第5話 一般試験
小迷宮『幻影の森』、その入口近くにある小さな建物。普段は管理職員の詰所として使われている場所だが、今日は試験官たちの審査室となっていた。
ディスプレイで埋め尽くされた壁。据置き型や水晶型の端末がならんだテーブル。
試験官たちがそれぞれの端末と向き合う中、死人のように蒼い顔をした燐血人の女性が退屈そうにつぶやいた。
「はー、今年はなんつーか面白くねぇな」
「そうですか。安定した探索をこなすパーティが多い印象ですが」
試験官の一人が律儀に返事する。
「あぁ? だからだろ。徹頭徹尾、リスクを排除した無難な探索なんざ、誰も見たくねーって話だよ」
「はぁ、そういうもんですかね」
「一昔前ならともかく、今の探索はエンターテイメントだっつーの」
探索者の在り方も昔からずいぶん変わった。ひたすら迷宮に潜って戦うだけでよかったのは、過去の話だ。
探索者もネットで配信するのが当たり前になった現代では、探索ひとつとっても華が求められる。見どころと言い換えてもいいだろう。コンテンツの溢れる現代では、命懸けの冒険でも見どころがなければ見向きされない。
「……参加者を見た時は、楽しくなりそうだと思ったんだがな」
死人のように蒼い顔の女は手元の参加者リストに目を落とした。
多くの有名探索者を輩出してきた名門ポストロス家の娘。
人形を仲間だと言い張り、三人の脳内彼氏を従える少女。
派手に光輝く課金装備に身を包む遊戯都市出身の少年。
他にもインパクトは充分な参加者がそろっている。インパクトだけは。
「あー、そういや、選抜試験に落ちたヤツも参加してるんだったか。どのパーティだ」
死人のように蒼い顔の女は試験官の一人が示す画面を覗きこんだ。瞬間、表情に期待が満ちていく。
「おぉー? おいおい、こりゃなかなかおもしろそうじゃねーか」
「……選抜試験に続いて、今回も仲間に恵まれないのは可哀想ですね」
「ハッ、優秀な仲間を集めるのも一つの能力だろ」
死人のように蒼い顔の女はばっさり切り捨てる。その表情は先ほどよりも楽しげであった。
「しっかし、選抜試験の首席候補が万年不合格のエルフと同じパーティとはな。歩く事故物件をどうさばくか。こりゃ見ものだな」
「万年は言い過ぎですよ」
「似たようなもんだろ」
試験官の指摘を気にした様子もなく、死人のように蒼い顔の女は鋭い笑みを浮かべた。
「エルフ以外にゃ、数十年は途方もない年月だ」
◆
『幻影の森』はさながら樹海の箱庭とでも呼ぶべき場所だった。鬱蒼と樹々が生い茂っている。マッピングを怠ればすぐに迷ってしまうだろう。
できるなら慎重に探索を進めたかったが、開始早々そんなことは言っていられない状況に直面していた。
「ちょ! ヒナヤ、危ないって!」
「ごご、ごめん! 急に風がふいちゃって!」
「アタシじゃなかったら、今の確実に刺さってたわよ!」
アリーチェは背後から飛んできた矢を振り向くこともなく刀で叩き落とすと、ヒナヤに怒号を放った。
ヒナヤの弓の腕前は壊滅的だった。
弓には自信があると胸を張っていたのはなんだったのか。
「つ、次はがんばって当てるから!」
「……アタシはともかく、ニサに当てるのだけはやめなさいよ。シャレになんないから」
粘態のアリーチェやわたしは、核が傷つかなければたとえ首を切られようとも無事だけど、燐血人のニサはそうはいかない。
「うっ、そうだよね。次はもっとがんばる!」
ヒナヤはどれだけ失敗しても、決してめげない。それは稀有な才能だ。ただ、この短時間でそれがわかるほど、失敗を重ねて欲しくはなかった。
矢が敵に当たらないのはマシな方で、さっきのように味方へ誤射しかけることも少なくない。
できることなら弓を握らないで欲しいけど、被害を一身に受けているアリーチェが言わない以上、わたしも口に出すのは避けていた。
「み、みなさん! もう次の敵がきましたよ」
ニサのかけ声を合図に、わたしたちは戦いの構えをとる。
「ま、また!? いくらなんでも続き過ぎじゃない!? これで五度目よ!」
「で、でも、もうそこまで来ちゃってますよ」
「あー、もうっ!」
アリーチェが文句をたれるが、それでモンスターが帰ってくれるはずもない。
そうこうしているうちに、わたしの目にも襲い来る八匹の大鼠が見えた。
まだ試験は始まったばかりなのに、すっかり見慣れてしまった光景にひっそりため息をこぼす。
「こ、ここは通しませんっ! かかか、かかってきなさい!」
ニサが盾をずっしりと構え、裏返った声で叫んだ。
対人では通用しなさそうな挑発でも、モンスター相手には充分だ。最前線で声を上げているだけで、大鼠たちは次々にニサの元へと殺到していった。
それにしても、八匹はいくらなんでも多い。
今までの戦闘を見るかぎり、ニサに安心して任せられるのは二匹まで。三匹でもかなり危ういだろう。
八匹も押し寄せたら、数の暴力で瞬く間に挽き肉にされるのは間違いない。
「させないわっ!」
すかさずアリーチェが横から一匹切り捨てる。そのまま三匹ほど引きつけていった。これでニサの周りの大鼠は、残り四匹だ。
続いて、わたしが『ウォッチコカトリス』を起動したウーズ型端末を差し向ける。今にもニサに襲い掛かろうとしていた大鼠が二匹、石毒の魔眼に見つめられ停止した。
残り二匹。これならニサも安定してさばけるだろう。
「ヒナヤはアリーチェを援護して」
「うん、わかった!」
援護という名目で、アリーチェにヒナヤの世話を押しつける。
ニサに誤射されるのが一番マズいからだ。代わりにわたしとニサで大鼠たちを倒すことでアリーチェには勘弁してもらおう。
わたしはナイロンジャケットの裏から水の入った容器を取り出し、封を開けた。
「水神の涙に告ぐ。千変万化の囀り。槍葬。遊猟の雛型。汝は百舌鳥なり」
擬造の呪文を唱えながら、容器を傾ける。
容器からこぼれ落ちた水は地面にたどり着く前に一羽の小鳥へと変化していった。
その小鳥の名は百舌鳥。
百舌鳥は鳥籠から放たれたかのように飛翔し、『ウォッチコカトリス』によって身動きの取れない大鼠へと襲いかかった。
クチバシを鏃にして、二匹の大鼠の頭蓋を真横から貫く。
声もなく息絶える大鼠。
だが、百舌鳥の攻勢は終わらない。
旋回して戻ってきた百舌鳥は、自らの数倍の大きさはある大鼠の死骸の首根っこを掴んで強引にズリズリと引きずっていく。そのまま手頃な木へと近づき、枝に突き刺した。
ぶすり。
大鼠から滴る鮮血が枝を伝い、幹を紅く黒く染めていく。
残忍とも呼べる光景を生み出した百舌鳥は、満足そうに高らかに啼いた。
「な、なんですかあれっ! エイシャさんの呼び出したあの小鳥、すごくおっかないですよ!」
「あれは百舌鳥っていって、なんていうか、そういう習性の生き物だから。それより、そっちは平気?」
「はっ、はい! なんとかっ!」
ニサは二匹の大鼠の攻撃をさばきながら、声を震わせた。
ところどころ生傷はあるが、致命的な攻撃を食らった様子はない。
燐血人の血は緑色の炎でできている。ニサの生傷からは炎が舞い上がっていた。どうやらそれが大鼠たちへの牽制になっているようだ。
そんな光景を見ているうちに、百舌鳥がもう片方の大鼠の死骸をさらっていった。
さっきまでは引きずるようにして運んでいたのに、今度は苦も無く大鼠をつかんだまま空を飛んでいく。
そして再び、枝へと突き刺す。
百舌鳥の習性。または生命と呪力を等価交換する生贄の呪術『早贄』。
百舌鳥は早贄をつくる度に、呪術的な力を増していく。二匹の大鼠を生贄にささげることで、百舌鳥の纏う力はより強固なものへと変化していた。
「よし、じゃあ終わらせよう」
わたしの言葉が終わるやいなや、百舌鳥が放たれた矢のように残りの大鼠へと襲いかかる。
体格差をものともせずに、穿ち、貫き、生きたまま吊るし上げ、滑空していく。
ひとつ。ふたつ。
鼠の磔が生まれた。
「……うわぁ」
百舌鳥が勝利をさえずる横で、ニサが心底嫌そうに顔をしかめていた。
「そんなに嫌だった?」
「……あ、いや、その、少しグロいなあって。じつは私、血とか苦手なので」
それは探索者としてやっていくにはなかなか辛いんじゃないだろうか。
そんなことを思っていると、アリーチェとヒナヤがこちらへと歩いてきた。
アリーチェの左腕には矢が突き刺さり、表情には疲労がみえる。
「うぅ、アリーチェちゃん、ごめんね。今度は上手くいくぞっ! って思ったんだけど、失敗しちゃった」
「別にいいわよ、なんかもう慣れてきたわ」
「つ、次は、次こそはぜーったい成功させるから!」
「そうね。がんばって」
アリーチェは矢を引き抜いてヒナヤへと渡した。嬉々として受け取るヒナヤ。
ヒナヤの背丈が低いのもあって、まるで親戚の子供に遊んであげているかのようだ。
アリーチェはわたしと目が合うと、深々とため息をついた。
「……ようやく戦闘が終わったわけだけど、どうする? さすがにアタシもしばらく戦いはこりごりよ」
「わ、私もです。なんとかして敵を避けられないでしょうか」
試験が始まってから怒涛の五連戦になる。
さすがにみんな限界だった。
わたしはニサの言葉にうなずいた。
「敵を避けるのは賛成。問題は索敵手段をどうするかだけど」
「その鳥じゃダメなの?」
アリーチェがわたしの頭上を飛ぶ百舌鳥に目を向けた。
「あー、ね。そうしたいのはやまやまだけど、ちょっと呪力が強くなりすぎたせいで、制御が難しくってさ。……正直、わたしたちに襲いかからないよう抑えこむので精いっぱいだから、水に戻そうかと思ってたところ」
そんなわたしとアリーチェの会話の横で、ニサが頬を引きつらせていた。
「え、エイシャさん、この子、私たちを襲いかねないんですか」
「だいじょうぶ。今のところは」
「……い、いまのところ」
「……まあ。そういうわけだから、百舌鳥は消すね」
百舌鳥が瓶に戻っていくとニサはあからさまに安堵した。
「はいはいはいっ! 敵を探すのなら、ヒナヤに任せて!」
「任せてって、どうするつもりなのよ」
度重なる誤射のせいで、わたしたちからヒナヤへの信頼は底をつきかけている。
アリーチェは非難の色を隠すことなく問いただした。
「精霊のみんなに教えてもらうのはどうかな!」
「……精霊ってなに? エイシャ、解説して」
「エルフでは、万物には霊魂が宿るという考え方がメジャーで、そういう霊魂のことを精霊って呼ぶ。……とかだったはず」
生物、無機物を問わず万物には霊魂が宿るという世界観、精霊信仰。エルフにとってそれは当たり前で、精霊は身近な存在だという。
たとえ迷宮であってもそれは変わらない。樹々や草花、はたまた土や風すらも、エルフの目を通して見れば、精霊が宿っているのだろう。
ヒナヤの技術にはあまり信頼が置けないが、自ら索敵に行くのではなく、精霊に教えてもらうのであれば話は別だ。
汚名返上の機会を与えるという意味でも、ヒナヤに任せるのは名案かもしれない。
「わたしはいいと思う」
「わ、私もです」
「……二人がそういうなら、任せるわ」
「よーっし、まっかせて! ヒナヤ、今日は調子いいからね、カンペキに案内するよ!」
……これで調子がいいのか。
さらに不安になる発言をうけながらも、わたしたちはようやく迷宮を進みだした。