっこよくないよ……オレからしたらにいちゃんがいちばんかっけー」
それこそまさかだよ。俺なんて本当にただの男子高校生だ。
特に取り柄だってないし……強いて言うなら料理できるくらい? 運動だって中の上で学力も中の下、顔だって特に特徴ないし……はは、悲しくなってきた。
「俺は……残念ながらフウみたいになれないから」
キラキラ輝くフウのそばに俺が居られる事自体奇跡みたいなもん、でもそうやって言われるのはやっぱりものすっごく嬉しくて……何でも言う事聞いてあげたくなっちゃう。
我ながらチョロいなぁ、でも本当に嬉しいんだから仕方ない。
「オレのお父さんとお母さんはさ……オレにキョーミないんだ……。や、そーじゃないか、オレにキョーミあるけど、オレの出すケッカにしかキョーミない」
「あ、い、いやー、大丈夫だよ、小父さんも小母さんも、ちゃんとフウの事──」
「いーよにいちゃん、なぐさめなくて……ジジツなんだから」
あくまで割り切った様子で、残酷なことを言う幼馴染に俺はどう声を掛けたらいいのかわからない。だからただ、身体を優しく抱きしめた。
世の中には色々な事がある。この先大切な人と出会って付き合って結婚して、そういう事だってある事を知っている年齢であるのにもかかわらず、フウのこの言葉。
幼いフウの狭い世界、その殆どに絶望して未来に視野を向けられない。それがどんなに辛く悲しい事なのか、俺には理解してやることが出来ないんだ。
俺はただ、フウの事を抱きしめてあげる事しか出来ない。我ながらフウの事となると感受性豊かになるな、俺。
「あはは、そーゆーとこだよにいちゃん……オレのこと、ちゃんと心配してくれんのにいちゃんだけなんだ」
「フウ……」
そんな事ない、そう言おうとしてやめた。実際そんな事、あるかもしれないから。
少なくともフウの両親はダメだ、両親の両親、つまりフウの祖父と祖母は……どうだろう、分からないな。少なくともフウがこちらに引っ越してきてから一度も見たことがない。
じゃあ、期待できない……だとすればフウの言っていることは、事実なのかも。
なのにさ、そのフウには俺しかいないという言葉が気恥ずかしくてしょうがなくて、場違いだとはわかっていても少しだけ茶化した言い方をしてしまうのが俺という人間だ。
「なーに、俺の事そんな好きなの?」
「……」
少しだけふざけた感じの、場の空気を払拭しようとしたそんな俺の発言。腕の中でフウが一瞬身じろぎをした。
きっと、同じく気恥ずかしさから同じくふざけた感じで「ばかー!」とか言ってくるもんだと思って。
今日はこのまま三話くらい投稿します。